著 者:佐藤大輔
発行日:1993年3月31日〜1994年2月28日
発行所:徳間書店
1 衰亡の国 2 アイアン・フィスト作戦 3 ヴィクトリー・ロード
今回はコンテンツにあげた初期の言葉を撤回して、佐藤大輔氏の作品を見てみたいと思います。 やはり、このようなコンテンツを作った以上、架空戦記作家としての彼の作品に取り組まざるを得ないと思ったからで、そして今回採り上げる彼の作品は、「唯一」完結しているシリーズとされる「征途」です。 これを採り上げる理由は、言うまでもなく他の作品がまだ未完であり(決して打ち切りとは言いませんよ(苦笑))、そういう意味において採り上げる事ができないからです(笑)(個人的に「遙かなる星」、「地球連邦の興亡」は完結と見てもいいと思うのですが・・・)
では、10年以上前の作品なので、軽くおさらいをしておきましょう。
あらすじ?? 冒頭は、1994年の沖縄宇宙基地から発進しようとする日本国の新型宇宙船と、それを取り巻く情景から始められる。そしてその宇宙船と嘉手納湾に浮かぶ1隻の軍艦こそが、戦後日本の姿を集約したものだった。
大東亜戦争末期の昭和19年10月25日、日本海軍は国家戦略的には無意味かつヤケクソとしか言えない「捷一号作戦」を成功させる。 これにより連合艦隊は、差し違えの形でフィリピン・レイテ島に殺到していたマッカーサー将軍の巨大兵団を子供にも理解出来るレベルで壊滅させ、日本海軍の戦力以上の奮闘によってアメリカは実に17万人にも及ぶ人的被害を被る。(これは、史実で第二次世界大戦で被ったアメリカの戦死者数が約40万人である事を思えば如何に巨大な数字であるかが伺い知れるだろう。) 当然アメリカ軍の対日戦スケジュールは大幅な遅れを生じたが、6月末には米軍は沖縄に押し掛ける。 幸いにして日本本土は、米軍の戦略方針の変更で焼け野原にこそならなかったが、機雷と潜水艦により飢餓線へと限りなく近づき、さらに7月末にはソ連が北海道に殺到し、北海道北部でソ連との戦いが反応弾投下で強引に停滞させられた、1945年9月1日の降伏文書調印の日を迎える。 その後、北海道北部から南樺太にかけてを実行支配したソ連の手により、共産主義国家の日本民主主義人民共和国が成立し、日本列島はドイツや朝鮮と同様に分断国家となってしまう。 そして「大和」は正当な日本唯一の実動戦艦として生き残る運命が課せられ、その後日本と共に激動の半世紀を歩んでいく事になる。
また、これは「大和」と「海軍」に深く関わった「海の家系」の物語でもあり、主人公となる「藤堂家」の人々を巡る様々な運命を描くことにより綴られていく。 1巻では大東亜戦争末期を中心に展開されたが、2巻〜3巻では南北の分断国家となった日本と藤堂家を中心として、沖縄での「武蔵」の死闘、北海道へのソ連軍侵攻、日本で発生した北海道動乱、ベトナム戦争、南北分断による暗い対立、湾岸戦争、統合戦争、そして宇宙開発について語られていく。 なお本作のテーマとして、藤堂家の視点から見た日本のもう一つの戦後史というスタンスが貫かれている。 そして物語の視点は、歴史作家の視点による大局的な部分や各勢力のレポートの形をとった解説などを踏まえつつも、藤堂家の人たちを中心にした物語という姿勢が貫かれており、単なる架空戦記小説としてではないスタイルで語れていき、怒濤の勢いのまま、最初のシーンに戻ったところをエピローグとして物語は幕を閉じる。
論評・批評?
何を今更この作品を採り上げるんだ? ネット上なら方々のサイトでレビューされてるじゃないか。あまつさえ、文庫版では様々な著名人があとがき書いてるぞ、だいいち物語はもうひとつの戦後史としても完結してるじゃないか、など様々な声が聞こえてきそうですが、こういうコンテンツを作った以上、通過儀礼(?)としてやはり取り組まねばならないでしょう。 また、当方の他のコンテンツを見れば、私が佐藤大輔氏のファンなのは丸分かりかと思いますが、礼賛をする気もないのでその点ご理解ください(多少はしてるでしょうが)。 なお、今回も小論文並にダラダラと長くなってしまったので、これも愛故にと言うことでご理解ください。
あと、東西対立と戦後史を扱っていると言うことで、今回は少し嫌韓厨チックにいきたいと思います(自爆)
さて本作ですが、佐藤大輔氏の代表作の一つであり、彼の初期作品の中で最高峰に位置する作品だと思います。 また、架空戦記というジャンルが盛んとされた時期に送り出された作品でもあり、このジャンルのディープなファン層の多くの人に影響を与えた点において、疑問を挟まれる方は少ないでしょう。 さらに、数々の著名な方の中にあっても佐藤大輔氏の存在は大きく、ミリタリー・フィクション指向のジャンルをリアル指向で楽しむ方の中には愛読されている方も多い事でしょう。 ところで、架空戦記やシュミレーション戦記などではなく、私はこの架空戦記を含めたジャンル全体に「ミリタリー・フィクション」という言葉を推奨したいと思うのですが、如何なものでしょうか。「サイエンス・フィクション」や「ポリティカル・フィクション」と言う言葉があるのですから、全部引っくるめたこの言い方が適当ではと思うのですが・・・。
話が逸れましたが、佐藤氏の中でも本作の魅力は、それなりにリアルな戦闘描写、緻密な世界観構築と時代考証もありますが、本作においては何より一家族に視点をおいて、物語として楽しめるようになっている点が重要でしょう。また、「佐藤節」と一部で呼ばれる独特の斜に構えた人物描写・セリフ回しが見られるようになったのも、本作からではないかと思います。 もっとも一部の方は、各所に多数存在する様々な作品や人物のパロディ、オマージュ、リスペクト・・・て言うか、おまえ実在の人物に全然違う商売させるんじゃない、と言うような点にうんざりした事もあるでしょうし、「大和」、「武蔵」は宇宙戦艦となった分身も真っ青の強さという、常軌を逸している点も見過ごせないでしょう。また、現実には絶対不可能としか思えない航空宇宙技術、宇宙開発状況など、技術的な疑問点も多いと映ったかと思います(と、私が思っているだけでしょうか(笑))。 ただし、ひとつの一族を通じてもう一つの現代日本史(戦後史)を見ることができる、というこの点において本作は優れており、またその視点が実に的を得た点が多い事が、この作品が単なる架空戦記小説として以上に評価されている点だと思います。また、約1年で3冊も続けて出たうえに完結しているという事こそ、彼の作品としては希有な例で、残念な事にこれも高く評価せざるをえないでしょう(苦笑) もっとも、今回採り上げるのは、そういった点に対してではありません。また、本コンテンツの命題であるその後を考えるのも、主題と言うより副題になります。 今回私がスポットを当ててみたいのは、日本国および北日本そのものの全般的状況と、小説で触れられなかったアジア近隣の国際環境に対する解体です。
まずは、原作の特に1巻を少し振り返ってみましょう。 「捷一号作戦」の連合艦隊の艦隊特攻により、米軍は80万トンの艦船の損失と17万人にも及ぶ人的被害を被り、渡洋戦部隊の片翼を失ったため、戦争スケジュールそのものが2カ月以上遅延し、実際沖縄への侵攻は史実の4/1ではなく6/25になっています。 また、レイテ沖での米陸軍のダグラス・マッカーサー将軍の戦死により、太平洋戦線が海軍のニミッツ提督主導で統一指導されるようになり、アメリカの対日戦争戦略は海軍主導で一本化され、陸軍のカーチス・ルメイ将軍の権限は弱められ、日本本土に対する戦略的な攻撃は、ルメイ将軍が精力的に推し進めた無差別都市爆撃から、海軍主導の機雷戦と潜水艦戦にシフトしています。 まずはこの点が重要です。米軍のフィリピン侵攻がレイテのみで終わる事により大損害を受け、現地日本軍将兵の多くが助かるであろうと言うことよりも重要な変化です。 マーカーでチェキしておきましょう。
なお、この戦略の変化により、1944年冬頃よりマリアナ諸島に群れるようになったB-29は、一部の純粋な軍需工場への爆撃(都市爆撃はせずとも海軍工廠や大型軍需工場破壊はする筈)以外は機雷投下ばかりするようになり、ニミッツ提督の指令が徹底される前に無差別爆撃を無理矢理行ったルメイ将軍の戦術は、1945年4月頃に強引に何度か行われただけに終わっています。 また、ルメーの手により強引に行われた無差別都市爆撃も、史実の3月10日からではなく4月からの開始となり、東京大空襲での死者数が8万人とされている点から、期間は短期間で規模も最大史実の80〜75%程度と端的に示されている事になります(気象状況の違いなど考えれば、多少数字のブレはある)。また、史実のスケジュールだと4月頃アメリカ軍の空襲はまだそれほど活発でなかったのですが、小説内での爆撃地は東京と呉が上げられています。 そして呉が一度爆撃を受けている以上、太平洋岸の主要大都市は一度ずつぐらい焼夷弾のカーペットボミングを受けていると判断して良いでしょう(週1〜2回程度と考えこれを一ヶ月間行えば、東から東京・横浜・名古屋・大阪・神戸・北九州ぐらいでしょうか(その他基地・軍需工場(呉、横須賀、陸海の砲兵工廠、中島と三菱の発動機工場、巨大製鉄所)など)。 ですが、史実と同じ計画で爆撃が行われていると仮定しても、初期の段階は燃焼性の高い爆弾(焼夷弾)による、戦略的には無意味とすら言える人口密集地に対する爆撃が主に行われており(町工場の破壊や厭戦気分の醸成など政治的言い訳に過ぎない)、さらにアメリカの戦争スケジュールそのものが遅れているので、空母艦載機や戦艦による本土攻撃も、純粋な軍事施設や軍需工場以外は低調と見るべきでしょう。そればかりか、アメリカが自分たちは本土侵攻しないけどソ連が北から攻めて来るぞと教え、日本軍の移動をある程度邪魔していない点を考えると、本土の軍事施設に対する攻撃すらロクに行われていない可能性が強くなります。 また米軍が、本土侵攻をせず日本本土爆撃が激化しないなら、硫黄島など本土近在の拠点を米軍が攻略する必要性も低くなり、また両用戦部隊の再編と沖縄への性急な侵攻を考えると、時期的には硫黄島攻防戦そのものがなかった可能性も高くなります。 そして、原爆・・・ではなく、反応兵器の使用は、廣島、長崎ではなく、函館とソ連との戦闘で廃墟となった旭川になり、この点の人的被害も統計数字の上では少なく済んでいます(旭川までB-29の足が届いたのか??)。 また、史実の爆撃(空襲)で破壊された船舶分以上のものが機雷と潜水艦で破壊されていると考えられるので、港で逼塞している艦船以外の船の損害は、史実より大きくなるのは確実なのですが、史実でもほぼ全滅していた日本商船団の事を思えば、損害程度はあまり変化ないでしょう。 ただし、海軍艦艇も1950年頃まで生き残ったらしい大型艦艇が史実と同じ「やまと」と「かつらぎ」だけと考えると、呉などの軍港は徹底的に爆撃されたのかも知れません。それとも大型艦のかなりが生き残ったけど、戦後復員完了の後ビキニの原爆実験送りだったんでしょうか・・・「長門」の沈んだ世界なので、「伊勢」、「日向」、「榛名」あたりがそうなのかも知れませんね。 そして、忘れていけないのが、ソ連による史実より二週間ほど早い対日参戦であり、8月半ばから文字通りの意味で強行された北海道侵攻になります。 ソ連との戦いは、正式に停戦の成立する9月1日前後まで継続されており(まあ、史実も似たようなもんだが)、これにより満州、朝鮮半島、南樺太、北方領土以外の千島列島、そして北部北海道がソ連の手に落ち、このうち政治取引の結果南朝鮮はアメリカの手に帰したようだが、ソ連が日本北方各地を手放す事はありませんでした。 そしてここに、「日本民主主義人民共和国」という奇怪な国家が誕生します。
では、ここからは嫌悪感すらもよおす、悪魔のドンブリ勘定の開始です。 史実日本は、大東亜戦争で軍民あわせて650万人程度の死傷者のうち、250万人から300万人が死者になります(日支事変から数えると約310万人)。ただし、この世界は鏡の向こうながら、少し違っています。 史実のフィリピンでは、周辺海域を含め軍民合わせて約50万が死亡し、約10万人が生き残りましたが、ここではレイテ島に投入された一部の部隊だけが壊滅していると考えられ、それすら米軍の規模を考えれば史実よりも低い数字になる可能性が高く、フィリピン全体で考えれば死者と生者の数字が逆転するぐらい日本兵(日本人)はフィリピン各地で穴籠もりしていると考えられます。ルソン島で待ちかまえていた山下将軍も、拍子抜けの事でしょう。 また、外地で死亡した民間人は約30万人(日本近海での船舶被害による死者含む)、内地(沖縄除く)の戦災死亡者約50万人で、内訳は日本の民間人の空襲による死者数が約31万人、原爆被爆者(短期間での死者)が約20万人です。ここから都市無差別爆撃の規模の大幅縮小や原爆投下地の人口を考えると、内地の50万人の死者数は三分の一程度の、恐らく15〜20万人程度で抑えられていると想定できます。五稜郭は廃墟になりますが、廣島県産業奨励館も浦上天主堂も健在ですし、各大都市の被害も数分の一しかありません。そして、日本本土爆撃が少ないということは、内地での戦死者の数も激減している事は間違いないでしょう。 そして沖縄では、配置の違いにより史実より1個師団分余分に死者が出ている事になりますが、ここに佐藤氏の奇妙な計算違いが存在しています。
米軍の侵攻の遅延(6/25侵攻開始)から史実と同じ戦闘展開だと、沖縄兵団司令部は終戦まで機能している可能性が非常に高くなります。しかも史実より日本軍が1個師団多く、三ヶ月の猶予をもらった航空部隊の抵抗力も多少は大きく、対する米軍は戦艦など支援艦艇の数の少なさなど欧州から戦力を補填してなお、史実より戦力が低いと判断できますし、狭い沖縄に史実以上の陸上戦力を米軍が突っ込む余地がありません(ついでに言えば、沖縄沖海戦で新型戦艦部隊は壊滅しているので、1万人ほど多く戦死しているうえに、台風の度に攻撃密度は落ちる。)。 話が少し逸れますが、沖縄戦においてこの世界の8/15は史実の5/20にあたる事になり、タイムスケジュールを額面通り受け入れると、現地日本軍の組織的抵抗力はまだ十分保持されている事になり(生存者で言うと半数以上が残存)、日本側にとって悲惨な戦闘となった首里戦線での戦闘が発生していないので(摩文仁や小禄でも戦闘が行われていないスケジュールになってしまう)、民間人の死者の数は数万の単位で少なくなる可能性が高くなります(この場合、史実の半数以下で収まる筈だ)。 つまり、額面通り数字を考えると、沖縄での死者の数は軍民合わせて約20万人だったものが10万人以下になってしまいます。 ただし小説内では米軍上陸一ヶ月で、史実の6月初旬頃のような状況になっていました。恐らくは、物語のスペクタクル性を高めるため、終戦と沖縄陥落のタイムスケジュールをあわせたかったんでしょうけど、どう考えても根本的に一ヶ月間違ってます。理化学系以外のミスは少ない佐藤氏としては、珍しいほど致命的な間違いですね。 だから史実表面上での侵攻スケジュール二ヶ月の遅延でなく、四捨五入で三ヶ月遅延していますから、恐らく佐藤氏の頭の中では5/25沖縄戦開始こそが正しい回答なのではと最初は思いました。いや、小説内には(多分)出ていせんでしたが、米軍に何か一ヶ月を縮めるだけの戦力要素があったのかもしれませんし、その逆に日本軍が弱っているのかもしれません。(どちらもあまり考えられないが) ま、ここでのミスの最も高い可能性は、校正者が5と6を読み違えた可能性ですけどね(笑)(小説内に沖縄戦開始から一ヶ月という数字も校正ミスになる)
なお、私なりに米軍のスケジュール調整を考え、硫黄島戦がないと仮定するのでこの分もチャラです。栗林将軍やバロン西も、歴史にその名を残すことなく終戦を青白い顔で終戦を迎えている事でしょう。 ただし、ソ連が史実より二週間早く侵攻して来て、多くの地域が戦場になってしまうので、満州、南樺太、千島、そして北北海道の損害は史実より大きくなり、これに同地域の軍人と民間の損害も加わるので、人口分布、部隊配置状況から史実よりも5〜10万人程度が鬼籍に入ってもらわなくてはなりません(史実での満州、朝鮮、樺太での戦死者数は合計約9万人)。占守島の士魂部隊も、文字通り砕け散っている事でしょう。 そして、以上のドンブリ勘定を差し引きすると、日本人は史実より50〜60万人ほどたくさん生きているという結果が出てきます(その代わりアメリカ人は史実より20万人近く多く死んでいるし、ロシア人も石狩沖の損害など数万人単位で死者の数は多くなる(こっちは統計数字上今更の数でしかないが))。 ただ、ソ連の日本侵攻が史実よりも進展しているので、ソ連軍により殺された日本人の数もさることならがら、彼らにより捕らえられた日本人の数はかなりの規模になると思われます。史実ではドイツ人など欧州枢軸国民は約350万人がシベリアに送られ、日本人抑留者の数は最大で約70万人ほどだったとされています。また、舞鶴に抑留者として戦後帰り着いた日本人の数は軍民合わせて約67万人、シベリアの大地で亡くなった方は最低で5万人です。 そしてこの規模は、北部北海道と満州、朝鮮半島でさらに数が増えるはずなので、北海道で降伏しソ連軍の捕虜となった日本兵、捕らえられた日本人の数を考えると100万人の大台にのると予測され、この過半が兵士(男性)になり、これが「日本民主主義人民共和国」の骨格となっていきます。 ちなみに、1938年統計の満州の日本人の数は約52万人にもおよび、1945年まで増加を続け、辺境の開拓団の数は27万人、満州全体の在留邦人(軍人・軍属と関東州の人口除く)の数は実に155万人にも達し、満州全域の日本人人口の総数は250万人に達します。一方、南樺太の日本人人口は約40万人で、北海道全土の人口は約350万人で、2割ほどが北部北海道居住者になります。 もっとも、史実では多くがソ連軍の顎から逃げ出しているので、この全てがソ連の手に落ちる事はありませんでした。抑留者の数字がこれを証明しています。 そして、このうち史実より二週間早い侵攻を行ったソ連軍の顎を逃れて逃げ出せた日本人の数によって、この数字は少し変化してきますが、日本軍が事前にソ連参戦を知っていたとすると、史実よりも抗戦準備と疎開が進んでいる可能性もごく僅かに考慮してよいでしょう(事前に逃げずとも一部目先の利く人がオフレコで準備していた、とするのが限界か)。 また恐らくソ連は、日本北部に傀儡国家を作ると決めた(船舶を太平洋に回航して北海道侵攻を決意した)時点で、満州や北朝鮮に取り残された日本人を無意味に殺さずに、根こそぎ捜し出して「向こう側」に送り込むでしょう。そう思うと、残留日本人孤児という問題は少ないのかもしれませんし、あの地で亡くなった数も万の単位で少なくなるでしょう。あと、ついでにいえば朝鮮半島の日本に行きたいという人の多く、単に日本語が話せる日本人以外の人のかなりも「向こう側」に送り込まれるのではないでしょうか。北の熊は大雑把ですからね。 さらに、治安維持法での逮捕者は7.5万人、1949年に共産党員だけで10万人いたそうですから、戦後日本国内で吹き荒れた共産主義的な政治活動を思うと、北と南の国境線が確定する前に「人民の理想郷」たる「向こう側」に越境した共産主義者(とその類型)とその家族の数は膨大な規模にのぼるでしょう。 これらを丼勘定で、20〜40万、大本営発表レベルでなら50万人に達するのではとすら予測できます。まあ、空虚なプロパガンダに幻想を抱いて人生誤った人達が、隔離空間に行くのだけは基本的に歓迎ですけどね。 戦後日本人を洗脳した日教組の基幹要員もアカの精鋭どもも「向こう側」にいってしまい、正当な日本にとっては非常に良い影響を与えるでしょう。ついでに、「向こう側」の政変の際に融通の利かないアカは綺麗さっぱり「ホール」送りでしょうから、「向こう側」での悪い意味における影響も最低限となる筈です。 さすが佐藤大輔、完璧なまでの誘出殲滅、やることがエゲツナイですね(笑)
そして時代は少し進み、北日本と南日本が成立したその時、両国が「日本人」だとする人口は、史実よりも多少大きくなります(最大で総人口の1%程度)。 南の場合は、史実で死ぬはずの人数を差し引きしても少なくなるのですが、北日本ではドンブリ勘定で約150〜200万人の日本人以外に、ソ連邦各地から北日本への強制移住が、元兵士ばかりな日本人の男女比率を考えると女性ばかり50万人(旧日本領内の移住志願者とソ連領内の戦争未亡人の強制移住)が最低必要で、1950年に戦争を始めた時7個師団(約10万人?)を有していた(2巻 P39)とされるので、最低でも200万人、できれば300万人程度の人口は欲しいところです。諸事情から兵隊には事欠かないでしょうが、これぐらいないと国家が維持できなくなってしまいます。 ただ、確かこれに関してはどこかのサイトが考察を行っていたと思いますので、これ以上は割愛しましょう。
むしろ私が気になるのは、史実とほぼ同じ領土を保持している筈の南日本の人口が1億人としか紹介されていない点です。これは、北日本が約2,000万人とされている事で、史実での数字を単純に分けているんでしょうが、史実より100〜150万人ほど欠けているだけで(しかも、男性比率が極端に高い)、統計数字上の南日本の終戦時の人口は史実とさほど変化ありません。支配領域も、南北海道の危険性を加味して同地域の人口が少ないと考え、日本動乱による死者の数を加味しても、1980年代には1億1,500万人に達するはず、いや統合戦争の発生する1994年頃には1億2,000万人の大台に乗っているのは、史実とほぼ同じグラフ曲線を描くであろう人口学の上からもほぼ確実です。もちろん、南日本が戦後しばらくの食糧危機が回避されるまで、海外への移民(史実:合衆国とブラジルでの日系人の合計は200万人を越える)や少産を奨励していれば話は違ってきますが(史実:戦後、戦争のリバウンドで人口は大幅に拡大した)、史実以上の状況になる可能性はかなり低いでしょう。それを否定するファクターは認められません。 また北日本は、確か殆どがロシア人やシベリア少数民族と混ざっていると言う言葉があったと思います。となると、南北合わせた「日本人」の数は、私達の世界よりも15%程度多い約1億4000万人こそが正解であり、南北統一後の日本はオホーツク南部一帯も保持した、領土的にも史実より1割以上大きな領土と人口を有する事にもなります。 また、竹島が南キムチの実行支配という莫迦莫迦しい事にもなってない筈ですし、尖閣諸島や東シナ海での問題も低くなっているでしょう。何しろこの世界には1950年頃から「やまと」があり戦略兵器としての価値すら持つ大型空母も多数浮かんでますから、半島や大陸が無茶苦茶言えなくなってますからね。この世界の日本人達は「チョッパリは謝罪と賠償をするニダーっ!」という言葉にも、本気で鼻で笑っている事でしょう(笑) これだけは、胸がすくような変化です。
さて、人口の点だけを見てきましたが、私が本当に考えてみたいのは、実のところ人口問題ではありません。最初にマーカーでチェキした事を思い出してください。 戦中日本が本土攻撃をどのように受けたか、という点こそが重要だと考えています。これによって、戦後日本の産業地図・経済構造そのものが変化してしまう可能性が高いからです。 結論から言えば、関西人たる私としては「ニミッツ元帥万歳」といったところでしょうか(笑)
それはなぜか? 戦前の日本産業の中心地は、阪神工業地帯にありました。これは江戸時代の経済の重心が上方(京・大坂)に偏っていた事が深く影響していますが、戦前も明治政府以来の官僚専制的な産業統制下にあってもこの流れは継続されており、住友など大企業の多くが本拠が置いていたりと、早くから東京圏よりも巨大な工業地帯が存在し、多数の企業本社が名実共に関西にありました。また、大陸に対する人の玄関口としては、北九州地方よりも大阪湾岸の方が傾向として強く、多少強引ですが日本にとってのニューヨークのような位置に存在しています。少し話が逸れますが、在日朝鮮人(韓国人)の分布がなぜ大阪に偏っているか考えてみてください。そう、大阪にカネ・ヒト・モノが集まっていた何よりの証拠です(苦笑) しかも、この流れは私達の世界の戦後においてもある程度続き、私の住む町などは高度成長期の頃まで、ロンドンと並んで(工場煤煙のせいで)世界一空の汚い町と呼ばれていたそうです。そして数字の上で東京圏が政治のみならず経済・産業の中心となったのは、大阪万博(1970年)以降の事です(戦後日本の精神的なものがおかしな方向にねじ曲がりだしたのも、これ以降かと思います。)。 そしてこの原因の一つに、鬼畜ルメイの日本本土爆撃があり、特に初期の焼夷弾爆撃の以後の爆撃は、工業地帯を中心に行われています。 要するに、全部壊されたんだから、護送船団方式の一極集中で効率的に再建した方が良いと言う官僚主導の産業体制構築が、ここでは簡単に成立しないのでは? という事です。
1970年代に入るまで、一部に鉄骨だけの廃墟が残っていた大阪砲兵(造兵)工廠(今の大阪城公園一帯)や、当時東洋最大の金属工場のあった住友の工場(今のUSJのある場所)が1トン(2000ポンド)爆弾で徹底的に爆撃されたのも終戦間際です。ひどいものは8月14日の大空襲で2000ポンドクラスの大型爆弾を使い徹底的に破壊されています。また、B-29が行きにくい場所(釜石など)や沿岸部が艦砲射撃や空母艦載機の空襲をうけたのも、確か7月に入ってからか終戦近間際の筈です。当然、日本各地の工場の多くが破壊されたのも同時期になります(まあ、中京地方は地震でトドメを刺されたって気もしますが)。地方都市に至っては、5月に入らないと爆撃を受けていません。 しかしこの世界では、ニミッツ元帥の人間としての良識に従った戦争指導の結果、日本の人口地帯・産業地帯の多くが開店休業の状態で多数生き残っており、平和な世の中が到来して海が掃海され安全になれば、戦前とさほど変わらない産業地区を中心にした発展が再開・継続され、私たちの世界のように東京一極集中ではなく、東京、大阪、名古屋(+博多?)の産業圏に分散した形がより強くなり、私たちの住む世界よりもずっとバランスのとれた産業地図すら出現しているだろうと予測できます。 また、東京一極集中という戦後の近視眼的効率重視の産業構造は、日本が南北に分断された事を思うと有事の際に危険も多く、南日本の国策として東海道一円をドーナツ状とした経済構造を作る事を当然と考える方が通常の思考でしょう。だいいち、産業地帯はもとから分散しているのですから、その方が経済的ですし、空襲による被害が少ないと言うことは一般資産の残余も大きく、財閥解体をされてなお企業の官僚に対する抵抗力もずっと高い筈です。 そうそう、私達の世界で空襲で焼き払われた社会資本と個人資産の多くが生き残っている点も、戦後の産業再編に影響するでしょう。特に過去からの蓄積の大きな京阪神地方が、経済・産業面で重視されるという構図がより強くなる筈です(この世界では、ウチの近所も全然焼けてないんだなぁ)。 あと余談ですが、都市爆撃が少ないと言うことは、戦後の市街地での土地に関する混乱も、日本人全体の敗戦に対するショックも少なく、バラックの群の出現やそこでの闇市の横行、土地の不法占拠という事件も少なくなり、何故か駅前の一等地にパチンコ屋と焼き肉屋が沢山ある、という妙な情景もかなり改善されている筈です。いや、パチンコや焼き肉産業そのものが、ミニマムになっている可能性も非常に高いでしょうし、ロッテと言う企業がどうなったかすら怪しくなります。(理由は聞かない約束ですよ(苦笑)) これが私たちの世界とは違う、南日本の産業分布と経済状況です。 これを踏まえて、時代を追ってみましょう。 1945年夏(8/15)に降伏した日本は、アメリカ、ソ連、英国の3国(小説内からの確認)に分割統治されますが、それも1950年(6月25日)に勃発した極東動乱(北海道動乱+朝鮮動乱のまとめた便宜上の通称)により大きな転機を迎えます。 この東西最初の激突により、日本は自らの国土(と言っても辺境部)が戦場となるも、東洋唯一の産業拠点としての価値が効果を発揮し、自由主義の守護者たるアメリカにとっての、東洋で最重要の拠点としてこれ以上ないぐらい活用されます。前線に近い後方生産拠点としての価値は言うまでもありません。 日本産業の表面的な事象での復活です。 表面的というのは、戦時特需と言うことは戦争に関わる兵器生産・軍需物資に依存した経済体質の出現であり、これは当然健全な経済においてむしろ邪魔な存在で、事実日本が本当に経済的に回復しだしたのは1955年の神武景気からです。つまり、加工貿易国家としてやってゆかねばならない日本という国は、周辺地域の安定こそが経済力拡大の最大のファクターだと言うことです。 しかし、この戦争が日本に与えた影響は極めて大きなものになります。 まずは1945年に機雷と潜水艦により海上交通が完全に封殺されるも、産業地帯そのものの損失が少なかった日本産業は、戦争特需により息を吹き返す事です。 しかも、戦争規模、日本産業の規模共に史実より大きいので、この時点で史実より大きな発展が待っている事は確実で、さらに警察予備隊と命名された「軍」が復活しますが、これも自国が戦場となった事で陸海空軍全てが史実より大きな規模での復活となり、当然国内の純然たる軍需産業もある程度息を吹き返すでしょう。もしかしたら、戦後爆撃によらず普通に解体の進んでいたかもしれない陸海の砲兵工廠が、一部再稼働しているかもしれません。これらも史実とは大きく違う点です。 なお新たな国軍である警察予備隊は、陸では1952年の時点で「第七」の数字を冠した部隊があり(既に6個管区隊(師団)が編成上ある事になる)、海でも「やまと」、「かつらぎ」などの大型艦艇の現役復帰もあるから、史実の倍ぐらいの規模と兵員が必要になるでしょう。 そして南日本は、極東動乱のさなかに戦後の後ろ向きな反戦姿勢は薄くなり、独立復帰も達成し、以後全般として上昇曲線を描きつつ国力の復活、そして拡大、さらには肥大へと繋がっていきます。 またここで、史実よりも大きな成長曲線を構成する要因として、都市爆撃が少なかった効果が出てきます。つまり、戦前の中流階層の中核だった都市住民の戦災が少ないと言うことは、それだけ購買力を持ったままという事であり、高度経済成長期以前の日本での内需拡大が史実よりも早く拡大するだろうと言う事です。 これは、1930年代後半の貧困層が約67%だったのに(しょせん戦前の日本は貧乏国なんです)、これが終戦直後90%を越えていた事、戦後池田勇人首相による「戦後は終わった」発言のあった年、日本のGDPが戦前の水準に回復した事などからも可能性は高いでしょう。 そして、戦後の極端なまでのインフレが若干緩和される可能性も高くなります。 なお、日本はこの動乱中に独立復帰しますが、史実と違い国家分断の悲劇に見舞われます。ですが、これを外交的に最大限に利用する事でしょう。つまり「分断国家」を盾に軍備を復活させ、占領憲法を改正し、近隣諸国の妄言を封じてしまう、と言うことです。これにより、私達の世界が抱えているような近隣諸国と国内の反動勢力を原因とする問題の多くは、非常にミニマムなものとなっている筈・・・です。
さて、次なる転機は、南日本の造船日本と国内建設ブームなどを経て、日本の発展を象徴した東京オリンピックの後に来るベトナム戦争です。 この戦争に際して南日本は、史実と同様に戦後二度目のアメリカからの受注による戦争特需により好景気に沸きますが、史実とは違い陸海空3自衛隊からも有力部隊が派遣され(陸/1個旅団程度、海/2〜3個任務群、空/作戦機100機以上と考えると約2万人程度)、派遣規模から見ると英国以上に重要度は高くなるので(米軍以外の派兵数は史実では約5万人で、ここでの自衛隊は陸軍は少ないが重装備で、海空戦力はアメリカに次ぐ程大きく、歩兵しか出せない韓国など物理的には比較対象外)、アメリカにとって無くてはならない「同盟国」としての地位を確立します。それは、私達の世界の英国の立場に近い位置になるでしょう。 しかも、「幸運にも」暗殺を切り抜けたケネディは、史実のアメリカ以上にベトナムの泥沼にはまり込ませ、日本をアテにしなくてはなりませんから、日本がより一層ウハウハになること請け合いです。 ただしこの頃、小説内でも私達の世界のような学生運動が起こっている事から、日本の軍隊アレルギーと反米傾向は史実同様強くなるみたいです(史実戦後日本よりは、ドイツの最近のそれが近いでしょうか)。 私達の世界とは違い、軍(自衛隊)の権威は北海道動乱である程度復権した筈なんですが、ナム戦での反戦運動によりチャラとされているようです。プロ市民の中の人たちにも困ったものです。それとも「向こう側」の幼稚なプロパガンダや洗脳教育、工作員による活動により、「正当な日本」がいらぬ迷惑を被る事になるのでしょうか。・・・おそらく後者でしょうね。 そうそう、戦前から戦後直後に「解放」されたアカどもの精鋭は、こぞって「向こう側」に行ってしまったので、正当な日本でのアカやプロ市民の勢力地図はかなり小さくなり(プロ市民をおおっぴらに育成するアカも少ない)、日教組内もアカに染まった教師の多くが「向こう側」に行っている以上、多少は健全な組織になっているのではとも思いたいですが、南日本にも共産党が合法政党であるそうですから、それも程度問題なんでしょうか。それと社会党系団体もどうなったのか個人的には気になります。この点、もう少し背景説明が欲しかったところですね(w
もっとも、反動勢力のヒステリックな叫びは、「正当な日本」に大きな恩恵ももたらしてくれます(○○とハサミは使いようですね(笑))。 日本は「国内混乱」にかこつけ、「同盟国」というカードを盾にアメリカから史実以上に様々なモノ、技術を得ることができます。主に兵器と先端技術供与という事になりますが、その一つが航空宇宙関連技術で、何と1972年には日本人を宇宙に送り込んでしまいます。これは恐らく「反応兵器」を持てない事に対する補完技術供与で、戦略兵器としての価値すら持つ事がある超大型空母の技術についても同様と解釈でき、この世界での日本の位置を考えると設定上の無理はないと思います。
さて、ここで問題です。 この時代に人間様を大気圏外に送り込むには、いったいどれだけのお金がかかるのでしょうか? また、そのお金をどこから出すのでしょうか?
この頃と言えば、米ソの宇宙開発競争が有名ですが、この頃米ソはそれこそ国運を賭けて湯水のように宇宙にお金を突っ込んでいます。 また南日本は、この時点で史実より少し大きな経済力を保持するに至っていると予測され、その産業構造も史実より航空産業(+軍需)重視になりますので、宇宙に行く下地は十分ありそうに思えます。 また1970年前後は、日本最長の安定政権を運営した佐藤栄作内閣期にあたり、この後「列島改造」をぶち上げ、ゼネコン万歳、金権政治万歳(特殊法人型天下り体質もか・・・いや、岸伸介こそがこの手の元凶かな?)の今の体質を濃厚にしてしまった(と私が妄信する)田中角栄内閣が発足します。 ですが、今の私達の世界がそうであるように、公共事業費用を土建屋ばかりに突っ込んでいては、近視眼的な国力増強(社会資本整備)と内需拡大はできますが、今の私達の日本がそうであるように宇宙大国など夢物語でしかなく、感情でなく国家戦略に従えば、南北対立で国力を無駄に使うことを避けるであろう南日本が、土建一辺倒でなく国防など様々な分野に応用の利く航空宇宙産業重視になるのがこの世界の流れとしてはまだ自然で、これ以後四半世紀、日本は世界第一級の航空宇宙産業を中心にした先端産業重視の政策を選択していき、土建業以外で史実よりも大きな国際競争力を手にして、より大きな繁栄を掴んでいると予測できます。田中角栄の「列島改造」と言う言葉も、「宇宙大国」などに変化している事でしょう(で、アメリカの嫌がらせで、結局角栄は失脚するワケですね(苦笑))。
そして、内政的理由により反応兵器を持てない日本にとって、宇宙産業そのものが「戦略兵器」である点も重要です。別の世界でオタク達が白亜の塔で神託を受ける天空からの情報などは、1970年代からありますからね。この変化は重要です。日本の戦略情報収集と利用に関する根本的な変化がある事でしょう。 また、自国が戦場になる可能性が高ければ、土地を投機対象とする向きもある程度抑制され、日本企業の土地依存傾向も弱まり、これも土建国家日本を阻止する大きな要因となるでしょう。これらが小説内から垣間見えてくる日本の情景の一つになります。
そして、アメリカの横やりを政治的にかわしての先端産業重視の政策は、国内の土建業発展を犠牲にした上で成立するので、世界に誇る日本の土木技術(プラス世界の三割にも達する企業数)も淘汰されて程度問題に落ち着き、また日本分断により軍需産業も重視されるので軍事費にも多くが割かれ、必然的に様々な分野が影響を受け、やはりこの点も一番公共事業費用が費やされた土建業が一番負の影響を受ける事になります。 また、国交省(建設省、運輸省)の勢力が企業数の減少に比例して小さくなり、逆に科学通産省、防衛族の勢力が大きくなるなど官僚達の勢力地図も少し書き変わっている事でしょう。 当然、現在私達の世界で、財政的に害悪と言えるレベルに達している土木事業であるダム整備・高速道路網整備なども史実より遙かに小さい規模になるでしょうし、地方の重要度の低い社会資本の整備は遅れ(もしくは無視され)、国防の事を考えると国鉄(現JR)が長期にわたり維持されている可能性も高くなり、航空宇宙産業重視という政策は、高速道路網整備停滞の反動から日本国内の民間空港事業拡大の流れを作り出し、流通・輸送も私達の知るものから異なった構造になっているように思われます。 しかも、この世界の川崎は、独自にP-3Cクラスの軍用機や各種輸送機を平然とシリーズ化して送り出しているようです。これは民間機でもYS-11以後の機体が続いて、国際線はともかく国内線は国産機で溢れている情景すら見えてきます。IHIのエンジンを積んだ川崎の中型旅客機というのも少し燃えますね。 またアメリカの横やりが政治的に少なく、航空・軍需が盛んで土建業が盛んでなければ国内の利権構造も変化して、メガフロートによる巨大ハブ空港なんてものも、東京湾や大阪湾、伊勢湾、博多湾などに浮かんでいても不思議じゃないですね。 そして、こういった事を積み重ねて考えると、この世界の南日本は、徴兵制の有無と重厚長大産業の構造の違いを除けば、小さなアメリカ合衆国と言える産業構造に傾倒しているであろう、という構図が見えてきます。もしくは、西ドイツが近いかもしれません。私達の世界と同じなのは、若き指導者も嗜好なされるオタク産業ぐらいでしょう(自爆)
一方、貧乏さん確実と思われる北日本ですが、こっちの経済事情はどうでしょうか。 と言っても、建国初期は全くいいとこなしです。唯一、北太平洋・オホーツク海での漁業ぐらいしか産業はなく、北部北海道も南樺太も土地的には豊かと言えず、しかも日本人の力の源であるお米が取れるのは、分断ラインの旭川近辺のごく一部だけで、それすら終戦頃は技術的・品種的に難しかったかと思います。資源についても、石炭と当面利用価値のない海底ガス田ぐらいしかありません。 恐らくはソ連の手厚い保護がなければ、国家としての存続すら難しいでしょう。 しかも状況は北キムチよりも悪く、北キムチは1970年代まで世界最貧国の一つとされた南キムチが相手なのですが、北日本は1950年代から大きな国力と人口を持つ南日本が相手になり、これを支える為にソ連は、北キムチ以上に手厚い安全保障と経済援助を提供せねばならず、これは小説内では北日本に対する核の供与(ソ連の核戦力駐留)とソ連軍の駐留という事で示されています。 また、もとから人口が少なくその人口構成もいびつになる北日本は、ソ連からの強制移住だけで人口バランスを取る事は難しく、東側陣営各地からの多数の移民がなくてはなりません。そして自発的な移民を呼び込むためには、ソ連の手厚い保護と北日本そのもののが産業発展を行うしかなく、これはソ連に防衛負担の多くを肩代わりさせて、自らは軍備はおざなりにして、ひたすら商売に勤しむという南日本の写し鏡の行動を取るしかなく、この点は小説内でも日本が1980年代には東側随一の武器輸出国になり、南日本から20年程度遅れただけの、共産圏としては優秀な産業構造を持つ国になっているような説明がなされいます。 北日本の産業状況は、規模はまるで違いますが、結果としての状況は今(2004年現在)の中華大陸沿岸部に近いでしょうか。いや、国家規模的にも似ている1980年代の台湾が妥当かもしれません。国民の生活程度の描写から見ても、台湾こそが経済的なモデルとして第一級の資料になると思われます。 ただし、武器生産を主とした国営企業しか存在しないのに、台湾並みの産業国家となるという構図は異常というか、少し想像が難しいですね。国丸ごと共産圏の軍需工場という構図は、何やらSFやアニメに出てきそうな悪の帝国みたいです(笑)
そして、ひたすら産業を発展させ、他の社会主義国よりも良くなった暮らしぶりが、大量の移民を発生させたとすると、その人種構成はかなり多様になると予測されます。しかも人口が急速に増大するのは、産業基盤の整備・発展からどうしても1980年代ぐらいになってしまいます。 この世界の北日本は、1990年頃には約2,000万人の人口を抱える国家となっています。丼勘定300万人から始めたのに、半世紀に満たない間にこれだけの人口拡大をするには、アメリカ合衆国以上の移民とここ四半世紀ほどのイラン並みの人口増加が存在しなければならず、しかもその移民を「日本人」とするにはソ連の完全なコピーといえる国民を鋳型にはめ込む国家統一政策がなくてはならず、それなくしてソ連邦のような多民族国家となるであろう北日本を、「正当な日本」としてまとめ上げるのは難しくなります。 これは、小説内でも「向こう側」の「日本人」の大半がロシア人やシベリア少数民族と混ざっていると言う言葉で説明されており、これらの人々を「日本人」にしてしまうには、キム王朝の政治体制よりも、よりスターリン的な体制を作り上げる方が都合が良く(もしくは、ユーゴスラビアのチトー体制が近いのかも)、ここに北日本はソ連の優秀なコピー国家としての道を歩み、独裁者、党(官僚)、軍、秘密警察のカルテットによって、ついには東側最強の軍団を生み出すに至ります。 ただし、「向こう側」の「日本人」の人種構成ですが、果たして日本人、ロシア人やシベリア少数民族が混ざり合った人たちだけが「日本人」なんでしょうか? 近隣には、中共、キム王朝、ベトナム、モンゴルと共産主義国には事欠きません(親ソ国家の「向こう側」だと中共とは仲が悪いでしょうけどね)。 恐らくこれらの地域の人々の過半は、1980年代に入り北日本が産業発展した後に労働者として流入してくるので、ソ連時代のロシアや欧州地域でのアラブ系のような出稼ぎ労働者となるでしょうが、その規模は総人口の1割とか2割という膨大な規模になることが容易に予測されます。そうしなければ、1980年代に急速に発展するであろう北日本の労働力が維持できないからです。 そしてこれは安価な労働力として、また人口2,000万人国家の人口的なゲタとして有効に機能する事でしょう。 ただし、日本統合の後の社会問題になること確実って感じですね。ヤな話しです。 また、他の東側からの移民ですが、何もロシア系ばかりでなく、東欧各国からも多少は流れ込んでいる事も予測され、特に日本のミリタリーマニアが大好きなドイツ系が多いことは確実でしょう。でないと、統合戦争であれ程の巨大陸軍を作り、運営出来たことが説明できません。それともドイツ系ロシア人移民たちがあの大軍団を作ったんでしょうか。 どちらにせよ、日本人にあれだけの陸軍を持つ発想なんてないに違いありません(笑)
ところで、北日本は1980年代ぐらいに産業発展するそうですが、その産業地帯はどこになるんでしょうか。国防を考えるとその過半が南樺太にありそうで、北部北海道で釧路も南日本の手にあるとすると、根室、稚内、網走などいくつかの例外を除けばそれしか考えられず、これは豊原の人口が350万人にも達する異常な過密都市圏と解説されていますが、その過半が厳冬期は流氷で閉ざされる場所ばかりで、どうにもこの点がシックリきません。
ま、それはさておき、大まかですが小説のタイムスケジュール内の事を見たと思うので、ここからは小説の結末以後を少し考えてみましょう。 1994年の統合戦争後から以後10年が対象です。 まずは、超簡単な双方の国力の復習です。
・南日本 人口:約1億2,000万人 GDP:世界第二位 国家予算規模: 防衛費は軍事力から考えて史実の1.5〜2倍程度(7〜10兆円)、国家予算は、宇宙開発費から考えると、1990年代の時点で最低50兆円、最大90兆円規模が見えてくる。 軍事力:史実の1.5〜2倍程度(特に海軍力が肥大) 航空宇宙技術は世界一で電算技術も高い
・北日本地域 人口:約2,000万人 GDP:共産圏第一級 国家予算規模: 1980年代に総数40〜60万人の第一級の陸軍を保持できる2,000万人規模の国家と考えると、同時期の台湾がこれに近くなり、共産圏随一の産業国という事を加味すれば、東ドイツ以上の数字が見えてくる。東側兵器としては高価なT-80やSu-27を平然と量産配備している時点で、近年の台湾と同程度と判断せざるを得ない。 軍事力: 統合戦争終戦時にほぼ壊滅。ただし、常識的に考えれば陸軍と空軍は、半数程度の戦力は残存していると見られ、それはかなりの規模となる。
※どちらも完全な重工業化が達成されており、世界的にも有数の加工工業国として認識され、高い外貨準備高を誇っていると思われる。 大まかですが、頭の中がかゆくならない程度のデータをあげるとこの程度になると思います(細かい数字が知りたければ、上記したキーワードから検索・検証でもしてください。)。 そして、この世界の正当な日本も1990年前後に異常なほどの好景気に見舞われ、統合戦争の頃は一時的な景気減速に陥っているとされています。 つまり、私達の世界とほぼ同じ経済曲線を描いているわけですね。個人的に多少疑問もありますが、問題はこの点にないのでスルーしておきます。 しかし、南日本が史実と似た状態とは言え、決定的に違うのが北日本の存在であり、北日本と南日本の統合です。
共産圏国家の消滅・統合と言うと、東西ドイツ統合が有名であり、これが第一級の資料となり、唯一の例になります。そして、西側陣営第3位の経済力を持っている西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、東西ドイツ統合による天文学的な財政負担により経済的停滞期を迎え、10年以上たった今も経済的な勢いが復活したとは言えません(政治的には全く別だが)。また、東西ドイツの人口差は4対1ぐらいで、東ドイツも共産陣営では最も産業的に優れていました。 ですが結果は、大量の『二級市民』を抱えたドイツ経済全体の停滞です。勤勉で旅行好きなドイツの失業率は、先進国平均を上回り8%を越えています。 果たして、日本を襲う状況も同じなのでしょうか。 日本とドイツの違いは、人口差が6対1と大きく、吸収する側の南日本の国力(GDP)が西ドイツの倍近い事があげられます。また、北日本の経済はまだ完全に傾いてなく、東ドイツより発展している風に見えます。 これらを楽観的に捉えれば、統合景気とでも呼ぶべきものが戦争のリバウンドの流れに従って一時的に発生し、日本の一時的な景気の起爆剤となり、さらには日本の航空宇宙産業での躍進も加味すれば、ドイツより明るい未来が見えてくるようにも思えます。 また、統合時に発生する、南日本の冷戦体制下で肯定されていた様々な問題点がこの時点で露出し、大幅な内政改革が私たちの世界より早く行われる可能性も高くなります。 ただし、北日本の人種構成を思うと、この点は東ドイツよりもはるかに状況が悪く、北日本人は経済格差と人種差により、南日本人から精神面的に『二級市民』の扱いをより強く受ける可能性が高く、さらに北日本に大量に存在するであろう、北朝鮮人とベトナム人出稼ぎ労働者(恐らく数百万規模)をどうするかも頭の痛いところです。南日本で厳格に維持されているであろう移民規制とぶつかったら、流血を伴う悲劇が容易に予測されます。悪名高き日本国官僚達にとっての、書類上の悲劇が無数に発生する事でしょう。
そして統合の結果、北日本の南日本型産業への転換に伴う一時的な産業停滞(主力の兵器産業が一時的であれ維持できなくなる)と日本政府の方針により、大量の出稼ぎ労働者の退去に繋がり、また北日本から南日本への経済流民の流れが起こり、今私達が直面している犯罪増加が5年ほど早く訪れるのではないでしょうか。少なくとも、欧州で冷戦崩壊に伴った混乱と似たような事例は発生するでしょう。 もっとも、北日本統合による安価労働者の大量発生は、全ての日本人にとって小さくない悲劇になるでしょうが、「日本人」そのものの低賃金雇用状態の成立は、低賃金外国人労働者の淘汰につながり(元向こう側の日本人でも「日本人」には違いないので、「日本人」達がどちらに重きを置くかは言うまでもない筈だし、言葉のアドバンテージも大きい)、国内のフリーターと呼ばれるパートタイマーの減少も発生させ所得税減少の問題も多少は改善し、戦争による反動と一種の人種混濁化は、出産率増加にプラス面で影響を与える可能性もあり(ドイツは統合時、出生率が大幅に低下したが)、最低でもピラミッド型に比較的近い人口ピラミッドを作り上げているであろう北日本の存在が、日本全体の年齢別人口バランス一時的に覆してしまいます。
そして経済面での最大のプラス面は、好き勝手にできる新たな大規模投資先を世界に冠たる南日本の企業群が与えられる事であり、善悪はともかくこれが景気を刺激することは間違いなく、さらに豊原という新たな経済重心を与えられた日本産業全体の変化に伴うプラス面での変革も期待できます。 また、統合戦争で北日本政府が事実上瓦解し、秘密警察(NSD)なども既に壊滅しているので統合に際する障害は少ないのですが、国家統合はそれらに勤める大量の官僚・軍人達の失職を意味し(官僚の多くは北日本での地方統治組織としてかなりが生き残るだろうが)、共産党による一党独裁体制崩壊は、北日本のエリート階層の再編成(崩壊)も同時に現しており、これが南日本に大きな影響を及ぼす事は必定で、それら政治地図の激変は私達の世界よりも10年以上早く二大政党時代が来るかも知れない、と言うことになります。 つまり、新たな勢力の出現に自民党系はある程度結束し直し、社会党系は一気に増大する共産党系勢力に押しつぶされているのではと言うことになります。反抗期の延長で政治をもてあそんだものと、生き残りを賭け奔走するものの差は歴然でしょうし、元「向こう側」の利益代表を誰が応援するかは明確で、少なくとも南北共産党統合という、奇妙極まりない情景を一度は見ることができるでしょう。(ま、私個人としては、阪神大震災の時に無能をさらした男が首相に在位していない点だけでも万々歳ですけどね。) それにしても日本の第二政党が共産党になるなどとは、最早笑うしかない事態ですね。 なお、旧NSD職員が、新生日本の対共産国情報収集やカウンターテロ組織構成者として重宝されるなどという事もあるかもしれませんね。
また、分断家族の再会など、いくつか喜ばしい(微笑ましい)事件・変化もあるでしょう。 たとえば、日本人とロシア系が程良く混ざったエキゾチックな「日本人」たちが、旧来の日本人の「外人」に対する価値観を良い意味で変える可能性もあるでしょう。少なくとも、混血系日本人が芸能界・風俗に与える影響はかなりのものではないでしょうか(笑) それとも、オホーツクや千島の豊かな海の幸が、ようやく南日本の皆様の口に運ばれるようになり、北海道北部の温泉町が南に解放され、北日本で観光産業が俄に発展する事でしょうか。それとも、すっかりソ連産の小麦・大麦・ライ麦(もしくはインドシナ産のインディカ米)に食べ馴れた北日本人が、飽きるほどジャポニカ米を食べなくてはならないという事かもしれません。多少は戦争に備えているであろう南日本は、古米に不足はないでしょうし、北日本への安定した食料供給にはこれしか手がないでしょうからね(w もっとも、私が一番みてみたい微笑ましい光景は、若き指導者によりすっかり精神汚染されてしまった見目麗しい娘さんたちが、立派なオタク(腐女子)としてアキバやコミケ会場を闊歩している事でしょうか(自爆)
このように楽観的に長期的視野で見るなら、日本国にとってプラス面の方が大きいと考える事もできます。要するに、混沌からの再生というやつです。いや、日本的に雨降って地固まる、といったところでしょうか。 もちろん、可能な限り楽観的視点で見た場合・・・ですけどね。
で、その楽観的仮定の上に立ったとしても、数年の混乱が日本列島に訪れる事は違いないのですが、この統合戦争のとばっちりを受けたアメリカは、アジア・太平洋方面の軍事力のうち機動戦力の過半を失っており、宇宙開発の大失敗に伴う根本的な見直しも重なって大混乱中で、この日本の一時的失速を有効に活用する事ができなくなっています。そればかりか、アメリカにとっての極東安全保障の多くを、国家統合で防衛負担の減少した日本に肩代わりを依頼せざるをえず、「同盟国」としての日本をより重視しなくてはならなくなり、アメリカに軍事力の多くを依存していた東南アジア諸国や台湾、そして韓国の日本に対する態度も大きく変化する事でしょう。 何しろ極東は、北日本がなくなったとしても、キム王朝や中共といった悪の枢軸には事欠きませんからね。 で、ホンモノの戦争で血に酔っている日本をわざわざ敵に回してまで火事場泥棒しようという国が出てくるかと言うと・・・まあ中共はこのドサクサに台湾にケンカを吹っかける素振りを見せるでしょうが、日本の空母部隊が一つ南下してきたら大人しくなり、混乱が起きるとしてもその程度で収まるでしょう。
ああ、そういえばキム王朝初代が、ポアしたのも確かこの時期だったような・・・ま、いいか。
さて、ここでようやくここから極東全体の状況を見ることができます。
日本が再統合してしまうと、一見史実と違いそうな事象はそう多くないように見えますが、果たしてそうでしょうか。 小説内で特に触れていないので、日本近隣の事象の多くは史実と同じか似たような状態のように見えますが、近隣諸国、特に半島に対する影響はかなり大きなものが予測されますし、東アジア全体への影響も大きなものとなるでしょう。 そして、北日本の存在によりキム王朝が一番影響を受ける事になりますし、分断で反共傾向のより強くなる日本では、北の「在日」に対する風当たりは相当厳しいものになるでしょうし、それ以前に北の「在日」の人は「向こう側」に多数亡命(て言うのか?)、もしくは移住するような事もありそうです。当然、他にも色々あるでしょう。 まあ結論だけ言うと、北日本に武器市場とソ連の関心を奪われ、南日本での資金源も限られるキム王朝は、史実以上に貧しい国になっていると言う事でしょうか。ついでに言えば、「向こう側」を警戒する日本の海上警戒網と衛星の目の前に、工作船などは早くから近寄れない事間違いありません。 また、それまで仲の良かったであろう北日本が、突然クーデターしたうえに戦争吹っかけた挙げ句に消滅してしまったら、貿易相手、資金源、武器調達源などを一瞬にして失う事を意味しており、北日本に強く依存しているであろうキム王朝が思いっきり傾くことは間違いありません。 そして韓国は、逆に南日本の影響を強く受けます。 まずは都市爆撃が少ないという事は、戦後直後の混乱期に彼らの跳梁跋扈(と言う言葉すら不足するが)が多少は少なくなり、彼らが手にする不法な資産が少なくなる点ですが・・・これは全体的な影響は低いですね。それよりも、ソ連占領下の在日がアカな人達と共に北の大地行ってしまい、日本国内の彼らの勢力が小さくなる点の方が重要でしょうか(まあ、極めて個人的な感情論で言えば、どう見ても下品な賭博でしかないパチンコ産業が発展していない事を思いたいですけどね(苦笑))。 次は朝鮮動乱で、小説内ではほとんど語れていませんが、極東軍司令官が日本に主眼を置いて戦争展開をしている点などから、史実よりアメリカの介入が少なく小規模な戦闘になっている可能性が高くなり、より血みどろの戦いとなり国土の荒廃が大きい可能性があります。 その次のナム戦でも、日本軍が自前で有力な戦力を派遣する以上、アメリカが韓国の押し売り派兵を抑制する可能性もあり、もしそうなら彼らが受け取る外貨(ドル)も小さくなる可能性もあるでしょう。 また、日本も南北分断と直接戦争に巻き込まれた事で敗戦のショックが消えてしまい、日本そのものの態度が大きく変化している筈です。 これにより、国交正常化した1965年以降、韓国が日本から無償で引き出せるカネや技術は小規模になる可能性はかなり高いでしょう。 日本側としては、半島よりもまず「向こう側」の事を考えねばならないし、国内のアカやプロ市民の数は史実より少なく、「向こう側」が「日帝の歴史的犯罪」を言い立てれば言い立てるほど日本国内でその反発が強くなって、必要最小限の実質的な戦時賠償を支払った後は、理不尽な要求を突っぱねる(無視する)ようになるでしょう。 つまり、私達の世界の日本を蝕む事柄の多くが、全部「向こう側」のプロパガンダでスルーできる、と言う事ですね。 となると、韓国の発展が遅れる可能性が「極めて」高く、韓国に無駄に消えないカネが北日本との対抗から自らの国力増大(軍備増強)と東南アジアへの投資・借款へ向かい、韓国の代わりにタイやマレーシアなどの東南アジア諸国の発展が先に進んでいる情景も見えてきます(台湾の発展促進は確実でしょうね)。 そして、韓国の無茶苦茶な言い分が通らない事が分かれば、1980年代に入ってからの中共の無礼な外交態度もそれ程酷いものにはならない筈です。中共の中の人は悪どいですが、自分たちにとっての目先の損得勘定はできる人たちの筈・・・ですからね。 また、戦後もずっと日本列島の事をまず考えなければいけないアメリカの政策の結果、朝鮮半島そのものの戦略的優先度は低くなるでしょうし(戦略的なものも当然だが、経済的な価値も日本がずっと有力という理由もある)、しかも日本は戦後の反省もたいしてせずに巨大な軍備を作り上げているし、日本海に「攻撃兵器」である空母を近海で遊ばせるなど、半島の中の人にとっては日本分断は良いことなしでしょう(w
その他、極東でのアメリカのプレゼンスが低下するので、中共の動きが気になるところですが、これも日本の軍事力が私達の世界の二倍程度あり、ヤンキーの足りない分の補完は十分可能でしょうし、国家分断で日本の反共姿勢が強ければ台湾との関係をある程度維持し続け、中共との仲も希薄なものとなり、特に天安門事件後の中共の国際孤立化も長くなり、当然大陸に落ちる様々な経路での円の額は低下し(他国の外貨量も低下する?)、ODAも何の感謝もしない中共に無駄にくれてやるぐらいなら、北日本発展のために使ってしまうでしょうから、1980年代半ば以降の北京の街の発展速度はずーーっと遅れて(北京の発展は10年以上遅れる筈)、中共の経済発展そのものもずっと後退して(自由になる余剰資金の存在はバカできません。今の中共と四半世紀前の南キムチが好例です)、2008年は社会資本の不備から北京五輪はなくなり、大阪五輪になっているかもしれません(おお、こいつはあり得そうだ(笑))。 また、日本の軍事力が大きければ、日本の外交方針そのものが変化するのが必然で、中共に対する姿勢も今ほど遠慮した(怯えた)ものではなく、また南北分断から強い反共傾向を持つとして考えれば、台湾との関係も反共勢力としてもっと親密かと考えられますし、小説でも若干触れられていましたが、東南アジア諸国との連携もずっと強いものとなっているでしょう。 そしてそれら地域への防衛負担を日本も担う以上、その見返りがないと国家としてやってられませんし、南北分断時の国家滅亡に対する危機感があれば、メンタルの変化はあってしかるべきですからね。 ま、少なくとも、巨大な軍事力を持った実用的な軍隊があるので、私達の世界ほど小うるさく内政干渉したり、領海侵犯する近隣諸国は少ない筈です。近隣諸国はそう言った姑息な国ばかりですからね。・・・困ったもんだ。
あ、そうそう皆さんの大好きな軍事力を見るのをすっかり忘れていました。 少し戦争直後の状況から見てみましょう。 陸軍 北:主力は壊滅 南:主力は半壊 海軍 北:潜水艦隊の4割程度が残存。他は航空隊以外全滅 南:空母3、戦艦1、水上艦50、潜水艦18のうち損失は1割程度と思われる。 空軍 北:実戦部隊は壊滅 南:実戦部隊は1/3程度消耗 第一線戦力の残余は双方合計300〜400機程度 核戦力 北:3軍は全弾消耗、中距離弾道弾は基地ごと弾頭部を抱えたまま壊滅、生産施設は残存?
だいたいこんなもんでしょうか。 で、戦後ゆっくり再編成が進むと仮定すると、北の軍事力は当初は最低限の警備兵力として残存するでしょうが、10年程度かけて完全に自衛隊に取り込まれ、構成されていた兵員たちも大幅な削減を経て吸収合併されるぐらいでしょう。 北日本の優れた東側兵器の多くも、戦後の戦力低下の補完時期を抜けてしまえば、南日本と工業規格そのものが違うので、研究や仮想敵用部隊をのぞけば、維持コスト面からおおむね消滅する筈です。 まあ、つぶしのきく陸軍装備の幾つかは残るかもしれませんが、戦後肥大化していた「向こう側」の陸軍が一番の削減対象になるでしょうから多分それすら難しいでしょう(良くて一部の小火器を使い続けるか、予備兵器として倉庫で眠るぐらいでしょうね)。個人的には、西側アビオニクスとレーダー・IHIのエンジンを装備したJフランカー改とか第四世代戦車にリニューアルされたT-82/II型を見たいところですが(強そー)、アグレッサー(仮想敵)部隊用以外はなくなるか、博物館送りでしょうね。まあ、アグレッサー部隊は、東側の過半の優秀兵器が手に入るのですから、嬉しい悲鳴を上げているかもしれませんが、ドイツの状況を見る限りその程度に落ち着く筈です。 ただ、この世界の日本軍は(作者のお遊びで)異常なほど航空装備が技術進歩してしまっています。もはやSFと言ってよいでしょう。ベクターノズルや小型アクティブ・フェーズトアレイレーダー、電磁カタパルトの早期実現も問題アリアリですし、イージスやまとや双胴空母の存在などデスラー総統も吃驚です。 まあ、この点を現実レベルに差し引きしたとしても、戦後再編成される日本の軍事力はかなり強大なものになります。中でも恐ろしいのは、双方の正面装備ではなくその後方態勢です。 何しろ、北日本はソ連の最新兵器を図面ごと買い込んで、改良を施した上で自国生産しています。南日本の兵器のかなりも、自国で開発生産しています。つまり、南日本は赤い帝国の先端軍事技術の多くを工場と技術者付きで手にするのと同じで、以後日本の軍事技術は東西双方の特徴を備えることが可能となり、両者のよい点をチョイスして次世代兵器の開発に心血を注げば良く、そこから生まれてくる新たな兵器は、少なくとも欧州連合が作り出す兵器よりも実用性と言う点で懸絶しているのは疑う余地がありません。 何しろ、双方ともガチンコ勝負で、互いの利点も欠点も見えていますからね。お値段さえ納得できれば、世界中の国が欲しがる事請け合いです。 そして統合後、北日本の産業救済と言う至上命題を前にして(サヨやプロ市民のお題目よりも、米を寄越せという元向こう側の言葉には誰も勝てないし、元向こう側の人にサヨの無茶苦茶な理屈は全く通じない)、兵器を普通に輸出するようになる可能性もかなり高く、当然それは南日本にも(なし崩し的に)波及し、ウハウハになる大きなファクターとなるでしょう。 しかも、原子力潜水艦から戦術核まで運用ノウハウ付きで手に入るので、近隣諸国にとっては手の付けれない事態とすら言えます。まあ、表面上は生き残った原子力潜水艦が研究と仮想敵用に運用される程度でしょう。 あと、統合戦争末期に、潜水艦や人民空軍など逃走可能な部隊が北朝鮮などに亡命して国際問題になったりしていれば、ポリティカル・フィクション的で面白いでしょうね。
などと考えつつ、また昨今の国際環境と類似した状況を考えると、21世紀初頭にはだいたい以下のような軍隊に再編成されているんではと妄想してみました。
防衛庁=防衛省に昇格 なお、階級の呼び方は、旧来の呼称の形に復帰。部隊呼称や装備の変な呼び方も適当なものに戻される。 ただし、自衛隊の名はそのまま。 憲法はとっくに改正されているので、一部海外派兵の追加法案が出来るぐらいでしょうし、有事関連の法律も1950年代に整備されていると考えるのが妥当。
陸自:15〜16万人・戦車約1200両 機甲師団:2(北海道に集中・一部はPKF派遣) 機械化歩兵師団:4(国内警備師団(南3・北1)) 機甲旅団:1(教導団・緊急展開用) 空挺旅団:1(第一空挺団と北側空挺部隊統合) 空中突撃旅団:1(第二ヘリ団と北側空挺部隊統合) その他
空自:5.5万人 8個戦術航空団 (16個飛行隊・戦闘機10・戦闘攻撃機6) 5個高射群 1個輸送隊 戦闘機・攻撃機:約400機、輸送機・その他100機 予備機・練習機150機
海自:10万人 自衛艦隊 4個航空護衛艦群(任務中1、移動or待機2、整備中1) 8個地方隊 潜水艦隊 4個母艦航空隊(1つは練習飛行隊) 5個対潜航空隊 地方隊・その他
空母/CV:4(1隻は事実上の予備役) 水上艦/DDG :4〜6(イージス)、DDG :4〜6 DDA :4〜8(アーセナル) DDH:2、DD:24〜30、FF:9〜12 潜水艦16隻(員数外/SS:2、SSN:1〜2) 輸送隊 LPH:3(2〜3万トンクラス・ヘリ空母型/新型) LST:3(ニューポート級の払下げorライセンス建造) 小型LST:数隻 補給艦: 満載2万トンクラス:1、満載4万トンクラス:3 他:掃海艇部隊など多数
(※当然ですが「やまと」は呉で記念艦) 航空機:固定翼約400機、ヘリ約100機
海上保安庁:史実と同程度(+元向こう側勢力分)
防衛省直轄 人工衛星運用部隊・その他多数
※なお、宇宙を担当する宇宙開発事業団は、予算規模と国家戦略から考えれば、政府の中での地位はもっと高いと見るのが普通で、特に1972年の有人ロケット打上以降は、民意的にもこれを受け入れる余地は多分にあると思われる。宇宙省は行きすぎだろうが、ミニNASA程度の組織になってしかるべきではないだろうか。 それとも宇宙土建屋集団として、もっと先鋭化した利益追求団体に変化しているのだろうか。
まあ、ファンタジーとリアルの中間と考えれば、この程度になるかと思います。 ただ、この戦力で日本近海のみならず、日本海全域、東、南シナ海全域、西太平洋と多くの地域をカバーせねばならず、さらには「国際貢献」のために東南アジア各地はもちろん、遠く中東、インド洋にもせっせと行かねばならなくなり、頭数的には少し厳しいですね。軍事規模的には、核戦力を除いて英仏を足したぐらいの規模にまで拡大しても、在日米軍が事実上消滅していますから、その分をカバーせねばならず、あまりにも守備範囲が広すぎますね。 隊員の数は、当面は北側の兵士が有望な再就職先として大量に志願してくれそうで、数はむしろ余るぐらいでしょうから、軍の規模を人員的に大きくすることはできると考えられますが、戦争での損害と復興、その後の軍事支出規模を考えると、これ以上はかなり難しいと思います。 ただ、近隣に聞き分けない連中が多すぎです。もっとも、アメリカ様の代わりに日本をアテにしなくてはならない、南キムチ、台湾、フィリピン、ベトナムなどとの関係はかなり変化しているでしょう。 中共が隆盛した時点で、近隣諸国が示す反応については疑う余地がありません。誰も、毛沢東の無意味にデカイ肖像画など今更拝みたくはありませんからね。 それにしても、ご近所とは英仏ぐらいの関係になればいいんでしょうが、それにはもう一度大戦争でもしないと、やはり無理なんでしょうかね。
ま、私達の世界の愚痴を言っても仕方ないので、そろそろ結びに入りましょう。 この世界の日本は、祖国の分断、二度の国内戦、直接の南北対立、ベトナム戦争、湾岸への派兵を経験し、宇宙開発などでも国威発揚もあり、政府・国民レベルでもかなりアメリカから自立した位置に立っているのは間違いなく、この後はアメリカに変わるパワープロジェクションとして、東北アジア・東南アジア両地域により強い影響力を保持するようになり、四半世紀後ぐらいには、アメリカ、欧州、中華大陸に並ぶ勢力圏を作り上げているだろうなと仮定でき、民族分断と同民族同士の戦争を経たおかげで、より大人な国家としてこの後も繁栄するのが結論でしょう。イメージとしては今のドイツが少し近いかもしれません。それが恐らく佐藤氏の目指した鏡の向こうの世界だと思います。 そして小説の最後の大和と往還機の対比が、過去を受け入れる事とこれからの飛翔という意味として象徴されているんでしょうね。
確かに、これ以上の「もうひとつの戦後史」を書けと言われても難しい筈です。
では、次の作品で会いましょう。