■北日本

 北日本こと「北日本民主主義人民共和国」は、「満州戦争」に連動する形で、ソ連の手によって1953年に成立する。
 そして1994年に南北統合で消滅。
 その間僅か40年余りという短命の国家だ。

 日本史上で見ると、異民族の傀儡として作られた唯一の国家となる。日本至上主義者から見れば、許し難い存在だろう。
 だが、日米ソが満州の国民党(中華民国)との手打ちの形で認めたとされているので、国際承認されている可能性もあるだろう。
 しかしアメリカとしては、日本をコントロールしやすくなるカードと見ての行動だろう。
 また作中では、アメリカに逆らった代償などと触れられているように、日本がアメリカに戦争を仕掛けた事への報復の一環とされている。
 立ち位置としては、北朝鮮より東ドイツに近い。

 そして日本という国家にとっては、民族分断よりも「国体護持」を揺るがすという点で大問題だ。日本国内の政治の混乱は酷かっただろう。
 北日本の成立が、戦後日本社会の雰囲気を史実に近くする最後の仕掛けとなる可能性は高いだろう。

 陸海軍が切腹状態で解体されたのは、満州での不甲斐なさよりも、北日本の一件、南樺太の防衛失敗が致命傷なのではないだろうか。
 内務省についても、似たようなものだろう。
 第二次世界大戦後も生き残った旧来の権力に近い人達が一斉に消え去る理由として十分以上のインパクトがある。
 正直、中途半端な敗戦より北日本成立の方が、日本の政治上では大きな事件だ。

 それでも日本としては、自由主義陣営側に満州が保持される事の利点を考え、仕方なく自身を納得させたと考えるより他無い。
 何しろ満州は日本の生命線だった。
 そして満州が中華民国のものになっても利権を全て失う可能性は低く、しかも資源と食糧の大切な輸入先だ。
 資源や食糧はアメリカなどから輸入できる状況であったとしても、中華民国のものとなったとしても、満州が自分達の陣営にいるという事は非常に重要な要素だ。

 満州のことはともかく、北日本の建国場所はソ連が占領した南樺太。だが何もない場所なので、隣接する北樺太がソ連から貸し与えられている。
 ソ連の当時の海軍力を考えれば、千島列島は含まれないだろう。
 満州戦争中に、日本から分捕れたとは到底考えられない。
 海軍力の格差から、手を出したら日米から袋叩きにされるのが目に見えている。

 そして当時の南樺太の産業は、林業と製紙業、それに漁業くらいしかまともなものがない。だからこそ、多少の石油(と石炭)が産出される北樺太が貸し与えられる。
 最初の国民は、南樺太から逃げ損ねた者と、満州戦争でソ連が捕虜とした人達だ。すぐに国を作れた程だから、高級官僚や軍人も多かったのだろう。
 これに小作農を中心とした日本人達が、日本各地、恐らく東北などの地方から移民していく。
 そしてほぼ確実に、権力や特権が欲しい共産主義者と社会主義者のかなりが殺到する事だろう。
 どちらも、本来なら日本本土からの流れは阻止できただろうが、日本政府が潜在的不満分子として故意に見逃したと考えられる。

 ■建国頃の社会基盤の問題

 南樺太いや樺太全島で、多くの人が暮らせる基盤がない。寒い土地で意外に平地が少ないので、開拓も農業も難しい。
 先にも書いた通り、南樺太のまともな産業は林業と漁業くらい。北樺太の油田があっても、それほど大きな変化はない。一番沢山眠っている天然ガスの出番は、早くても1970年代以後の話しだ。

 1940年代の南樺太の人口は、一時流入を含めて約40万人。現在(2020年)の樺太の人口も50万人程度だ。
 樺太の大地は、通常ならこの程度の人口しか養えない。
 だが建国頃で最大500万人が溢れる。
 土地面積的には、南樺太だけで九州や台湾とほぼ同じなのだが、許容量の10倍かそれ以上の人が暮らすことになる。
 普通なら餓死による全滅エンドしかない。

 全滅を回避するには、ソ連から色々と持ってこないといけない。ソ連も分かっているから渡すだろう。
 一部は、一時占領した満州から移設などの形で持ち込まれている筈だ。ソ連が第二次世界大戦で使った装備を大量に持ち込み、野営地もしくは難民キャンプのような町が形成されるのではないだろうか。
 史実のオマージュではないが、史実戦後の都市部に形成された焼け跡の急造バラックの街が、豊原などに作られるのだろう。

 そして住む場所など最低限の社会資本をなんとかして尚、全然足りないものがある。
 食糧だ。
 樺太島は林業主体で、農業はロシアや北欧式の農業が出来る程度。しかも農業に適した平地は多くないし、林業主体なので大規模開拓は建国してからだ。
 欧州のフィンランドより条件は悪いだろう。
 当然だが、米の栽培は無理だ。
 周辺の海である程度の魚は捕れるが、とてもではないが足りない。
 当面の食糧は、ソ連から持ってくるしかない。
 しかも樺太で食糧生産力飛躍的に高まる可能性は、気象条件から考えて難しい。
 故に北日本の主食はソ連がくれる各種麦で、食事はかなりロシア化している事だろう。
 それでも米は欲しがるだろうから、共産中国が落ち着いている時期は米を輸入しているのではないだろうか。ベトナムからも米などを買っているかもしれない。

 あと、食糧より大切な水だが、何もしなければ下手をしなくても飲み水すら足りない。
 何しろ史実では、40万人しか住んでいない場所だ。そこに、冷戦崩壊前でも1100万人が住んでいる。建国後に、飲料水用として人工の池や湖、ダムを沢山作っている事だろう。
 各地から人が流れ込んだ冷戦崩壊以後は、相当悲惨な状態ではないだろうか。
 冷戦崩壊後は、北日本にこそ海から濾過した水が大量に必要なのではないだろうか。
 もしくは、ソ連から水のパイプラインでも引いているのかもしれない。

 そんな過酷な場所だが、共産陣営にとって極東アジアに撃ち込んだ「楔(くさび)」だ。自らの極東地域を守る盾の一つなので、ソ連としては何としても維持せざるを得ない。
 最優先で必要な物を運び続けるだろう。
 そして北日本としては、不安はあるにしてもソ連の全面的な援助の上で胡座をかいて、人口増加と産業育成、つまり国力増強に励めばいい。
 そして林業、製紙業で国内の木を早々に切り尽くし、周辺の漁業視源も獲り尽くすであろう北日本は、実り少ない大地での分不相応な人口を養うために工業化するしかない。
 そして東側陣営が世界に自信を持って売れる商品は、ぶっちゃけ兵器しかない。
 コカコーラやマクドナルドが憧れ程度で済んでいれば良いと思えてくる。

 なお、南北併合後に天然ガスを輸出しているが、北樺太の海底ガス田の規模は、年間で日本の一割程度に相当すると言われる。東側基準で工業化された総人口2000万だと、北日本国内で殆ど消費してしまっているかもしれない。
 また石油は、現代社会の水準で見ると微々たる量なので、日本へ輸出するのは恐らく無理だろう。
 埋蔵量の少ない石炭も同様だ。
 そうなると、本当に何もない事になる。

 ■軍備

 陸軍が6個師団、T-72戦車が800両と紹介されている。
 海軍はソ連からのお下がりを装備しているが、ミンスク級はウラジオストクで錆びかけたヤツを押しつけられたのではないだろうか。
 また空軍には戦略ロケット軍があり、併合前までに核兵器を保有して、大陸間弾道弾、中距離弾道弾を運用している。
 だが、総人口1000万程度の国なので、武器輸出を生業としているとは言え、それほど大規模な軍隊は持てない。

 空軍は、陸軍の規模から考えると作戦機が150〜200機程度。陸軍の主力戦車がT-72なので、主力はMig-23辺りだろう。Mig-29を少数でも保有していれば御の字で、Su-27はお値段も考えると難しいだろう。
(※T-80、Su-27をアホほど装備する『征途』の北日本が、オーパーツ過ぎるのだが。)
 海軍はソ連から大型艦をもらったところで、予算も頭数も足りないのではないだろうか。
 一応島国とは言え、普通に考えればフリゲート艦数隻を保有する程度で必要十分だ。潜水艦も象徴的に1、2隻通常型を持っていれば御の字だろう。原潜はあり得ない。
 陸軍も歩兵師団と紹介されているので、攻撃的な編成ではないだろうし、機械化率、重装備化率は低そうだ。
 総合的に見て、ソ連軍の精鋭部隊でも駐留していなければ、「防衛軍」でしかないだろう。
 そして北日本自体が武器輸出により工業国となっていても、過剰な軍備は持てないと考えられる。

 だが、核兵器、大陸間弾道弾を有しているだけで十分以上に過剰な軍備なので、北朝鮮のように核開発、弾道弾開発に全振りした可能性は十分あるだろう。

 ■南北統合

 一番問題は、冷戦崩壊後から南北統合までの間だ。
 何しろ総人口を上回る移民(実質流民)が、僅か5年ほどの間に雪崩れ込んで来る。
 しかも移住者全員、日本語もおぼつかない異民族だ。

 1980年代半ばの総人口は1000万〜1100万人。
 これだけなら、南樺太という九州くらいの土地に、九州と同じくらいの人口という事になる。
(※一応借り物の北樺太の人口は少ないままだろう。)
 だがここに、最大1400万人以上の移民が、ソ連が本格的に傾き始めると怒濤のように流れ込んでくる。
 史実日本での戦後の引き揚げのざっと二倍。
 中華系の一部は80年代後半から建設労働者として流れ込んできているが、本格化は冷戦崩壊の89年からで、5年間に今までの総人口の20%に当たる数が毎年流れ込んでくるのだから、北日本が急送に歪み傾くのは当たり前だ。
 東側特有の悲惨な流通網(※行列が当然。商品棚は空っぽ。)で、どうやって食いつないでいったのか疑問でしょうがないほどだ。

 しかも89年以後の流入者は、労働移民や出稼ぎ労働者などではない。資産を持っているとは言え祖国を逃げ出してきた実質的な難民で、日本が南北統一したら自動的に日本人になれると期待した人達だ。
 その上、流れ込んだ数はさらに多く、多くの餓死者を出したと推測されていると触れられている。
 総人口を上回る数が5年程度の期間に、計画性もなく流れ込んできたのだから当然すぎる結果だろう。

 そして流民達は、北日本に居れば日本が北日本国民にカウントするのを待つのが常道だが、待ちきれない人々はすぐにも流れ込んでいる。
 実質的な流民なので、より豊かで移動可能な場所に流れやすいのは道理だろう。
 何しろ蓄えがあっても食い扶持がない。
 日本が総人口一億を越える国であっても、容易に受け入れられる数ではない。
 それでも楽観的に見るとするならば、日本においての「3K」労働環境の人手、低賃金労働者は、一世代以上不足することはないだろう。
 作中でも、製造業でこき使う的な描写が見られる。
 また消費者として組み込めれば、国内消費の拡大、国力の拡大を図ることができる。
 だがはやり、当時の共産中国やソ連の富裕層が多いと言っても、当時の日本からみれば相当の金持ちでないと平均にも届かないだろうから、対策も急務だろう。

 しかし1995年は、主人公が具体的に動きだす年は、史実通りなら日本にとって受難の年だ。
 何しろ未曾有の天災と人災、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件があった。
 前年に北日本を併合しているが、対北日本政策が十分に対応できなくなるのは間違いない。
 さらに付け加えると、1995年には北樺太の北部でマグニチュード7.6の大地震が発生している。
 史実でも大きな被害が出ているが、史実より北樺太の人口も多いだろうから、損害もその分大きいだろう。

 そして移民が雪崩れ込んだ北日本は、多くの移民を受け入れるキャパもヴァッファもない。
 何しろ樺太の大地は寒く実りが少ない。肝心の武器産業も振るわなくなっている。
 住居一つとっても、冷戦崩壊前の北日本が東側基準の生活水準だとしたら、住居の一人当たり面積はかなり狭い。
 地下都市が大規模開発されたという豊原は、とんでもない過密都市になるのも当たり前だ。
 冷戦崩壊前の豊原を中心とした樺太で恐らく唯一の都市圏(豊原に周辺の真岡、大泊などを合わせたもの)は、恐らく総人口の半数、500万人程度の都市圏を形成していただろう。
 範囲としては京阪神と同じくらいだから、地形を考えなければそこまで過密ではない。
 だが、他に行く場所もないロシア、チャイナの流民が殺到するので、最大で瞬間的に2000万人近い都市圏が一瞬で形成されてしまう事になる。2003年時点でも1000万人以上が住んでいる筈だ。

 それでも相応の資産を抱えたロシア系(ソ連系)、中華系が多いので、衣食住の輸入と産業は異常な勢いで瞬間的に拡大するだろう。
 冷戦崩壊頃からの北日本は、急造する人々を受け入れるための建設業が主要産業となるほど異常に盛んになるのではないだろうか。(※家具、家電などの関連産業も凄そうだ。)
 ただ、どのような国でも、いきなり総人口が二倍以上に増えたら、都市機能、社会そのものが麻痺してしまう。
 内乱&内部崩壊で国が滅びるのも、ある意味必然というものだ。

 そして南北統合後の日本は、日本国内に短期間のうちに流民が流れ込まれない為にも、必死で支えざるを得ない。
 請け負った(取り込もうとした)財閥と国は、総力戦状態なのではないだろうか。特に物流の拡大と再編が大変そうだ。
 史実での東西ドイツ統合と比較しても、バブル崩壊後の経済の傾きの加速程度で済むのか疑問だ。
 逆に活性化する日本本土の産業もありそうだ。
 
 しかし支えても尚、南北合併から僅か5年程の間に最低でも200万人が流れ込んでいると触れられている。
 また1995年頃の北海道での民族構成は、日本人8:ロシア人1:中国人1と紹介されている。
 北海道の本来の人口は約500万人。
 北日本の人口比率に従って日本人2:ロシア人1:中国人1の割合だとすると、最大で約300万人が流れ込んでいる可能性がある。

 しかし、94年の南北統合から2001年までに日本に流れ込んだのは200万人とされている。
 しかも日本全体でだ。
 日本に流れた200万の半数が北海道に流れ込み、さらに流れ込んだ大半が根無し草のロシア系、中華系とすれば、約50万人ずつ。少し割り増しで約60万人とすれば、北海道の総人口の1割と言う数字を満たせる。
 それに北日本に流れ込んだロシア系、中華系は、南北併合で北日本人ではなく日本人になるのが目的だ。北海道に流れ込むのはロシア系、中華系だけの方が自然だろう。
 ただそれでも、札幌などの大都市は急速な人口拡大で大変な事になっているのは間違いない。
 季節的な農業労働を含め低賃金労働力は有り余るだろうが、治安が不安定化するのは当然だろう。

 本土の方も、東京歌舞伎町、大阪あいりん地区などは、早い時期から相当カオスな情景になるのだろう。
 しかも90年代半ばの大阪は、バブル最後の建築ブームの残滓で日本中から土木作業従事者が集まっていたので、北日本からの労働希望者も相当流れ込んでいるだろう。
 作中では受け入れが進まず、大型船に町(洋上都市)を作っているが、排他性の強い日本でいきなり数百万人を受け入れるとなると、大きなクッションが必要になるだろう。

 それが日本人以外(ロシア人、中国人)となると尚更だろう。
 日本の大都市の各所に、ロシア人街、中華街が俄に形成されたりもする可能性も高そうだ。
 それとも、豊かな資産を持って移住してきた人達は、バブル崩壊で値崩れした物件を安価で手に入れて、それなりに暮らしたりもしているのだろうか。
 史実での在日外国人数は2020年でも300万人だというのに、その実質五倍の数がいきなり増えれば、混乱も大きいだろう。

 ■最後に

 さて、人口の事を中心に考察してきたが、最後に北日本こと「北日本民主主義人民共和国」とはどんな国か考えてみよう。

 基本的には、史実での北朝鮮のオマージュだろう。武器輸出で工業化しているから、一部東ドイツっぽいかもしれない。
 秘密警察も、北朝鮮はあまり目立っていないので東ドイツのシュタージに近いかもしれない。
 また、作者がリスペクトしている『征途』に登場する北日本に近い姿でもあり、さらに首都豊原は『攻殻機動隊』の電脳都市がイメージだと言う。

 だが、日本人が作った日本人の国だ。
 やはり多くが日本的だろう。しかも国を整えるのは、恐らく満州にいてソ連軍に捕まった革新系の官僚達と陸軍の軍人達と、日本から流れてくる共産主義者、社会主義者だ。
 ソ連から社会システムを導入するにしても、結局は「日本」になっているだろう。
 だが、軍人はそれほど偉そうできないだろうし、独裁者も見あたらない。秘密警察が大きな勢力を持つ、党、官僚、軍人による三頭体制の中央専制国家になるのだろう。

 ロシア人、中国人が大量に雪崩れ込んでいなければ、穏便に併合と「日本化」が進んだだろう。