平成27年10月分

10月29日(木) いよいよ年金の納付期間が終わった。ただ学生時代の未納期間があるので、
  その分を65歳まで払うように手続きしてきた。もうそういう年齢になってしまったのか、という感慨
  と、しかしまだまだはたらかないといけない感じだし定年があるわけでなし、複雑な気分。

10月28日(水) 十三で飲み会。美味しいかにや刺身、さざえに豆乳鍋とぞんぶんにいただき、
  またその店でしか手に入らないような日本酒をいただいた。ただあまりお酒を飲まれる人が
  少なかったので、つい日本酒を飲みすぎた。この頃はお酒を飲むと食べられなくなるので、ちょっと
  なべはもったいないことをした。

10月27日(火) 難波別院の報恩講に助音として参勤。結願逮夜はさすがに音程が高かった。
  もうこれがこの場所に座らせていただく最後ということにしないと周りに迷惑がかかる。まあ
  今日でもほとんど役に立っていなかったので十分迷惑をかけていたのだが。

10月26日(月) 昼 民生委の大阪市の大会があったが、色々忙しくて開会に遅れて参加。一部
  で失礼したがバタバタしていて2時過ぎに約束していたお参りを失念していて電話をいただいて
  4時前ごろに寄せていただいた。

10月25日(日) 大阪マラソンであちこち通行止めの中を住吉のお寺に参勤させていただくのに、
  間にあうか心配だったが、そのあたりの土地勘があり、ナビもあったので何とか時間通りに行けた。
  やはり大阪北部から行かれる方は早い目に来られていた。

10月21日(水) 組内の報恩講に参勤。添えの調声が当たった。まだそんなに声を使っていないので
  それなりには声を出せたと思うが、助音が結構高めに出してくるので三重はちょっときつかった。

10月19日(月) 先日久しぶりにオペラを鑑賞した。ワーグナーの「ラインの黄金」だったが、さすがに
  本場の歌手の歌唱というか声量は凄い。このリングの世界の序章というべき舞台の主役はヴォータン
  なのだが、この舞台ではヴォータンの家来であり参謀役のローゲが上手かった。まあリングの公演
  ではヴォータンは続いての出番があるが、ローゲはこの「ライン」だけなのでこの後の場面では、
  ジークフリートを同じ歌手が演じたりするから、結構主役クラスが演じることもあるんだろう。それに
  アルベリヒ、ミーメ、エールダと個性的な役柄もさすがの歌唱でオペラの魅力を堪能した。

10月18日(日) 青草人の会。今日は「本師源空明仏教」のところ。今回から源空上人のところという
  ことで、源空上人の伝記的な話。美作の国に生まれられたが9才の時、武士だった父を夜討ちに
  よって亡くされる。そのいまわの際に「決して仇を討とうなどと考えるな。」と父から遺言される。
  その後叡山に入られて修学を重ねられ、一切経を五回被閲されついに善導さまの「観経疏」の中の
  「一心専念弥陀名号・・・是名正定業・・・順彼仏願故」の教えに出会われ念仏の教えこそ一切の
  衆生を救う教えだと確信され、山を下りて吉水の地で念仏の法を貴族から庶民に説かれた。親鸞聖人
  もその教えに共感され門弟となられた。その後線仏門のあまりの繁盛ぶりに危機感を抱いた叡山や
  興福寺などの訴えによって念仏門に対する弾圧が加えられ、法然上人は四国に流罪となられた。
  それでも念仏の法を解かれ続け、途中の室の遊女に念仏の教えこそあなたが救われる道であると
  説かれ、生涯を通して本願念仏の伝道を続けられた。

10月13日(火) 去年は台風だったが今年は晴天に恵まれ、気温もそんなに暑くなく日よりとしては
  最高の一日。今年も報恩講の日を迎えた。参詣は思わぬ方においでいただいたりしてまずまず席は
  埋まった。今年の表白は「大いなる会座 受けがたき ひとの身を受け 聞きがたき 弥陀の(のり)を聞く
  
今ここに ひざまずく我  きょうまんの 心はやまず つみとがの ふかき身なるを 弥陀大悲のものうきことなく

   み名よべば おさめてすてじと そのままに いだきとどめむ みほとけの 大いなる会座の中 おんどうぼうと
  呼びかわしつつ
 親鸞聖人 あなたは今私たちと共にここにいます」という讃歌の言葉を読ましていただいた。

10月10日(土) 報恩講の立花。今年は花屋さんが松が手に入らないということで、ヒバを芯にした。
  立派なヒバを持ってきていただいたので、松より見栄えがする。

10月 9日(金) 夜 楽の練習。今度の別院の報恩講から初めて温雅会として法要の合間に演奏する
  ことになってその練習が有ったようで、いつもより始まる時間が1時間早かったようだ。案内に書かれ
  てあったのを見落としてかなり遅参。最後に付けものの練習では頑張って高い声を出そうとしたが、
  声が続かずかえって迷惑をかけてしまった。

10月 7日(水) 夜 別院の報恩講の声明の練習。久しぶりに27日の結願逮夜の依頼があり、いったん
  お断りしたが、どうしてもということで引き受けたが、練習してみて後悔した。たぶん結願は高いという
  想定で習礼したが、とても下無は出せない。若手に任せるしかないが年齢ゆえに高い場所に座ること
  になるのが心苦しい。

10月 4日(日) 天満別院の御遠忌。快晴で参道列はかなり暑かった。途中でブットン(着ぐるみ)が
  歩いて帰る後姿が見えたが、かなりきつそうだった。法要は御遠忌ということで最後の方の音程は
  かなり高くなっていた。楽器で音を付けるのはどんな音でも関係ないので困ることはないが。

10月 2日(金) 夜 延塚師の「教行信証」講義。法然上人と親鸞聖人の会話を見てきたように
  話される。後序や御伝鈔に出てくるエピソードをわかりやすく解説いただいているのだが、例えば
  「選択集」の書写を許され名前をたまわる話で、通説では善信だが、この時に親鸞といただいたに
  違いない。自分(法然)は観経を中心に善導師に依ってきたが、あなたは大経を中心に天親、曇鸞
  に依っているのでこの名前を授けると言われたとか。まあそういう話はわかりやすく記憶に残るので
  なにかと助かるが。
10月 1日(木) 3カ月に一度の歯医者の検診に行って、磨き方がいいと褒められた。歯医者で
  褒められたのは幼少のころからご縁が有るが多分初めてだ。このまま自前の歯でいつまでも
  いきたいものだ。