平成20年12月



12月31日(水) 予報では寒くなるということだったが、少し風があるくらいでそれほど
   冷え込むという感じはなかった。今年も恒例の除夜の鐘、だいたい200人くらいに
   来ていただいた。撞木の綱が少しゆるんでちょっと途中から垂れ下がってしまったが
   まあ滞りなく皆さんに撞いていただけたと思う。清八そばのご主人はじめお手伝い
   いただいた皆様には深く感謝申し上げます。

12月30日(火) 昨日に引き続き夜警に。待っている間の詰所での話が面白い。
   この頃一兆円単位の話題がニュースで出てくるが、それをわれわれにわかり
   やすくたとえるとどうなるのか、と銀行員に聞いたら、一日百万円使って2300年
   以上かかる、という答えだったそうだ。おおよそわれわれには縁遠い額という
   ことがはっきりわかった。

12月29日(月) 町内会の夜警に参加。今日はわりに暖かだった。押し詰まっている
   けれども、この界隈の飲食店はどこもお客さんは入っていた。もっとも中にはまったく
   お客さんの入っていない店もあり悲喜こもごもといったところか。

12月28日(日) お正月用の本堂のお花を入れる。どうも葉ボタンはいつもうまく
   入らない。葉をめくっていくうちにどんどん小さくなってしまった。

12月27日(土) もう今日くらいから休みのところが多いようだ。こちらはそういうことは
   全く関係がないから仕事あるのみ。まあ世情を考えると仕事があることを喜びと
   しないといけない。それでいいのだ。(赤塚不二夫先生を偲んで)

12月26日(金) 久しぶりにお参りしたお檀家さんにまだ生まれて3か月の赤ちゃん
   が家族の一員になっておられた。お勤めしている間も少しもぐずることなく、少し
   抱っこもさせていただいたが、おとなしかったので、おりこうさんですね、
   と言ったら、いつもはもっとぐずるのに今日は特別おとなしいと感心された。
   顔を見て泣かれるよりよかった。

12月25日(木) 東大阪の方へ行ったが、さすがにこの時期は車が込んできた。
   東西を行き来する車はどうしても中央大通りに集中してしまうので、余計に渋滞
   する。東京のように放射状の道路網のほうが分散するのかも。

12月24日(水) 年末年始のTV録画に備えてハードディスクからDVDにコピー
   しようとしたが、二つの番組を1枚のDVDにコピーするのがうまくいかない。
   リモコンの働きが悪いのか操作を間違えているのか定かでないが、どうも
   この手のことは苦手だ。

12月23日(火) 休日だがさすがにもう法事もない。夜、知り合いの方と打ち合わせを
   兼ねた食事。クリスマスが近いこともあって、さすがに梅田界隈は賑やかだった。

12月22日(月) 少し肌寒い一日。暮のお参りを早めていただいたりして、少し
   忙しい一日に。

12月21日(日) 青草人の会、今回は無称光と超日月光のところ。日月の光を
   超えたはたらきとは、物質的な豊かさというより、精神的な豊かさを与えら
   れるものということで、清澤師の「独立者は生死巌頭に立在すべきものなり。」
   というところから物質的に恵まれなくとも、内面的な充足は得られる。という
   話をしたら、ちょっと突っ込まれた。ミニマムポシブルを実践されたというが、もし
   それがやむ負えない状況でそこで他力を感じ取られたのならわかるが、それを
   自身の意思でされたのなら自力の難行苦行と変わらないのでは、という指摘。
   確かにそこだけ取り上げたらそう受け取られる。清澤師の信心をもっと学ばない
   と誤解を招いてしまう。

12月20日(土) 朝子育てサロンの準備に。なんとか起きられた。

12月19日(金) 別院で会合の後、別の会の忘年会。久しぶりに遅くなった。

12月18日(木) あるお檀家さんの娘さんの会社の忘年会が中央公会堂で
   あったとか。確かにレトロな感じのレストランがあったが、あそこで宴会が
   できるのだろうか。ちょっとうらやましい気もした。

12月17日(水) 年賀状投函。今年は早かったが・・・。

12月16日(火) 午後からの法事があって、家族お二人だけ。日当りのいい
   マンションにストーブを背中から当てていただいて、のぼせたようになって
   正信偈の途中で少しうとっとしてしまった。まったく恥ずかしいことだ。
   ちょっと報恩講シーズンが終わって気が緩んだのかもしれない。全く
   弁解の余地のない失態に反省しきり。

12月15日(月) 寝屋川のお宅のお参りを先月に12月はお休みとお聞きして手帳にも
   書いてあったのに忘れていた。神戸のお参りがあったので、そこからドライブ
   してお家の前で気がついた。まあ参るのを忘れているよりは良かったが。

12月14日(日) 千里のホテルで法事。そのあとの宴席にご招待いただいた
   のだが、どうもこういう立場は落ち着かない。まだまだ修行が足りない。

12月13日(土) 民生委の忘年会。これは近くであったので楽だった。歩いて
   帰られる場所がいい、と思うのは年齢のせいだろうか。

12月12日(金) この時期遠方に何軒もあるこの日は辛い。生理現象が近くなる
   ので、公園にあるトイレを利用させていただいたりしているが、その駐車場に
   パトカーが止まっていて、大丈夫かなと思ったが仕方がないと用を足しに
   入ったらおまわりさんも同じ目的だったようだ。水道を使おうとしたら、「そっち
   のは使えませんよ。」と教えていただいた。

12月11日(木) 夕方から別院で会議。御遠忌の団参の割り振りについての
   話し合いだったが、いちおう考えてきた意見を通してもらった。まあこれが
   ベストとはいかないがベターな方法であることは間違いないと思う。

12月10日(水) 夜組の忘年会。一応組長なのでいろいろ御遠忌のことなんか
   を話しながら食事とお酒をいただいていたら、3時間があっというまに過ぎた。
   やはりこういう会の幹事はゆっくりしないということか。

12月 9日(火) 夜地域の研修があって、車いすの使い方の講習。なかなか
   簡単そうに見えて、押す方もかなりこつがいる。街中では歩道が一番
   使いにくいとか。確かに車の出入りするところはスロープがあったりして
   まっすぐ進むのが困難。これからはそういうことも考えていかないと。

12月 8日(月) 夜忘年会があったが、別の予定があってキャンセル。まあ
   あまり無理はしないようにしておかないと。

12月 7日(日) 日曜だったが法事もなく、そろそろ年賀状の準備。といっても
   今はPC頼みなので、デザインを選ぶだけの作業。まあちょっと枚数も増えた
   ので仕方がないということにしておいてもらおう。

12月 6日(土) 2時から組の研修会。笑福亭仁智さんの落語。さすがにベテラン
   らしく笑いを取るツボを会得されているので、安心して見ておられる。新作の
  「親鸞」という話は、歴史的事実はきちんと押さえておられたが、そこから落語
   らしくしていくにはもうひとひねりあったほうがいいのではと思ったが、それも
   難しいことだと思う。

12月 5日(金) 6時から別院で講演会。信仰運動は人によらなければならない
   ということはわかるが、いつまでも過去の人を追慕しているだけでは進歩が
   ない。なにか時代に即応したシステマチックな運動を展開していかなくては
   取り残される。

12月 4日(木) 11時から法事ということで、それまでに堺方面へお参り。高速
   が空いているので時間的には余裕があった。

12月 3日(水) 昨日に続いて別院で会合。いろいろあって混乱してくる。また
   門徒戸数調査らしいが、何回すれば気が済むのやら。

12月 2日(火) 別院で本山から宗務総長が来られての懇談会。おだやかそうな
   お人柄とお見受けしたが、お話やら質疑に対するお答を聞いていると、さすが
   と思わせられた。手堅いのは間違いないが、能動的になにか打って出られるか
   はちょっとわからない。

12月 1日(月) 今日から来年のカレンダーを配る。いつも1日は持っていくのを
   忘れたりするが、今日はなんとか年末であることを自覚できた。