第十九回・「開国ニッポン」

著 者:清水 義範

発行日:2002年11月25日

発行所:集英社文庫

さて、今回は「架空戦記」ではなく、「歴史シュミレーション」、もしくは「架空時代小説」です。「大和」も「ゼロ戦」も「ヤマモトイソロク」も登場しません。
本作は、様々な本を書いてらっしゃる清水義範氏による作品で、楽しく読める日本史パロディ小説です。
だから、江戸幕府が突然東南アジアに侵攻して、数百年早い大東亜共栄圏を作ったり、清と戦争したりしません。それ以前に戦争に関する描写は殆どありません。
本作は、徳川家光が鎖国せず、江戸時代全般において日本が海外との交流を活発に続けていたら、史実で有名な人々はどのように動き、国内の文化、風俗はどのように変化するかという視点で書かれています。
だだし、「もし江戸時代に鎖国をしていなかったら」というこの事象は、とてつもなくスケールのでかい歴史改変であり、シミュレーション小説の一種という事で今回取り上げてみました。
・・・まあ要するに、私は本作が大好きです。

あらすじ

 徳川家光が鎖国をしなかったら、江戸時代はどうなった!? 大胆不敵な仮定のもとに繰り広げられる傑作歴史物語。痛快、爆笑、目からウロコ、名作『金鯱の夢』の興奮再び! 書き下ろし!!
(某所より転載)

論評・批評?

 要するにこういう作品です。
 後で少し紹介しますが、ここを見る前にまずは読んでください。まだ本が出てそれ程経っていませんから、大きな本屋なら普通に手にはいると思います。日本史(江戸時代)好き(戦争好きではありませんよ)なら損はしないと思います。
 ただ、私のようなひねくれ者からすると、これだけ日本国内の状況が変化しているのに、それが世界史に影響を与えないわけないじゃないか、それも少しは書いてくれてもいいじゃないか、というもどかしさをどうしても感じてしまいました。私は末期患者です(笑)
 と言うわけで、少し見ていきましょう。

 さて、時間犯罪の最重要ポイント、どこでフラグ変更が行われたのか。
 これが架空戦記なら、奉天で日本軍が惨敗するとか、聯合艦隊がボロ負けするとか、ミスタージャイアンツがタイムスリップするとか(違)、凄まじい事件が発生するのですが、この小説ではのっけから笑わせてくれます。
 何と、史実に於いて日本を鎖国させてしまった徳川家光は、お忍びで日本に戻っていたシャムの傭兵隊長山田長政と密会して、彼が持ってきていたパパイヤを食べた事で鎖国を思いとどまってしまいます。「ああ、これも鎖国したら食べられなくなるのか」と。
 恐るべし食べ物の力!(笑)
 しかも、食べ物が日本史に与える影響はこの一回に止まらず、これ以後たびたび登場して、日本の文化、風俗を少しずつねじ曲げていき、幕末では坂本龍馬がビール会社を作って大もうけしています。
 歴史や民俗学、文明進化に興味のある人にとっては、まさに痛快な歴史改竄と言えるでしょう。
 また、日本が鎖国した最大の理由となった、キリシタン問題についても抜かりなく、史実で家康に仕えたヤン・ヨーステンとウイリアム・アダムス(どちらか忘れた)が、イスラム教に「宗教税」というものがある事を教え、これを「偶然側にいた」家光が覚えており、イランでイスラム教が布教された時とは逆に、キリスト教に重い税金(切支丹冥加金)をかけてしまうことで、日本国内のキリシタン増加を阻止し、その後江戸幕府は安心して開国路線を維持し、西欧各国も再び日本に商館を構え貿易船を送り込み、日本全土での活発な商業活動が再開されていきます。
 そして、キリシタンと切っても切れないのが、日本国内に溢れていた浪人の存在で、彼らの扇動がかの「島原の乱」の大きな原因の一つになりましたが、ここでは家光の「見事な差配」により、天草四郎はキリシタン容認に傾いた幕府に、優れた人格者として取り立てられ、反対に何の見返りも得られた無かった浪人達はキリシタンに愛想を尽かし、ここに宗教勢力と武装勢力が分離され、日本の宗教面での政治的安定も実現されています。
 「お見事」としか言いようがありません。
 さすが深い見識をお持ちの清水先生ならではです。

 こうして、秀忠没から家光の治世に移った頃に、日本が鎖国方針から一点して開国方針に流れたので、日本国内の歴史改変は殆どなく、歴史上の全ての人物は江戸幕府の太平の中で、様々な状況で外国の文物と出会い、海外に出かけていき、日本そのものも少しずつ変わっていく事になります。
 そしてその後日本は諸外国との交易により大いに繁栄し、17世紀半ばには日本人町の人々が再び日本との間を行き来するようになり、彼らがもたらした文物によって日本の都市では西洋のレース編みや小物がはやったり、日本の主要都市で浪人たちが一念発起して始めた「コーヒーショップ」や「アイスクリームショップ」が繁盛したり、「犬公方」こと徳川綱吉が、母方の影響とフランスの太陽王ルイ14世の影響もあって「フランス狂い」となって、大奥にフランスブームを呼び込んで、あげくに今の浜離宮をベルサイユ宮殿そっくりの迎賓館として建設し、その嬉しさから忠臣蔵事件そのものをなくしてしまい、暴れん坊将軍は文武両道の史実と同じの考えから、朴念仁特有の考えから西欧の優れた科学技術を積極的に日本に導入し、あげくにアイザック・ニュートンに江戸で講演会をさせてしまいます。
 また平賀源内は、西洋の文物が大量に流れ込むので発明家とはならずに、気楽な作家として諸国を漫遊してフランス革命まで見物し、その書籍が幕末に大きな影響を与え、幕末に入るとペリーは史実と違って海軍を追い出されて、日本に立ち寄った時に勝海舟と偶然お友達になって日本の改革を説き、さらには若きワイアット・アープを日本に送り込んで坂本龍馬や浪士たちのボディガードにして、彼は幕末の数々の修羅場を持ち前の早撃ちで覆しきます。おかげで新撰組は史実ほど有名になる事はなく、彼のおかげで明治まで生き延びた坂本龍馬は、単身南北戦争終了間際のアメリカにわたって、リンカーン大統領に面談したりしています。
 もう、「なんでやねん!?」とツッコミ入れないと気が済まないような事件の連続なのですが、文章の妙、設定の妙によって不快感はありませんでした。
 それよりも、私の眼前には諸外国との交流により、史実より大いに繁栄する「開国ニッポン」の姿がアリアリと映し出されるようでした。
 痛快といってよいおもしろさです。
 これほど良性の明るさを持った歴史改竄小説を読むのは、初めてかもしれません。

 しかし、最初にも書いたように、私のようなひねくれ者からすると、これだけ日本国内の状況が変化しているのに、それが世界史に影響を与えないわけないじゃないか、という疑問がどうしても頭をよぎったので、別の視点から物事を見てみましょう。

 さてお立ち会い。
 この世界では、史実と同じルートで家光の時代に突入しています。そして1634年、突然「切支丹冥加金」として宗教税が設定され、これにより重い税金を課せられたキリスト教は、日本国内での布教が許されるも物理的問題から広範な伝播が阻害され、宗教の脅威が消えた幕府は安心して開国路線を継続し、交易国家として大いに栄えているとされています。
 このため、17世紀半ばには早くも長崎が史実の数倍の賑やかさになり、吉宗の時代には神戸や横浜は貿易港として栄え、商業的な繁栄から吉宗の時代前後に行われた倹約改革の必要はなく、当然江戸幕府の農業重視の政策も行われる事もなく、日本経済は史実より遙かに大きく拡大を続けながら発展し、幕末に入ると史実より10年以上早く鉄道の敷設が開始されます。
 そしてこの世界では、イギリスによるこの鉄道敷設が植民地化の第一歩と正しく認識されて、尊王攘夷運動が高まり、幕末へと雪崩れ込んでいます。
 こうして書くと特に疑問はないように思えますが、少し時代を遡ってみましょう。

 戦国時代末期に始まった朱印貿易は、鎖国する直前まで行われていました。派船数は1604年〜1635年の約30年間に350隻以上、のべ渡航者は約10万人とされ、マニラには人口3000人もの日本人町がありました。当時人口がこれだけあれば、立派な都市です。
 そしてこの流れが絶たれる直前に、起死回生とすら言える手法で日本の開国は維持され、それどころかおおっぴらに開かれてしまいます。
 また史実では、江戸時代に入ると各大名ではなく、幕府が交易を仕切るようになっているので、この開国方針が打ち出されれば、幕府は直轄都市とした長崎、大坂などを起点とした広範な交易に手を出す筈です。
 また、史実において鎖国のため建造が禁止された、竜骨を持った外洋大型船の建造が幕府主導で継続されるのは明白で、17世紀前半には既に西洋の帆船に準じた船が建造されていた日本の造船能力が、一時的な停滞を挟んで再び発展するのなら、その百年後ぐらいには西欧と同等の帆船が東南アジア、太平洋を席巻していても何ら不思議はないでしょう。
 江戸幕府が、海外植民地に全く興味がなかったと考えても、自らの繁栄のために交易は熱心に行うでしょうから、これを積極的に阻害するとは思えず、そうであるなら日本人による交易を疎ましく思う西欧列強は枚挙にいとま無く、これらと武力でぶつからない為には、抑止力としての軍事力は是非とも必要で、吉宗の時代には日本製大型ガレオン戦艦が日本の主要港湾の警備をしているという情景も容易に想像できます。
 それに、日本が開国しているのですから、西欧で大規模な戦争が終わるたびに余る兵器を売りに来る商人も枚挙にいとまないでしょう。
 交易により日本の繁栄がもたらされているのですから、全くない方がむしろ不自然です。
 もちろん、江戸幕府の後進性を考えても、です。

 また、家康時代に全盛を迎えた朱印状貿易によって、フィリピン、ベトナム、シャム、インドネシアの各地に多数の日本人町が建設され、場所によっては数千人の規模があったのだから、これが一時的な退勢を挟んでさらなる発展を見せているのも間違いなく、これは海外交易商人と日本中に溢れかえっていた浪人衆、飢饉の際の流民がこの流れを継続する筈です。
 ただ、日本が本格的な植民地を持って、西欧勢力を東アジアから追い出すのかと言うと、そこまで急進的な考えを持つかはかなり疑問です。
 なぜなら、江戸幕府とは良い意味でも悪い意味でも、東洋的な農耕型封建国家として初期の段階で成立したのであり、これがその後積極交易路線・重商主義路線になったからと言って、政府そのものの方針が劇的に変更するには余程の内的変化が必要です。つまり西欧などからの侵略が無ければ変化はないということです。日本とはそうした国、民族の筈です。
 そして、幕府の基本が平和路線維持による交易の拡大とこの作品内では解釈できるので、日本の側から対外戦争をしかけるとも思えず、西欧列強も人口数千万を抱える文明産業国相手に、こんな遠くで戦争するなど思いもよりません。互いに疎ましく思いながらも、それなりに平穏な交易活動を続ける筈です。
 また、日本人自身が大量に移民するには、日本列島は温暖で住みやすい気候すぎ、大規模な植民、移民にはなかなか繋がらないでしょう。
 そして、全般状況として見えてくる海外進出する日本人の姿は、華僑のような状態での東南アジアでの定着ですね。もしくは、現在のアメリカやブラジル移民の状態が近いかもしれません。そのような状況が東南アジア全土に広がっているわけです。
 また、19世紀辺りには、アメリカ西海岸に華僑より先に殺到しているかもしれません。日本が史実より繁栄しており、その間に何度か起きるであろう飢饉のたびに、日本人の海外流出が発生する筈で、日本が外と深く繋がっている以上、これを否定する要因はほとんど見られません。
 そして各地の日本人は、華僑が大挙進出したように、都市部で大きな勢力を持ち、多数の巨大農場を抱えて繁栄し、幕末の頃には現地住民からかなり疎まれる存在となっているでしょうね。
 つまり、政府主導の移民や植民地経営にはほとんどならない、と言うことです。
 江戸幕府が手を出すとしても、日本と直に繋がる地域、まだ文明国が手を付けていない地域だけに止まると思われます。

 また、日本国内の経済状態ですが、江戸時代において悪名高き参勤交代と江戸での浪費によって、江戸は世界有数の消費都市として栄えますが、ここでの莫大な浪費が大名、武士の財政を圧迫し続け、日本国内での金銀兌換のため発展した両替商たちが異常な程の富を蓄えるという状態になり、武士階級の経済破綻の末路の一つが幕末だったわけですが、ここではその流れもあまり成立しません。
 なにしろ、日本は外国と活発に交易しており、諸大名は自領内での産業振興を行ってせっせと物産を輸出して、それにより富を作り出すという流れが存在しているからです。これは小説内では、吉宗の時代に倹約財政による改革がなく、その必要がないほど日本国内が栄えていたと言う言葉で表されています。
 もちろん、江戸が消費都市として栄える事に変わりなく、そればかりか史実より大きな消費都市となっている情景も間違いないでしょう。江戸はロンドン、パリと並ぶ、もしくはそれ以上の世界有数の国際消費都市になっている筈です。
 ですが、武士が借金をする必要が少ない程度に繁栄しているという事は、両替商たちは海外交易によって財を作り上げるしかなく、両替商は大名に対する借金ではなく、各領国で生み出された膨大な物産を海外に売りさばく事、また逆に海外の物産を日本で売りさばくことで大きな利益を上げる流れが作られ、明治日本で誕生した「総合商社」という存在が江戸時代半ばには成立しているではと思われます。もちろん、海外通貨と日本の通貨の兌換のための両替商としても発展し、史実よりもはるかに早く近代銀行制度も出現しているでしょう。
 そして、江戸初期から海外との交易を行えば、史実での金銀兌換の海外取引での不均衡は成立せず、人口3000万人を抱える巨大市場にして、巨大生産拠点として日本列島が栄え、近隣諸国の成り行きがこれを助長してくれます。
 要するに、清帝国と李氏朝鮮の鎖国と、インド・東南アジアの植民地化です。特に明清革命の混乱と清帝国の鎖国によって西欧諸国は日本との交易を重視するしかなく、アジア植民地での物産を安い輸送コストで売りさばく場所として、消費地区の日本が重視され、さらに日本とそれ以外の地域との物産のやり取りが、双方の間で巨大な中継貿易を生み出し、日本政府(江戸幕府)が積極的な海外膨脹(侵略)をしない限り、大英帝国を始めとする列強が日本列島に十分手が伸びるようになるまで、日本は平和の中での経済発展が続けられる筈です。

 ただ、ここ間に一つ問題が出てきます。
 清帝国成立前後に発生した、台湾を中心にした後明帝国からの江戸幕府に対する援軍要請です。
 鄭成功、国姓爺合戦などでも知られていますが、史実ではこの時江戸幕府に援軍要請が出されますが、鎖国していた事もあって江戸幕府はこの要請に遂に応えず、後明はその後滅亡してしまいます。
 しかしこの世界で日本は、国の分け隔てなく開国しており、既に活発な海外交易活動を行っています。
 つまり、出兵を否定する要因の一つである鎖国という政治的要因はなく、派兵するために必要な船舶も特に不足していないという事になります。
 しかも史実では、この時代においてさえ15万人とも言われる浪人が国内に溢れており、江戸幕府としてはこれらを臨時徴兵して送り込んでしまえば一石二鳥とすら言える意見も多々あります。最低でも、浪人のリクルートとしての派兵と援助物資の受け渡しぐらいは行うでしょう。史実でも鄭成功と共に戦った日本人傭兵がいたという説もありますからね。
 このような事から、個人的には何らかの形で派兵されている可能性は高いと考えます。そして、タイミングさえ良ければ、後明軍が日本の援助もあって一時的であれ南京を攻略して、後明が史実より長く存続する可能性も高くなります。
 また私がそう考える理由は、華中沿岸は中国大陸の産業中枢であり、絹織物、陶磁器のメッカで特に絹織物は日本での需要は高く、この市場確保は開国ニッポンとしてはできるうなら行いたい事だからです。さらに、その後中華が分裂して大規模な対立状態に入るのなら、第三国を介した二つの中華帝国間での三角貿易と武器売買などで自らの商売が一層繁盛するのは疑いなく、このために天秤を揺り動かそうとするのが海洋国家だと考えるからです。
 まあ、江戸幕府がそれ程謀略を好むとは思われないし、立ち回りが巧いとも思えませんが、泥縄式であれ何らかの行動は起こすでしょう。
 そうする方が儲かる可能性が高いんですからね。

 ただし、最終的に清帝国が中国を統一する事は変わりないでしょう。勢いが違いすぎます。
 だから世界史上で何か変化があるとするなら、その後の台湾情勢ではないかと思います。史実でも国家再興の夢破れた鄭成功は台湾に侵攻して、現地にあったオランダ人を追い出し、国家建設とも言える行動を取っており、これを既に肩入れしている日本がさらに援助する可能性が高く、オランダが追い出された後の台湾を交易のための中継拠点として重視するなら、鄭一族による台湾統治を是認して、彼らを介して実質的な台湾統治が行われる可能性は高いと思われます。
 日本列島にとって、琉球と台湾は、東南アジア交易の重要な通行路であると共に中継点ですから、自らのコントロール範囲にある方が良いに決まってます。

 そして、時代は流れて日本は繁栄のまま幕末に雪崩れ込むのですが、1800年代に入りようやく大英帝国の魔の手が日本列島に迫り来ます。
 ですが、史実でもそうであったように、日本列島に列強が大挙押し寄せる情勢にはありません。
 確かに史実ではロシアやアメリカの軍艦が開国を迫りに来たり、1840年にアヘン戦争を行って、その後フランスなどもインドシナ利権を得るためにベトナムの宗主国を自認する清帝国に戦争吹っかけたりしていますが、19世紀半ば世界は大混乱に見舞われています。
 1851〜1864年太平天国の乱、1853〜56年クリミア戦争、1859年インド・セポイの乱、1861年南北戦争などが行われています。この中で特に重要なのは、クリミア戦争で、この戦争ではイギリス、フランス、ロシアという当時日本にちょっかいをかけていた国の過半が戦争に足を取られているという事で、またアメリカは自らの内戦で海外の事など考えている余裕はなく、この混乱の最中に幕末から明治維新を成し遂げた日本は、何とか列強からの本格的干渉を受けることなく近代国家建設へと歩み出せたわけですね。
 そして、この世界でも諸外国の流れは全く違いないと考えられます。
 史実と違うのは、日本が世界中に既に開かれた国であり、交易によって史実よりも繁栄しているという事だけです。
 もちろん、先に書いたように近隣での若干の変化はありますが、その過半は史実の欧州情勢に変化を強要するものではありません。
 違いがあるとすれば、日本に開国を迫りに来る国がない事ぐらいです。何しろ既に開国されてますからね。
 ああ、でも幕末まで行く前に、日本近隣の領土問題は一度考えてみる必要がありますね。

 日本の江戸時代の領土は、日本列島とその近隣の島々、そして19世紀に入ってから雑居地とされた樺太、千島列島になり、琉球は別国家扱いになります。ですがこれは日本が鎖国していた史実での場合であり、日本人が外にドンドン出ていく事を思うと、恐らく、樺太全島と千島列島全土は、幕末に入るまでに全て日本領と考えるのが自然でしょう。
 どこかの国の旗が立っていないのなら、自分たちの旗を掲げたがるのが近代商業国家の常です。日本と言えど例外ではありませんし、海外の事情を知っているなら西欧列強と同じ行動に出る方が自然でしょう。そして、史実でアイヌに行ったような事が大規模に行われる筈です。
 また、日本人たちがそのまま北上を続けてしまえば、17世紀中にはアラスカにまで簡単に到達するでしょうし、そこでロシア人と衝突するか、その前にここは江戸幕府のお預かりであると宣言して領土化している可能性も高くなります。
 何しろベーリング海峡の名付け親がアラスカを発見したのが1741年、ロシアが領土宣言したのが1799年ですからね。西欧人に毛皮が売れると考えた幕府が、領土化する方が先と見るのが自然でしょうし、先に金鉱を見つければ日本人が我が物にする行動にでるのは疑う余地がありません。ラッコの毛皮も、日本人の手により欧州に紹介されているでしょう。
 ただし、東南アジアの主要地域、南洋諸島の多くは日本が再び開国に傾く前に西欧列強の影響下に組み込まれており、そうでない地域は中華帝国の影響下にあるか、歴とした独立国家です。となると、平和国家をいちおうの標榜とする日本がこれらの地域に三つ葉葵の旗を掲げるワケにもいかないでしょう。例外としてオセアニア地域がありますが、江戸幕府がよほど力を入れない限り他国との共同移民が精一杯でしょうし、北米大陸での日本の植民地建設も、継続的な移民と開発がないと難しく、領土化や日本化まで辿る可能性は低いと判断できます。まあ、東部から鉄道を敷設して西海岸に到達したら、すでに日本人の町がロスやシスコに出来て、灌漑農法の水田が広がっているという光景はありそうですけどね。

 さて、少し脱線してしまいましたが、開国ニッポンでは1850年代にイギリスが幕府に江戸から下関に至る鉄道を敷設してやると持ちかけ、この利権に釣られた井伊大老に引っ張られた幕府が条約調印、これをイギリスによる植民地化の第一歩と正確な判断を下した勢力が活動を開始し、そのまま幕末に雪崩れ込んで、史実とほぼ同じ筋道を辿って日本は江戸から明治へと移っていく。というところで物語は幕となっています。

 ここでの史実との違いは、先に書いた事以外には特にありませんが、もう一度繰り返すと日本の国富は史実より遙かに大きく、この世界では明治維新までに東京=小田原まで鉄道が開通しているという事です。
 ついでに、坂本龍馬も元気です(笑)
 そして、鉄道敷設の状況だけから考えても、日本の経済と産業は、史実より十年ほど文明が先にいっており、イギリスが自らのために敷設するという事は標準軌で鉄道が敷設されているのでは、という事になるでしょう。
 また、日本は史実よりも豊かで、農業以外の産業が大いに発展して、限定的な商業国家になっていると言うことは、史実よりも人口も多くなるのは疑いありません。食料も足りない分は、儲けたお金で輸入すれば事足りますからね。
 そして、大名の財産が大きいので借金も少なく、明治政府による借金帳消しの命令そのものが存在せず、各豪商の財産も大きいだろうと考えると、日本の戦後の商業状況も大きく変化している事でしょう。
 しかも1850年代の鉄道敷設開始は、史実よりも20年近く早く産業革命が始まっている事の証と考えるのが妥当で、これは幕末に入るまでにニッポンが加工産業の発展で、工場制手工業(マニファクチャー)が大いに栄えていると考えるのが妥当です。
 そしてこの世界の明治ニッポンは、史実のように絹しか輸出品がないという哀れな状態にはなく、スタート時点からドイツやイタリアより少し出遅れたぐらいの産業国家としてスタート出来るのではと考えられます。
 ついでに言えば、岩崎家による三菱ではなく、坂本家による三菱が勃興している事でしょう(笑)

 そして、明治ニッポンと明治日本の外交面での最大の違いは、数百年前から対等な関係が築かれている西欧との不平等条約が存在する可能性がかなり低い事です。また、平和ボケした江戸幕府とは言え、軍事力の方も装備は多少旧式ながら経済力相応にあるでしょう。でないと、イギリスが鉄道敷設の持ちかけという回りくどい手段で日本支配を行おうとする理由が薄れます。
 これは、イギリスが日本の国力、軍事力に一定の評価を与えているからで、もしそうでないならアヘン戦争のように江戸幕府そのものに対して問答無用で殴りかかっている筈です。
 ただ、この開国ニッポンでは、下関戦争や薩英戦争は史実と同じ展開らしいので、実はそうではないのかもしれませんけどね。

 まあ、幕末の日本の軍事力の事はともかく、開国ニッポンの日本列島には、史実での明治末期から大正期ぐらいの財力、社会資本などが江戸末期には存在すると考えるのが妥当で、後はこれに産業革命が追いつけば、史実よりもはるかに大きな発展が待っているのは間違いないでしょう。この世界の日本列島の高度経済成長は、1910〜20年代に訪れる筈です。
 そして開国ニッポンと史実との一番の違いは、江戸幕府二百年の太平の間、開国して国を盛んにする事を当然と考える民意は、史実の島国根性とは少し違ったアイデンティティーを日本に持たせている事で、これは史実の日本とイギリスの中間ぐらいの考えを日本人に持たせるのではと思われます。
 要するに、史実よりも外交巧者であり、海洋国家として大陸よりも海洋に目を向けるという事になります。

 また、私の今までの推論(妄想)が正しければ、史実での1875年の日露間の国境交渉は、日英間のカナダ=アラスカ間の領土取り決め交渉になるでしょうし、琉球の領土化ではなく、鄭一族により支配された台湾の日本帰属を巡る清帝国との衝突になり、恐らく史実と似たような筋道をたどり朝鮮は開国され、その流れで日清戦争は必然的に勃発し、史実以上の圧倒的勝利が日本の手にもたらされる事は疑いありません。
 そして、台湾の代わりに海南島が日本領になるのではと思われます。
 ただ、三国干渉以後世界情勢がどうなるかは少し微妙ですね。
 日本が史実よりも豊かでも、世界情勢そのものは史実とそれほど違わないと考えるのが妥当ですが、そうであるが故に三国干渉が行われたら日本国内の反発は強いと予測され、これ以後の日本史・世界史は妄想の翼を広げるにしても、非常に難しいものがあると思います。ヘタすれば、この時点でロシアとの戦争です。国が豊かな分、史実よりも軍事力はあるでしょうからね。
 それとも海洋国家としての性格の強い日本は、朝鮮さえ自らの保護領土もしくはヴァッファー・ゾーンとしたら満州にそれ程興味を持たず、事件そのものが発生しない可能性も高いんですよね。
 そして三国干渉の流れがなければ、日英同盟は成立せず日露戦争も違った形で発生する事になります。
 ただし、ロシアと日本の極東での衝突は必ず発生しますよ。日本が朝鮮半島を自らの緩衝地帯として望み、ロシアが南の海を目指す限りこれは必ず発生します。
 これだけは、江戸幕府が開国路線を継続していようが、明治ニッポンが豊かで大きな領土を有していようが関係ありません。帝政ロシアが大きく変わっていない限り避けて通れない道です。

 ただこの後の事で言えるのは、江戸時代初期からしっかりと海外と付き合っているという事は、日本に良性の変化をもたらしているであろうと言う事です。
 おそらく、太平洋戦争は起きていないでしょう。
 日本とアメリカは、史実よりもニッポン人が大人ですから、欧州の国家同士のように何かといがみ合いつつもどこかで折り合いを付けていると思います。

 そして、本作品はこういったストラテジーレベルの事は殆ど語られていないのが、私のような人間にとっての魅力の一つであり、今回こうした妄想の翼を広げるべく取り上げてみました。

 

・・・そう言えば、徳川ニッポンが開国していた場合の歴史シュミレーションって、架空戦記小説で見たことありませんね。何故でしょう。このようにアプローチさえ間違わなければ魅力に満ちあふれているし、読者に対しても親近感が高くなるのに・・・

 では、次の作品で会いましょう。