著 者:檜山良明
発行日:昭和57年(1982年)8月10日
発行所:光文社
第一回目として、私自身がこの世界に最も深入りするきっかけとなった本を紹介したいと思います。 この小説の内容を簡潔に説明すると、連合艦隊が真珠湾の奇襲攻撃の後近くにいたハルゼー機動部隊を発見・撃滅し、それを機に日本軍の総力を結集して1942年7月に本の題名通りに米西海岸にまで侵攻してしまう、と言う目も眩みそうになるほどの壮大なスケールの作品です。 今日でこそ、年間100冊と言われるほど「仮想戦記」の発行数も著者も増えましたが、冷戦時代クライマックスの当時はこの分野での草分けと言える「連合艦隊遂に勝つ」以後、この時期檜山良明氏ただ一人がこの分野を引っ張っていたと言っても過言ではない時期です。なおこの作品は、「日本本土決戦」、「ソ連本土決戦」を含めた「本土決戦」三部作と呼んでもよいだろう作品群の最後を飾る作品であり、「本土決戦」三部作はこの分野での氏の知名度を確固たるものとしたと言って良いでしょう。 この三部作の特徴は、どれも壮大なテーマを取り扱いながらの1冊読み切りであるにも関わらず小説としては見事に完結しており、また単にお気楽に日本軍が勝つというものでなく、「日本〜」に至っては日本国そのものが滅んでしまうような展開であり、また氏の初期作品の特徴である見事な人物描写も相まって、実に読み応えのある作品になっています。個人的には、軍艦の名をペンネームにしている作家さんに比べると、100倍は読み応えがあると思いますね(笑) この作品をここ10年の間に他の著名な作家が出したら、最低でも3冊ごとのシリーズになるほどどれも壮大なスケールであり、手軽に手に入る資料も少ないこの時期にこれだけの作品を送り出した氏の熱意にはただただ頭が下がるばかりです。
では、内容について少し書いていきましょう。
あらすじ 1941年12月8日に史実通りに南雲機動部隊が真珠湾を奇襲。その後当地に展開している双方の空母機動部隊が史実とは少し異なる動きを行い、翌日史上初の空母どうしの戦いが行われ、当然の戦力差から米機動部隊は全滅(CV2、CG2、CL1喪失)し、さらにその前後に史実では損傷しただけだった空母サラトガが潜水艦により撃沈されてしまい(恐らく史実のレキシントンや大鳳のような沈み方だったのでしょう)、米太平洋艦隊の壊滅を確認した山本五十六はここに布哇攻略作戦を決意。 物語は、大局的な作戦面それを行う軍人達と真珠湾を偵察していた諜報員、収容所を転々とする布哇の日系人、早期講和に向けて奔走もしくは邪魔立てする外交官や政治家、ゲシュタポ、空母艦載機のパイロット、FBIの捜査官(時間犯罪(Xファイル)を追いかけに来たモルダー捜査官じゃないよ(笑))など、運命に翻弄される個々の人々のドラマを様々な側面から要所要所で交えつつ怒濤のごとく進んでいく。 戦争はその後、史実通り日本軍の圧倒的優位に進み日本は東南アジア全域を手にし、さらに勢いにのって1942年3月初頭にはアッツ・キスカ島、ミッドウェー攻略まで行い、ここに日本軍の総力を挙げた布哇攻略が発動。 ここで再建なったアメリカ太平洋艦隊が無敵を誇る連合艦隊の前に敢然と立ちふさがるが、圧倒的な母艦戦力の差(日:米=10:3)と新鋭戦艦「大和」の大活躍により、真珠湾で壊滅しその後大西洋艦隊より大幅増援を受けた米太平洋艦隊を完全に撃滅し(米側BB5、CV2、CG1撃沈、日本の損失はCV1のみ)、日本軍は怒濤の勢いでオワフ島を始めとするハワイ諸島を攻略。 そして、短期決戦の講和を実現するためには、アメリカにさらなる物理的・心理的打撃を与えなければならないと考えた山本五十六は、同様に考える一部の日本陸海軍部首脳の意向を受けてアメリカ本土侵攻とそれに先立つ米太平洋艦隊の完全な撃滅を計画。 5月半ばに、再び日米の戦争の帰趨を決定するような大決戦が発生し、ここで米太平洋艦隊は主要艦艇の全てを失い((米側BB3、CV2、CG3喪失、日本の損失はCV1のみ))、あわせて太平洋での制海権も失ってしまう。 そして7月1日ついに日本軍は米西海岸にその足跡を記し、ワシントン州とカリフォルニア州南部に上陸した日本軍2個方面軍(合計約35万人)と米西海岸を防衛する米陸軍との間に熾烈なそして凄惨な泥沼の陸上戦を行うことになる。この小説では、小説の本題といえるこの部分を約1カ月間日本軍が米軍の優れた装備の前に苦戦しつつも、圧倒的な制海権と制空権の下進撃を強行する描写がかなりなされており、独ソ戦もかくやという生臭い戦争描写でつづられている(さらには日系人強制収容の日本側の解放とアメリカ側の報復的な焼き討ち、現地民間防衛軍を日本軍が虐殺などもある)。
なお、小説は1942年8月1日、短期決戦を目指して進撃を強行させていた山本五十六の元に、外務省から短期講和の可能性がなくなったという知らせがもたらされ、裏の事情を知らず日本軍の勝利を喜ぶ宇垣参謀長に「この戦争はうまくいかんよ」と言う言葉で終わる。
論評・批評・架空戦記?
さて、あらすじなどこの小説を読んだことある方には不要だったかもしれませんが、お話は実に良い所で結末を迎えています。昨今出ている良作とされる仮想戦記なら戦争はこれからドンドン激化し、長期シリーズ間違いなしというところでしょう。 そして、たった1冊で、しかも話をここできっちり終わらせている点に当時の槿山氏の筆力を感じます。 ただし、この小説の最大の見所は、この壮大なストーリではなく「戦艦大和」が米戦艦の群を連合艦隊を率いてバッタバッタとなぎ倒す場面であり(共同撃沈を含めると、何と海戦を行った8隻全ての米戦艦と砲火を交え沈めています!)、史実をはるかに上回る大活躍をする連合艦隊の姿を生き生きと描写するところにあり、これはこの小説の後書きを書かれている元海軍中佐の、「亡くなった軍人たちの霊前に供えたい」と言う言葉によって小説の方向性が端的に示されています。 そう、この小説の主人公は、歴史の流れに翻弄される様々な立場の人々ではなく「戦艦大和」を中心とした連合艦隊であり、彼女たちの活躍を描くことによる大東亜戦争への鎮魂歌だと言っても過言ではないでしょう。 わたくし意見ですが、この書は数ある仮想戦記の中でも屈指の名作であり、このジャンルを愛する方であれば一度は手に取って読むべきだと思います。 ・ ・ ・ と、ここで結んでしまっても良いのですが、これを読む方が小説を読んだことを前提に少し小説の戦術面・戦略面でのおおまかな考察と、その後について考えてみたいと思います。 まあ、この小説はそう言うツッコミしてはいけないのは分かっているのですが、好きな作品であるだけにどうしても目についてしまうんですよね。 小説を追う形で順に見て見ましょう。 まず冒頭の真珠湾奇襲のくだりですが、ここでは全くもって史実と同じ展開なので文句の付けようがありませんし、その後の日米の機動部隊の激突もそれほど違和感はありません。その数日後に発生するサラトガの撃沈も、日露戦争のように日本側に幸運の女神様が大量出血サービスして下さったとするなら全然オーケーでしょう。実際潜水艦による雷撃は成功していますからね。 ただ、この時点での空母艦載機の数に史実とは大きな違いがあるので、この点指摘しておきましょう。 この次の戦いで日米の空母機動部隊が、日本側が空母6隻で戦:41、爆:47、攻:72の攻撃隊、96機の防空隊、米側が空母2隻で攻撃隊:76、防空隊42と言う機数を繰り出しています。史実では日本側は真珠湾の攻撃で29機を失い多数の損傷機を出し、米側の空母は航空機輸送任務の途中なので、双方実働艦載機数は定数よりかなり少な目でした。それに、当時の日本側の戦闘機の数は搭載機数の関係でこの数字よりも少なくなります。つまり、この世界は史実とは少し異なるというのがこの点で強引に見て取れるわけです(笑) そうです、日本側は史実よりも航空機の運用機数が多いか生産力が大きく、さらに空母の運用方法も少し違い、米側はハナから日本軍の真珠湾攻撃を高い確率で予測していたと言うことになります。 ちなみに、マクラスキー少佐はいきなりココで戦死されています。
そしてここで歴史は完全に我々の知るものから逸脱していきます。 もっとも、その後戦争展開は、東南アジアでの戦いは史実と全く同じスケジュールで進行しています。 つまり、3月初頭に日本は東南アジア主要部の制圧を完了すると言う事です。まあ、これは史実でも見事なまでに成功していますし、この世界ではアメリカが開戦早々空母3隻プラス補助艦艇もいくらか失うという大きなダメージを受けていますから、史実のような南洋諸島方面での米軍の遊撃も物理的に難しいですし、太平洋方面の防衛体制が完全に崩壊している米軍がさらに消極的行動をとれば、史実よりも楽に作戦は進捗する可能性も高いでしょう。 ですが、東南アジア全域の制圧作戦が終わらないかぐらいに、史実での「MI作戦」にあたる作戦が史実とほぼ同じ戦力を投入して開始されます。 まあ、単にコンピュータ・シュミレーションゲームのように軍艦や兵力を動かすだけなら小説上のタイムスケジュールでもできなくはないのですが、やっぱり無理があります。しかも、「MI作戦」以後の布哇攻略作戦では、連動するパルミラ諸島、ジョンストン島攻略を含めると史実の「MI作戦」の戦力にプラスして東南アジアを制圧した戦力の半数にあたる上陸部隊が同方面に移動してきます。そして、3月半ば以降から海上における攻勢が始まり、4月頭には上陸部隊はオワフ島に達しなくてはいけません。 上陸戦力など数字と編成の上では大きな問題ないのですが、このスケジュールは北アフリカの砂漠で異常な進撃をするロンメル将軍の機甲部隊を見ているようです。しかも、それを行っているのは日本軍の機動戦力の過半となります。 さらに困った事に、この間に陸軍は史実と同じようにビルマ侵攻を行い、海軍はその援護として「軽空母部隊」によるインド洋作戦を行っています。 さて、ここで問題です。いったいどこからインド洋にいる空母部隊が湧いてきたのでしょうか。 小説では布哇作戦には、南雲艦隊の空母6隻の他に「隼鷹」、「龍驤」、「鳳祥、「瑞鳳」が参加しています。そしてすでに、「隼鷹」が史実よりも数ヶ月早く実戦に投入されている事になります。 また、当時のこれ以外の空母と言えば「祥鳳」、「大鷹」、「雲鷹」そして年内に「沖鷹」、「飛鷹」、「龍鳳」が投入可能です。まあ、「祥鳳」はこの世界では珊瑚海海戦がないし、この頃は出来立てホヤホヤぐらいだから良いとしても機動作戦に投入できる空母はこれ1隻です。史実と同じタイムスケジュールだと、とても17年4月に他の空母は手当できません。それとも水上機母艦「瑞穂」が早々と空母に改装されているのかも知れません。 と言うことで、日本艦艇の建造スケジュールが変わっていると言う想定が成り立ちます。 ついでに言うと、布哇作戦に投入された輸送船舶も東南アジアから急遽転戦してきたと考えても、補給・整備・乗員の休養など兵站面を考えると無理があり、この作戦に投入された1回あたり4〜5万人の大部隊を運ぶ約100隻の船舶もどこからともなく湧いて出てきたと考えざるを得ません。困ったもんだ。 さて、兎に角今は詳しく触れられている布哇方面よりもインド洋を見て見ましょう。 小説では「軽空母部隊」が4/5にセイロン島を空襲となっています。つまり、英東洋艦隊とセイロン島守備隊を同時に相手どれるだけの「軽空母部隊」が史実とほぼ同じスケジュールで同方面に投入されていると考えざるを得ないので、どうしても「祥鳳」、「龍鳳」、「飛鷹」の3隻にそれなりの練度を持った搭乗員の操る艦載機を満載して挑んでももらわないといけないわけです。これなら、艦載機の数は日本の正規空母1.5〜2隻分になり、史実で英海軍が投入した空母3隻にどうにか対抗可能ですし、セイロン島の防空網を何とか突き崩せるだけの兵力を集中できるでしょう。贅沢言えば、四の五の言わずに鈍足空母も全て連れていきたいぐらいですが、航空機運搬が主任務のこれら空母を投入するのは少し酷なのでこの3隻に頑張っていただくとしましょう。これで何とか辻褄は合わせられると思います。また、先ほどの空母「瑞穂」が存在していれば、もう少し安心できる戦力になる事でしょう。 ただ、ここで問題となるのが搭乗員の数です。 この頃というは日本海軍は、慢性的に空母搭乗員の数を確保するのに苦労していましたし、この頃は当時新鋭機と呼んで差し支えない零戦の数が全ての空母に行き渡らないという状態でした。しかしそれでは、小説のような勝利はおぼつかなくなります。つまり、史実よりも沢山搭乗員も零戦もあると想定が成り立ちます。
さて、ここまでねちっこく言えば分かると思いますが、この世界の日本、少なくとも日本海軍と日本の海運力は史実よりも1〜2割程度大きい能力を持っていると想定できます。 今後はこの想定で、考察を進めたいと思います。 あと、石油の備蓄状況の問題も謎だらけですが、史実の二倍ぐらいの備蓄があるんでしょう、きっと(笑)
1942年3月17〜18にかけての日米海軍の大決戦で、米海軍は投入した主力艦艇のうち空母1隻を除く全てを失い布哇近海での制海権も喪失します。そして損害は旧式戦艦5隻(全て短時間での撃沈)に空母2隻、重巡洋艦1隻他多数なので、これだけで万単位の戦死者が出ているんですね。しかも戦死者は補充の難しい熟練したセイラーばかりという恐ろしいオマケ付きで(ついでに砲撃部隊は司令部ごと全滅です)。 そして布哇諸島での攻防戦で米軍は、2個増強師団程度の戦力約5万程度を投入するわけですが、制空権も制海権もありませんのでアラモの砦状態となり、この兵力の大半が戦死するか捕虜になってしまいます。対する日本軍の損失はその後ここに投入された部隊がさらに増強されて西海岸に投入されているので、軍事的には十分許容範囲の損害と想定できます。 しかも、この布哇攻略戦に前後して日本海軍は布哇の海上封鎖も行い30万頓もの米船舶を撃沈しているとされています。この時期にこの数の損失はかなり致命的と言えるでしょう。しかも、損失しているのは布哇からのエグゾダスと反対に増援のために選ばれた高速大型船ばかりでしょうから、今後の機動作戦への支障は推しては図るべしと言った所でしょう。 この一連の米軍の損害を欧州での戦争に例えるなら、英国ならマルタ島と地中海艦隊を同時に失ったようなもの、ドイツ軍ならスターリングラード攻防戦に敗北したようなものと言えるのではないでしょうか。しかも、日本軍の損害は僅少です。 そして、これまでの日本海軍の損失は、空母1隻以外は軽巡洋艦1隻に駆逐艦が何隻かあるだけです。後は他の戦線では史実どおりかそれ以下なので、このままの勢いで日本軍はアメリカ西海岸へと殺到する事になります。 (ランチェスター理論的には、両者の投入した戦力比的に日本軍の損害数字はそれ程間違っていません。)
1942年5月8日、連合艦隊は圧倒的な戦力でアメリカ西海岸のシアトル地区に襲来し、この地区を海軍工廠を中心に焼き払って、タコマのボーイング工場も破壊してしまいます。 ついに、日本軍によるアメリカ本土侵攻作戦が始まったのです。 そして日米艦隊は5/13〜14にかけて、今度は東太平洋の制海権を賭けて再び大規模な海上戦闘を行います。 戦闘はアメリカの二倍以上の戦力を投入した日本海軍の優勢勝ちとなり、日本側が空母1隻を失った代償として、新鋭戦艦3隻、空母2隻、重巡洋艦3隻以上などの大損害を与え(しかもほとんどが短時間での撃沈)、これまでの損害を累計するとアメリカ海軍が最低半年は足腰立たなくなる程のダメージを受けることになります。 さて、ではここでこれまでの米軍の損害のトータルを見てみましょう。 まず真珠湾奇襲で米戦艦4隻が撃沈、4隻が何らかの損傷を受け、史実なら撃沈したうちの2隻を除く全ての艦艇がその後復活していますが、ここでは3月には日本軍が大挙して押し寄せますし、開戦からずっと同方面の通商破壊も熱心に行われ、さらには米空母は最初から3隻も失われているので、損傷艦はともかく撃沈艦艇の浮上修理は優先度から言えば問題外でしょう。つまり、ここで米軍は約2,000名の戦死と戦艦4隻を完全に失います。 また、その後すぐに発生した空母同士の海戦で、CV2、CG2、CL1を喪失しせっかく空襲を逃れた戦力までもが壊滅状態となり、ついでに数日後には空母がさらに1隻潜水艦に沈められるというオマケ付きです。損傷艦を合わせれば、さらに数隻がオーダーされ、この時点での人的損害は重度の負傷者を含めるとすでに万の単位が見えているのではと思います。 そして、3月半ばから日本軍の怒濤の攻撃が始まり、艦隊決戦だけ見てもせっかく真珠湾攻撃から復活した戦艦2隻を含むBB5、CV2、CG1他多数が撃沈され、これがアメリカ以外なら講和を考えたくなるような大損害です。ちなみに、この時点で真珠湾で深く損傷したネヴァダの復旧・西海岸への回航が終わっていなければ、開戦時真珠湾にあったテネシー以外の全ての戦艦は鬼籍に入る事になります(残存はコロラド、テネシー、テキサス、ニューヨーク、アーカンソーのみ)。 そして、その後5月の海戦でされらに新鋭戦艦3隻、空母2隻、重巡洋艦3隻以上などの大損害を受けます。つまり、二つの大海戦での人的損害は戦死者だけで2万のオーダー、重度の負傷者を含めるとさらに何割かが加わる事でしょう。しかも、キンケイド、リー、シャーマンなど優秀な海軍実戦部隊の長の多くも同様に鬼籍に入っています。この時点での米海軍の人的損害はまさに壊滅的と呼んで差し支えないでしょう。 さらに加えて、布哇を守備していた部隊のかなりが脱出もままならない状態で降伏している筈です。 つまり、西海岸に日本軍が殺到するまでのアメリカの人的損害は、捕虜を含めると10万人の単位に達しているのではと想定できます。特に海軍の熟練した乗組員3万の損失は、共に沈んだ艦艇の損害以上に致命的です。 43年に入り東海岸で続々と新造艦艇が就役しても、それを操る熟練乗組員が致命的に不足する事になるのは間違いないでしょう。何しろこれまでに失われた乗員は、過半が戦艦と空母、巡洋艦の乗組員ですからね。 しかも、半年にも満たない間に10万もの戦死者・捕虜を出すという損害がアメリカ社会に与えるショックはかなり大きなものになるのも間違いないでしょう。反対にこれが緒戦で日本が受けた損害なら、降伏を考えないといけない程です。(フィリピンなどでの損害を加算すれば、さらに大きなダメージですね。) さて、とにかく米海軍の壊滅により太平洋全域の制海権は日本の手に帰し、これを受けて7月1日日本軍はワシントン州の海岸に最初の一歩を踏み出します。 その後、7月7には今度は布哇から日本軍の大部隊がカリフォルニア州南部に押し寄せ、7月半ばまでに16個師団相当(14個師団プラスアルファ)、約35万人の兵力が上陸します。バックアップ部隊を除けば、関東軍に匹敵する日本陸軍の総力戦です。 そして他の戦線では、6月28日からは史実通りドイツ軍による第二次対ソ夏季攻勢が始まり、さらに遡って5/17にはアメリカの事実上の宣戦布告であった「海外軍事援助法」が西海岸防衛を最優先とする国論に押されて廃案になってしまいます。 で、ここでさらにミステリーがひとつ。史実では17年8月に就役する「武蔵」が早くも実戦参加しています。つまり、史実よりも3カ月以上早く就役していると言うことです(笑)
些細な問題はともかく、日本軍は西海岸に殺到し海軍の援護を受けながら強力な米軍相手に苦心惨憺しながら進撃していきますが、この西海岸侵攻で日本軍は4個の戦車師団と4個の機械化(自動車化)師団を投入しています。これは、史実のこの時点ではまだ存在しない兵力がほとんどで、一応の説明はされていますがここでも史実とは多少異なるのが見て取れますね。つまり、史実よりも陸軍の機械化が進んでいるという事です。 ですが、所詮は三流陸軍の日本陸軍ですので、前進のたびにおびただしい犠牲を出し、侵攻開始3週間で3万の兵員が死傷し、200機の機体を失っていると説明されています。まあ、北米西海岸になぐり込んでこの程度で済んでいるのだから、むしろ良好な結果というべきかも知れませんが、どうにもお先真っ暗です。 小説でもそのようなくだりで終わっており、ドイツ軍がたった3週間でコーカサスとスターリングラードを占領し、今一歩でモスクワに手が届くという吉報も虚しいと言うイメージすら受けてしまいます。 そして、小説ではこのような状態で終わりを迎えています。
さて、果たして今後の戦争展開はどうなるのでしょうか? 小説の終わりあたりで、アメリカの今後はともかく欧州の状況は滅茶苦茶です。 史実通り北アフリカのトブルクは陥落しているのは当然として(小説でも同じタイムスケジュール)、太平洋で史実以上に米海軍がコテンパンにのされているので、米海軍はUボートの跳梁を全く阻止できず、援助法案を廃案にしなくても欧州にロクに物資を遅れていないとされており、それが原因でソ連は呆気なく敗退しています。英国についても日本軍の圧力が若干少ないですが、米国からの援助がなくてはかなり苦しいでしょう。何しろ、アメリカからの援助を一番受けたのは英国ですからね。 しかも、日本軍の西海岸侵攻で、米軍主導のトーチ作戦(北アフリカ反攻)は中止され、欧州に派遣予定の米軍の大半は西海岸へと移動しつつあります。アイクもブラッドもパットンもとりあえずは西海岸防衛に懸命です。 そして米国政府はともかく、国民の目は完全に西海岸そして日本に向いてしまいました。 まさに、「JAP Strike!」です。 日本はこの怒濤の西海岸侵攻で、米国民の首根っこを押さえつけて自分たちに目を向けさせたのです。と書くと何だか某コミックに出てくる「少佐」みたいですね(笑) と、脱線しかけましたが、この戦略的とも言える日本軍の攻撃により、アメリカはしばらく、恐らくは布哇を奪回するまで欧州よりも太平洋を重視する事になるでしょう。アメリカの国力の全てが日本に向かってくるのです。 もっとも、米海軍が日本海軍を洋上で撃破できるようになるまでは、最低でも43年夏、圧倒するには44年夏までを待たなくてはいけません。優れた米軍の兵器が出てくるのも、いくら戦争資源を日本に向けても1943年に入らないとかなり無理っぽいです。 そして、日本軍の滅茶苦茶な攻撃で海軍力がすっかり消耗しているので、これはいかにアメリカに国力があろうともどうにもなりません。しかも、布哇は西海岸から4,000kmも彼方ですからこの当時の爆撃機ではどうにもできません。 さてさて、今後の戦争展開はいったいどうなってしまうのでしょうか?
まあ、順番に見ていきましょう。 まずはアメリカ西海岸ですが、秋までに日本軍の攻勢は続きある程度の戦術目的を達成し、同時に攻撃用の陸軍力を消耗し尽くして現地で事実上の持久体制に入り、反対に内陸部に待避しつつ大量の増援を受け取った米軍による大規模な反攻作戦が実施される事でしょう。 恐らく現地日本軍は、米軍の反撃から3カ月以内に完全に撃滅され、這々の体で米本土からの撤退を余儀なくされる筈です。戦力差的にこれは動かしようがありません。海軍の損害も陸上からの航空機の攻撃により、損失はともかく損害はかなりの数に上るのではないでしょうか。 まあ、状況としては史実の南洋での損害と同程度と見るべきでしょう。 ここでは史実のガダルカナル島撤退に合わせて、1943年2月に日本軍は米本土より転進と言ったところに落ち着くと思います。もちろん、日本の国力がこの状況を強要するからです。 また、いかに米軍と言えどアメリカの大都市を人質にとった35万人もの日本軍の撃滅にはかなりかかると思いますし、ゲリラ化するであろう逃げ損ねた日本軍の残存部隊への対処を考えたら、43年いっぱいは西海岸での米軍の苦労は続きそうです。ヘタすれば、アメリカ中の有色人種全体を巻き込んだ争乱状態の可能性すら捨て切れません。何しろ、アメリカは初めて外国からの攻撃を、しかも有色人種から受けたのですからね。この状況での黒人を始めとする有色人種の動きなどを考えるとかなり興味深いでしょうね。
なお総決算的には、日本軍は海軍の2割、船舶50万頓、航空機1,000機(これ以上は日本が持ち込めない)、陸軍20〜25万の損害ぐらいでしょうか。 対するアメリカ側は、海軍はすでに綺麗サッパリなくなっているので、軍事力的には航空機1,000機、陸軍10万程度の損失でしょうが、アメリカ側はこれ以外に自国領土が戦場になっており、しかも人口700万人を抱えるカリフォルニアなど発達した都市部が破壊されます。しかも、日本はワシントン州の主要部全てとサンディエゴ=ロサンジェルス一帯を一時的に制圧し、サンフランシスコ一帯を爆撃と艦砲射撃で破壊するでしょうから、全体の5%程度の人的損失としても約50万人もの一般の死者が発生する事になります。独ソ戦のように人口の一割以上の損害が発生したらこの数字は倍以上に跳ね上がります。また物的損害についても、日本が撤退時に史実のドイツ軍のように徹底的に破壊して去るでしょうから、いかにアメリカと言えど半年は再起不能でしょう。ヘタしたら西海岸の軍事的価値の再建だけでアメリカは半年から1年近く拘束されるかもしれません。まあ、独ソ戦の戦場に比べれば可愛いものかも知れませんが、アメリカの戦争遂行能力と戦争スケジュールに大きな遅れを招く事は間違いありません。B-29もテキサスかどこかで作らないといけませんしね。 あと、日本軍としては使えそうなもの、金目のものを片っ端から奪って帰えるでしょうから、これも色々と問題になるでしょうね。 もしかしたら、日の丸付けたB-17が飛んでいたり、M-4戦車が沢山走っているかもしれません。 で、日本を叩き出しても、西海岸と海軍の再建でアメリカは太平洋に繰り出すことが難しいので、その間日本の通商破壊に精を出す事になりますが、拠点となるべき場所が、史実通りのオーストラリアを無理して使うとして、他アメリカ西海岸以外では、パナマ、アラスカぐらいしかないので、布哇など前線での活動はともかく日本の通商交通路の破壊にはかなり苦労が伴うのではないでしょうか。しかも、パナマ=オーストラリアの線に対しては日本も何らかの妨害を行うでしょうから、史実以上にアメリカ海軍が苦労するのは間違いありません。 そして、アメリカが日本への復讐を誓い着々と準備を進めている間に、反対に欧州ではドイツが野望達成、もとい生存権の獲得を目指して戦火を広げていく事になります。
小説では、それまでの史実通りの展開が日本海軍の大活躍で、必然的に大西洋でのアメリカ海軍の制海維持能力が著しく低下し、これが欧州への援助物資の極端な停滞を招き、さらには武器援助法案の廃案につながり、大事な時期の連合国側の援助が滞る事になります。 しかも、待てど暮らせどせっかく参戦した米軍は、先に来ている空軍の一部以外英本土にすらやってこないのですから、ドイツ本土に対する戦略爆撃も威力半減どころではありません。ドイツ本土への昼間爆撃もナシです。反対に迎撃効率のあがったドイツ空軍の前に孤軍奮闘するRAFが根を上げている可能性すらあるでしょう。 そして、一番致命傷なのは、日本海軍が太平洋・インド洋で大暴れしたのとUボートの活躍でソ連向けの援助がなくなってしまい、1942年6月28日からのドイツ軍の二度目の夏季攻勢の前にソ連赤軍は手もなく撃破され、たった3週間でドイツ軍はモスクワを包囲せんと言うところまで進撃してしまう事です。 ま、欧州の結末は見えたようなものですから、ここで極東戦線を少し考えてみましょうか。 もちろん、小説そのものが日本が以上に幸運に恵まれているという前提なので、ここでも都合良く考えてみます。 史実では、ドイツの二度目の夏季攻勢(ボルガ河渡航、つまりスターリングラード早期攻略)が成功したら、関東軍はソ連に対して宣戦布告していたと言われています。ここではどうでしょうか。この世界では関東軍の精鋭の多くがアメリカ西海岸へと投入されており、日本本土の精鋭部隊の一部もそっちに行ってしまい、いかに極東ソ連軍が弱体化していると言っても、とてもではありませんがこのままでは無理です。 どうにかならないものでしょうか? 日本がアメリカに負けないためには、ここでソ連を徹底的に叩きつぶしておく必要があります。と言っても他に大量の兵力を抱えているのは支那大陸を半ば征服した筈の80万とも言われる支那方面軍だけで、これの過半を転用するしか手はありません。 ただ、日本陸軍にとっては支那での不本意な戦争よりも、西海岸への冒険的攻撃よりも、ソ連との戦いこそが本分ですので、折からの戦勝とドイツの成功に気を良くしてこちらに目を向けても良いのではないでしょうか。 少なくとも、西海岸に引き抜かれた戦力の穴埋めをここから補充する必要があります。最低でも1個軍団程度はないと、対抗すら難しいぐらいまで兵力は減少している筈で、1942年の時点で日本陸軍がこれを手抜きにするとは思えません。 ちゅうわけで、強引に支那派遣軍の3分の2を満州に移動してもらい、7月半ばぐらいからドイツ軍のモスクワ総攻撃に呼応して極東ソ連軍に殴りかかったと考えてみましょう。 目標はハバロフスクとウラジオストクとその周辺部の占領と、現地ソ連軍の撃破です。 あとはドイツがソ連心臓部を叩きつぶして降伏した後シベリア全土を制圧すればノープロブレムです。まずは、形式を整えるが先決です。 もう、アメリカ西海岸にまで行っている世界ですから、今更この程度驚くほどの事はありません。 こうして、ソ連は秋までに事実上崩壊し、後はせいぜい泥沼のゲリラ戦となり、大規模な陸戦は幕を閉じ、ドイツ、日本共に自らの残りの主戦場に目を向けることができます。
そして、支那大陸で日本軍がいなくなった事により懲りもせず内戦が再燃化した頃、1942年冬からは東部戦線南方軍集団の一部が、コーカサスからトルコを経由して中東へと移動してきます。目的は言うまでもなく、英国の生命線の一つである中東の石油を抑える為です。 あと、東部でお役御免の空軍は西欧もしくはドイツ本土に移動、防空体制を強化し、英本土から来る米英の爆撃機を迎え撃ちます。初動で米軍の動きが低調でしかも英国は援助低下で息切れしており、ドイツ本土にさらに1個航空艦隊が防空に付けば、欧州の情勢はかなり変わる事でしょう。 基本的な国力差、戦争遂行能力から考えると英国の圧倒的不利です。 まあ、ドイツが英本土を陥落する事は流石に難しいでしょうが、英国は少なくとも中東とエジプトは一度は失う事になります。 当然地中海の制海権も失い、史実以上に英国は消耗する事にもなります。 そして、1943年ぐらいにようやく西海岸から解放された米陸軍航空隊が英本土に大挙やってくるでしょうが、史実から1年以上も遅延しての欧州登場では、戦況がかなり変わってしまってます。しかも、ドイツは欧州ロシア、地中海、北アフリカ、中東を抑え、全戦力が英国本土を指向してしまい、全然状況が違っています。 ドイツ全軍で見ると、陸軍の比重が低下する分、空軍と海軍にその余剰リソースが配分されますから、とてもではありませんが、史実のような景気の良い戦略爆撃はできない事間違いありません。反対に英本土が焼け野原という自体は、アメリカが本格的に乗り出せば可能性は低いでしょうが、既にドイツの国力が段違いです。 ま、よくて千日手と言った所でしょう。 もちろん連合国側にとって目が悪ければ、米軍の本格的欧州派兵がなされる前に、つまり1943年夏にドイツ軍によるゼーレーベ作戦発動で英本土は陥落している事になります。 そうなれば、アメリカにとっての戦争も手打ちを考えなくてはなりません。
さて、史実ではアメリカの国力の15%を対日戦に投入し、残りを対ドイツ戦に投入するという状況が、ドイツ戦の展望が確実となった1943年秋ぐらいまではこの状態が継続していたと思います。 ですが、ここでは日本軍の突進で連合国、アメリカにとっての全ての状態が一年遅れてしまっています。 日本もドイツもついでにイタリアも元気いっぱいです。 英本土がピンチになれば、インドや他の英国植民地での反抗的活動も活発化し、本国から遠く離れたオーストラリアやニュージーランドなんかは、アメリカ西海岸まで押し寄せた日本軍の幻影を恐れて単独講和すら考えられるのではないでしょうか。 しかも、小説の状況では1943年内ぐらいまでは米本土防衛と海軍力回復にリソースの多くを配分しなければならず(恐らく半分程度)、最終的に日本にもドイツにもアメリカが勝利するにしても、そこにたどり着くまでの犠牲は如何ばかりか、という状況です。しかも、対日戦重視の影響で最低でもハワイ奪回までは対日戦に努力の多くを投入しなくてはなりません。いや、これまで徹底的に殴られているのですから、東京に星条旗を掲げるまで全力で殴り返す事こそ合衆国の本分とすら言えます。この場合は1946年ぐらいに、復讐に燃え史実の二倍ぐらいの大艦隊を編成した米軍が1944年以後太平洋をそれこそ横断する大攻勢を続け、連合艦隊は善戦むなしく滅び去っていくという、史実の写し鏡が現出している事でしょう。 また、ある程度日本に甘いタイムスケジュール的には、1944年夏〜秋にハワイで日米の艦隊決戦が発生し両者痛み分け、その後米軍がハワイ奪回した時点で、反対にドイツが英国を屈服させる段階でお互い手打ち、以後世界は欧州ドイツ帝国と、アングロ大西洋連合、そして国力差から欧州に主導権を奪われた弱小の日本アジア共栄圏という構図になり、アメリカ対それ以外というダラダラとした冷戦構造が続くといった辺りでしょうか。 (1944年末頃に日米決戦があるのなら、これはこれで燃える展開になりそうですが・・戦力的には、日本が戦艦「信濃」を加えた10〜13隻、空母が「大鳳」、「雲龍級」数隻を加えて、12〜15隻、米軍が史実のマリアナ沖からレイテの中間ぐらいの母艦戦力(戦艦部隊は新造艦だけ)ぐらいかな)
そして、結論としては、小説をあの段階で終わらせた事は、こうしたダラダラした戦争とその後の対立もしくは結局日本がアメリカに負けてしまうという状況を小説の上で見せない為にも正しいのでしょう。檜山氏のその後の作品でも、このような結末の作品が多いのも、小説としての歯切れの悪い結末を避けるための手法だと言う事ですね。 いやはや、檜山氏の(当時の)見識には頭が下がるばかりです。一介のオタクがグダグダ言う余地はありませんね。