平成27年9月分

9 月30日(水) 運転免許証の更新の講習。いつになったら30分で終われるやら。

9 月28日(月) 地域の防災パンフの作成の会議。災害対策本部や避難所をどういう構成でするか、
  とかを記載してあったが、実際になってみないとどこまで実行できるか、それこそ机上の空論に
  なってしまわないか心配だ。

9 月23日(水) 秋季彼岸会。ちょうど四連休の最後の日ということで例年より参詣の方が少なかった。
  ご法話は仏事を次の世代に伝えていくことの大切さをお話しいただいた。

9 月20日(日) 青草人の会。今日は「大悲無倦常照我」のところ。これは前の二行とつながっていて
  源信さまの最も大切な教え。その最初と最後の文字が「我」。その我は煩悩具足の凡夫である。その
  ことを自覚していないとこの教えが響いてこない。貪欲はどこまでいっても満たされない思いしか浮かば
  ないので虚無になる。愼恚は他人がつねに悪く思えるので孤独。愚痴は老後の不安、いつまでも健康
  であるように、とかお金の困らないようにとか愚かしい知恵に振り回されて結局不安しか残らない。
  虚無、孤独、不安は必ずだれもが心の底に持っている。その煩悩に縛られて悲しみに沈んでいる我を
  如来は大きな悲しみをもって私たちを何とか救いたいと願いをおこして下さった。その願いは私たちが
  そっぽを向いていても飽きることなく私たちを照らすものである。私たち人間は愚かしい知恵で原子爆弾
  を投下し、大地を傷つけ、もうそこから生命は生まれてこないかもしれないと言われた。しかし自然は
  そんな人間の悪業に障えられることなくまた命を育んでいる。これこそまさに「大悲無倦」ということである。

9 月19日(土) 服部霊園で納骨が有って、新御堂からまわったが、新御は空いていたが、緑地公園を
  抜ける道が混んでいて、時間ぎりぎりで間に合った。連休初日はこういう行楽地の類はきをつけないと。

9 月14日(月) 夜 小学校の校区変更の会議。意見を聞くといっても、もう最初から既定事実があって
  ただこうして会合を開いて手順を踏みましたよというアリバイ作りのような気もした。ただ最初の時に
  意見を出した校区変更の時期は、相手の学校の校舎が出来上がってからになったようだ。工事中の
  狭い校庭に校区変更で例年より多くの新入生が入るのは混乱すると思っていたのでそれはよかった。

9 月10日(木) 関東の鬼怒川の堤防が決壊して濁流が町や田畑に襲いかかった。現代はその状況
  をリアルタイムでテレビで伝えられる。屋根に取り残された人をヘリコプターで救助する映像は
  まさに命がけ。そのあとの映像ではその屋根のあった家屋も流されてしまったようなのでまさに間一髪。
  最近の異常な雨の降り方は台風から離れていても恐ろしいことになる。

9 月 3日(木) 夜 声明の練習。癖というのはなかなか自分では気がつかない。ましてや
  それぞれのお寺でずっと勤めてこられた正信偈などの読み癖は、他人から指摘してもらわないと
  わからない。一緒に練習している方の癖に気がついたが、自分もどうしても直らない癖が
  同朋奉賛式である。これは父親と一緒に勤めていた時からの読み癖で、これは一生正しいお勤め
  は出来そうにない。