平成20年 9月分


9 月30日(火) 来週寺の葬儀について何か話を、という依頼があったので、下調べ。地域に
   よってかなり形式が違ってくるので、これが正しいということを提示するのは難しい。

9 月29日(月) 夜別院で会合。結構雨が降ってひんやりする。同朋会運動についての総括
   として、問題だと思っているところを指摘してみた。どうもこのごろ昔はよかった、風の論調
   が目立つが、やはり問題点を明らかにしておかないと、これからの展望が開けない。

9 月28日(日) かなり寒くなってきた。例年だと9月の終わりだとまだ暑さが残っているはず
   なのに夏の名残はみじんもない。助かるといえば助かるが、ちょっと急すぎて、こちらの
   準備がととのわない。

9 月27日(土) あるお家で新内閣の話から、今度の内閣は首相のブレーンがいないという
   話から、そういえば小泉さんの時のあの人、といって名前が出てこない。奥さんもああ、
   あの人といって名前が出てこない。お互いここまで出かかっているのに気持ち悪い感じで、
   いたら、ご主人がああ竹中さんのことか、と言っていただいて大笑い。しかし笑いごとでない
   のかも。

9 月26日(金) 午後に話を聞いてもらいたいという方が来られた。いろいろ人生の紆余曲折を
   経験されてこられたようだが、なかなかそこからお念仏のところへ話を繋いでいくのは難しい。
   まあ話を聞かせていただく、ということだけでよしとするしかないか。

9 月25日(木) 声明指導の2回目。といっても前回他の行事で参加されなかった方だけの補講。
   14名くらいだったが、これくらいの人数だとやりやすい。間違っておられるところも指摘しやすい
   ので、指導するポイントがはっきりする。

9 月24日(水) 伊丹の方に引っ越された方のお家に初めてお参りに。茶室も兼ねられた仏間は
   三方から光が入って電気をつけなくても十分明るい。福島ではそういうお家は少ないので
   うらやましい。こちらは周りに高層マンションが出来てきて谷底のようになりつつある。

9 月23日(火) 彼岸会。たくさんお参りいただく。高間先生のご法話は、熱心に聞法生活をされ
   ていたご家庭の育たれた娘さんがおられて、その方は親から念仏申せと言われるのに反発
   して、少しも念仏されなかった。それが最愛のお母さんが亡くなられたとき、自然にお念仏申せた
   これはお母さんが私にために死んでくれた、私にお念仏申させるために命をもって教えられた。
   帰命無量寿如来の無量寿とはそうした私を導いてくださる限りない愛のことだ、というお話。

9 月22日(月) 彼岸会の準備。相変わらずマイクの音量調節に迷う。自分は聞こえても、耳が
   遠くなっておられる方のことを考えると、ヴォリュームを上げた方がいいかとも思うし、上げ
   過ぎると音が割れてかえって聞きにくくなる。

9 月21日(日) 青草人の会、一か月開くと久しぶりの感じ。「五劫思惟」のところ。願いをおこされた
   あとでさらに考えられたのは、私たちの人間の事実をお考えになられている。地獄餓鬼畜生に
   生まれないようにと願っても、どうしてもそこに帰ってしまう、その衆生の真実をみすえられて、
   さらに誓いをおこされ、名号を与えてくださった。だから五劫思惟は他の誰でもない、自分一人
   のためにお考えいただいているんだという自覚が必要という話に。

9 月20日(土) 秋のお彼岸。最近はお墓参りに来られる方が増えているような気がする。御先祖
   を大事にする気持ちが結構若い方にも芽生えてきているようだ。これを一時のブームに終わら
   せるのでなく、それをご縁に仏法を聞いてくださるようになればありがたい。

9 月19日(金) 夜地域の議員さんの納涼大会、といっても台風は来ているし、肌寒い感じには
   なってくるしで、納涼とはいかない。まあ去年ならまだこの時期でも暑かったような気もする。

9 月18日(木) 小学校の運動会の話題が多くなってきたが、箕面の方の小学校では児童数が
   多くて、父兄の観覧席の取り合いから、ビデオ撮影で親の方が走り回ったりして大変らしい。
   親の気持ちというのもわからなくはないが、子供がのびのびできることを第一に考えていかない
   と本末転倒になりそう。

9 月17日(水) 教区の声明講習の開講式と1回目の授業。30名以上になるとマイクを使わせて
   もらわないと説明の時の声が届くか心配だ。全体で声を出していただくと、公約数的に上手く
   聞こえてくる。まあ最初だから声を出すということに集中してもらって、細かいところは次から
   ということに。

9 月16日(火) 二日前が誕生日だった。すっかり忘れていたというか、忘れようと心掛けていた
   というべきか。今まではとある京都のお店(10年以上前に一度連れられて行った)から、靴下
   やらの誕生日プレゼントを送っていただいていて、それでああそうか、と思い出さされていた
   のだが、とうとう今年は来なかった。当たり前のことだけれど。まあ年齢に不足はなくなってきた。

9 月15日(月) このところゲリラ豪雨の話題が多いが、車で走っていても晴れていたと思ったら
   ワイパーを最強にしないといけないような雨に見舞われたり、と状況が一変する。

9 月14日(日) 法事で食事を遠慮したら、持ち帰りにしていただいた。ありがたいことだが、
   自転車で装束やらお供養の品を頂戴した上で、揺らさないように持ち帰るのはちょっとした
   曲芸に近いものがあった。

9 月13日(土) もう一か月先が報恩講。お参りの段取りを相談しながら、月日の経過の早さに
   なにかあぜんとする。

9 月12日(金) 能勢の方へ行くのに、新御堂から新しくできた箕面有料道路を通ってみたが、
   出口の位置関係がもうひとつはっきりしなかったので、結局遠回りした感じになった。

9 月11日(木) 昼前に教務所へ。奨励員としての職務は果たした。あとは副組長としての雑務
   が山積しているだけ。

9 月10日(水) 寺で組会。経常費のことやらで大変だった。なんとか組長としてもっとも大変な
   一日を終えた。

9 月 9日(火) 友人がPCを買い換えてまだ少ししかたっていないのに、もうウイルスが入って
   いたという話。やはりもう少しきちんとチェックしないといけないだろうか。

9 月 8日(月) 午後から教務所で会合。教区主催の声明の講習に定員を超える応募があった
   ようだ。ひと月足らずの応募期間だからきっと少ないと思っていたので意外だった。ちょっと
   責任が増したようで気が重い。

9 月 7日(日) 急に風邪をひいたようで、朝のお勤めの声が出にくかった。夜がだいぶ涼しく
   なったせいかもしれないが、喉に来るのは困る。

9 月 6日(土) 東三国のいつも車を止めるパーキングが満車だった。朝8時半という時間だから
   いつもはがらがらなので驚いた。なにか事情があったのだろうが、さいわい通りを隔てた場所
   に止められたのでよかった。車はこれがあるから困る。

9 月 5日(金) あるお宅で30年来使っていたクーラーを取り換えられたという話に。別に故障した
   のではないそうだが、息子さんたちがご両親を気遣ってということらしい。確かに昔の機械は
   ごつい感じはしたが、効き目は充分だった。それだけ日本はもの作りに長けていたということ
   だろう。

9 月 4日(木) 堺のほうにお参りに行ったら、もう地車の提灯が道につられていた。摂津、河内、
   和泉と昔の国の地域によって祭りの形態や心持がだいぶ違う。

9 月 3日(水) 午後から組の役員会。門徒会の旅行の参加者が予定よりだいぶ多いらしく、こちらは
   欠席するつもりだったのでよかった。

9 月 2日(火) 住宅の外壁塗装の点検に来られたので、最近塗装で断熱効果のあるものがあると
   いうことらしいので聞いてみたら、実際にはほとんど効果はないということらしい。まあ塗装くらいで
   断熱できると考える方がおかしいと思っていたが、せいぜい気休め程度のようだ。宣伝文句には
   気をつけなければ。

9 月 1日(月) 最近南港のWTCに大阪府庁を移転するという話が出ているが、まあ無駄を解消する
   ということではいいかもしれない。先日WTCの近くの商業施設に行ったが、たくさん店があるのに
   本屋とCD屋がないのには驚いた。文化果つるところとはこういうところか。