著 者:檜山良昭
発行日:1983年2月25日
発行所:光文社
◆異聞・あらすじ
では今回は、第一回目と同じ作家の初期作品を見ていきたいと思います。 この小説の内容を簡潔に説明すると、実際の戦争面は日本軍(関東軍)VS極東ソ連軍を1941年8月末〜12月頭までの3ヶ月間を扱っているが、どちらかと言えば関東軍の様々な謀略や工作、有名なスパイゾルゲとの丁々発止の謀略合戦などに重きが置かれており、戦記物としてだけでなく、ミステリー物としても読むことができる、一粒で二度美味しい作品だ、言ったところでしょうか。 なお、当作品は、檜山良昭氏の「アメリカ本土決戦」、「日本本土決戦」、「ソ連本土決戦」の三つ「本土決戦」を合わせた三部作で、第一回でも触れた通りこの分野での氏の知名度を確固たるものとした作品と言ってよく、また今から(2004年現在)20年以上も前に書かれたという事に大きな価値があると思います。 では、いつも前置きが長いようなので、早速内容をおさらいして解体に移っていこう。
あらすじ 1941年6月22日ドイツ軍は突如ソ連に対し全面戦争を開始するが、同盟国日本は開戦間際にようやくこれを知ったため、日本にとっての千載一遇のチャンスとも言えるソ連との戦いをすぐに始める事はできず、そればかりか今ソ連に攻め込まれたら満州防衛すら事欠くような状態だった。 そこで、防衛に最低限必要な戦力を満州に送り込むと同時に、極東ソ連軍が欧州に転用され減退した時開戦に至るという前提条件の下攻撃用の部隊の動員、移動準備も進められる。 期日は八月末。 しかし、8月10日の御前会議で、日本は南進を決定し対ソ連開戦は中止となる。だがそれで収まらない関東軍の一部は、ソ連極東への侵攻を画策。 そして、謀略を好むとされる関東軍らしく、戦争の「大義名分」を得るために満州在住の白系ロシア人を利用、彼等を”にわかソ連軍”にしたてあげ、満州を故意に攻撃させた上で、「ソ連が攻撃して来た!」とばかりに無理矢理全面戦争状態に持ち込む。 その前後に、「対ソ戦反対派」の軍幹部を体よく追い払い、準備不足のまま怒濤の侵攻作戦を打って出る次第。
作戦は、なし崩しの作戦により自ら苦戦を呼び込むが、日本軍将兵の膨大な犠牲を必要とした上で比較的順調に進み、11月にはウスリー州と呼ばれる極東主要地域の過半を制圧し、次なる侵攻、ソ連極東全域の制圧を図ろうとする。 だが、遅かった開戦、兵力の逐次投入、例年より早い冬の到来、ソ連側のなりふり構わない防戦と焦土戦術など、予想外の抵抗により作戦は遅延し、何と11月半ば以降に実質的に第二期作戦が開始され、当初から対ソ開戦反対派の言っていた戦略的な無茶を絵に描いたように苦戦を強いられる事になり、ゾルゲスパイ団を逆利用したカウンターに成功したり、要衝ウラジオストク、北樺太の占領こそ達成できたが、小説の終わる12月頭の時点ではハバロフスクは頑強な抵抗の前に未だ陥落せず、北方のアムール川流域に侵攻した大部隊はソ連軍の計画的なゲリラ戦術と厳しい冬のため消耗し、全面撤退を考えねばならないところまで追いつめられてしまう。 しかも、ドイツ軍がモスクワを陥落しようかという吉報の届いた矢先、追い打ちをかけるように開戦理由とされた白系ロシア人部隊を利用したことが国際的に暴露されてしまい、アメリカの極東対ソ支援と対日交渉の切り上げるという窮地に追い込まれ、これらに対する日本政府と軍首脳の苦悩が本格的に始まるところでエンディングを迎える。
◆論評・批評?
さて、駆け足であらすじを追いましたが、作品は檜山先生の初期作品らしく、実によいところで終わっています。前にも言いましたが、たった1冊で、しかも話をここできっちり終わらせている点に当時の槿山氏の筆力を感じます。 ただし、この小説の見所は、所詮貧乏陸軍でしかない日本陸軍が、苦労してソ連極東軍を押しのけソ連極東を占領していくというお話ではなく、関東軍による白系ロシア人を使った謀略や、特務部隊によるシベリア鉄道爆破、そして国際スパイとして歴史的にも有名な、かのリヒャルト・ゾルゲや尾崎秀実と日本側の防諜サイドとの虚々実々のやり取りにあるのではと思います。 また、実際の戦争はこうだったんだよ、と歴史に疎い人に言えば、そのまま受け入れられてしまいそうなほど「実際にあり得た」歴史的展開も、当作品の魅力と言え、これだけ歴史の方向性が変わっているのに、身近な平行世界というのも架空戦記小説の中では稀でしょう。 さしずめ「戦闘など飾りです。偉い人にはそれがワカランのです。」と言ったところでしょうか(笑)
さて、お立ち会い。 今回の檜山氏の「もしも」を一言で言えば、第二次世界大戦中、ドイツの猛進撃に苦戦するソ連に対し、その背後から関東軍が絶妙のタイミングで横合いから殴りかかっていれば、というものになります。 では、当時の国際環境は? 対ソ開戦した場合の今後は? 関東軍は? 日本軍全体の行方は? 果たして一体どうなるのでしょうか??? と言うわけで、順に見ていきましょう。
1941年6月のドイツの対ソ開戦までの歴史的流れはほとんど全て同じです。違いは、開戦の決定権が関東軍の手にあった、という事でしょう。 そしてこれが、この世界での日ソ戦の激鉄となっていきます。 では、まずはこの前後1年ぐらいに起こった歴史的事件を見てみましょう。
1940/05/10 ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始 1940/05/13 オランダ、ロンドンに亡命政権樹立 1940/05/27 イギリス軍、ダンケルク撤退開始 (06/04 撤退完了) 1940/06/22 フランス(ペタン政府)降伏 1940/07/27 大本営政府連絡会議、「南進」「枢軸強化」を決定 1940/09/07 ドイツ空軍、ロンドン爆撃開始 1940/09/23 北部仏印進駐 1940/09/27 日独伊三国軍事同盟調印 1941/06/22 独ソ戦開始 1941/07/02 大本営、「関特演」発動 1941/07/25 アメリカ、日本資産の凍結 1941/07/28 蘭印、日蘭石油民間協定を停止 1941/07/28 南部仏印進駐 1941/08/01 アメリカ、対日石油輸出禁止 1941/09/06 御前会議、対米開戦を決意(「帝国国策遂行要領」決定) 1941/10/01 乗用自動車のガソリン使用全面禁止 1941/10/16 近衛内閣総辞職 1941/10/18 東條内閣成立 1941/12/08 ハワイ奇襲攻撃(AM03:25/大東亜戦争勃発)
さて、小説では1941年8月27日に関東軍が行動を起こしますが、実に微妙なタイミングです。 上記を見て分かるように、日本はすでに南部仏印進駐を行っており、アメリカは対抗措置として対日石油輸出禁止しています。日本の首は、すでに締め上げられているのです。微妙と言うより、すでにルビコン川を渡っているようなものと言い換えるべきですね。 これが、日本が計画的に対ソ戦を考えているのなら、南部仏印進駐などせず、当面は対英米融和外交を展開しつつ、三国軍事に従い正式に対ソ宣戦布告(中立条約よりも軍事同盟の方が優先順位は上の筈です)して、可能な限り戦力集中を図って対ソ戦を開始するという流れになるのでしょうが、軍部の独走により全ては御破算という、実に当時の迷走する日本らしい流れが作られています。 ですが、ソ連を倒すというただ一点から見ると、好機と言って良いかもしれません。 開戦時期の時間的タイミングは悪くありませんし(ロシアという広大な領土を考えると、ドイツ軍との時間差攻撃的なタイミングになる)、相手戦力は何とか日本陸軍が勝てるレベルで、ソ連はドイツに対する反撃のための戦力を失い、しかも英米の対ソ援助が本格化するのは秋以降で、41年の間はまともに機能しないという状態です。 なお、1941年8月25日に英ソ両軍は宣戦布告もせずにイラン進駐(侵攻)開始して、その後英国は対ソ援助ルートを開設し、有名な北大西洋ルートと同様に重要な対ソ援助ルートとなります。ですがそれよりも驚くべき事は、極東ルートが量的には最も大きな対ソ援助ルートになっている事でしょう。連合国対枢軸国と言う中に、日ソ中立条約があったからこそ現出した奇妙な現象です。
では、ここでようやく戦術的な面を見ていきましょう、というところなのですが、正直言って小説の展開にほとんど文句はありません。史実と同じ動員計画のもと兵力が用意されており、日ソ双方の兵力を考えれば恐らくそうなろうだろうという展開しかしておらず、12月の時点でこの作戦に投入された25個師団の日本陸軍部隊のうち最低半数は一年は戦場に戻れないほどの壊滅的打撃を受けており、架空戦記にありがちな、安易に日本軍が勝利するという構図が全くと言ってよい程見受けられないからです。 しかも、強大無比な日本海軍は、ソ連海軍を撃滅したと言う簡単な説明以上に登場する事はなく、しかも日本陸軍の戦車部隊の半数を結集した部隊は、捨て身の肉弾戦法と航空支援によりどうにか勝利しているという有様です。ハッキリ言って、日本軍が華々しく活躍する戦闘展開に期待してこの本を手にした方は、大いなる失望を味わうこと請け合いです。 ただし、ここでの日本陸軍の状態は、戦略レベルでは実に大きな変化をもたらす可能性を持っています。 第一に、北支那にある陸軍部隊の多くが早期にシベリア戦線に投入され、この穴埋めを他方面の部隊でせねばならず、しかも41年12月現在日本軍は磨り減り続けており、さらなる増強が必要で、これは容易に支那戦線の大幅縮小に繋がる事でしょう。少なくとも当時20個師団85万人程度を展開していたとされる支那派遣軍のうち、後方要員も含めて半数程度はシベリアに送り込まないと、当時の日本陸軍の状態ではどうにもならなくなる筈です。
数字の話しが出たので、当時の日本陸軍の数字を少し見てみましょう。 当時日本陸軍は、約200万人で構成され(陸軍航空隊含む)、50個歩兵師団、3個自動車化師団、16〜18個戦車連隊を主軸として構成されていました。 このうち1941年夏現在、16個師団70万人が満州にあり、20個師団85万の支那派遣軍が存在しています。 そして、北支那と内地にある予備兵力の殆ど全てが満州に送り込まれ、既存の兵力と合わせてソ連戦を戦う事になります。 しかし、シベリアに押し入ったうちの半数以上が41年のうちに壊滅します。つまり日本陸軍は、開戦からたった数ヶ月で最精鋭の4分の1の兵力を失ってしまうという計算が成り立つのです。陸軍の受けるショックは如何ばかりか、というところでしょうか。 しかも、支那戦線にある陸軍部隊は、1937年9月からの日華事変消耗で従来将校、士官の多くを失っており、また兵の多くも二線級の人材(老年兵)ばかりで、一部を除いて事実上後方警備以外はできない部隊ばかりで、関東軍の実質的な壊滅は日本陸軍の屋台骨が崩れ去るのと同義語とすら言えます。
ですが、国家戦略レベルでは、それ程悪い事ばかりではありません。(もちろんこれから語る事は、最も楽観的に見てという点は拭えませんが・・・) 誰もが出来なかった支那戦線縮小を、大手を振ってする事が可能となり、日本軍撤退により自動的に国共合作は崩壊と一挙両得です。また、ソ連戦により日本陸軍はもとより国家としての体力も削られてしまい、とてもではありませんが、対米英戦など出来る力は残っていません。ソ連を叩きつぶした後は、臥薪嘗胆、何があってもアメリカ様に逆らってはいけません。国が滅びるのが誰の目にも見えていますし、だいいち戦う力が残されていないので、国士気取りの方々が如何に喚き立てようとも、どうにもなりません。それに、陸軍主力が事実上壊滅してしまえば、天保銭の方々の鼻息も小さくなる事でしょう。 そして、一番の戦略的得点は、極東軍を自由に使用できなかったソ連赤軍が、欧州正面でドイツに戦略的に敗北するという事です。 史実では、1941年10月2日ドイツ軍、モスクワ攻略作戦(台風作戦)発動で、1941年12月5日にソ連側の対独反攻開始になりますが、ここでは9月より日本軍により極東軍が拘束(もしくは半壊)されているため、モスクワ正面での阻止もしくは反撃の中核となるべき軍団をソ連赤軍は確保出来ず、訓練不十分なにわか仕立ての義勇兵部隊は、軍事のイロハもしらない民兵ですから無意味とすら言える大損害を重ね、11月にはソ連政府はモスクワを離れ、11月半ばにはドイツ軍はモスクワから100kmにまで迫り、12月1日にはあともう一押しでモスクワを占領できるところまで進撃し、ソ連赤軍は史実と違ってこれを押し返す力はなく、ソ連の臨時首都は、クィビシェフ(欧露、ウラル双方の玄関口的位置)、オルスク(ウラル山脈南方の小さな町)へと奥へ奥へと後退を続けていきます。 そして、これ以後は小説では触れられていませんが、モスクワを死守する力が赤軍にないとするなら、史実での大反撃を行う力も当然なく、また日本が真珠湾奇襲をしないのですから、アメリカの対枢軸参戦はアメリカ側の戦争準備が整う1942年秋以降、最悪参戦せずに物資援助だけという状況すら見えており、1942年秋にはドイツはウラル以西を制圧し、ソ連は国家として経済的に事実上崩壊、日本も態勢を立て直せばもう少しマシな状況に持ち込める「かも」しれません。
さて、ここで再び戦略、政略レベルの話しに戻りますが、日本が対ソ開戦し大東亜戦争にもつれ込まない状況で、アメリカは参戦するでしょうか。参戦するなら何時になるでしょうか。 また、有名なレンド・リースによる影響はどうなるでしょう。この二つを相互に見ながら考えてみましょう。 まず戦争より先にレンド・リースですが、ソ連を対象としたレンド・リースは8月に対ソ援助基本協定ができましたが、ソ連側の対応不備もあってアメリカ議会がレンド・リースの対象にソビエトを加えることに同意したのは10月になります。 つまり、1941年中にはアメリカはソ連にほとんど物資を届けることが出来ず、届いたとしてもソ連国内での物資の振り分けにかかる時間も考えに入れると、ソ連は最も困難な1942年夏までの期間を、ほとんど対ソ援助の恩恵を被らずに切り抜けたことになります。少なくとも41年冬の反撃は独力でしている筈です。 しかもこの世界では援助ルートの主力である極東ルートは、肝心の9月からぶっつり途切れてます。それはウラジオストク(+ナホトカ)、北樺太(+オホーツク海)は日本軍の手にあるからに他なりません。 小説では、日本側の謀略が暴露されこれにより極東からの大手を振った軍事援助が強く語られていますが、飛行機はともかくアメリカ人は極東のいったいどこに大量の物資を陸揚げするつもりなのでしょうか?? こればかりは疑問が尽きません。流氷が去った後、無理矢理アムール川上流の港湾都市コムソモリスクナアムーレにでも頑張って送り込むつもりなんでしょうか? それとも夏の北極海をせっせと行くつもりでしょうか? どちらにせよ、春にならなければ船団を送り込んでも氷に邪魔されてどうにもなりませんし、鉄道の使える港湾はどれも日本軍の占領下になる可能性の高い場所ばかりです。ま、大量の砕氷船を用意してみたり、頭がクラクラするぐらいの数の犬ぞりでも使うなら別ですけどね。 ハッキリ言って、こんなところから送り込むぐらいなら、遠回りでもイランルートの整備を急いだ方がマシでしょう。それとも、援蒋ルートを経由してはるばる支那大陸から送り込むつもりかもしれません。 そして、ここから言える事は、日本の恐れる極東へのアメリカ艦隊の訪れは、どれほど早くても1942年3月以降となると言う事です。 しかも、これまでにハバロフスクを陥落させていれば、同方面に対する物理的な援助ルートは絶たれたも同然で、極東援助をできたとしても北大西洋回りかイランルートからになり、上記したように援助物資がザバイカル方面に届くのは、物理的な問題から1942年夏以降という事になります。もちろん、航空機は例外に含まれるでしょうが、欧州正面以外のソ連空軍の練度を考えると、劇的な効果には疑問が多々あります。何しろ、フィンランド空軍相手では、駄作呼ばわりのバッファローにあのムスタングが容易く落とされてますからね(笑)(日本軍が冬の極東でまともに動けたとも思えませんが。) で、実際極東にアメリカ海軍護衛の護送船団がやってきても、日本側はアメリカとの戦争を恐れて阻止しないだろうから、アメリカお得意の謀略を駆使しない限り日米開戦には至らないでしょう。 もちろん、ドイツもアメリカ参戦による不利は承知しており、史実の大東亜戦争開戦以前のようにアメリカ側の手に乗るとは思えません。 となると、やはり開戦はアメリカの軍艦が何故か攻撃されて、これに怒り狂ったアメリカが一方的に宣戦布告するという形になるでしょう(w 時期的には、アメリカの戦争準備の都合を考えれば1942年秋で、これはソ連が崩壊するかもしれない瀬戸際になる時期なので、恐らくこのあたりになるでしょうか。 そして、謀略を仕掛ける相手はこの際、日独のどちらでも構わないというレベルになると思います。 いや、物理的、政治的にドイツの脅威の方がはるかに大きく厄介なのですから、日本などの弱敵は後で倒せば良いのですから、まずはドイツを叩きつぶすのが筋と言えるでしょう。 で、この時点で史実と同程度の戦争展開になれば、史実と同じ時期に枢軸側の無条件降伏で戦争は終結、ソ連も徹底的に弱った状態でパックスアメリカーナが実現し、ヤンキーどもにとって「めでたし、めでたし」な戦争も幕となります・・・が、果たしてそこまで都合良く事が運ぶでしょうか? 別の側面からも追って見ましょう。
最もキーになるのは、1941年夏〜42年秋までソ連の抵抗がどの程度可能か、です。 特に42年春以降、極東の援助ルートが物理的に閉ざされている状態というのは、非常に興味深い想定です。 史実での対ソ援助ルートは、ムルマンスクへと海路を取る「北ロシア・ルート」、イランを経由する「ペルシャ湾ルート」、アラスカから飛行機を送り込む「北極圏ルート」、ウラジオストクを目指す「極東ルート」がありました。 そして、開戦後ソ連国内で著しく不足する軽工業品、食料など民生品を送り込む主要ルートが「極東ルート」で、レンド・リースの中で物量的に半数程度が民生品で占められており、しかも「極東ルート」を通った援ソ物資は援助物資全体の半分近い物量になり、日本の不意の対ソ参戦はこのルートをバッサリ断ち切っている事になります。 そしてこれは、1942年以降ソ連は兵器の生産と兵士に回っていた人的物資の多くを、史実と違い軽工業生産と食料生産に回さねばならず、せっかく回転し始めたウラルの疎開工場で働く工員も、前線で枢軸軍を押し止める兵士の数も史実より遙かに少なくなる事をあらわしており、もし史実通りの動員状態、兵器生産を維持した場合、戦争に勝利する前に飢餓と民生品の枯渇で国家が崩壊してしまいます。 また、極東ルートの代換えとなるルートは、イランルート42年秋以降でない鉄道路線の整備の関係から実働しないので、事実上「北ロシア・ルート」だけと言え、あの荒海を思えば史実ほど円滑な援助はできないのではないでしょうか。 そして、軽工業品や農産物の不足は、レンドリースがなくなった1945年8月以降のソ連の内情が全てを物語っています(公式には、いまだに資料はあまり見られませんけどね)。 ここから、単純に考えられる日本の取るべき道は二つです。 窮乏するソ連の足元を見て停戦に全力を傾けるか、ドイツと共にソ連を完全に殲滅するまで戦うか、です。 そしてソ連産業の状態が、この二つのルートを選択する権利を日本に渡しているとも言え、アメリカの行動よりも日ソ双方の政治的取引が極東戦線の終幕の鍵を握っていると思われます。
ですが、史実と違い重要な要素がもう一つあります。 それは、ドイツ軍が1941年12月頭の時点でモスクワを完全占領し、これを奪回する力はソ連側にはなく、これは史実で行われた赤軍の大反撃がない事も物語っており、当然ドイツ軍の兵力損失もはるかに少なく、欧州ロシア戦線の状況はドイツ軍にはるかに優位という事です。 しかも、アメリカの参戦が1942年秋となれば、枢軸国側による第二期夏季攻勢を初期の段階で遮るものはなく、まあ極東でじたばたせざるを得ない日本軍はともかく、ドイツを取り巻く環境は史実よりも良好な状態です。 昨年冬の自軍の損害は史実よりも少なく、対してソ連軍の損害は膨大で、英米から実質的に受け取れる援助は史実よりやや少ない状態なので、当然国家経済維持のため前線に出てくる赤軍兵士も兵器の数も多少は少なくなり、しかもソ連共産主義体制の象徴であるモスクワはドイツの手にあり、ヤンキーの爆撃機もまだヨーロッパにはやって来ていません。 つまり1942年夏のドイツとしては、ボルガ川、ウラルに向けて突進すればよく、これが成功すればペルシャ湾ルートも途絶し、いいかげん強権独裁のソ連共産主義政権が崩壊する可能性は極めて高いでしょう。少なくともスターリンのソ連国内での地位は大幅に低下し、政変が起こる可能性は十二分にあります。髭のおじさんは、それだけの悪行を重ねてますからね。
そして、秋からは枢軸国の目はそれぞれソ連の反対側に向き、枢軸側としてはこの時点でアメリカが参戦していなければ、英国以下の連合国との講和を図ろうとするでしょう。何しろ日独共に戦争目的が達成できるんですから、これ以上戦う理由がありません。 アメリカも英国がドイツの軍門に下らないのなら、政治的妥協の余地はあるでしょう。 順当にいけば、戦後はドイツを頂点とした枢軸vs英米による冷戦に突入というところでしょうか。 ただし、諸兄が期待する「燃える」状況とはかなり違うと思います。日本は、国力の違いからドイツの政治的風下に立つことになり、支那大陸での泥沼の争いは規模を小さくしてそのまま続き、しかもアジア利権については大国アメリカがあれやこれやと口を突っ込んでくるという、政治的に非常に辛い半世紀をこれから過ごしていく事が確実だからです。少なくとも、日本が世界帝国になる事はあり得ず、アジアを抱え込んだ血まみれの地域大国が関の山で、アメリカとの際限ない軍拡競争の末、史実のソ連のような崩壊が待っているだけでしょう。 もちろんこれは、第二次世界大戦の様相をかなり楽観的に見てという付帯条件がついても、この程度です。想定を多少代えてもあまり変化はない筈です。 そして悲観的展開は、先述したアメリカにとっての「めでたし、めでたし」で終わり、史実の戦後日本とそう違わない状況でその後の日本史は推移する事でしょう。
いったい、ナチスという悪魔と、ソ連という魔王のどちらがタチが悪いんでしょうね。 極端なイデオロギー国家というのも困ったもんです。
そう考えると、第一回目にも言いましたが、グダグダとこれ以上書く事は、小説として話しにならないから一巻のあそこで簡潔だったんでしょうね。 ただ、極めて個人的な感想としては、やはり謀略をお話の主眼に置いた以上、もう一冊書いて、政治謀略の結果を導き出して欲しかったように思います。スパイゾルゲも逮捕されなかったという事は、この点からの結論は話の上では出ていないですから。 とは言っても、今の氏の筆力を考えると少し難しいでしょうね。
また次回に逢いましょう。