〜 本 遇 寺 の 歴 史 〜 その5


 明治19年に静圓還浄により、本遇寺17世住職を継ぎましたのは、長男の静教でした。
 文久3年の生まれとされていますから、弱冠23歳での継職です。
 明治23年に当時下福島にありました『横超寺』との合寺があり、その届出の文書が
 残されています。

”右横超寺儀は去る明治19年9月先住死去以来住職無之候処 (略) 少数の檀家共に於いて
 これらの負担に堪ゆべからず。(略) 到底本寺維持の目途立ち難きに附き 本郡(西成郡)
 上福島村本遇寺は隣村にして且つ同宗派なるをもって檀中協議の上○寺に合併致したく存じ(略)

   明治23年7月14日  大阪府下攝津国西成郡下福島村   横超寺   無住    ”

 同寺本尊阿弥陀如来御木像は現在も本遇寺本堂に安置されてあります。他に聖徳太子画像一幅、
 七高僧画像一幅も横超寺より受け継ぎ、南余間にかけられています。

 横超寺は前頁にも書きましたが明治13年に勤まった本遇寺前坊守の葬儀の脇導師として参勤いただ
 いておりました。また横超寺の総代として署名されておられるお家の中には現在も本遇寺のお檀家として
 ご縁をいただいております方も数軒ございます。

 明治42年の俗に”天満焼け”といわれる大火災によりまして、明治16年に改築された本堂が焼失いたし
 ました。北区の裁判所あたりから出火した火災はおりからの強風にあおられとうとう福島の地まで焼き尽くし
 現在も一部残っております当時の紡績工場の煉瓦べいでようやく鎮火したといわれます。しかし静教師は
 火災保険に入っておられ、そこから支払われた保険金を元に本堂の再建に着手され、以前の倍する50坪の
 敷地面積を持つ本堂を建立されました。その本堂も昭和20年6月の空襲によって焼失いたしました。


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