第十八回・「新世界大戦記」

著 者:林信吾 田中光二

発行日:1998年7月30日〜2000年11月25日

発行所:光文社
(後に「コスモシミュレーション文庫」で文庫化)

 光文社版(新書サイズ)
1 「レイテ沖・日米開戦」
2 「連合艦隊東へ」
3 「ロンメル・中東大戦略」
4 「旭日旗インドに」
5 「秘策!大東亜戦線終結ス」
6 「ザ・ラスト・バトル」

 コスモシミュレーション文庫(文庫サイズ)
新世界大戦記 1 連合艦隊大長征
新世界大戦記 2 旭日旗大飛翔
新世界大戦記 3 ザ・ラストバトル
(新世界大戦記 4 激闘!独立戦艦)(無関係な短編集)

 さて今回は、架空戦記転向組の作家と言える田中光二氏の作品を見ていきたいと思います。
 著者は、この一つ前の長編架空戦記で、少しだけ日本に分のある太平洋戦争を行うスタイルの架空戦記を書いています。
 ただし、私が全てを読み終えた時の私個人の感想は、「この作家はこの作品でいったい何がしたかったのか?」でした。
 比較的歴史的資料は調べてあり、お約束的な歴史のチョットした変化を利用して少しだけ日本に有利な戦争を展開させ、さらに日本が無条件降伏しないような伏線すら見られ、それまで他のジャンルで小説を書いていただけに文章は比較的読みやすいのですが、それは最終巻に近づくにつれて私の視点からするなら不要なほどの破綻が見られ、最終的にそれまでの伏線、経過の全てが活かされてなく、読後の感想が、最初の「いったい何がしたかったのか?」という疑問になってしまいました。少なくとも前作を11巻全て読み終えた時、カタルシスの解放はなく徒労感の方が勝り、途中の経過まではよかっただけに残念に思われました。

 そしてその後に出たのが本作で、私個人としては「まあ文章的な相性は悪くないので、取りあえず一冊買ってみるか」という程度で、今回も作品半ばまではいったい何がしたいのかいまいち不透明だったのですが、結局そのまま惰性で買い続けました。そして正直リクエストをもらうまで買ったことすらスッカリ忘れていた程の印象しか残って無く、今回これを書くに当たって再度流し読みして、認識を新たにしたという程度の印象しか受けず、「架空戦記」、「小説」としてはオーソドックスだが印象の薄い作品という印象に変化はありません。
 もちろん私のような変わり者から見て、見るべき点はかなりありますし、部分部分をみれば面白いパートもけっこうあるのですが、文庫として再度発行するほどの価値があったのか疑問を感じます。

 まあ、また愚痴ばかりになりそうなので、取りあえず他サイトから転載した作品内容の紹介を見て、次に進みましょう。

あらすじ

(別サイトの紹介より転記)
1-2巻
 1943年4月9日、米アジア遠征軍は、マッカーサー元帥指揮下の米比連合軍八万の支援強化のためパールハーバーを出撃した。マニラに向かう司令長官キンメルは、日本軍に対するいっさいの挑発行為を厳禁されていた。一方、サンベルジノ海峡を遊弋していた日本海軍第一機動部隊の小沢治三郎中将も、連合艦隊司令長官山本五十六から「敵に戦端を開いてはならん」という厳命を受けていた。当時、日本は、満州国の解体、中国からの全面撤収などを要求するアメリカのハルノートを受け入れ、その理不尽な内容を全世界に向かって公表していた。それによってアメリカの中国進出の野望が暴かれ、日米開戦を機に第二次世界大戦への参戦を目論んでいたルーズベルトの謀略は崩された。日米激突は回避されたものの、日本の軍事力はさらに蓄積されたのだった。そして遂に4月25日、アメリカによって火蓋は切られ、史上初の空母戦闘を経てインド洋への日本艦隊の長征が始まる!!田中史観が描破する世界大戦シミュレーション小説の傑作。

3-4巻
 1943年8月14日、米太平洋艦隊は日本軍の攻撃によってパールハーバーを完膚無きまでにたたかれた。すでにフィリピン沖海戦でエンタープライズとレキシントンの主力空母二隻を喪失し、戦艦同士の夜戦でも日本機動部隊に壊滅させられていた矢先の大敗北だった。日本軍がこれから先、攻勢をかけるとすれば、ビルマから直接インドへ向かうか、セイロンを占領してインド攻略の足場とするか、どちらかだと太平洋艦隊司令長官ニミッツはにらんでいた。日本は、ドイツがスエズ運河を落とせるかどうか見守っていた。ドイツが中東に侵攻すれば、日本のインドへの道も開かれるだろう。枢軸連合はインドで手を握ることになる。いっぽう関東軍は、クルスクの戦いでドイツに大苦戦するソ連軍に大攻勢をかけた。日本は、セイロン侵攻作戦の開始を10月初旬と決定。その使用兵力は、連合艦隊の三分の二を繰り出す大作戦だった。大英帝国の牙城であるインド解放を、この戦いの大命題とする日本軍に勝利の女神は微笑んでくれるか…!?田中史観が水も漏らさぬ緻密な構想力で描破する世界大戦シミュレーション小説の傑作。

5-6巻
 連合艦隊機動部隊は、米英の主要空母を、太平洋と極東方面で撃破した。戦力からいえば米海軍、伝統からすれば英海軍という世界の二大海軍を打ち破ったのだ。日本海軍は空母と航空隊を自在に使いこなす技量を獲得していたからである。1943年12月25日、英軍はロンメルの猛攻によって中東から叩き出され、連合軍に苦境の嵐が見舞った。さらに、ノルウェーのフィヨルドに停泊していたドイツ海軍の戦艦ティルピッツに不穏な動きが見られた。東部戦線では、中東からの石油を断たれたソ連がヒトラーと単独講和を結ぶ動きがあり、これを回避するために連合軍に残された途は、荒天の北極海航路でソ連に原油を輸送するしかなかった。戦況は、強化されたドイツ空母機動部隊が北極海域に進攻するのは必至だった。四面楚歌に立たされた米英軍はインド解放を目指す日本軍の動きに注目した。果たして、アジア各国の植民地解放を謳う日本軍はソ連極東軍に最後の決戦を挑むのか!?世界の新秩序を確立するための連合軍の大反攻が始まる!!壮大なスケールで第二次世界大戦を鳥瞰するシミュレーション巨編。

論評・批評?

 さて、あらすじとして転載させてもらった文面は、販売を目的にした紹介だけに煽り文句も多く、詳細についてはさわりの部分だけになっていますが、作品そのものはオーソドックスな架空戦記だと思います。
 分類としては、歴史改変型にあたるでしょうか。
 個人的には「ドミノ型架空戦記」という分類を与えたいと思います。
 火葬な兵器、奇天烈な人物、アンビリーバボーな戦術はどこにも存在しません。全てが史実と常識の予測範囲内に収まるオーソドックスさです。
 なお、この作品において、作品内で登場する兵器の間違いなど、ミリタリー・マニアにとって「最重要な」ファクターは「些末な事」に過ぎません。全ては作品内で発生した架空戦記ではありきたりな事象が、全てに影響を与えていく図式になっています。これはこの分野の作品としては賞賛してもよいぐらい徹底しています。前作での反省が活かされているのでしょう。
 ただ私が気になった点は、史実の事例や戦例を随所でこれでもかと言うぐらい説明的に書き連ねている点で、『こんな事知っているよ』という人が読むと、半分ぐらいは端折れるのではすら思えてしまいます。実際、私はかなり読み飛ばしました。
 ま、走り読みするにはもってこいかもしれませんけどね(苦笑)
 また、もう一つ気になった点、というか最大の疑問が、最初にも書いた「この作家は、何を目的にしてこの作品を書いたのか?」と言うことです。
 6巻も巻を重ねながら物語は「戦争」という面で完結しているとは言えず、作品全体が戦争の経過を説明するだけの文が多くを占めており、いくつもの場面に分かれすぎているので史実の登場人物達が多くて印象が散漫になりがちで、当然架空の登場人物というのは皆無で、小説としても物語が完結しているとは言えません。
 ただし、ドイツ(日本)が失敗した作戦を成功させる場面を見せるための作品だと解釈すると、まさにそう言った場面がそれぞれのクライマックスシーンの要所を占めており、恐らくそれこそが作者の書きたかった事なのではと思います。

 また、見るべき点がないかと言えばそうでもなく、私のような歴史改変が好きな人間にとっては非常に興味がそそられる内容です。
 1943年4月25日の日本参戦がその象徴であり、そこに至る経緯として、「ノモンハン事変での日本軍全体の反省」、「軍の近代化」と「ハル・ノートの受諾」、「支那からの撤兵」、「アメリカの戦時態勢移行の大幅遅れ」という実に興味深いファクターの上に作品世界が構築されています。
 ありきたりな設定と言えばそれまでですが、そうであるからこそ王道的なストーリーラインは必要であり、これに真っ正面から取り組んだ姿勢は高く評価したいと思います。
 また、本作全体に貫かれているのが、「枢軸国側の戦争展開が巧くいった場合の第二次世界大戦」というスタンスが貫かれており、基本的に日本とドイツが勝利していく状況しか描写しない点も王道であり、またカタルシスの解放というエンターテイメントの要素は完全に満たしているでしょう。しかも、ちゃんとイタリアだけは敗北を重ねるのですから、ディープなオタク様も納得の仕上がりです(笑)
 そして、日本の遅れた参戦とそれに関連するファクターが、ドミノ的にその後全ての事象に影響を与えていくというスタイルが全体にわたって貫かれており、次々と場面が変わる作品内において、全ての事象が並行的に起こっていきます。その証拠が、日本が第二次世界大戦を戦った期間に象徴されており、1943年3月から1944年6月にかけてが実質の戦闘期間で、1年少しという戦争期間は、第二次世界大戦を扱った架空戦記としては非常に短い期間にあたり、それでいて全世界を舞台としているのですから、その密度が分かるかと思います。そしてこれを6巻で書き上げています。
 ただ、苦言を言えば「詰め込みすぎ」であり、特にそれはアジア・太平洋方面と欧州方面の描写が交互するようになる3巻以降激しくなり、チャートや表組みで時系列を整理しないと何が起こっているのか把握が少し困難です。これは、気楽に読める娯楽作品としては成功しているとは言えず、人物描写などにもう少し重点をおいて、ゆとりのある構成にした方がよかったのではと思えます。
 とまあ、一通り総評を偉そうにのたまったところで、内容について深く吟味していきましょう。

 さてお立ち会い。
 本作品においける最大の見所は何でしょうか。
 読んだ事ある人なら言うまでもないと思いますが、日本軍とドイツ軍が勝利を重ねていくところこそがこの作品の見所であり、全てはこれを見せるための道具立てに過ぎないと言えるでしょう。
 だからこそ「小説」全体として「何がしたかったのか」が分かりにくかったではと思います。
 そして、本コンテンツの目的の一つが、その道具立てを見ていくことだと思うので、順番に見ていきましょう。
 本作品のドミノで最初に倒れるパイですが、先にも書いた「1943年4月25日の日本参戦」、「ノモンハン事変での日本軍全体の反省」、「軍の近代化」、「ハル・ノートの受諾」、「支那からの撤兵」、「アメリカの戦時態勢移行の大幅遅れ」がそれにあたります。
 順に見ていきましょう。

 小説内の日本は、「ノモンハン事変」にて自軍の装備の遅れを痛感して、大幅な改変が開始されます。

 ハイそこ、『ありえねえよ』などと夢のない言葉で突っ込まないでくださいよ。この作品はこれが全てに影響を与えるのです。この世界の日本はこの時大いに反省したと解釈しましょう。でないと次に進めなくなってしまいますからね。ファンタジーを理解しない人はキライです。
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 さて、「ノモンハン事変」でソ連赤軍に惨敗した日本軍は、主に陸軍の近代化、特に機甲打撃戦力の重武装化を推進します。とは言っても、架空戦記を賑わしているような空想の産物の鋼鉄の騎士たちがワラワラと沸いてくるわけではなく、「チハたん」こと「97式中戦車」の47mm速射砲化と75mm砲(90式野砲)を装備した自走砲の大量生産がこの時点で始まるだけらしく、編成面ではいくつかの戦車師団の編成と各師団の重装備化が行われるぐらいみたいです。
 ただし、これを実現するには陸軍の寂しい予算編成では難しいので、しわ寄せが支那戦線に行くことは間違いなく、ここに次の呼び水があるのではと思われます。
 そしてその次に運命の「ハル・ノート」がくるのですが、ここで日本は「ハル・ノート」を単に受諾するだけでなく、その内容を全世界に公開して、あらすじでの紹介にもあったように国際世論のみならずアメリカ世論すら味方に付けて、この時点での戦争を回避してしまいます。
 もっともアメリカの示した最も強硬な提案を全て受け入れたわけではなく、ねばり強いネゴシエートを行った日本が実質的に実行した事は「支那からの全面撤兵」と「仏印撤退」ぐらいで、三国枢軸同盟もそのままだし、既得権益と国際的に認められている満州では兵力の大幅増強すら行ってます。
 要するに日本政府中央にとって都合の良い点だけを飲むことで国際世論(アメリカ国内世論)を味方につけ、国内向けには支那からの撤兵をアメリカの責任にして行い、さらには軍事費の大幅な負担を軽減させて日本の国庫を安定させ、肥大化した軍備の整理と近代化を行うことで次への布石を行うという、実に架空戦記らしい道筋が作られていきます。
 そして、日本の態度軟化によって、日米開戦を機に第二次世界大戦への裏口からの参戦を目論んでいたルーズベルトと不愉快な仲間たちの政略は破綻し、しかも日本の機転によりルーズベルトの政策を自らの手により実行する事は、自らの政権の自殺行為に近い状況になるので、今しばらく傍観する他なくなってしまいます。
 そしてこれは、アメリカの民意によって「アメリカの戦時態勢移行の大幅遅れ」をもたらし、ダイナモのごとく無尽蔵な兵器と物資を生み出す筈のアメリカ産業は、レンド・リース以外今しばらくブレーキを掛けられたままになり、特に軍の動員と海軍艦艇の建造がこのとばっちりを受けて、史実での建造スケジュールは一年以上遅延する事になります。どちらも戦争しないのなら必要ありませんからね。

 そして、そうした状況のもと日米開戦を迎えるわけですが、最初に引き金を引いたのがアメリカ側のため、アメリカ市民の日本への敵愾心は低く、「NAVY the NAVY」を目指す連合艦隊の常勝サクセス・ロードが始まり、いっぽうドイツでは、ロンメルのぶっちぎり快進撃が始まります(笑)
 戦争の大きな流れは、この二つを追えばだいたいオーケーです。それぐらいこの二つは勝って、勝って、勝ちまくります。
 その象徴が日本海軍の主要艦艇の撃沈皆無という事象に象徴されているでしょう。この強さには紺碧の艦隊も真っ青です。もっとも、米軍の戦艦も深く損傷するだけで一隻も沈まないので、公平と言えば公平な判断もされていますけどね。

 さて、ついに世界規模に拡大した第二次世界大戦ですが、日米の開戦は日本がドイツとの同盟に則り、1943年3月にソ連に宣戦布告して、陸軍の主力の過半をザバイカル方面に投入し、さらに英仏蘭に宣戦布告して東亜の開放という正義の戦争を開始します。
 当然ここではフィリピンとアメリカを無視します。
 ですが、猜疑心と恐怖心によってアメリカがフィリピンに大幅兵力を増強しようとして、これを阻止に出た連合艦隊との間に大規模な戦闘が行われ(最初に引き金を引いたのはアメリカ側)、ここで戦闘技術の未熟から全ての主要艦艇を傷つけられた米軍は這々の体で退却し(日本も撃沈こそないが適度にやられている)、その三ヶ月後に日本空母機動部隊の総力を挙げたハワイ攻撃が行われ、ここでの海戦に敗北し、ハワイの軍港機能を失った米軍は、1943年8月15日から以後一年にわたり、太平洋方面での積極的攻勢に出る力を失い、ここに日本軍の大東亜解放を邪魔するものは事実上いなくなります。
 え、英国がまだいるじゃないか? ですか。
 なんの。この世界のちょー(↓)強い連合艦隊の前ではロイヤル・ネイビーなどただの老いぼれた老兵に過ぎず、インド洋で数回発生した大規模海戦は、全て連合艦隊の圧倒的勝利で幕を閉じ、英国は本土近辺以外での海上機動戦力の過半を失ってしまいます。
 もう、このあたりの連合艦隊は強い何てもんじゃありません。まさに鎧袖一触です。
 とにかく日本の空母部隊の攻撃力は当社比200%増しといった感じで、装甲化されていない艦艇はいとも簡単に撃沈していきます。英軍のテコ入れで増強されたインディペンデンス級軽空母など、その過半が日本軍艦載機に笑うぐらい簡単に沈められてしまってます。
 でも、敵側の艦艇が奇天烈な作戦でほとんど全て沈められるという紺碧の艦隊のような描写ではないので、読んでいる間の嫌悪感は低く、適度なカタルシスの解放というレベルではなかったかと思います。史実のインド洋での戦いを大規模にしたと言えば分かりやすいでしょうか。そう言う意味ではバランスは悪くないですね。
 そして、日本軍がシベリアでソ連軍精鋭1個軍集団を拘束し、太平洋とインド洋で連戦連勝を重ねている頃、その揺り動かされた歴史の中、ドイツ軍の反撃が始まります。

 さて、1943年春までアメリカの参戦がなかった場合のドイツにどれだけの事ができるのか、また反対にアメリカのいない連合軍に何が可能なのか少し考えてみましょう。
 史実では1941年12月7日開戦なので、1年5ヶ月近くアメリカの参戦は遅れています。
 そして、この時点で米軍の急速な拡大と派兵が開始されるにしても、英国にアメリカ軍が展開するまでに最低でも三ヶ月が必要です。1000機爆撃をしようとすれば、半年ぐらいの時間が必要でしょう。
 また、いかにレンドリースが英国、ソ連にもたらされるとしても、最大の戦力倍増要素となる圧倒的数を誇る米軍が欧州に来ないと言うことは、ドイツ軍に大きな利益をもたらすことは疑いありませんね。レンドリースで届けられる物資を護衛すべき米海軍の姿もない以上、英国やソ連が受け取る物資の量も史実より少ないでしょうしね。
 そして米軍が史実のこの間に重要な役割を果たしたのが、英本土を根城とするドイツに対する戦略爆撃で、1943年7月3日に米英軍によりハンブルグが灰燼に帰していて、これは米軍の圧倒的戦力を象徴する出来事と言えるでしょう。ですが、この世界でこの状況は成立しません。1944年2月13日のドレスデン爆撃での悲劇も発生するか怪しいでしょう。
 どう考えても、英軍だけでこの規模の爆撃ができるとは思えず、米軍が大挙英本土にやってきて体制を整えるまでの時間を考えると、ドイツには開戦してなお半年から一年の時間が与えられていると考えられます。
 そして、戦略爆撃の規模が低調であるなら、ドイツの戦時生産は比較的順調に機能することは間違いなく、史実よりも早く新型兵器が前線に登場していても不思議はないでしょう。もちろん大量に、です。
 また、米軍の来援が遅れる事は、北アフリカ戦線に大きな影響を与える事も疑いなく、西からの圧迫が少ない事は、ドイツ軍の東部戦線でのよりアクティブな行動を誘発する大きなファクターとなるでしょう。

 そして作品内では、史実より豊富と思われるドイツ軍の兵力が各所で猛威を振るい、日本軍による戦力吸引も重なって、「マルタ島攻略」、「クルスク戦勝利」と大きな勝利を獲得します。なおクルスク戦は、中盤の山場の一つで、日本軍の参戦で予備兵力の多くとジェーコブ将軍をシベリアに取られたソ連軍が敗北し、アメリカ参戦遅延により欧州を気にしなくてよいドイツ軍の東部戦線での攻勢は、戦線にほころびができたソ連側のスキを突く形でその後も続きます。また、クルスク戦にドイツ軍が勝利するというパターンは、架空戦記の中にあっても貴重かと思います。
 そして舞台が整ったところで、常勝将軍ロンメルの登場です。
 ロンメルはマルタ攻略により安定した自軍の補給線、逆に補給が細り切った英国軍という状況を利用して、エジプト攻略を達成してしまいます。
 その後彼は、クルスク戦の後再編成のため後方に下がっていたと思われる親衛隊の最精鋭部隊(SS1st div、SS2nd div)を増援に受けて、中東全てを手中にしてしまいます。
 またロシア戦線では、クルスク戦の勝利に乗じる形でコーカサス方面での攻勢が再開され、史実よりも精鋭の1個軍集団近くを欠くソ連赤軍は損害を回復できないまま敗退を重ね、ドイツ軍側の無茶な突進を止めることが出来ず、ついにバクーを失い、石油生産の70%を失ったソ連の継戦能力は以後大きく低下します。
 そして、ロンメル勝利による彼の影響力拡大とバクー攻略成功は、最終段階へ繋がる大きなファクターとなります。
 しかしその後戦争は大きく揺れ動きます。
 米軍の戦力が欧州方面に大きく動き出したからです。
 この世界のアメリカは、緒戦で日本軍に完敗を喫した事から、海軍が十分に再建されるまで太平洋では守勢防御を取り、動員されたばかりの戦力の過半を欧州へと注ぎ込み、史実より数ヶ月遅れただけで北イタリアへと大軍を送り込み、マルタ島奪回、シシリー島攻略、イタリア本土侵攻と行います。
 またこれは、日本軍がインド洋へと兵力を大きくシフトした事から日本からも肯定され、ハワイ作戦以後の太平洋はポニーウォー状態となります。

 しかも1944年に入る頃には、ドイツ軍は中東と東地中海を完全に制圧しており、バクーも彼らの手にあって、史実とは大きく情勢が異なっています。
 さらにインド洋方面での日本軍の攻勢が続き、英東洋艦隊が涙を誘うぐらいコテンパンに叩きのめされ、セイロンが攻略されカイロが攻撃を受けるとインド全土が独立を求める声で争乱状態となり、インド失陥やむなしとみた英国は得意の政治的解決を図り、英国はインドを自らの手で独立させるという名誉を保った形で日本と一時的な停戦を行い現地からの軍事力の引き抜きを成功させ、インドは念願の独立を勝ち取り、日本軍は政治目的と達成とインド戦線の消滅、そして英国との戦争の幕引きの呼び水を得ることになります。
 で、この状況に焦るのが北の大地に逼塞する鉄の男で、彼の思いつきの戦力シフトを目的とした日本軍に対するアクションは、手の内を日本軍読まれてしまうほど稚拙だったため、かえってソ連のキズを大きくしてしまい、これがバクー失陥を確実なものとさせて、彼をして英米に泣きつかせてしまいます。
 油なくして戦争なんてできませんからね。
 で、この次の段階で、大量の油を届ける大輸送船団とそれを阻止するドイツ軍との間で一大決戦が行われ、ドイツ軍は念願の空母を用いた戦闘で輸送船団の半数ほどを沈めるも、自らも大型主要艦艇の過半を護衛艦隊との戦闘で喪失し、ドイツは戦術的敗北と戦略的勝利を獲得する、痛み分け的結末を以てここも小康状態となります。
 この辺りも、エンターテイメントとしての多くを満たしていますね。特に教訓不足のドイツ軍が善戦するも壊滅するあたりは公平な判定かと思います。

 で、戦争がここまで来るとそれぞれの陣営が行うことは限られてきて、日本軍はシベリア鉄道の要衝チタ市以北の占領、沿海州制圧を目指して、南方・インドで浮いた戦力の全てを投入しての対ソ決戦を行い、全てが後手後手となり手詰まりとなった連合国は、勝手に戦争を終わらせようとしている日本など無視して、起死回生の大作戦、ノルマンディー上陸作戦を強行してしまいます。
 そして、ここで登場するのが常勝将軍ロンメルで、彼は史実と同じ役職に就くが、史実よりも強い影響力を持っているので、史実で彼の望んだ戦力のを多くを手にして連合国の前に敢然と立ちはだかり、連合国側の不協和音による1944年5月半ばの作戦強行と宿敵モントゴメリーの弱気にも助けられて、連合国をドーバー海峡へと追い落とします。
 そしてロンメルの幸運(?)はさらに続き、シュタウヘンベルグ大佐を実行犯とするヒトラー爆殺が成功して、その後ドイツには事実上のロンメル政権が誕生、ここに物語は堂々の幕を迎える・・・と言ったとろでカーテンコールとなります。

 何だか、後半のあらすじを追いかけてしまいましたが、これを書かないと今後どうなるのかいまいち分かりづらいだろうと思い、少し駄文を続けました。
 なおこの間は約一年半ほどしかないので戦略面でいつものようにグダグダ書くことが少なく、しかも戦術面、兵器面でツッコミ出したらキリがないので、いつもと違った形にしてみました。

 さて、再びお立ち会い。
 作品を読んでいない人でも、この世界の第二次世界大戦がどのような経過をたどったかだいたい分かっていただけたかと思いますが、この後世界はどうなるでしょうか。
 少し見ていきましょう。

 物語は、ドイツではヒトラーが爆殺されて新政権が樹立され、英米がノルマンディー作戦の失敗で意気消沈し、全てを失う前のソ連が段階的な講和を考えるようになり、日本はソ連極東を占領してアジアを開放するという戦争目的を達成して勝ち逃げの体制に入り、インドで妥協した日英が歩み寄りを見せるという状況の中、物語の幕は下りています。
 つまりエンディングでは、全員が一度は矛を収めてテーブルに着く用意がある状況ができてるわけですね。
 誰も倒れないままの停戦というのは、架空戦記の中でも珍しい状況で、作者が最後に書いているように、この次の争乱があっても何ら不思議のない状況で戦いが終息に向かっています。
 状況を物理的な面から少し整理してみましょう。

 日本
支那からは既に撤退済み
ソ連極東主要部の占領に成功
インド以東のアジア解放達成
日本軍の過半は健在
財政はかろうじて傾かないレベルでの戦費で終わる
 ドイツ
ヒトラーは死亡、ナチスは消滅
イタリアをのぞく欧州の過半を握ったまま
中東も一時的に手中にしている
海軍以外の戦力はそれなりに健在
特に資源(石油)事情は史実と比較にならないぐらい良好
 イギリス
インド以東の植民地喪失
エジプト、中東も喪失
海軍は大型艦艇の面で半壊
国家財政は気息奄々、再度欧州反抗の力はない
 アメリカ
度重なる敗北で国内の厭戦機運蔓延
海軍が一時的に壊滅するもすでに再建
ノルマンディーの失敗はあるが損失は最低限
日独どちらに対しても、結果を出すには半年から1年は程度必要
 ソ連
欧州ロシア、極東の過半を喪失
赤軍の精鋭部隊のキズは大きい
バクー油田を失ったことで戦争継続が困難
クルスク戦、バクー戦での敗北から中央の権威失墜
 その他
イタリアとフランスが二つに分かれた状態
日本とドイツが物理的に繋がって戦略的に有利となっている

 大きくはこんなところでしょうか。
 そして作品内の最後の展開で、連合国側の過半の国がまず日本と妥協して、体制を整えてからドイツ新政権との交渉に望む方向に傾いている点が強くしめされており、象徴的ではあるが日本で天皇陛下による講和の意志が示されています。
 で、連合国が日本と妥協するに当たっての条件が、日本が現在占領中地域での主権を求めない事で、これは日本も自由貿易体制が維持できるのならという付帯条件付きながら解放する方針を見せており、またソ連は極東での局地戦よりもドイツとの戦いが本命なので、日本に一部の領土を明け渡す(北樺太とウラジオ)ことで早期の講和を計り、ドイツと対面する方向を見せています。
 これが作品の最後で示された講和への道筋であり、まあ状況が作品内のようになってしまえば、それ程違和感はないでしょう。
 史実の第二次世界大戦を思えば穏便な決着ですが、第一次世界大戦と似たような状況と思えば、ごく普通の戦争の行き着く先でしょう。むしろ、第一次、第二次世界大戦の方がそれまでの戦争から大きく逸脱した戦争なのですから、この時代の人たちの過半が受け入れやすい余地はあると思います。
 史実のように米ソが強い発言権を示せる状況ではありませんからね(アメリカは参戦遅延、ソ連は敗退続き)。

 で、ここからはこの世界の戦後世界を見ていくわけですが、順に見ていきましょう。
 まず、一番に停戦にこぎ着けるであろう日本ですが、日本の戦争目的が東亜解放、植民地主義打倒という錦の御旗に隠れた自国の生存なので、世界経済を握っていると言って良い英米アングロ連合と妥協できるのなら、過半の占領地域を手放したとしても大きな異存はないでしょう。
 また英米も、ドイツを含めた戦争にかかる手間と時間、日本を叩きつぶすまでにかかる時間と経費を考えれば、ある程度利権を返すという日本に妥協する余地はあるかもしれません。既に彼らの戦争は失敗していますからね。
 しかも、一度民族自決に火がついたアジアを政治的に制御するには、錦の御旗を振り回す日本を利用するのが一番安上がりなのですから、双方にとって大きな問題はないでしょう。
 また日本とソ連との決着ですが、ソ連側が日本の安全保障上必要と考える場所を割譲して講和しようと持ちかけるのですから、とりあえずはスムーズに事が進むでしょう。もちろんこの後日本はウラジオ周辺部を手にしたことでの防衛負担の増大など問題は山積みですけどね。
 で、最終的に日本が手にする戦争の果実は、1943年春の開戦以前の勢力圏の容認と英米との関係正常化、満州国の承認、そしてソ連から割譲した北樺太とウラジオ周辺部(沿海州の半分程度か?)ぐらいになるでしょう。
 当然、それ以外の占領地域はインド同様全て独立させ、そこでの日本の影響力は大きなものとなるでしょうから、英米と水面下で綱引きをし、現地での様々な問題を抱えつつも、地域大国として大きく前進する事は疑いありません。
 一方、戦争の勝者と言えるドイツですが、不倶戴天の敵であるロシア(ソ連)よりも英米との妥協がまず成立すると見るのが妥当で、ドイツ側としては旧ドイツ帝国の領土の復帰と国際社会の状態復帰を引き替えに全ての占領地域からの撤退ぐらいが条件となるでしょう。また、ソ連との交渉では、ポーランド、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナの独立という形なら、ドイツはウクライナの資源を間接的に手にして、双方にとっての緩衝地帯が出来るので、ドイツが欧州ロシア主要部を占領したままでの双方の妥協点を考えると、この程度がドイツ側が譲歩できるギリギリでしょう。

 そして、この戦争での実質的な敗者となった連合国側(英米ソ)ですが、特に米ソがかなり異なった環境になるでしょう。
 英国は、エジプトと中東を一時的に失いますが、戦争は史実より半年短いのでその分の損失がなく、短期的にはイーブンで、インドはどのみちすぐに独立するので結果としての短期的状況にあまり変化はないでしょう。
 ですが、ソ連は主要産業地帯を実質的に失い、欧州、極東の玄関口も失って国際的影響力の低下はかなりのものになります。戦争で失ったものを総合的に加味すれば、この人工国家が史実のように国際的に隆盛する可能性はかなり低くなります。戦後、英米が後ろについたドイツとの冷戦に入ることは間違いありませんからね。
 また、ドイツ、日本が大量の影響圏を抱えたままでの戦争終了は、アメリカにとって世界経済の掌握という点で極めて不利で、参戦の遅れによって不景気から復活していると考えれれないアメリカ経済を思うと、戦後アメリカはイギリスだけでなくかつての敵であるドイツと日本を世界統治の共犯者として強く抱え込まなくては、アメリカの隆盛ができないばかりかアメリカ経済がもう一度失速する可能性が極めて高いと言えるでしょう。
 なおこの場合のパートナーとしてソ連が選ばれないのは、ソ連よりドイツの方が市場として有効で、日本を抱き込むことで間接的にアジアを手に出来るからに他なりません。これぐらいないと、アメリカが戦争を手打ちにする筈ないでしょう。

 その他気になる勢力はフランスと中華大陸ですが、フランスはドイツの影響が強い状態で独立復帰するでしょうから、私達の世界での半世紀後の状況を思うと、ドイツを中心にした欧州連合の一部という図式になる程度で、むしろドイツがフランスの舵取りに四苦八苦することは請け合いです(苦笑)
 一方中華大陸では、日本が満州と台湾を握り込んだままで戦争が終わり、ソ連の影響力が低下しているので、簡単に共産中華が勝利するという状況にはありません。しかも、日米の支援のもと国民政府が強力な指導力を発揮して共産中華に対抗できるだけの軍隊(国民軍)を整備して経済政策を実行するのなら、共産ゲリラを抱えた状態での中華民国の安定という図式も見えてきます。まあ、東西ないしは南北分裂が結果として待っているでしょうけどね。
 そして、中華大陸中央部が発展するであろう1990年代に入るまでは、産業面で満州が中華大陸での最強勢力であり続け、統一政権の持たない中華大陸が外へナショナリズムを向ける可能性も低くなるでしょう。

 そして、ドイツと日本がそのまま残ると問題となるもう一つのファクターが、今現在私達の世界を苦しめている、中東を中心とした民族紛争になるでしょう。
 ユダヤ問題とイスラム原理主義によるテロ戦争、この二つのキーワードはできれば回避したいところですが、先進国クラブによる世界支配ということを考えると、イスラエルと言う国は存在している方が自然です。
 イスラエルという存在そのものが、英米を中心とした国際秩序にとって、ソ連への南の抑えであると同時に、石油コントロールのため中東を統一させないための不沈空母ですからね。
 そこでこの世界では、ドイツが一旦イラクまで進撃して戦後も強い影響力を保持すると思われ、逆に英米の世界規模での政治的影響力は低くなるので、ヒトラー亡き後のドイツが、それまでのユダヤ人に対する賠償という形でパレスチナ地域にイスラエルが建国させると考えるとどうでしょうか。
 ドイツが英米と仲良くするなら、私はこれが一番妥当かと思います。

 そして、その後の世界は、史実より遙かに弱い共産主義と、統一のとれない資本主義諸国という図式でしばらく推移し、その後アフリカ地域での独立が盛んになると南北対立が顕著になって・・・という、米ソの影響力が低く日本とドイツが地域大国として幅を利かせている以外、私達の世界とあまり違わない世界が待っているのでしょう。
 先進国クラブによる世界秩序という構図は、余程のことがない限り普遍と思います。
 そして、スタンダードな架空戦記から見えてくる情景もまたスタンダードなものとなり、それなりに混沌とした戦後世界が待っているという図式に変化はないと思います。

 作品そのもののスケールは大きく、内容も地味ではありませんし、部分部分では展開も面白かっただけに、もう少しヒネリが欲しかったというのが、これを書き終えた今の感想ですね。

 

 では、次の作品で会いましょう。