平成15年10月分

10月  31日(金) 福島区仏教会の聖跡巡拝の旅行で永源寺と錦織寺へ行く。天気にも
         恵まれ、道もスムーズに流れ予定通りに行程をこなした。永源寺は紅葉には
         少し早かったが何本か色づいた木もあり萱葺き屋根の御堂と緑の中にわずかに
         紅をさした風情がよかった。錦織寺は田園地帯のなかに溶け込むような御堂で
         火災によって多くの寺宝を失われたとか。しかしおはなしいただいた方が独特の
         味をもったお人柄で、奇瑞のような伝説の実際的な解釈を淡々とされて、それが
         無理に肩肘張ったようなことがなくてよかった。木辺派の勤行本と儀式作法の本を
         購入して帰った。家で作法のところを読んでみると、五条を脱ぐとき、小威儀から
         はずすのは破門の時の作法だから絶対してはならないとあった。気をつけねば。

10月  30日(木) 瓦懇志の寄進もありがたいことに次々とご持参いただいたり書留で
         お送りいただいたりで割当額の40%程度集まる。皆 ご本山への思いは
         格別なものをお感じていただいているようだ。その篤いお心にどれだけ応えて
         いけるか、最前線の住職にその責任能力が問われる。

10月  29日(水) 夜 青年会の学習会を寺で行う。出退から和讃本の扱いなど模擬法要
         形式でするが、皆結構場馴れしているようだ。若い世代に追われていく実感
         を感じるようになってきた。

10月  28日(火) 昼過ぎにお参りの方は終る。午後から青草人の一頁清書、印刷、折込
         宛名印刷と一気に寺報の仕事を片付ける。やっつけ仕事になっていないか心配。

10月  27日(月) 別院の報恩講の晨朝から参勤する。目が覚め切らないうちに初重の巡讃があたり
         声が出るか心配していたら、「南天竺に比丘あらん」で最後のたたきのあるところが
         「らん」と二文字だったのであせる。教務所でちょっと野暮用を済ませたりして日中は
         外陣。思ったより時間がかかる。1時間以内かと思っていたら5分くらいオーバー。慌てて
         帰って11時半からの法事に飛び込む。そのあと奈良、藤井寺と回って、吹田に行こう
         としたらえらい目にあった。阪神高速松原線が閉鎖で近畿道を通ったらまず八尾料金所
         まで渋滞。やっと通り抜けて大東鶴見を過ぎたら急にまた渋滞に。ナビで調べたら
         摂津あたりで事故があったらしい。ところがもう出口は摂津北までない。仕方なく待つこと
         2時間半。門真のあたりだったが、全く動かない。日本シリーズをカーナビのをテレビで見て、
         道路上で試合の帰趨が決まる。檀家さんには今日は行けないことを携帯で連絡。
         こういうときこそこの文明の利器が役に立つ。帰り着いたのが9時過ぎ。
         ザ ロンゲストデイとなった。

10月  26日(日) 朝10時に、墓の建碑式がある。家の方は早く来られているのに、石屋がぎりぎりで
         あせる。終ってすぐ車で岡本の親戚のお寺の落慶へ向かう。快晴でまさに法要日和。
         震災で被災された寺院でようやくの再建、車で寺へ向かうが、寺の周辺の道は狭く、
         地図を送ってもらっていて助かる。新しい本堂がまばゆい。よく見渡すと周囲の家も新築
         が多い。それだけ被害が大きかったということだろう。表白を聞かしていただいても、総代
         さん方も大きな被害を受けられ、再建への道のりの大変さに頭が下がる。おそらくその
         大変さの本当のところは自分にはわからないだろうと思う。あの被害状況もほんの電車で
         30分たらずのところにいても全くわからなかった。高速道路が倒れた映像は見ても、
         あれだけ多くの方々の被害は想像できなかった。あの地震の翌日、別院で社葬があったが
         お手次の寺院が来られていなかった。大阪と神戸であの状況の違い、わかったつもりで
         いても表面しかわかっていないのが自分の浅はかさだという事を教えられた。立派な
         法要に参勤させていただいた上に、ご馳走までいただき感謝する。ちょうど隣に
         曽曽祖父の実家にあたるお寺の若院さんがおられ、話相手になっていただく。

10月  25日(土) 朝8時より出て、法事二つ。ある家に午前11時40分くらいに行くと、寺に電話を
         されたらしく12時から法事があることをご存知で、さきに法事に行ってくださいと言って
         下さる。法事は10分くらいは遅れても大丈夫か、と思ったが、気を利かしていただいて
         ありがたかった。夜 I氏と久しぶりに呑む。天満界隈の店でブルースのライブを聞きながら
         梅錦の地ビールをのむ。夜空の下心地良い時間が過ごせた。

10月  24日(金) 本来休みの日だが、中陰と日曜の分が入る。夜 中津のお寺で御遠忌の
         相談。ご住職が本山の御正忌中に御文法話をされるということで、急に「大阪建立」
         をテープに録音させて欲しいという要望。緊張して一字下げが伸びなかったか心配。

10月  23日(木) 午後より歳暮を贈りに百貨店へ。早いほど割引率が高い。それが出来るのは
         限られた商品であまり変り映えしないものが多いが、消耗品ならいいかと石鹸にする。
         帰りにタワーレコードとジュンク堂による。JAZZの古いアルバム「クールストラッテイン」
         をジャケットに釣られて買う。夜 加津屋にて区仏の役員会。31日の旅行の件。

10月  22日(水) 今日は雨が上り、時候もすごしやすい日和だ。報恩講参勤が続く。
         続けて結讃があたり、声が疲れた。阪神が苦闘の末に勝利する。DHを使えない
         ダイエーが投手のところで代打を使ったのがあとの展開を苦しくした。動かざる事
         山の如く、か疾きこと風の如くかまあ作戦の分かれる所で、余裕のあるはずの
         ダイエーが仕掛けていったのが興味深い。まあこの負けは折込済みか。

10月  21日(火) 朝からひどい雨降り。組内の寺院の報恩講だがちょっと気の毒な感じ。
         もっとも阪神にとっては恵みの雨になるかも。夜 友人と会食。

10月  20日(月) 芦屋の岩園町のあたりに少しだが鬱蒼とした雑木林があり、住宅地の中に
         取り残された自然の風景がちょっと良い感じだったのだが、そこが造成されて
         住宅になるということを聞いた。数少ない自然を残して欲しいと言う声もあったようだが
         その声の主の住まいも元々は自然の山だったところ。結局住宅になるようだ。芦屋の山手
         で眺望もよいとくれば、引く手数多だろう。それにしてもその土地が昨年亡くなられた関西の
         有名なマエストロが相続税として物納されたところとか、本当のところは定かでないが
         相続税というのがわが国の自然を含めた文化を破壊していくような気がする。

10月  19日(日) 青草人の会、まあまあ話はうまくまとまった方か。お西は五濁悪時のおさえが
         足りないから、ありがたやの恩寵の宗教になっているという話を聞いたことがある、という
         相変わらずの厳しいご指摘を戴いた。

10月  18日(土) 午前中 法事を入れて8軒、しかも東三国があり、1軒こぼれる。申し訳ない。
         午後から明日の「青草人の会」の話を考える。正像末の五首目と六首目。数万歳から
         二万歳というのが、譬えとしても極端で説明しにくいが、自覚の問題としてとらえて
         生きているということの本質的な意味合いを問うていくという展開にする。
         夜 日本シリーズを見るが、どうも8月くらいから阪神の選手のノリが悪いので心配して
         いたらその通りの展開になった。同点の9回表しか見なかったが、そこでリードしていなければ
         阪神の勝ちはなかった。まあ肝心なところで大事な人事の情報が漏れるようでは
         勝ち目はない。

10月  17日(金) 3時から寺で大阪市と例の問題で話し合い。こちらがわ3軒の条件が違うので難しい
         ところもあるが市側もかなり条件的には寛大な感じがする。夜 楽の練習。当番だったので
         早めに行って準備する。附物の伽陀の練習で声を使いすぎた。まあ報恩講シーズンなので
         声の調子はまずまずといったところか。

10月  16日(木) 久しぶりに夜も家でゆっくりした。BSで小津監督の「小早川家の秋」という映画を
         やっていたので見たが、さすがに名匠らしいつくりでよかった。中村雁治郎と浪花千栄子の
         大阪弁が歯切れ良く、いらちの関西人を見事に演出していた。新珠美千代もはんなりとした
         味があり、上手かった。雁治郎が死ぬところを画面で見せず、浪花に「しまいか、これでしまいか。
         いうて亡くなりはりました。」と語らせるところが、それまで雁治郎の大阪弁を耳にしてきただけに
         そないいうて亡くなるだろうなあ、とこちらに納得させるものがあった。間と余韻を味あわせる
         名品だ。

10月  15日(水) 植木屋が来て庭をさっぱりとしてもらう。いつも落葉の前に枝を刈ってもらうことにしている。
         ケヤキなんか毎年枝を殆ど落とし、この時期に葉も全部なくなるのに、次の年になったら枝を出し
         葉を繁らせる。生命力の強さには感心する。ついでに塀際の蔦も根こそぎ撤去してもらう。
         夜 平野にて声明の稽古。I氏の持ってこられた資料に、お西では、華籠(けこ)のことをケロウと
         いうように書かれてあった。先日花びらを入れたものをケコと言って説明したが、何のことかわから
         なかったかもしれない。知らないという事はこわいことだ。

10月  14日(火) ようやく普通の日。午後から教務所で教化委がある。委員会の席でジュンク堂で岩田先生
         (今度講師に招く予定)の本があったので買ってみた、という話が出る。大きな本屋が自転車で
         行ける所に在りながら、足が向かない自分に情けない。思えばそこは昔大毎地下の映画館があり
         よく自転車で通った所なのに・・・。

10月  13日(月) 朝からどしゃぶりの雨。一昨日に念力を使いすぎたか。それでも午後からあがってくると言う
         予報にすがる気持ち。朝お参りをしているうちに小降りになり、安心。玄関の幕を付けていたら
         法中が来られ慌てる。約三十数名の参詣。朝の天気からすればまずまずか。三帰依文も書き下し
         で言おうと思っていたが、漢文が口からでてしまう。登壇して初段の現代語訳を読み、正信偈
         草四句目下淘五の三首引きでだいたい40分強か、これ位ならちょうどいい。法中の接待が組内と
         楽、助音と部屋が別になり大変だった。なんとか無事終了して片付けをしていたら、電話があり
         別院の報恩講の習礼をしているのですぐ来て欲しいとのこと。遅れて行くつもりだったが待たせるのも
         いやだったのですぐに出かける。首座だったが日中の法要で伽陀五章はさすがに疲れていて、
         流しが皆短くなり、指摘される。ごもっとも。

10月  12日(日) 明日の報恩講の準備。式文も昨年と同じメニューしか準備できなかった。登高座の練習も
         一回だけしてみる。人のミスはわかっても、自分のミスは気がつかないものだ。明日の天気が
         気がかり。

10月 11日(土) 少し曇っていたが、雨はなんとかしのげそう、かえって陽射しが無い方がありがたい。
         それでも住職は着替える前から汗が滴り落ちていた。定刻通り庭儀発進。距離はあったが
         消防団の方々が車を抑えてくれていたので、スムーズに時間通りに本堂着。お立寄りのお勤め
         では思わず吹き出しそうなこともあったが、声を出さなくても良い役でよかった。法要では、楽 喚鐘
         が最初聞こえにくかったようだ。裏ではかなり大きく鳴り響いていても、表では充分でなかったようで
         確認不足。行道は他宗派の方が多く、列の組み方からバラバラになり、散華の回数もまちまちになる。
         こういう場合異例だが同じ周回で三回散華してもらってもよかったか。予定通りの時間で終了。
         いい経験をさせてもらった。忘れないうちにまたどこかで呼んでもらえないかな、なあーんちゃって。

10月  10日(金) 朝8時過ぎに寺を出て、帰ってきたのが11時頃、いよいよスペシャルウイークの始まり。
         明日の分も含めてお参りがそこそこあり、その合間に儀式作法の指導があり、中陰も入り、
         6時ごろに多田へ。最終的な打合せ。お立寄りのお家も見せていただくが、みな大阪市内と
         違って敷地は広いし、建物も立派。庭も広いから稚児行列も皆中に入れそう。帰って夜、寝床に
         入るが寝付けず。

10月  9日(木) 午後からあるお寺の報恩講の助音に行く。その組内は参勤法中への接待がていねいで
         昼と夜の座のあいだ、ごちそうになる。ご住職のお人柄か、参詣のご門徒方も多く、しかもお勤め
         も文類の眞四句目なのに、皆さんついてこられる。教区で目立とうとするのでなく、地道な活動
         が大切だと思い知らされる。

10月  8日(水) 今日から組内の報恩講が始まる。寺にとって最大の行事だが、門徒の方にとっては
         どうなんだろう、ということを考えながら竪畳に座る。結讃あたる。

10月  7日(火) 今夜は仏具のお磨き。8名ほど集まっていただく。女性ばかりなので話の華が咲く。
         男一人入って雰囲気を乱してもいけないので、一人内陣の荘厳をする。いよいよ報恩講
         というかんじ。それにしてもこれからの数日間が今年最大のヤマ場になりそう。

10月  6日(月) 5時より声明本の編集会議。なるたけ小さく、かつ見やすく、かつ意味も載せる。
         これは至難の業だ。それにしても楷書体のくさかんむりの字体が、十 十になっているのは
         いささか見難い気がする。

10月  5日(日) 午前中生駒へお参りに行ったら、田んぼのあぜ道に彼岸花が群生していた。
         少し時期遅れ気味だったが、赤い花がまとまって、目を楽しましてくれた。しかしよくあれだけ
         まとまって花を咲かせるものだ。生命力が強いのだろう。根に毒があると聞いたことがあるが
         いきなり茎が出てそこにあれだけ大きく華麗な花を咲かせるのだから特異な植物であるには
         違いない。午後天満で報恩講。今日は楽僧。本堂の火鉢の炭が消えそうなので息を吹きかけて
         いたら貧血状態になる。附物では下無が出ていた。ご苦労様でした、といわざるを得ない。
         帰ったら檀家のYさんがHPを見てクラシックレコードの専門店のちらしを持ってきていただいていた。
         まだまだこれからいろいろ聞いていこうとしている初心者なので、こういうお店を紹介していただけると
         ありがたい。夜 久しぶりに家にいる(10日ぶりくらいか)ので、報恩講にむけてのお磨きをする。
         華瓶とか鶴亀は時間がかかるので、ぼちぼちやるしかない。坊守も昼間から少しずつやってくれている
         が隙間に入った薬剤の残りが厄介だ。

10月  4日(土) 天満別院報恩講。今日は准堂衆で。だいたい上手くいったが最後回向でつまずいた。
         挿鞋直しに御代前側も出てきたので、これは全員の直しをするのか、それではゆっくりしなければ
         と思ったりしたら、四句目が出遅れた。夜 光遍寺で助音との打ち合わせ。本堂の形態が少し
         違うので(後門のところ)やりづらいところもある。また考えねば。

10月  3日(金) 夜 声明の指導に。あとの雑談で面白い話があった。あるお檀家で
         エレヴェーターの点検の話が出て、毎月点検があってしかも結構な料金を取られる
         から困るという話がでて、そうですねえ、と言ったものの自分はその家に月2回お参り
         に行っていた。点検は安全のためだけれど、お参りは・・・。と考えるたら話題を変えていた。
         そんな話で盛り上がった。

10月  2日(木) 11時半より葬儀。夜 光遍寺へ。門徒の方もお集まりで、いろいろ話し合いを
         していると12時を過ぎる。寺のことで僧俗一体となる御遠忌は、たいへんだが何か
         充実した感があって喜ばしい。ただ風呂に入って休むのは2時ごろになった。

10月  1日(水) 通夜で大融寺へ。周辺が一方通行が多く、入り口まで少し迷う。参列多く
         三重で和讃を継ぎ足す。どこかの勤め方に三重から二重、初重と戻って、また上っていく
         というのがあるそうだが、ちょっといきなりそれは難しい。帰りご住職にあいさつ。