第六回・「修羅の波涛」、
   「修羅の戦野」

著 者:横山信義

発行日:1994年11月25日〜1999年5月25日

発行所:中央公論社

修羅の波涛 1 真珠湾の陥穽
修羅の波涛 2 機動部隊遊撃戦
修羅の波涛 3 内南洋攻防戦
修羅の波涛 4 反撃の一航艦
修羅の波涛 5 愚行の島
修羅の波涛 6 遥かなる環礁
修羅の波涛 7 トラック奪回
修羅の波涛 8 未完の講和
修羅の波涛 外伝 1
修羅の波涛 外伝 2
修羅の戦野 満州大侵攻
修羅の戦野 2 攻防遼東半島
修羅の戦野 3 北満州追撃戦
修羅の戦野 4 ハルピン最終決戦

◆序文

 さて、ようやく登場といったところでしょうか。
 6回目にして、横山信義氏の登場です。
 と言っても、横山氏の代表作と言える「八八艦隊物語」ではありません。
 あの作品も歴史改竄と戦略レベル・戦術レベルなど、全般的に言いたいことは山のようにあるのですが、・・・今回はリクエストもありましたので、「修羅シリーズ」を採り上げます。
 本作は、上記したように外伝を合わせるとトータル14冊にも及ぶ長期シリーズで、「波涛」の基本コンセプトが、南雲艦隊の真珠湾攻撃を徹底的に失敗させて、攻守逆転した太平洋戦争を初戦において展開し、最終的に何とか日米を停戦させる事と、一人の空母艦長を主人公に据える事にあります。これは、作者も語っており作中の展開も概ねこれに沿ったものになります。そして、とにもかくにもこの長期シリーズを完結させている点は、高く評価してもよいと思います。
 ただし、この一連のシリーズ、特に「波涛」の後半あたりから出現するストラテジー(政治・軍事戦略双方)レベルに、致命的な展開が見受けられます。
 単に戦術面、いや戦闘シーンでは、この手の読み物が好きな方にはお勧めできるものだと思うのですが(私は次点を与える程度の評価しかしていませんが)、この戦略レベルでの致命的な欠陥は、私のようなヒネた物好きにとっては見過ごせません。おかげで全巻読破するのが、どれだけ苦痛だった事か(苦笑)
 ま、愚痴を言っても始まらないので、順に見ていきましょう。
 なお、ファンの方はあまり見ないことをお勧めします。かなりこき下ろすかもしれません。また読まれる場合は、批評するだけの価値があると言うこともご理解頂ければ幸いです。
 そして、リクエスト下さった方には、最初に謝罪させていただきます。多分それぐらいこき下ろします。

あらすじ
 史実通りの開戦を迎えようとしていた日米だったが、山本五十六率いる連合艦隊が企んだ真珠湾攻撃は、アメリカ側がこの攻撃を看破していた事からほぼ万全の態勢で迎撃を受け、6隻参加した空母のうち4隻を喪失、日本に残る正規空母は「飛竜」・「瑞鶴」の二空母のみとなる。
 そして、東南アジア以外での戦線拡大ができなくなった日本軍は、海軍中心に組織改革が行われ、マリアナ、パラオを結んだライン、いわゆる「絶対防衛圏」で米軍の攻撃を押し止めるための戦いが始まる。
 また、初戦の勝利に慢心するアメリカの勇み足と危機感を持つ日本の善戦により、戦況は日本軍にやや優位という形で推移し、1943年夏に行われた最後の決戦で日本海軍は半壊するも、米太平洋艦隊を一時的に撃破しトラック諸島の奪回を達成する。
 そして、戦いは次なるステージというところで、西太平洋以外の戦況が大きく動き、日本の善戦に焦った中共に見事に踊らされたソ連が満州の一部に侵攻し、これが最終的に独ソ停戦、ソ連の連合国脱落へとつながり、最終的に日米の停戦という流れがつくられる。
 しかし、停戦を望んだ筈の日本国内には多数の不満分子があり、最後は皇軍が相打ち、この時の戦いで日本海軍はさらに傷を大きくするが、アメリカとの停戦に成功する。
 だが、独ソ停戦の流れは、ソ連の極東への領土的野心の再燃をもたらし、1945年8月9日の満州動乱へと、誰も予測しなかった次なる戦いのステージへと流れていく。

 1945年夏に始まった満州での日ソの戦争は、ソ連側の手前勝手なお題目に乗ったアメリカの意向もあり、満州を限定した奇妙な戦争となる。
 初戦は関東軍だけで防衛されていた満州をソ連軍が蹂躙、赤軍は遼東半島まで進撃するが、この段階で米軍が本腰を入れ、日米同盟による反撃が始まる。
 そして1945年12月7日には、連合国とドイツとの間でも停戦が実現し、第二次世界大戦は事実上終息、米軍による大規模な満州派兵が開始される。
 アメリカは、この戦略転換とも言える大規模派兵に対して、パットン将軍を総司令官に据え、パットン将軍と関東軍司令の山下将軍の二人三脚によるソ連軍追撃が行われ、46年冬になるとソ満国境近くまで押し込められたソ連赤軍による反撃が開始されるもこれを何とか退ける。
 そして、停戦会談が行われる中、ソ連の思惑により最後の決戦が発生するが、日米連合軍はここでパットン将軍を失うも判定勝ちと呼びうる状況を作り上げる。
 しかし、満州人民共和国という奇怪な国家の消滅という戦争目的を達せないばかりか、開戦前よりも大きな領土の保有を許すという、戦略的には必ずしも勝利とは言えない形で状況は固定される事が停戦会議の中で成立し、以後世界はアメリカを中心とする米英日連合、ナチスドイツ率いる欧州、そしてソ連率いる共産主義陣営という構図で形作られていく・・・。

論評・批評?
 さて、私がこの作品に最初に言いたい事をいくつかの言葉で要約すると、まずは「莫迦ばっか?」であり、「波濤」後半から「戦野」にかけての世界展開に対して「あなたは、戦争経済をご存じでない」という事になっちゃいます。
 また、意外かもしれませんが、最後に印象に残った感想は「ドイツの科学は世界一〜っっつ!!」でしょうか。
 つまり、この小説が書かれた頃は面白く読んだように思いますが、今読み返してみると評価はかなり低くなるという事になります。

 同作品は、荒巻氏により作られた架空戦記ブームの黎明期に「八八艦隊物語」(徳間書店『鋼鉄のレヴァイアサン』)でデビューを果たした横山義信による2作目の長編小説になります。(何か他の作品も書いていたように思いますが、概ね間違いないでしょう)
 つまり、小説家としては脂の乗っている時期とも言え、この小説が当時のこのジャンルを牽引するのに果たした役割は小さくないと思います。
 そして本作の基本コンセプトは、冒頭にも書いた通り、「波濤」が状況が逆転した太平洋戦争であり、「戦野」が朝鮮動乱のオマージュ、という事になるでしょう。
 また、双方とも特定のキャラクターに焦点をあてた小説展開が心がけられており、読みやすさという点において前作の「八八艦隊物語」から進歩しています。兵器を擬人化したような独特の描写が前作よりくどくなったようにも思えますが、それも好みの問題であり(私は読み流しますが)、全体としては安定した架空戦記小説だと言えるでしょう。
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 と、このまま上品にレビューをしていけば良いのでしょうが、最初にも書いた通り少し辛口の評価と検証をしていきたいと思います。
 なお今回のキーワードは、「莫迦ばっか?」、「あなたは、戦争経済をご存じでない」、「ドイツの科学は世界一〜っっつ!!」の3つです。
 特に総統語録よりお借りした言葉が、私が最も問題を感じる点になります。
 では、順に見ていきましょう。

 さて、お立ち会い。
 まず最初の「莫迦ばっか?」ですが、関西人たる私の心の声「アホちゃうか?」を意訳した言葉になります(w
 確かに、史実を同じ流れで日米開戦に及べば、どれほど日本軍が頑張ろうとも、日露戦争並の幸運に恵まれようとも、アメリカに勝つことが出来ないのですから、多少日本軍に有利な戦いをさせてあげる必要性は認めますし、カタルシスの解放という架空戦記としての目的を考えれば日本軍は勝たなければならないのですが・・・それにしても、米軍がお莫迦すぎます。
 いや、お話を成立させるために、ある程度必要なのは十二分に理解しているつもりですよ。初戦の敗北で日本軍がある程度の合理性を持つ軍隊に変化したのも、百二十歩譲ってよしとしましょう。それを認めたとしても、米軍の間抜けさ加減は看過できません。どこかの究極超人もビックリの間抜けさです。息抜きの合間に人生をしているとしか思えません。
 ざっと見ても、兵力の逐次投入の嵐。二度同じ過ちを犯さないとすら言われる程、教訓を大切にする米軍はどこに行ってしまったのでしょうか。ルーチンな行動が大好きな日本人相手で、何度も各個撃破される米軍というのは、見ていて不快感すら覚えてしまいます。
 米軍の伝統戦略通りの戦争展開なら、1942年初夏に全海上機動戦力を投入したパラオ=フィリピン攻略・奪回が行われ、その後日本の南方との通商線を遮断してしまえば、早ければ1942年内に戦争の決着はついている筈です。遅くとも1943年内での終戦は確実です。通商路の遮断された日本など、陸に上がった河童に過ぎません。それを日本軍が何とか食い止めるのが、小説の主旨の一つ、である筈です。
 ところがこの世界の米軍は、初戦の勝利で日本軍を徹底的に舐めきっているため、グァムとパラオのなし崩しとしか思えない攻略を企てて、日本の誇る対米決戦兵器の大和に旧式戦艦をコテンパンにのされたり、グァムの海兵隊が付近制海権を失った挙げ句に降伏を余儀なくされたり、ハルゼー提督はただのお莫迦なイノシシ武者だったりと、もうやりたい放題、いや、やられたい放題です。しかも、日本軍が反撃に打って出た最後の空母戦においても、わざわざ自らの空母部隊を三分して各個撃破されるという、まるで黒島参謀の作戦のような机上の空論的作戦を企てるという、お莫迦な行動ばかりしています。某紺碧の艦隊もビックリの間抜けな敵ばかり・・・ああそうそう、空母ワスプなんて、敵行動圏内で輸送船としてなぶり殺しにされたりもしていましたね。米軍は、そんなお莫迦じゃありませんよ。
 確かに、戦争はミスの少ない方が勝利し、小説として日本軍にある程度勝利してもらわねばならないのは理解できるのですが、これでは米軍がただの道化です。後の作品「蒼海の尖兵」(これについてはレビューしたくもありません)では間抜け極まりない弱っちい日本軍が、頼りになる米軍の引き立て役の単なる道化にされていましたが、どうにもこの書き方には嫌悪感すら覚えてしまいます。八八艦隊物語の頃の筆力はどこに行ってしまったのでしょうか、と小一時間問いたくなりますよ。
 また、本作で英海軍のソマーヴィル提督を、あそこまで酷い書き方をした点だけは看過できません。この点だけみれば、ただのトンデモ系架空戦記作家以下と評して良いでしょう、というのが私の気持ちであり、戦術的視点の全ての要約という事をご理解いただきたく思います。
 とまあ、このまま日米の戦闘面を徹底的にこき下ろしても良いのですが、確かどこかのサイトでその手のレビューをしていたように思いますので、次のテーマに移りましょう。

 で、次の「あなたは、戦争経済をご存じでない」ですが、もう何から指摘してよいやらと、少し頭がクラクラしてしまいます。
 どうもこの作品では、各国の財政状況、生産力指数、兵力量と戦力評価など、戦争遂行に最も重要なファクターを示すグラフや数値は、単なる壁のシミとして認識されているようです。そうとしか解釈できません。
 小説では、第一巻の冒頭で日米講和をする事が書かれており、その課程には大いに期待したのですが、作者も言っている通り「風が吹けば桶屋が儲かる」的すぎる停戦であり、この言葉も説得力のある想定が存在すれば笑い話で済ませられるのですが、これがまた笑うに笑えない展開となっています。
 箇条書きに見てみましょう。

 1. 南雲艦隊壊滅により日本軍のインド作戦なし
 2. 英海軍による投機的な作戦は大失敗
 3. インド洋での戦線膠着
 4. 英軍の戦力が浮く
 5. 英軍の戦力が地中海に向く
 6. 連合軍による早期の地中海制海権確保
 7. 史実よりも数ヶ月早く北アフリカ戦終了
 8. 史実よりも早いシチリア島攻略
 9. ドイツ軍による「砦作戦」は中止

ま、ここまではお話としては、大きな問題はないでしょう。しかし・・・

 10. ドイツは戦力を保持したままソビエトと対峙(オイオイ)
 11. 初戦の勝利とその後の敗北によりアメリカ国内に対日戦・厭戦気分醸成(まだ、許す)
 12. 戦争指導に対する反感から大統領は退陣(この程度なら、せいぜい1944年の選挙で敗北でしょうに)
 13. 日本軍は早期崩壊せず善戦
 14. 中共焦り、ソ連をたきつける(史実でもしてます)
 15. 第二次ノモンハン事変(!)で日本ボロ負け
 16. ソ連軍満州の端っこを占領(何でやねん)
 17. 米国はソ連の満州に対する野心警戒
 18. 米国は日本との戦争継続に疑問を持つ
 19. 反共戦略により日米講和実現

 まさに、「オイオイ」と突っ込み入れたくなる状況です。いや、ここまでならまだ二百歩ほど譲れば許容できます。この程度、架空戦記では「よくある事」です。スポコンものの新魔球と類似イコールです。
 ですが、ヤッパリ無理があります。日米の関係はともかく、欧州の状況を全くご都合主義的に解釈しすぎです。もはや曲解や捏造と言ってよいでしょう。それとも、ドイツ軍には総統閣下の望んだ決戦兵器と、それを操るゲルマンの優れた戦士達で溢れかえっていたと本気で思っているのでしょうか。はたまた、第二次世界大戦の物量レベルでのオマケのようなものに過ぎない大東亜戦争を、本当に世界規模での大戦争だと思っていたのでしょうか。疑問は尽きません。

 さて、一説にはクルスク攻防戦をせずに、そこで消耗しなかった戦力をドニエプル河を軸とした防衛線構築に投入すれば、ドイツ軍は半年から1年は史実より長くソ連軍を押し止めただろう、という説があります。
 ま、私は机上の空論か都市伝説程度にしか思っていないのですが(せいぜい、機動防御に徹して3カ月稼げるかどうかでしょうね。)、この小説ではこれをやってしまっています。それだけならまだ良いのですが、この程度の防衛線を前にしてソ連軍が手詰まりになってしまったとされています。
 そんな筈ありません。この点に関しては、断言してもかまいません。ていうか、断言します。
 当時のソ連赤軍は、後方兵站維持を兵器生産以外アメリカのレンド・リースに頼る事で、実に1000万人以上もの兵員を擁しており、ドイツ軍と対等に戦える精鋭部隊だけでも、東部戦線にあったドイツ全軍に匹敵します。つまり、アメリカからの無尽蔵な援助が続き、英本土からの英米の1000機爆撃がドイツを叩き続けていれば、ソ連軍単独でドイツ全土を蹂躙できる程の陸上戦力があるわけです。
 確かに、防備を固めたドイツ軍相手になると、史実より多少手こずるでしょうが、それも程度問題。史実から半年ほど遅れてベルリンに赤旗が翻っている筈です。確率論の神様は、全てこれを肯定している筈です。驚異的な新兵器や謎の秘密兵器の数々も、人の海を押し止める事はできません。
 もし異論があるのなら、正確なソースを添えて私の眼前に提示して欲しいものです。
 また、スターリン率いるソ連政府が、ちょっとやそっとでナチスドイツとの停戦に応じるとは思えません。いや、あり得ないと言えるでしょう。もちろんこれは、感情的な問題だけではありません。ドイツ領内に踏み込んで、ドイツからありとあらゆるものをソ連国内に持ち帰らないと、戦争が終わりレンドリースがなくなった後、国が立ちゆかなくなってしまうからです。
 ご存じかと思いますが、第二次世界大戦でドイツが奪われた国富の合計が2000億ドルに達すると言う統計が存在しており(どの資料も概ねこのラインに達する)、その過半がソ連の手により成されています。アメリカの「ペーパー・プラン」で有名な技術奪取ばかりが巷では知られていますが、この点は非常に重要です。
 そう、スターリンから「戦争以前の状態への復帰」など言う生やさしい休戦条件が提示される可能性は皆無です。まさに、「ゼロである! ゼロである!! もう一度言おうゼロである!!!」というところでしょう。
 また、東洋の端っこでソ連軍がオイタをしたからと言って、かのチャーチル氏がソ連との関係を反故にするなど、これも考えられません。彼の敵はまず第一にヒトラーです。グルジアの髭オヤジなど二の次に過ぎません。小説内では、「戦野」に入って連合国とドイツの停戦の引き金として、チャーチルの不慮の死(V2ミサイルによる爆死。ハッキリ言って小説展開としては下品)が扱われていますが、つまり1945年12月まではチャーチル政権が続いており、これは皮肉な事に史実よりも長く、何にせよ説得力に欠けます。
 だいいち、ドイツを倒すメドがついていないソ連が、英米の機嫌を損ねるような軍事的行動を取るとは到底思えません。ソ連(スターリン)もそれ程莫迦じゃありません。

 そして、英米とドイツの戦いについても、私の頭の上にはクエスチョンマークがグルグル回っています。
 酷い言い方をすれば、ある思想を持った方々が自分に都合の悪いソースを無視して論旨展開するのと何ら変わりありません(ま、この点私も他者の事をとやかく言えないのですが(笑))。
 もちろんこれは、「波濤」を架空戦記小説としてエンターテイメント化するための、「真珠湾謀略論」(真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀だった)を採用した事をなじっているのではありません。むしろこの点は、大いに結構と言いたいぐらいです。
 指摘すべき点は、さっきから言っている統計数字を、史実アメリカの軍艦建造スケジュール以外全て無視しているからです。
 脱力感すら覚えるのですが、ちょー大ざっぱに採り上げてみましょう。
 何度か他で触れていると思いますが、アメリカが戦争をするにあたり1943年までの国力配分は、太平洋に15%で残り全てが欧州に降り注いでおり、その過半がドイツに向けられ、この頃たけなわだったのは、英国本土を根城とする戦略爆撃部隊による、欧州(ドイツ西部)に対する無差別爆撃です。
 1000機爆撃が最初に行われたのは何時か、ハンブルグ市で10万人が焼き殺されたのは何時だったか? これが戦争展開の簡単な要約になるかと思います。
 そう1943年秋、この世界の東洋の端っこで歴史が回転する頃には、世界の主舞台の欧州での空の戦い大勢は決していたのです。たとえ、総統閣下の大好きなドイツ脅威のメカニズムが新兵器を前線に送り込んだとしても、大勢に変化はあり得ません。物量戦こそがこの時代の戦争の真理であり、革新的な新たな「武器」が「兵器」として実用段階に入るまで、どれだけの時間が必要かを思えば、これは容易に想像がつくでしょう。そして英米の爆撃兵団が、ドイツの各種石油精製施設を破壊し始め、これが効果を発揮した時点でドイツの完全な崩壊は始まっています。
 また、小説では触れていませんが、史実の1943年夏頃までにドイツの誇るUボートは、連合国の対潜部隊の前に完全に押さえ込まれており、犠牲ばかり多く戦果は望めない状況になっています。この点からも、ドイツが戦略的に敗北しつつある事が分かるでしょう。1945年内にドイツ本土蹂躙で戦争が終わるなら、ドイツ完敗の状況は全く動きません。
 そして、これら全てを現出させているのが、開戦2年目で戦時生産が軌道に乗ったアメリカの巨大すぎる生産力です。この戦争では最盛時世界の60%に達する数字すら見えてくる、異常な程の生産力の前には全てが無力です。
 ま、こんな事は言うまでもないかも知れませんでしたが、この時の横山氏がこれを都合の悪い部分を無視しているとしか思えないので、少し採り上げてみました。

 そして、この事を当時おぼろげながら思っていたからこそ、「波濤」の1巻での停戦の流れを期待したのです。もっとも、私が想定した日米停戦は、ドイツが史実より少し遅く崩壊し、ソ連の対日開戦がないまま日本勢力圏のどこかに原爆投下が行われ、これをショックにして日本がトルーマン政権の出した史実より少しマシな停戦条件を受諾・・・以後、旧日本勢力圏全土を単独占領したアメリカによる日本本土以外の極東統治が行われ、1950年に満州・朝鮮を舞台に日米対ソ連の衝突が発生する・・・というものでした。
 史実の流れからならこの程度が日本にとっての限界で、これなら日本軍も旧軍のまま何とか生き残り、少し派手な戦後史が見れるのではと思ったものです。
 そして、満州動乱というただ一つの事象だけが、私の想定と合致していたのですが、この世界での状況は私にさらなる混乱を呼び込んでくれました。

 ということで、最後の「ドイツの科学は世界一〜っっつ!!」にいきましょう。
 と言っても、ドイツの科学力について語る前に、まずソ連の状況から指摘しなければいけません。
 
 ソ連による開戦は1945年8月9日で、進撃に使われた部隊、進撃方向などその多くが史実に対するオマージュなのは間違いありません。ただし、関東軍は史実最盛時とほぼ同じ勢力を保持したままで、米軍も一部入り込んでおり、史実のような一方的戦闘展開にはならない。
 これは、まあいいでしょう。
 ですが、重要な落とし穴がここに存在します。
 アメリカが対ソ連レンドリースを止めたのは何時ですか? ドイツが強大なまま残っていますが、それに対する備えはどうしたのですか? という事です。
 この世界では1943年12月に、英米からのレンドリースはなくなっています。つまり、史実で受け取れる筈だった1年8ヶ月分の援助物資(当時の時価で数十億ドル分! 日本なんてこれだけあれば丸1年は戦争できちゃうぜ、って物資の量になります)は、グルジアの髭親父のもとには届いていません。つまり、ソ連は自分自身でそれに代わりうる物資を生産しなければならず、兵力の大幅動員解除を実現しなければ、このための労働力が確保できません。
 冷戦時代のソ連のジョークに、「鞄サイズの核爆弾は作れるが、その核を納める鞄はどうするのか?」という趣旨のものがあります。これが、ソ連産業構図を端的に物語ったものになります。
 もちろん、最盛時1500万人とも言われたソ連赤軍ですから、その半数を動員解除したとしても、ドイツに対する手当を別にしても、兵士の練度を考えなければ史実と同様の160万人程度の兵員を極東に配備するぐらい可能でしょう。ですが、ここにもさらに落とし穴があります。
 さて、史実で満州侵攻をしたソ連赤軍は、どこからそのための物資を手に入れたのでしょう? という事です。
 史実では、この時期約80万トンの戦略物資(リバティー級100隻編成のコンボイ1回分程度か)が、極東ソ連軍の手にもたらされたという資料があり、この物資がなければとてもではないが極東で戦端を開くことは不可能だったと結論されています。当時の極東地域の生産力、物資状況を考えれば、恐らくその通りでしょう。正しい統計数字は、嘘はつきません。
 また、そこに存在する赤軍も問題だらけです。
 それは、ソ連には無敵の「T-34/85」を無尽蔵に量産できても、信頼性の高いトラックを大量生産する能力も、無線機のための優れた真空管を大量に生産する施設も存在しないという事です。

 ソ連軍と言えば、とかくその砲兵の威力が言われがちですが、これも英国が大量にレンドリースした無線機による指揮統制があったればこそで、戦争後半はアメリカ製の故障知らずのトラックが大量にあったからこそ、あれ程迅速な進撃が可能だったと言えます。もちろん、レンドリースが停止した後も精鋭部隊に対してなら、技術的、物理的レベルが日本よりずっと高いソ連工業は製品を供給できるでしょうが、数百万の軍隊全ての状況を維持する事は、ソ連の産業状況から考えて不可能としか言えません。
 いちおう「戦野」では、初期の備蓄物資を消耗したソ連軍が、不甲斐なく後退していく様が描かれていますが、そんな生やさしいものではありません。
 モンゴル高原の何もないところで、数十万の近代的軍隊を進撃させられる国など、この頃はアメリカ以外には存在しません。鉄道がなければ1年かけて物資を備蓄しても、集積所から前線に運ぶ力がないからです。
 そして、この世界のソ連にモンゴル高原での数十万兵力運用は不可能です。何もないモンゴル高原を舐めてはいけません。港も使えないのですから、北アフリカ以下の状況とすら言えます。
 また、第二次世界大戦、彼らの言う祖国解放戦争でのソ連の死者数は、公表されているだけで1,000〜2,000万人で、実際の死者は恐らく2,000万人に以上に達し、ついでに言えば、その前の大粛正と飢饉で同じぐらいの国民が粛正と飢餓で減少しています。これは総人口の約2割以上が死亡している事になり(当時のソ連の総人口は多く見ても1.5億人)、その死者の多くは戦争数年前と戦争初期に発生しています。つまり、この世界での戦死者の数も史実程でないにしても、8桁の大台に達する筈です。
 しかも、主要産業地帯のウクライナ全土がドイツ軍に蹂躙され、戦後復興には並々ならぬ努力が必要でした。そして、状況は史実より悪いものになります。
 なぜなら、独ソは停戦という形で戦いを手打ちにしており、互いにリターンマッチを考えた一時的なインターバルに過ぎないと、双方認識しているからです。
 国土こそ復帰できたが、ドイツが素直に全てを返すとは思えず、立ち去るときに多くも持ち去っている可能性は極めて高いと言えるでしょう。仮に、総統閣下がウクライナの資産を持ち去らなかったとしても、そのかなりが戦災で破壊されており、あまり慰めにならず、しかも史実と違いドイツや東欧からの大略奪は全くできません。

 かなり乱暴ですが、以上のような事から、正直なところ私には、この世界のソ連が到底すぐさま次の戦争ができるとは、とうてい考えられません。と言うより、不可能だと思います。もちろん、戦争をしたすぐ後に国家レベルでの経済的崩壊を迎えてもよい、というのであれば話は違ってきますが、覇権国家たるものそうではないでしょう。
 史実でもソ連は朝鮮動乱ですら大きな動きには出てませんが、これは国家戦略と言うよりも、全ては大戦中の国富破壊と人口減少がソ連に大きな負担となっていたからだと私は考えています。人口学的な問題を考えれば、キューバ危機の頃まで、ソ連は長期的な全面戦争などできる国力はなかった筈です。
 ですが、この世界では元気いっぱいに満州に殴りかかって、さらに事実上の全面戦争をアメリカ相手に丸2年間以上行っています。
 ハッキリ言ってアンビリーバボー、理解不能です。
 ま、これ以上言えば愚痴になりかねないので、本題に入りましょう。

 さて、再びお立ち会い。
 戦略レベルの話は少し忘れて、主題の「ドイツの科学は世界一〜っっつ!!」を見てみましょう。
 何とこの世界では、赤い星を付けた「Ta-152」が満州の空を飛んでいます。史実ではゲルググと同じ数しか生産されなかったドイツ最強のレシプロ戦闘機がソ連軍に供与されているのです。
 ついでに、「He-199」や「He-163サラマンダー」などその他諸々のドイツ製高性能航空機が、米軍機、日本軍機相手に獅子奮迅の活躍をしています。
 「ちょっと、待たんか!」と突っ込み入れたくなりました。いや、戦略レベルを云々する事がいかに空しいかは、ここまでで理解していただけたと思うので割愛しますし、これ以上話したくもありません。
 だいいち、私の信じる本来あるべき状況想定が完全に覆されている以上、ドイツで夢の高性能兵器が大量に生産され、そのおこぼれがソ連軍に供与され運用されている事の是非を問うことなど不可能とすら言えます。
 ここで採り上げたいのは、私の「戦野」での最大の疑問が、独ソ兵器に対するカタログデータ重視の傾向にあるのでは、という事です。ソ連戦車とドイツ機にの異常なまでの高性能は、もはや苛立ちすら覚えます。
 確かにソ連は冶金技術が高く、ディーゼルエンジンを大量生産し、ソ連製の100mm、122mm砲などは優れた火砲で、鋳造砲塔は優れた防御力を持っています。が、当時のソ連陸軍の光学技術では、火砲の能力を全て発揮するのは不可能とは言わないまでも、極めて困難です。こんな事は独ソ戦に詳しい方なら言うまでもないと思いますが、この世界ではソ連軍戦車が米軍車両を「遠距離から」一方的に撃破する事でいつも戦闘が行われています。つまり、1,000メートル以上でも優れた照準を可能とするシステムを大量生産し、前線に配備できている事になります。いったいどうしたのでしょうか? ドイツから技術と製品、ついでに工場を分けてもらったのでしょうか?? 正直アンビリーバボーです。
 またドイツ機についても、一応史実よりも長い運用期間と開発期間が与えられたので、実戦レベルで運用できるのだろうと言うような説明がなされていますが、米軍との撃墜比率は一部を除きおおむね倍以上といったイメージを受けるほどドイツ機有利になっています。米軍の兵器がそれ程弱っちいんでしょうか??? だいいち、欧露よりも冬が厳しいと言われるシベリアの戦いで使用する大量の不凍液の問題などを、ドイツ兵器の運用面でソ連がどうやってクリアしたのか極めて疑問です。それにドイツ兵器でカタログデータが優秀なものは、機械としてかなりデリケートだった筈、不屈のゲルマン整備兵以外は匙を投げる筈なんですけどねぇ(w
 どうにも、横山氏は一部を除いて表面的なカタログデータだけしか見ていないのでは、という疑問がぬぐえません。(カタログデータ重視傾向は、「八八艦隊物語」での16インチ長砲身信仰と、日本陸軍が「III号」、「IV号」戦車を運用した頃から感じ続ける疑問ですが・・・)
 そりゃ、不気味で強い悪の帝国(ソ連)というコンセプトが「戦野」の根底にあるのは理解できるのですが、ハッキリ言ってここまで無茶苦茶されると興ざめです。
 パットン将軍やタイガー山下将軍の活躍も霞んで見えてしまいます。
 ま、所詮娯楽小説として割り切れって事なんでしょうね。それがこの作品を楽しむ秘訣なんでしょう。
 でもそれじゃあ、ただの「ト空」じゃないですか。

 おっと、このまま終わりそうになりましたが、ザ・デイ・アフターも見なくてはいけません。これこそが本コンテンツの目的ですからね。
 ですが、この点「いちおう」小説内でも採り上げられており、展開そのものは「それほど」文句はありません。
 もっとも、戦略レベルでの計算式がもともと「+」と「×」を違えるぐらい間違っているので、答えが合っていても少し興ざめなんですけどね。
 ま、ボチボチ考えて見ましょう。

 さて、この世界ですが、良く言えば三竦み、悪く言えばシッチャカメッチャカです。
 理由は言うまでもなく、アメリカ合衆国(+大英帝国)、ナチスドイツ、ソヴィエト連邦と3つの勢力が存在しているからです。
 日本や満州の情勢など、アジアが本格的に発展し出すまではオマケに過ぎません。
 そして、この三竦みが笑うに笑えないのが、全ての勢力の対立原因がイデオロギーの違いであり、その全ての国が新興国で伝統を無視する傾向にある、と言う事です。バッド・ジョークとしか思えません。
 さぞ、壮絶な口汚い罵りあいが見られる事でしょう。
 もっとも、世界の海洋コントロールを支配する立場にあるアメリカの経済的絶対優位は動く事はなく、所詮地域覇権国家にして大陸国、ついでに統制経済国家に過ぎないナチやアカに、先制全面核攻撃でもしない限り勝ち目はありません。
 しかも、健全な財政状態を持ち、世界の富の半分を持つアメリカを盟主とする自由主義連合に比べて、形振り構わない総力戦を行った後の独ソの財政状態は、戦争が終わっても火の車状態です。だいいち、ナチが戦争を始めた第一の理由は、自国の財政悪化を侵略で解消するためですからね。せっかく手に入れた分以上に消耗していては、お話しにすらなりません。

 もっとも、赤字財政を笑えないのは日本も同じです。いや、独ソよりも状況は悪いと言えるでしょう。
 小説で採り上げられているよりも、遙かに状況は悪いです。
 何しろ大日本帝国は、日米との停戦が実現する1943年末まで日華事変も継続中で、その上大東亜戦争を丸2年行っているからに他ならないからです。
 すでにこの時点(1943年末)で、国家財政と国内経済は、楽観的に見ても破錠一歩手前です。戦後も70万もの関東軍を維持する力も能力もありません。ハッキリ言って、満州動乱を戦い抜く能力は皆無とすら言ってよいでしょう。
 もし遂行できたとしても、それはアメリカからの大規模なレンドリースと借款が存在しなければならず、小説で触れられている軍事面での依存度の偏重ぐらいでは済みません。
 こんな事は、史実の1938年〜1943年までに日本が使った軍事費と、1937年度の国家予算を見れば、計算機一つで簡単に分かる事です。
 確かに、史実戦後のインフレほど酷い事態にはならないでしょうし、極端な民主化や経済改革が断行されないでしょうから、私達の住む世界ほど極端な貨幣価値の変化はないでしょうが、戦争もなく大日本帝国が順調に発展した場合と、史実戦後の中間ぐらいのインフレに見舞われ、この世界の満州動乱後の日本は、ほぼ間違いなく一度アメリカの経済植民地となる筈です。
 少なくとも私の見る限り、これを否定する要素は見つかりません。
 ま、世界全体の経済や日本の財政状況を論ずる時点で空しいのは重々承知しているつもりですが、やはりこの点だけは指摘せざるをえませんね。
 想定そのものは、結構面白いんですけどねぇ・・・。

 さて、では次は日本近隣の状況を見てみましょう。
 この世界で日本帝国は、ほぼ第一次世界大戦後の領土を保持できると思われます(満州、朝鮮半島除く)。また、朝鮮半島は資本主義陣営の統一国家として安定し、前線は遠く満州の山奥で、日本がアカどもから直接脅威を受けるのは、本土の産業地帯から遠くかたなの占守島と南樺太という事になります。南方領土も国府軍が手もなく中共に破れなければ、台湾を自治地域として保持するでしょうし、昨今話題のスプラトリー諸島(南沙諸島)の実行支配権を維持し続ける可能性すら見えてきます。南洋諸島のほぼ全域も日本領のままなのも確実でしょう。ああ、いちおう竹島や尖閣諸島は、制海覇権能力の差から近隣が文句を言える状況ではありません。大陸や半島に出来ることは、犬の遠吠え程度です。
 と、これだけ書くと何とも気持ちのいい世界のように思えますね。
 ただ、この世界では、お約束と言わんばかりに国府軍は手もなく惨敗し、中共が満州を除く全土を実行支配して、蒋介石は台湾に逃げ込むみたいです。戦略的状況を考えるなら、逃げ込むなら満州という気がするのですが、この点実に安直ですね。もう少しヒネリが欲しいものです。

 あ、そうそう、いつもアジア情勢を扱った歴史改竄型架空戦記もので不思議に思う事なんですが、史実では中共どもはソ連の占領した満州で実質的な旗揚げをして、そこで準備を整えた後中華内戦に短期間で勝利していますが、こういった世界ではどうやって毛沢東は短期的に蒋介石との戦争に勝利したんでしょう。誰か教えてほしいものです。ごく単純に考えても、四半世紀ぐらい泥沼の内戦を経た後、中共の勝利などという想定なら多少納得もできますが、あっさりアカどもが勝利している点は、どうにも腑に落ちません。ま、愚痴ですけどね。

 さ、愚痴を言っても始まらないので、もう少しファンタジーを見てみましょう。
 さて、自由主義国としての米帝の衛星国となった極東諸国は、日本帝国、南満州、朝鮮、中華民国(台湾)という事になり、1970年代までの産業国として繁栄するのは日本1国で、当然日本がこの地域で主要な役割を果たす事になります。
 一方の共産主義国は、ソ連を除くと中共、モンゴル、北ベトナム、そして北満州になります。後に中共がソ連と仲違いする事を思えば、どうという事もないとすら言えます。
 また、アメリカは強大なナチに対抗する、南イタリアと英国を援助のため欧州へパワーシフトするので、必然的にアジアでの日本の役割は重くなり、自然に考えるとこの世界の日本軍は、我々のジエータイ以外に在日アジア米軍とほぼ同規模の軍事力を保持する規模が必要になってきます。
 これを極めて単純に見ると、1970〜80年代の日本軍は、海軍が50隻の水上艦と18隻の潜水艦、100機の対潜哨戒機以外に、20隻の外洋水上艦と2〜3隻の大型空母、1ダース前後の原子力潜水艦が必要で、空軍はできれば二倍近い作戦機を運用せねばならず、陸軍は小型化した13個師団ではなく、正規編成の大型師団を10個程度欲しいところです。まあ、陸・空軍力はある程度朝鮮と南満州が肩代わりすればいいでしょうが、海軍と戦略的運用のできる空軍は、経済力があるであろう日本が担う必要がでてきます。また、これら通常戦力以外にも、半ダース程度の戦略原子力潜水艦と中距離核程度も必要になってくるでしょう。そうでなくては、地域覇権国家とは言えません。
 つまりは、冷戦時代の英独を足した程度の強大な軍事力を保持せねばならず、これを保持するには史実と同程度の経済発展を遂げていないと難しくなります。でないと、軍事力が強大なだけの貧乏日本として延々やっていかねばなりません。(軍事支出をGDPの2〜3%程度に抑えねば国が発展しません)
 まあ、歴史が多少ねじくれようとも、アジアの発展が始まれば、日本も同時に発展するのはもはや宿命とすら言えますので、軍備に多少足を引っ張られて産業構造が少し変化した世界第二位の軍事力と工業力を持つ大国が日本列島にふんぞり返っていると、楽観的に捉えるのは特に問題ないでしょう。
 また、英米がナチとの対立を優先するでしょうから、日本がソ連に対して一番対立姿勢を明確にして、自由世界随一の反共国家としての存在感を示すという構図も見えてきます。
 そして、ここで言える事は、この世界の自由主義対共産主義陣営の対立は、東西を逆にした形に近いという事になり、またナチスドイツとソ連が存在する事を思えば、もっともバランスが取れやすい三局構造が現出し、現在のアメリカのような超大国は出現する可能性は低いだろうと言うことです。ついでに言えば、この世界の日本はかなりの軍事大国でしょうから、アメリカの言いなりでもないでしょうしね。そう思えば、3.5局構造でしょうか。
 また、ここから考えると、この世界の第三世界の構造が非常に興味深く思えてきます。
 英米になびくか、ナチに倣うか、アカに染まるか、反共日本にくっついていくかの選択ができる第三世界の構図・・・最早悪夢に近いですね。でも、イスラエルは建国できそうにない状況なので、中東がかなり静かな世界でしょうから、けっこうバランスのとれた世界になるんでしょうか・・・。この点だけは、興味が尽きません。

 さて、文字数もいい加減多くなったので、そろそろ結びに入りたいと思います。
 物語展開は架空戦記としてそれなりに面白いが、戦略面での(歴史改竄ものとしての)リアリティーが極めて低いとうのが私の総合評価であり、引用は間違ってますが気分的な言葉を表すなら「頭隠して尻隠さず」と言ったところ、それとも「竜頭蛇尾」でしょうか。
 そして、この評価は横山氏の全ての作品に共通する特徴であり、史実以外の戦略的展開を行う事は、横山氏の戦略面での構想力の欠如をさらすだけでは? というのが偽らざる気持ちです。
 嫌いな作家じゃないし、嫌いな作品でもないんですけどね。

 では、次の作品で会いましょう。

※なお、横山氏の作品は、「八八艦隊物語」を含めてこれ以後採り上げる気はありません(けっこう持っているんですが・・・)。特に「蒼海の尖兵」は採り上げません。もともと架空戦記小説の戦略論展開は空しいのですが・・・、理由は推し量っていただければ幸いです。