平成24年12月分


12 月31日(月) 恒例の除夜の鐘。今年は寒い予報が出ていたのでどうかと思ったら、それほどでもなく
  おかげで例年より多くの方が撞きに来られた。新しいマンションも出来ているので、若いご夫婦のような
  人も多かった。まあお寺があるということを皆さんに知っていただいたらそれでよし。

12 月30日(日) 朝から雨で夜7時くらいまで降っていた。雨なら夜警は中止のなるのだが、と思っていたら
  8時ごろには上がっていた。ちょうど夜警の時間に合わせたかのよう。

12 月29日(土) 年末の夜警。今夜は暖かくて外回りは楽だった。たくさんの方が来られて、地域の
  色々な方と顔を合わせられてよかった。

12 月28日(金) 午後から正月のお花を入れた。といってもほとんど入れにくい葉牡丹などは坊守がして
  おいてくれたので、あとは菊と千両をいれるだけ。早く済んだ。。

12 月27日(木) 顔見世のチケットをいただいた方に御礼申し上げた。こういう滅多にない機会をいただいて
  あれ以来歌舞伎への関心が高まりまた新しいジャンルに興味を持つことができたことがなにより有難い。

12 月26日(水) 東大阪の方まで行ったが、さすがに年末ということで車は混んでいた。今年は物が動いて
  いるということであれば、景気も良くなってくるということなので、よしとしよう。

12 月25日(火) 謡曲をされておられる方が、来月に仕舞をされるので覚えるのが大変、という話を
  されていた。その方面は疎いのでよくはわからないが、謡であれば節は別にしても本を見ながら、
  できるが、舞となると所作を覚えこまなくてはならないので大変なのはわかる。しかしそうして頭と体を
  働かせるのは一番の老化防止の効果があるように思う。

12 月24日(月) この時期の連休は仕事をする者にとっては大変とお聞きしたことがある。年末の忙しい時期
  だからわからなくもない。こちらはあまりそういうことを思ったことはないが、年内に仕事の区切りをつけなく
  てはならない方々には、このあたりの1日はだいじなのかもしれない。

12 月23日(日) さすがにもう法事はない。久しぶりに家で高校駅伝を見たりして過ごした。

12 月22日(土) 年末なのでついアマゾンを見てしまって、以前よりディスカウントされていたらつい買ってしまう。
  お気に入りに登録しておくのも考えものだ。登録した時よりも○%安くなりましたと表示されてあると、

12 月21日(金) 今年最後の忘年会。雨が降っていたのでタクシーで行こうと思ったら、道が混んで
  いるしタクシーもつかまらない。あわてて電車で向かったが定刻ぎりぎりになった。まあこの会は
  席は抽選になっているので、遅れたら上座ということはない。宴が終わって最後の方で出ようとしたら
  傘が無い。仕方が無いので残っている傘を差して帰った。持ち手のところに輪ゴムが巻いてあったので、
  間違えられたのだろう。実はこちらの傘にもゴムが巻いてあった。大勢の時にすぐわかるようにという
  工夫だったが、同じ事を考えられた方がおられたのだろう。

12 月20日(木) 地域の会合があった。地域での餅つきや盆踊りなどの行事についての助成金の
  あり方の変更の説明。しかし減らすということが前提になっているのだから、これは改悪としか言え
  ない。行政の方から是これをやってくれと言いながら、それは住民の自腹で、というのは虫がよすぎる。

12 月19日(水) 午後から散髪に行った。寒かったので伸ばしのばししていたが、もう限界。頭ガスースー
  する気はするが、気分一新したようで身が引き締まる。

12 月18日(火) 地域の方の葬儀に参列。浄土宗の葬儀だったが、途中で和讃を歌うようなところが
  あった。古来の声明というよりも西洋音楽の歌という感じ。これでは歌がうまくなくては導師が
  勤められない。  

12 月17日(月) 納骨に奈良の天の香具山まで行った。橿原方面へは道路事情がよくなって、1時間
  少しで行ける。古くからある村の墓地のようだが、藤原京跡とか歴史的にも知られた天の香具山
  に墓地があるとは知らなかった。香具山は小高いなだらかな丘といった感じで、持統帝の「衣ほしたり」
  で知っているが、たしかに藤原京の真横だから、衣も干すのがよくわかるだろうということがわかった。

12 月16日(日) 青草人の会。今日は「往還回向由他力」のところ。往還とは浄土に往って還ってくる
  ということだが、それは別々のことではなく、往くすがたが同時に見方を変えると還るすがたとなる、
  回向は回し向けられたものということで、仏の方から私たちに与えられたものということになる。
  すなわちわたしたちが真実に目覚めるということは私たちの身の上に起こることであるが、私たち
  が意識的に、自分の知恵や努力で獲得したものではなくて、真実から与えられたことがら、という
  ような話をした。しかしちょっと時間が足りなかった。まあ回向を明らかにしようとすれば親鸞聖人も
  「教行信証」という膨大な教学の書を必要とされたのだからやむ負えない。このあと法事4軒という
  のもこたえた。

12 月15日(土) 夜 町会の役員会。年末の夜警のことやら、この町会で新たに津波避難ビルに指定
  されたところがある、というようなお話。しかし仮に夜中に警報が出たら、そのビルが開放されて
  いるのか、川沿いにあるそのビルに避難するのが適切かどうか、難しい問題もある。

12 月14日(金) 人間ドックの結果がきた。すぐに再検査しなければならないということはないらしい
  が、胃にポリーブがあり、心臓の左半分が肥大傾向ということらしい。もし本当に悪いのであれば
  知らせてくれるだろうから、よしということにしておこう。

12 月13日(木) 夜 梅田の方で食事に。さすがにこの時期は忘年会シーズンで込んでいる。有馬の
  温泉宿が開いている日本料理店に行ったが、なかなか上品な味でよかった。もうこの頃は肉や
  油っこいものはあまり食べられなくなってきた。やはり和食が一番。

12 月12日(水) 今年の冬の冷え方も去年に続いてきびしいものがある。能勢の方のお宅では
  庭のつわぶきの葉がしおれていたら寒いということらしい。水分の関係だろうが、やはり住宅地
  とはいえ能勢の方は朝の冷え込みは大阪市内とはかなり違うようだ。

12 月11日(火) 楽の管別の忘年会。いつも決まった店でいつも顔を合わせているメンバーと
  ゆっくりと落ち着いて食事と適度のお酒で心地よい時間。

12 月10日(月) 組の忘年会が千里山の「柏屋」という料亭であった。某タイヤメーカーのランクで
  三つ星にあげられているところで、さすがに料理は上品で美味しかった。しかしその店の場所が
  千里山の住宅地の中で、およそそうした料亭のあるような場所でないのには驚いた。それでも
  味で勝負できれば立地条件など関係ないというところなのだろう。

12 月 9 日(日) 今日も法事2軒。そのうちの一軒は名古屋のほうのご出身で、かつて池田勇諦
  先生の話をよく聴いておられたというご親族の方がたくさんおられる。最初の時はそういう事情を
  知らなかったので、仏具(鶴亀)の由来をこじつけたような話をしたら、そういう話を初めて聴かせて
  もらった、と言われ、あとで恥をかいた。なかなか池田先生のようにはいかないが、ごまかしのない
  ような話をしたつもり。

12 月 8 日(土) 元立売堀におられた方の御法事。その時昔の大阪の話になり、子供の頃は
  四ツ橋は本当に四つ橋がかかっていたという話に。その話をされていたのは50代くらいの方
  だから住職と年齢は変わらない。水の都と言われて堀が縦横に走っていた大阪の街が、この
  半世紀位で全く景色が変わってしまったということだろう。

12 月 7 日(金) 夜 隣寺のご住職が宗派の大きな役職に就かれたことの祝賀会があった。
  お祝いというよりも御苦労さまという感じが強い。能力のある誰かがしないといけないお仕事
  なので、われわれの代表としてがんばっていただきたい。

12 月 6 日(木) 寺の前の病院へ来られていた方から、今年はお寺の紅葉が赤くきれいでした
  ね、と言われた。今年は冷え込みが厳しい日があって紅葉には良かったのかもしれない。
  こんな都会の真ん中で太陽もあまり当たらない小さな庭で懸命に生きている楓の木を褒められて
  何となくうれしい気がした。

12 月 5 日(水) 歌舞伎界のスター、中村勘三郎さんが亡くなられた。住職とほぼ同じ年で、
  まだまだ日本の芸能の世界では活躍していただきたい大看板だけにまことに残念なことだ。

12 月 4 日(火) かつて仕事で全国をまわられていた方のお話を伺った。佐渡島では新鮮な
  イカを滞在中ずっと食べておられて、もう一生分の美味しいイカを食べた、とか群馬では
  当時は関西では滅多に口にすることができなかった下仁田ねぎが美味しかったとか、今では
  こちらでも食べられるようになったが、全国の名産を味わえてうらやましい限り。

12 月 3 日(月) 午後から半日の健康診断を受けた。相変わらず血圧が高いと言われた。
  それでも上は120代でしたが下が80代で高いようだ。これから年を重ねていくので、注意
  していかなければ。

12 月 2 日(日) お檀家の方から切符を頂戴して京都の南座の顔見世を初めて観劇させて
  いただいた。頂戴した席が前から2番目ということで、目の前で団十郎が見えを切り、藤十郎
  の上方独特の手の動きを見ることができた。しかも幕間のお弁当までご用意いただき、菱岩
  という仕出し専門の料理屋さんのお弁当がまた格別の味。師走の一日、日本の伝統文化に
  どっぷりと浸らせていただくことができた。

12 月 1 日(土) インフルエンザの予防接種に行ったら、病院の待ち合い室は一杯で、立って
  待たないといけないくらいだったそうだ。それではかえって風邪がうつりそうな気もするが、
  この時期もうかなり風邪が流行しつつあるということだろう。