著 者:伊吹秀明
発行日:1994年7月30日〜2000年12月8日
発行所:学習研究社 歴史群像新書
1 プリンス・オブ・ウェールズ太平洋へ 2 勝利の方程式 3 南海の大決闘 4 バトル オブ マーシャル 5 逆襲の翼 6 決戦への序曲 7 決戦 ハワイ沖海戦 8 激浪の果てに 外伝 帝国戦記 太平洋の凱歌
さて今回は、伊吹秀明の最も長編となる架空戦記を見ていきたいと思います。 と言っても、このコンテンツは戦闘面がどうだとか、兵器のスペックがどうのとか、この兵器「萌え〜」というのは基本的に見ないので(笑)、この作品における最大の見所(?)である、フランスやイタリアの艦艇が活躍する場面について採り上げることは多分ないかと思います。 もちろん、この視点から見ることこそが、この作品の最も正しい視点なのは理解しているつもりですが、コンテンツの主旨から外れるワケにもいかないので、その点ご了承ください。 ま、暇な人だけ、いつものようにおつき合いください。
さて本作ですが、「帝国大海戦」というあまりにも勇ましい題名が銘打ってあり、全8巻を通じてこの世界での第二次世界大戦のほとんどが海戦によってづつられていくという、スタンダードと呼ぶべきか異端と呼ぶべきか難しいスタイルをとっています。 まあ、作者の意図が、なるべく多くの国の艦艇を登場させる事や、それまで(今でもそうかも?)あまりスポットを浴びることのなかったフランスやイタリアの艦艇を活躍させる方向にあったというのですから、言わずもがななんでしょう。 このためか、相変わらずと言うべきか、本作も目的を可能な限り絞り込んだ方向性を持っています。 この作者特有の一転突破戦術なんでしょう。 なお、個人的に一番好きな話は、外伝(短編集)の「帝国戦記」 に収録されている「吾輩は猫である」のオマージュのような作品ですが、架空戦記という特殊なジャンルをなるべく普通の小説として見せようと言う意図が強く見えるのも、作者の特徴と言えば特徴ですね。 ま、だからこそ、このジャンルで書くと無理も出てくるのですが(苦笑)
あらすじ
第一次世界大戦後、ソ連では相次ぐテロで有望な指導者がいなくなって内紛を続け、ドイツでは強力なリーダーの現れないままワイマール共和国が細々と続く中、イギリスとフランスの対立が激化する。 さらにイギリスとアメリカの中も険悪化しつつある時期、日英同盟が復活、1941年ついに両国はフランスの後ろ盾となっていたアメリカに戦いを挑む事になる。 ジャワ海、マーシャル沖と、日英とアメリカの戦いが続き、何度かの戦いを経て日英同盟軍やや優位のままマーシャル諸島近辺での拮抗状態が作り出される。 一方、地球の反対側では、地中海、北大西洋を舞台に、かつてのクリミア戦争などがそうだったように、戦争当事者本国で戦火があがらないというある種紳士的な状況の中、イギリス、フランス、イタリア、アメリカの四つどもえの争いが泥沼のごとく続くことになる。 そして、1944年も半ばに日本海軍主導のハワイ作戦が決行され、遂に発生した日米(+英)の艦隊決戦により政治的敗北を喫したアメリカは、国内の厭戦気分蔓延により戦争継続を断念、ここに二度目の世界大戦は19世紀の戦争のように、そう、クリミア戦争のような状況のままカーテンコールを迎える。
論評・批評?
長々とあらすじを書けばけっこうな量になるのですが、小説の体裁が戦闘面(海戦)とそれをとりまく艦艇と人物に可能な限りスポットを当てる方向で書かれているので、これをダラダラと書きだすと蛇足になるかと思い宣伝文句程度に留めさせていただきました。 もし、本作に興味を持たれたのなら、図書館や古本屋で探して読んでみてください。 架空戦記が好きな方でしたら、読んで損はない作品かと思います。 物語そのものは至ってスタンダードで、文章は堅実で、話の導入も分かりやすく、筆力もある作家ですのでサクサク読め、架空戦記における良作の一つとして私は推薦したいですね。
しかし反対に、私のような人間にとっては、大きな疑問点、不満点の多い作品として全体が構成されています。 その最大の原因が、ナチス・ドイツ不成立、ソ連内乱状態という歴史の大転換(時間犯罪)を行っているのに、それ以外の国々の状況の違いが、戦争の火種となるフランスの大国意識の拡大程度しか存在せず、ましてや日米に至っては1941年の開戦に至る歴史的経緯が、史実と全く同じな兵器開発状況が見える以外全く書かれていない点です。特にこれは作中で日本の技術力が海外からの技術導入で急速に上昇するくだりがあるだけに、全く納得がいきませんでした。 このため「役者だけ用意せんと、大道具用意して書き割りもちゃんと描んかい!」というのが私の正直な気持ちであり、この作品を背景世界から覗こうとするうえでの最大の障害となります。
小説内の描写では、日米の状況は史実の私達の世界とほとんど同じとしか見えず、これは独ソ以外の他の列強もほとんど同じで、独ソの状況が全く違うのにどうやって史実と同じような状態になったのかのもう少し細かい説明の一つも欲しいところでした。 まあ、作者の意図が史実のなるべく多くの艦艇を登場させ、特に仏伊の艦艇を活躍させる事だけにあるのですから、この作者としてはそれ以外の面倒な事に手を付ける気は毛頭なかったと解釈すべきなんでしょう。こういうスタンスは、往年の佐藤大輔とは正反対で興味深いですけどね。 それとも読者にいらぬ混乱をあたえないため、あえて史実と同じ兵器の開発状況だけを提示したのでしょうか。 そう考えれば、エンターテイメントとしては間違ってないアプローチだし、娯楽作としてだけ愉しむという点からは理解できるのですが、この点が私のようなひねくれ者にとって、どうにも受け入れ難いものがありました。 と、言うわけで、いつものようにネチネチと見ていきましょう。
さてお立ち会い。 まずこの世界の第一の分岐点は、我らが総統閣下が、ウィーンの芸術大学に合格してしまった事に始まっています。 これは架空戦記界でも極めて珍しいパターンであり、アドルフ・ヒトラーが一人前の芸術家としてだけ大成してしまうのは、私の見た作品の中では恐らく唯一の例です。 また、ナチス党は総統閣下のいないまま歴史上に台頭する事なく、雑多な政党を抱えたままワイマール共和国はそのまま存続します。ドイツスキーにとっては、もはや罪とすら言える事態ですね。 もちろんドイツの不景気と停滞は、この世界の第二次世界大戦勃発の時も継続中なうえに、ベルサイユ体制と軍備制限も受けたままなので、当然戦争に首を突っ込む事など政治的、軍事的、経済的にできる状況にありません。 また、ソ連の権力闘争は史実よりも壮絶らしく、歴史上に名を残している全ての有力者はテロによりいなくなっているらしく、権力者がなくなって以後20年も延々と彼らだけで内紛と内乱を続け、ロシアの大地は混沌とした低迷状態を続けているそうです。 まるて力のないソヴィエト連邦という状況も架空戦記界では珍しく、おそらくこれも唯一の例と言ってかまわないかと思います。 そしてドイツとソ連が台頭しないという事は、大規模な陸戦が発生しないという事を意味しているのは間違いなく、ここに小説の表題通りの大海戦を主軸とした大戦のステージが作られます。 そしてこの世界で、この二つの巨大な転換点が影響した事象が、フランスの膨脹主義と大国主義化で、これにイギリスが刺激されて対立を激化させ、往年の反英機運がフランス、アメリカの間で盛り上がって、これにイギリスがアメリカに対する牽制役として日本を巻き込んで、この世界での二度目の世界大戦へと流れていきます。 ま、こう書いてしまうと、大きな違和感はないような気もするのですが、ひねくれ者の時間犯罪者としては到底看過できない事象がてんこ盛りです。 順番に見ていきましょう。
まずは、歴史の転換点であるドイツとソ連ですが、ドイツの場合は比較的に分かりやすく、また歴史的変遷にも無理は少ないでしょう。共産主義(ロシア)の脅威が小さく、ナチスと共産党(社会党)の台頭がなければ、そのままワイマール共和国が継続しても無理はなく、それ以上でもそれ以下でもありません。ドイツ人達は不満を抱えつつも日々を送ることでしょう。 ですが、ソ連の方はいささか複雑です。 ソ連がいつ混沌とした状態に陥ったのか、と言うことです。一番可能性が高いのは1924年1月のレーニン死去と、1916年の10月革命から1917年3月のブレスト条約締結の頃でしょう。 ただ1917年にソ連が混沌となったら、ソヴィエト連邦が成立する可能性はかなり低くなり、ロマノフ王家を象徴化した立憲ロシアが成立してしまうか、列強により玩具にされ続けかねないので、レーニン死去以後スターリン、トロッキーその他諸々による壮絶な殺戮が行われて、気が付いたら誰もいなくなったとするのが妥当でしょうか。 そしてさらに問題が、各国のロシア革命に対する干渉で、一番最後までロシア革命に首を突っ込んだ形になっていた日本が1922年にシベリアから撤退したのが最後となっていますが、レーニンが死去した頃ロシアは第一次世界大戦での戦災と人為的な理由で発生した未曾有の飢饉とスペイン風邪により1915年から十年間で驚くべき事に2,000万人近い死者が出て、1920年代初頭などあまりの食糧不足に街では人肉市場すらできています。 ここからレーニンが死去した頃に大混乱が発生したら、まだ列強が介入できる余地が残る事になり、ここで共産党内部の権力闘争につけ込んだ列強の茶々入れがあれば、これもソヴィエト・ボルシェビキ体制が崩壊する可能性が高くあり、これも小説内で示されているソ連の混沌化というキーワードに抵触してしまいます。でもまあ、この時期アメリカ以外はどこも介入する余力はないので、レーニン死去の時にトロッキーがスターリンと共に今際の際に立ち会い、その後凄まじい権力闘争が始まったとするのが妥当ですかね。 後は共産主義名物の内ゲバに精を出してもらえれば、ロシアの民衆の方には申し訳ありませんが、他の世界はそれなりに穏当な状況で済むでしょう。
次に、我らが大日本帝国ですが、1920年代〜1930年代にかけて共産主義の脅威(北からの脅威)が極めて小さなものになると、日本にとって大きく二つの道筋が作られるように見えます。一つは、史実以上に大陸(満州)進出を強化する事、もう一つは反対に対ソ戦備が不要になった要素を国内開発など真っ当な予算に充当する事です。 ですが結果として、日本に関しては史実とあんまり変わらないのではと考えられます。何しろ1920年代の日本は、関東大震災、金融恐慌、大恐慌と連続した災厄が降りかかり、自分の足下が火の海状態で、ドイツやソ連がどうなろうと、軍事的にはともかく政治的、経済的にはそれどころじゃないですからね。 もっとも、僕らのヒーロー石原完爾が、勝手に満州事変をやっちまう可能性は高いかもしれませんし、日本がロシアの圧力の減った大陸重視な方向性を強くする可能性は高いので、ソ連がどうこうなろうと、1930年代に入るまではあまり変化ないという事になりそうです。 ですが、我らが総統閣下がドイツ(もしくはオーストリア)のどこかで芸術家を目指して努力されている影響が、支那大陸で現れる可能性が存在します。 それはなぜか。 それは、この頃のドイツの外貨獲得手段の一つに先の大戦で作った武器の輸出にあり、史実でドイツが再軍備宣言をするまでの最有力輸出先が国府軍(蒋介石/中国国民党)であり、実際ドイツは有力な軍事顧問団すら派遣して商売に勤しんでいました。 しかも、支那大陸にあったドイツの将軍は、如何にもドイツ人らしい堅実な作戦運用により、黄色い共産主義者を包囲してしまい、もし彼らが再軍備により大陸から去らなければ、毛沢東以下中国共産党は早々に歴史の表舞台から引きずり下ろされていたかもしれないという資料や文献があります。さすがドイツ人、職人芸的な事には手抜かり無しです。 で、この世界でドイツは平和大好きワイマール共和国のままなので、ドイツの商売が支那大陸で続けられている可能性が高く、ドイツ軍事顧問団が鍛え上げ、彼らによって作戦指導された精強な国府軍精鋭部隊は中華ソヴィエトを殲滅し、蒋介石の覚えめでたいドイツ軍人とドイツ製兵器はその後大陸で幅を利かすようになっている事でしょう。中華ソヴィエト事態が、歴史の綱渡りを経て成功したことを思えば、ここで潰えても特に問題はない筈です。 そして関東軍のチハたんと青天白日旗を描いたIII号戦車が、万里の長城を挟んで向き合っているという情景も夢ではないでしょう。ま、日独枢軸マンセーな方には笑うに笑えない状況かもしれませんけどね(笑)
そして、共産主義が大陸から消え、大陸唯一の中央政府がそれなりの統治能力とそれなりの力の軍隊を持つようになると、日本が満州全土を武力占領するという大胆な行動に出る可能性も低くなり、列強は「まあ、仕方ないか」ぐらいの気持ちのまま、ある程度政治的に安定した支那大陸が出現するという可能性が少しはでてくるでしょう。 もちろん、中華各勢力の国際ルールを無視した無茶苦茶な外交姿勢、支那の内情を全く曲解しているアメリカ政府の勘違いも甚だしい親中政策、二枚舌の英国外交という史実最悪の支那大陸トリオがあれば何も変化ないように思えますが、アカがいないという事は非常に大きなファクターとなり、本格的な戦争の可能性は大きく遠のくのではと思えます。何しろ日本(もしくはイギリス)との戦争を煽ったのは彼らですからね。 そして日本も「まあ、仕方ないか」と思う一人であり、ソ連の脅威が低く、支那大陸が何とか国府軍の下で一つにまとまっているなら、大陸に強引に進出しようとする軍人さんの気分も大いに削がれる事でしょう。1920年代の縮軍気分のままの日本が維持され、周辺の脅威(特にアカの脅威)の減少によって国土防衛に最低限の縦深が維持でき、市場としてそれなりに満足できるのなら、欧米を敵に回しての大陸政策を取る可能性は低い筈です。 で、陸軍の気分が全体として大きくならないのなら、国内でいらぬクーデター騒ぎなど起こさず、それなりに文民統制された日本帝国が存続する事も十分考えられるのではないでしょうか。 この世界が順当に続いたのなら、その後の関東州は満州の香港のような立場になり、日本の交易の拠点として賑わう事になるでしょう。
そして、香港・上海に代表されるように、支那大陸で一番の利権を持つ大英帝国ですが、共産主義が支那大陸から駆逐され、全土がある程度安定化するのなら、通常の交易で一番の利益を上げている彼らが文句を言う筈もなく、支那中央政府が無茶苦茶な事を言い立てて、その尻馬に乗ったアメリカの横やりがうるさくなった段階で、かつての日英同盟の時のように、自分たち以上にヤンキーを疎ましく思う日本人を飼い慣らして矢面に立たせた、さらに吠えかからせれば、当面はそれでノー・プロブレムです。 また、ロシア人が内乱で外に目を向ける暇がなく、ドイツ人がかりそめの平和国家の中で大人しくし、日本人が英国の尻馬に突いてくる姿勢を維持するのなら、彼らにとってのパックス・ブリタニカを脅かす可能性のある存在は、千年来の敵であるカエル野郎と、生意気な植民地人のヤンキーだけになり、この点小説の想定で特に問題はないかと思います。 ただし、フランス人がこの時点で膨脹主義を持つのかと言うと強い疑問があります。少なくとも、英国に喧嘩を売る可能性は低いでしょう。これは、アメリカが焚きつけたとしても可能性は低いと判断できますし、さらにこの時点でアメリカが英国との限定的な殴り合いを望むのかというとこれも極めて疑問があります。 もしフランスが何らかの行動を起こすのなら、史実でのルール工業地帯への進駐に代表されるように、抵抗力の低いドイツ・中欧への影響力強化を狙うのが、彼らの性格からするなら自然です。何しろ彼らは基本的に大陸国家ですからね。地続きに進出するのが筋ですし、海よりも陸に潜在的脅威を感じる筈です。さらに言えば、フランスが脅威を感じるのは世界維持に汲々とする英国よりも、地中海での地域覇権国家を狙って全体主義に傾倒したイタリアの方でしょう。 また、第一次世界大戦で生産力を担う労働力の多くを失い、また主要産業地帯の多くが戦禍で荒廃したフランスは、戦後20年たってもこのダメージから回復しているとは言えず、この事は第一次世界大戦当時誰疑うことない一等国だったフランスの史実での凋落ぶりを見れば一目瞭然でしょう。ドイツに要求した1320億マルクの賠償の半分が、フランスの割り当てである事を思い出してください。 フランスがまともに英国に挑戦するには、経済的、人口学的な問題から最低あと5年、できれば10年程度は必要な筈です。 というより、英国がフランスを追いつめない限り、フランスの側から膨脹外交を取る可能性は、民意の点から極めて低く、ここに考証の甘さと言おうか、安易さが見られますね。 それよりも、いつでも「鳥無き里のコウモリ」を装うパスタ野郎の方が、頭領率いるファシズム国家であり、簡単に激発する国な上に適度な強さしかありませんから、敵役としてこれ以上の存在はなく、これをなぜかアメリカが支援せざるを得なくなるというブラック・ジョーク的な状況を作る方が物語としては面白いのではないでしょうか。何しろ当時のフランスに、歴史的に魅力のある人物って少ないですからね。 ただ残念な事に、このお話の中では偶発的事件から英国側について、それなりの戦いを演じる事になりますけどね。
あ、そうそうファシズムといえばこの頃の欧州情勢で忘れてはならないのがスペイン内乱です(もちろん、イタリアは自動的にスルーします(笑))。 フランコ率いるファシズム勢力vs共産主義的な人民戦線の争いですが、この世界では史実で重要な役割を果たしたソ連とドイツが手を貸さないと考えられるので、笑うぐらいの醜態をさらしたイタリアぐらいしか列強でまともに介入する勢力はなく、そのままダラダラと内紛を続けるのか、強い指導力をもつフランコが史実よりも苦労してスペインの覇権を握るのか、それとも何かの間違いで人民戦線が勝利して、その後内ゲバに精を出しているのか、など色々な想定ができて興味が尽きませんね。 ただ残念な事に、小説ではスペイン内戦については触れてないので、この顛末は全く不明です。地中海を巡る戦いがメインな大西洋戦線なんですから、多少は絡んでもよかったと思うのですが、これは贅沢というものでしょうか(うまく内戦をまとめれば、戦艦も残るのに)。 少なくとも、大陸情勢に本来お呼びでない植民地人が大手を振って歩いているよりは良いと思うのですがねぇ・・・。 あ、そうそう、アメリカの事見るの忘れそうになってました。 いちおう見てみましょう。
さて、この想定でアメリカがイギリス相手に戦争吹っかけたのは如何なる理由があったのか? 小説内では一応説明されていたように思いますが、第一次世界大戦に連合国で参戦して大量の外国債を持つアメリカが、余程の理由がない限りイギリスに戦争を吹っかける理由にはならないと思います。 工業力はともかく、それ以外の点で英国の力はまだまだ大きく、お金儲けを目的とした戦争相手として相応しい相手ではありませんし、英国の債権を大量に持っているアメリカが英国に戦争を吹っかけるというのは、どうにも納得がいきません(w また、イギリスをぶっ飛ばして、フランスをダシに欧州経済(+植民地経済)を牛耳るという戦争を行うにしても、ヤンキーの好きな正義成立になるかというと、欧州大陸人にとってはその正反対であるのは間違いなく、そこに至る苦労を思えば戦争相手として妥当とは到底思えません。 確かにアメリカは大恐慌で深い傷を負い、ルーズベルトと不愉快な仲間たちはその回復に躍起になり、その挙げ句にニューディールという総統閣下真っ青な全体主義的経済政策を掲げ、その影で形振り構わない無節操な輸出を行っていますが、この小説では史実とは違う大きな要素が二つあり、これがルーズベルト政策すら左右する事になります。 言うまでもなく、ドイツのミニマムなレベルでの安定化とソ連の混沌化です。
史実でも第一次世界大戦後のドイツに対する最大の投資国はアメリカであり、大恐慌でのドイツの荒廃もアメリカの影響が大きく、これがナチス台頭の温床となり、しかもヒトラーの政策を経済面で大きく後押ししたのも、結局は金儲け主義に走った当時のアメリカの無定見な外交姿勢にあるように見えます。これについてはロシア人に対しても同様で、一部の説を信用する限り、この頃のアメリカは自国経済が回復するのならそれ以外の世界がどうなろうと構わないという政治的スタイルが強く見え隠れしています。 ところがこの世界では、不景気のまま固定化したドイツも、混沌と化したソ連も市場としてはあまり魅力的ではなく、イギリスはもちろんフランスへの経済進出も、両国の在郷企業がこれを許さないでしょう。また、支那内戦ですらドイツ軍事顧問団が頑張ってしまえば早期に沈静化している可能性すらあり、アメリカにとっての美味しい市場は世界のどこにも存在しない事になります。しかも欧州各国は自らの市場をブロック化したままで、目先の金儲けしか頭にない強引な進出を行うアメリカが、他の植民地列強から阻害される可能性は極めて高いと言えるでしょう。 そして、旨味のある市場の過半は英国が押さえており、ここに英国とアメリカが対立する強いファクターが見え隠れしています。 また、ルーズベルト政権は、以前からの定説と最近の研究により彼の周りにはソヴィエト連邦(コミンテルン)のスパイが山のように(最近の説では総数200人以上)いたといわれていますが、ソ連が内紛で明け暮れている以上、彼らの勢力は小さいと判断するのが妥当で、そうなるとルーズベルトの全体主義的な政策はかなり異なった物になる可能性も高く、さらには政権が対外戦争に積極的だという姿勢も怪しくなりますが・・・どうなんでしょうかね。 まあソ連のスパイの事はともかく、これらの考えから進めると、フランス自らの意志で膨脹外交を展開したのではなく、国力回復に苦しむフランスの足下を見たアメリカの口車にフランスが乗せられ、英国との戦争に踏み切ったという事になるでしょうか。 もちろん、欧州大陸そのものが戦場にならなかったのは、この両国はもとより欧米世界に広がる国際ユダヤ資本(ロスチャイルド家)がそれを許さなかったからですよ。 このようにすれば、かなり強引ですが、小説のスタート時点までの全体的流れが作れるのではと思います。 ま、無理だらけですけどね(苦笑)
あと、国際情勢と小説の表面に出ている事象での最大の謎が、この小説での華となる各国の艦艇、特に新鋭戦艦たちです。 果たしてこの世界での第一次、第二次ロンドン海軍軍縮会議は、どうなったのでしょうか? 史実では、1934年に日本が軍縮条約の破棄を宣言して、1937年から事実上の無条約時代に入り、英独の海軍協定を経て第二次ロンドン会議に流れ、この結果、「大和級」、「キング・ジョージ五世級」、「ノースカロライナ級」戦艦などが生まれ、さらに英米では「ライオン級」、「サウスダコタ級」、「アイオワ級」へと続いていきます。 そして、この世界で登場する艦艇は、そのほとんどが史実通りとなっています。 ごく普通に考えれば、日米の仲が徐々に悪化しロンドン会議の後からその流れが決定的となり、それまで大きな問題のなかった英米の関係が1930年代半ばぐらいから突然とも言えるぐらいに急速に悪化したと考えないと、これらの状況が現出する可能性は低くなってしまいます。 そして今までグダグダ言ってきましたが、1920年代から続く独ソ停滞という国際情勢を考えると、どうにもこのあたりが説明が付きません。 最低でも日本が史実と全く同じ経緯で大陸進出を行い、アメリカがそれに反応して軍備の拡張(準備)を行い、それに日本が刺激されるという流れが存在して無くてはならないのですが、そのような状況が現出すれば世界で最も支那利権を持っていたイギリスが、日支事変を行う日本を相手に第二次日英同盟を結ぶ余地がほとんど存在しなくなります。もし仮に対米同盟が結ばれたとしても、そのすぐ後に日本を袋叩きにする世界大戦をアジアでもう一度しなければならず、ハッキリ言って無茶苦茶です。如何に英国外交と言えど、このような状況の出現は難しいでしょう。 やっぱり、背景世界は触れてはいけない事だったのでしょうか。
お願いですから、もう少し背景世界を創ってからお話を始めてください。これでは、世界を6日で創った方とたいして変わりませんよ。
・・・ま、気を取り直して次に進みましょう。
さて、再びお立ち会い。 多少なりともビフォアーが見てきたので、ここからは全てをかなぐり捨ててアフターを見ていきましょう。
実はこの小説は戦争が終わった直後、停戦した段階で幕を閉じており、その後の世界がどうなったのかサッパリ説明されていません。 マサカリで切ったように始まり、同じようにマサカリで切ったように話が終わっているのです。実にこの作者の作品らしいですね。どうせ娯楽作、オレ様は書きたい事は書いたから、あとは野となれ山となれという事なんでしょうか(笑)
さて、戦争の形としては、アメリカ、フランス(+オランダなど)の戦術的敗北と政治的敗退であり、イギリス、日本(+イタリアなど)の判定勝ちとなっています。 これ以外で、いちおう政治レベルで戦後の流れが紹介されているのは、ドイツの経済的復活、再軍備と英国の35%までの海軍力保有を許された事が紹介されているだけで、それ以外は全くゼロです。 果たして、この向こうに一体何が待っているのでしょうか。 キーを握っているのは、唯一戦後の流れが紹介されているドイツではないかと思います。 ドイツワイマール共和国は、二度目の世界大戦における戦争特需によりようやく経済的復興を遂げ、その国力増大と英国の思惑により再軍備にこぎ着けているようです。 英国の思惑とは、戦後のフランスの封じ込めというのが一番妥当な流れですが、ここにロシア人、共産主義者に対する保険の意味もあるのではと考えられないでしょうか。 つまりは、ドイツを友好国として利用する事で、フランスといずれ復活するであろうロシアを押さえ付け、自らは日本を番犬としてアメリカを牽制して、それにより今しばらくパックス・ブリタニカを存続させようとするのでは、という事です。 これなら同盟国となる日本にとってもドイツにとっても英国という後ろ盾を得る事になり、それぞれロシア人、アメリカ人に対抗する事ができるのでメリットも多く、日本人にとっては聞き分けのないアメリカより多少は付き合いやすいイギリスの尻馬に乗ってその後の舵取りをすればよいのですから、当時の人々の視点から見るならごく当たり前の選択であり、史実よりもずっと明るい未来が見えているのではと思います。 しかも無敵皇軍は今度はアメリカをうち破り、民意の点で有頂天なのは間違いなしで、日支事変をしてないと仮定するなら、日本の財政は辛うじて傾くことはなく、上向きの国民機運に助けられてさらなる発展も大いに期待できます。 また、敗者となったアメリカは、アメリカ国民の積極的でない戦争姿勢のため、戦争経済も順調とは言えず(この世界の戦争スケジュールと戦況を見る限り史実のせいぜい3割程度の生産力しかアメリカは使っていない筈)、しかも大規模な戦時動員もないまま戦時生産がピークに達する辺りで終戦を迎え、日本と反対に敗戦での下向きのベクトルの民意がこれに加わると、戦後不況が待っているのではと予測できます。しかもこの世界のアメリカが抱え込むのは敗戦国となったフランスの債権だけとなってしまいます。経済戦争としては明らかな戦略的大失敗でしょう。
そうそう、経済という視点からの戦争ですが、この世界での二度目の大戦は、文字通り海が主要な戦場となったため、大規模な陸戦は発生しておらず、陸戦のホットゾーンである北アフリカですら、せいぜい数十万規模の地味な激突に止まり、太平洋戦線では小さな島を巡る軍団規模の激突が精一杯です。また、互いに戦略爆撃とその防空というお金のかかる事業に手を染めてなく、シーレーンの争奪戦が唯一の消耗戦とすら言えるほど大人しい戦争しかしていません。この世界での民間人の死者って、民間船舶以外でほとんど出ていないんですよね。 戦争のイメージとしては、日露戦争のスケールアップと言ったところでしょうか。 そんな地味な世界大戦ですから、どの国も戦時の大規模動員もしていないし、当然たいしてお金を使っていない事になり、アメリカが半分傾いた世界の中で一人勝ちして戦後経済を牛耳るというステレオタイプな戦後世界が現出する可能性はお金の流れの関係から極めて低く、この後もロシア(+共産主義)が混沌とした状態が続くのなら、この世界の第二次世界大戦が終わった次に待っているのは、実は第一次世界大戦とたいして代わり映えのしない国際社会という事になってしまいます。 つまり、第一次世界大戦の不十分な状況を先延ばしするためのチョットしたガス抜きと言うことです。 もちろん問題は山積していますが、今後10年ほどは英国を中心とした国際社会という構図に変化はないでしょう。そして植民地独立を巡る南北対立、もしくはロシア人が輸出するようになるであろう共産主義と資本主義社会の対立という新たな構図で1950年代に入ると、次の動乱の時代が到来し、この戦争で敵同士だった日英米仏は互いに手を取り合い、自分たちの縄張りを守るため泥沼の戦争に首を突っ込むという構図になるのでは、と予測できます。 要するに、史実で発生した1960年代の欧州中心の世界再編(この世界では1970年代だろう)に日本が大きく首を突っ込んでいるだけで、それ程違いないのではと言うことですね。
と、ここで結びに入ってもよいのですが、せっかく日本が勝利した世界ですので、日本(+アジア)を巡る状況をもう少し細かく見てみましょう。 この世界の日本は、史実での日支事変以前の状況と同じと見てよいでしょう。 つまり日本列島以外に、台湾、朝鮮、南樺太を領有し、赤道以南、日付変更線以東の太平洋地域を勢力圏としているという事です。もちろんこれに、衛星国となる満州が含まれます(満州事変がなくても、ソ連が混沌化するなら満州全域の経済植民地化が行われる筈)。 また、アメリカとフランスが敗戦国になるので、勝者たる日本がアメリカ領のグァム島、ウェーク島を新たに封土に加え、フィリピン、インドシナでの独立が加速されるという流れが自然でしょう。 ただし、アジア各国が独立運動を始めて順次独立していくという流れにはありません。 これは、史実での大東亜戦争での日本軍指導による人材育成と組織編成が全く存在しないからです。これなくしてインドネシアやビルマ、マレーでの独立はありえません。 また、これらの地域での華僑の駆逐を行わないなら、民族的自立が遅れることも確かでしょう。史実で日本の占領統治に激しく抵抗したのが華僑であったことを思えば簡単に理解いただけると思います。 そして最大勢力たるインドの自立も5年ほど遅れるのではと思います。何しろ宗主国たる英国は、フランス相手の戦略爆撃も血みどろの大規模地上戦もないぬるい戦争しかしてないので、国力的消耗が最低限ですからね。 一方もう一つの最大勢力たる支那大陸では、満州という存在が日本の手に握られ、依然として香港、上海を軸とした英国の経済覇権が維持される限り大陸そのものの貧困の連鎖は続き、人材面の育成を考えると支那大陸が世界的影響力を持つには、私達の世界よりも四半世紀は遅れる事でしょう。何しろ史実での支那中央政府は、上海と満州のそれまでの蓄積を食いつぶして生き延びるのがやっとでしたからね。(「虫」の「皇」と書いて蝗とはよく言ったものです。まさに彼らは歴代支那中央政府の正当な後継者と言えるでしょうね。)
そして、アメリカの挫折、ロシアの混沌化、支那大陸の半植民地状態、その他アジア地域の自立の遅れという状態での日本の地位は、第一次世界大戦後とほとんど同じと判断してもよいでしょうし、日本が政府レベルで東亜解放を推進する事は、英国以下の西欧列強との政治的妥協関係の継続を思えばありえず、自分たちにとっての新たな箱庭である満州の育成をセッセと行いつつ、それまでに併合した朝鮮半島、台湾の合邦化をさらに強く推進している事でしょう。 そして、史実での日支事変を経験せず、第二次世界大戦も局地的総力戦として比較的短期間で決着が付くという状況を考えれば、1930年代半ばから1950年代にかけて、史実での高度経済成長が日本列島にやってくるのはほぼ間違いなく、アジアで本格的な民族自立の機運が盛り上がるであろうこの時期に、おいそれと日本に喧嘩をふっかける事のできる国は存在しなくなっているでしょう。 これには1940年代に戦争で失敗してアメリカの停滞が続いているという想定も必要ですが、限定的パックス・ブリタニカ下でのアメリカの国際的役割は低く、経済力も限られてくるので、日本ともう一度戦争をしようという気にはならないかと想定できます。 そしてここまで来てしまえば、アジアの時代がやってくる20世紀後半から21世紀にかけての日本の隆盛は地政学的にも確実で、戦前と戦後の日本が混ざり合ったような「連邦国家」としての日本帝国が成立し、この世界の21世紀の私達の分身たちは「一等国日本」を鼻に掛ける朝鮮出身者に困った視線を向ける程度の問題を抱えるぐらい穏便な近隣世界を見つつ、地域覇権国家として世界の問題に向き合っているという情景が見えてくるのでしょう。
まあ、日本にとっては一度の挫折も経験せず、しかも政治的・軍事的にアドバンテージを握ったまま私達の世界と比較的よく似た政治構造の世界に雪崩れ込むのですから、幸せといえば幸せな道をたどっていくのかも知れませんけどね。 もちろんこの先どこかで敗北が待ちかまえて、ナム戦でのアメリカのような停滞が待っているのは間違いないでしょうが、ロシア人の戦車に蹂躙されたり、アメリカ人の戦略爆撃機が全天を覆い尽くす戦争を体験することを思えば、その世界の過半の住民にとって何よりの状況と言うべきなんでしょう。
安易に本土決戦を描いたりする作家よりは、この点実に良心的ですね。 私の読後の一番の感想がこれでした。
では、次の作品で会いましょう。