3 月31日(土) 今日も2か所かくれ念仏の洞穴の跡を訪ねた。昨日のところよりは整備されていたが
それでも260段くらい階段を上がっていかないと、その穴に行き着けない。その間に知覧の特攻記念館
を拝観した。昔の方は若いのに皆、字がきれいで、文章もきちんとされている。それを読んでいくと
胸が詰まる思いがする。今ある平和を確かめるためにはぜひ若い人にも見てもらいたいような展示だった。
その中でも「愚禿是敢闘」と書かれた絶筆の書が印象に残った。
3 月30日(金) 組内の旅行で鹿児島へ。江戸時代、薩摩は一向宗を禁止されていたので、隠れて
念仏を称えておられた方々の遺跡を訪ねていった。洞穴のなかで念仏されていたということで、その
洞穴に行ったが、車を降りて急な斜面の道を上り下りしてやっと辿り着いた。穴の高さが低くて、腰を
かがめないと入って行けない。しかも天井部には蝙蝠が十数匹、たぶん熟睡しているようだったが
あんな近くで蝙蝠を見たのは初めて。よくこんなところに集まって念仏されていたなあと、昔の方の
ご苦労が身にしみて感じられた。
3 月29日(木) アマゾンで頼んでおいたワーグナーの「リング」全CD14枚が届いた。2800円くらい
だから1枚当たり200円は安い。ただ聴き通すのが大変。当然輸入盤だから歌詞の対訳はないので
あらすじだけを頼りに聴いていくか、対訳本を求めるか、そちらの方が高そう。
3 月28日(水) 夜 久しぶりにテレビ番組でユーミンを見た。かつてはほとんどテレビには出ていな
かったが、最近は昨年の紅白はじめちょくちょく出られているようだ。今夜は懐かしい曲を何曲か
歌っていた。デビューアルバムの「ベルベットイースター」を久しぶりに聞いたが、胸にキュンとくる
名曲だ。このアルバムで一番好きだった「雨の街」も少しピアノの弾き語りでされていたが、やはり
同時代のレコードで聴いた曲はその時代を思い出させてくれてよかった。
3 月27日(火) 今年は寒かったせいか、梅の花が今頃咲いている。毎年この時期にお参りする郊外の
お宅の近くに、見事なしだれの梅があるが、ちょうど満開だった。花というのは見る者を感動させる。
3 月26日(月) 夕方 別院で会議。最近の若い人は論文、文章を書くのが下手になったという話に。
また講義を筆記するということもあまり上手ではないようだ。PCの普及でコピー、ペーストで済ませ
られるので、自分で考えて文章を書く機会も少なくなったということだろう。これも時代の趨勢。
趨勢という言葉もPCでなかったら使わなさそうだから、PCも言葉を保持していくのには有用かも
しれない。
3 月25日(日) お墓でのお勤めがあった。最近またお墓参りされる方が増えて来ている。諸仏を大切に
しようとする気持ちがよみがえってきているのであれば、いいことだ。
3 月24日(土) 宗派の機関誌に大学時代の先生が「大僧正」に任じられたと報じられていた。あまり
先生にそうした僧侶の位は似つかわしくない気がする。まあこういう地位はいらないような人に
押し付けられる。
3 月23日(金) 夜 楽の練習。伽陀の附けものの練習で伽陀二首をやったら喉が疲れた。全部で
六首というのはきつい。
3 月22日(木) 夜 民生委の会合へ。先日の子育てサロンの準備に行くのをすっかり忘れていて
ちょっとばつがわるかった。
3 月21日(水) 先日吉本隆明氏が亡くなられた。戦後の思想界の雄であり、親鸞聖人の教えにも共鳴
されておられた。ただ氏の親鸞像と真宗の宗門の中にある者の親鸞像は違っていたと思う。どちらが
正しいかということはわからないが、違っていると思われるところに、宗門の閉鎖的なところがあるのだろう。
3 月20日(火) 彼岸会。久しぶりにお寺に来られた方もおられていつも通りの参詣をいただいた。
ご法話をいただいた沼田先生は独特の口調で聴衆をご自分のペースにひきこんで、わかりやすく
お教えをいただいた。夜 いろいろなお教えをいただき、父の葬儀はじめ大きな法要を勤めた時には
大変お世話になった方のお通夜に参列。
3 月19日(月) 彼岸会の準備。寒さも少し収まりお彼岸らしくなってきた。
3 月18日(日) 「青草人の会」今日は「得至蓮華蔵世界」のところ。仏の世界は蓮の花の特性と重なる
ところがある。蓮の花はきれいな水のところから花を咲かすのでなく、きたないドロドロの水からきれいな
花を咲かせる。仏の世界もきれいごとですまされるのでなく、ドロドロの恨みや怒りや欲望が実は真実へ
いざなう縁となるものと受け止められるようになるのが仏の世界の徳というようなお話をさせていただいた。
3 月17日(土) 去年の暮、心筋梗塞になられた方のお宅にお参りした。もう前と変わらぬほどお元気になって
おられて安心した。
3 月16日(金) 夜 楽の練習。この春の本山の春の法要の「供茶式」というのに楽が入るそうだ。見たこと
がなかったので、参加したかったが、日曜に当たっていたのでパスせざるをえなかった。ちょっと残念。
3 月15日(木) 今日は時間があったので、以前買って置いたオペラ「ローエングリン」のDVDを見た。字幕
が出たのでわかりやすかったが、衣装が現代的であったりしたので少し違和感があった。本家本元のバイロイト
の演出も現代的になっているので、そういうものかもしれないが重厚さにかけてしまう。
3 月14日(水) 3時から親戚のお寺の法事。車で出かけたが、そこでご一緒した方が東西線の駅から歩いて
10分少々だったとか。以前その駅の手前の駅からはかなりの距離があったので、次の駅も地図上で見れば
三角形のもう一つの点のような位置関係だったので、同じくらい時間がかかるかと思ったら、正三角形で
なかったようだ。土地勘が悪いというのはそういうところにも影響するのか間しれない。
3 月13日(火) 夜 区仏の臨時総会。花まつりのポスターだとかを配布してもらった。毎年企画を考えて
準備していただくのは大変なことだと感謝しているが、今のこの地域の小さい子供さんはマンションの方
が多く、お寺とのつながりがある子供さんは少なくなってきている。そういう中でこのやり方でいいのかと
いうところも考えていかないと、じり貧になっていくような気もするのだが。
3 月12日(月) 大阪府でも北の地域になると、標高も少し高くなっているので、冷え込みは厳しいらしい。
今年はことのほか寒いらしくて、朝氷点下7度くらいまで下がったこともあったらしい。北摂の住宅地は
元々大阪市内やその周辺の方が移られて住んでおられるので、この気温は今まで体験したことのない
寒さだとか。これからこういう冬がふえてくるのだろうか。
3 月11日(日) 今年は寒かったせいか自然界にも異変があるようで、春に姿を見せる小鳥も数がすくないら
しい。梅の花のところにやってくるメジロが、今年はまだやってこないとか、うぐいすの声がまだ聞こえないとか
例年にない状況らしい。寒さのせいもあるし、このごろやたら目につくようになったカラスのせいかもしれないし
原因ははっきりしないが、季節を感じさせる生き物が姿を見せなくなるのは寂しい。
3 月10日(土) 夜 組会。なかなか門徒会の役員が決まらないらしい。今の時代、ご門徒の方に宗派の
役職をお願いするのも困難な時代になっている。何か抜本的に変えていかないといけない時期にきている
ような気がする。
3 月 9日(金) 今月に入って雨模様が多い。囲碁の会に少し遅れていったが、もう今月でやめられる方
もおられて、少しさみしくなりそう。
3 月 8日(木) PCのセキュリテイソフトに不具合があってエラー表示が出るので、製造元にチャットで
問い合わせたら、その修正を遠隔操作でやってもらった。便利になったものだが、あまり全てをPCに
委ねるのも恐ろしいことだと思った。
3 月 7日(水) 夕方から真宗学院での指導。御文の拝読と所作法を共に学んでいただいた。後半には考査
ということでお一人ずつ拝読していただいた。大谷派の教師となられるからにはきちんと御文を拝読していた
だけるようになっていただきたい。
3 月 6日(火) 久しぶりに知人とミナミで会食。料理屋さんという風情のところでゆっくり食事をするのも
いいものだ。美味しくいただき、美味しく飲んだ。
3 月 5日(月) 今年に入ってからはワグナーを聴きまくっている。どうもあの音楽は麻薬性があるようで、
夢の中にもオペラの序曲(さまよえるオランダ人)が響いてくるようになった。他の作曲家にはそれなりのファン
になる人はいても、ワグネリアンとよばれるような熱狂的なファンができる音楽家も珍しい。しばらく抜けられそうに
ない。
3 月 4日(日) 時候の変わりめのせいか、雨がよく降る。まあそのおかげで花粉症の症状はあまりでないので
助かる。
3 月 3日(土) 夜 友人主催のワイン会に初めて参加。いろいろな種類のワインを飲みながら、美味しい料理を
いただくという会で、全くワインに詳しくないし、アルコールにも弱いのでどうしようかとも思ったが、何度もさそって
もらったので、どういうものか体験してみようと出かけてみた。白から始まり、3番目からは赤。それもイタリアや
アメリカ、フランスと地域も品種も違うワインを飲み続けた。始めのうちは違いはわかったが、最後の方は味も
香りも判別できず、最後のが最高級のものらしかったが、そのよさはわからなかった。いい経験ができた。
3 月 2日(金) 午後から遅れて久しぶりに囲碁の会へ。ちょっとばたばたして出かけたので、どうにも頭が冷静
になれず、先生との指導碁も内容が悪かった。
3 月 1日(木) 夜7時からコミュニテイ会館で地域の会合。市長が変わっていろいろ今まで行ってきた地域の
ための行事が見直されるということになるらしい。予算的なことのどはある程度それぞれの地域に委ねてもらった
ほうが上手くいくと思うのだが、なんでもかんでも締め付けるやり方は、地域のことを主体的に活動されている
人たちのやる気をそいでいくことになりかねない。