平成29年10月分

10 月 31 日(火) 午前中は子育てサロンの連絡会。委員長になって初めてのこと
  なので出席。他の地区は50名以上来られているようなところもあり、にぎやかそう。
  まあそれはそれで大変みたいなのでうちの地区はマイペースでいくしかない。
  夜は区政会議。何かさっぱりわからないところだが、ただ座って聞いていればいい
  ということなので出席。まあある種のガス抜きみたいなものか。

10 月 29 日(日) 今日も台風の影響で雨。これで今月の週末はほとんど雨のような感じ。
  秋晴れという言葉がうらめしい。

10 月 27 日(土) ご門徒の方の報恩講。覚如上人が報恩講を最初に勤められ、
  以来今日まで欠かさず毎年勤められてきた。そしてその時拝読される報恩講私記、
  御伝鈔も覚如上人が著され、そこには親鸞聖人の教えを正しく伝えていかなければ
  ならないという強い願いがあった。当時念仏さえ唱えれば助かるという教えや造悪無碍
  の教えも出てきたりして混乱しつつある時代に、まず信心を確かめてからの念仏と
  いうことをお伝えになられた、というような話をさせていただいた。

10 月 26 日(木) 難波別院の報恩講、助音で出仕。今年はこの一座。中逮夜で
  まあ気持ちよく声が出せた。これくらいの人数だとよく声がそろって参詣でも聞きやす
  かったのでは。結願もこれくらいで十分だと思うのだが。

10 月 22 日(日) 台風でかなりの雨風。大和川の堤防の道路を走ったがいつもの
  数倍の流水量。上流でかなりの降水があったようだ。帰ってからニュースを見たら
  大和川の堺の支流が溢れたとか。水の力は恐ろしい。

10 月 19 日(木) 夜民生の地域の会合。役所の方から支援担当の方が来られた。
  いろいろ施策を講じられているが、どうも縦割りにきらいがあって、効率的に機能
  していないような気もする。同じようなことを重ねてされているところもある。

10 月 18 日(水) 大阪市の民生委の大会。今回は後の講演も少し聞いたが、まあ
  ためになるというよりも落語家さんの半生を聞いたという感じ。これなら古典落語
  をやっていただいたほうが案外ためになる話「子はかすがい」とかをやってもらった
  ほうがよかったのでは。

10 月 15 日(日) 青草人の会。今日は地域の旅行もあって人数が少なかった。しかも
  かなりの雨。歎異抄2章の最初、南都北嶺の南都の方を尋ねた。ちょうど興福寺の
  中金堂の柱に高僧方の絵を描かれて、その画家の方が大谷派のご住職ということ
  で展覧会を見に行ったので、その高僧方の話をした。まず玄奘三蔵、インドへ渡り
  多くの経典を中国に持ち帰り翻訳された、西遊記でも著名な方。それから無著、世親
  兄弟。世親菩薩は真宗でも天親菩薩として祖師の一人とされていますが、法相宗でも
  祖師として崇められているようす。唯識とか心の問題を明らかにしていただいた方で、
  我々の方では信心を一心と表していただいたことで救済の道を開いていただいた。
  それから解脱上人。この方は興福寺の高僧であられた方だが、真宗では念仏の教え
  を批判された方として知られている。心の問題を重視される法相宗のお立場で、ただ
  念仏だけで救われるとはどういうことだ、菩提心の無いものは救われるはずがない、
  という主張だった。それに対して親鸞聖人が答えられたのが「教行信証」ということになる。
  そういう話をさせていただいた。

10 月 14 日(土) 保育園の運動会。今日は何とか晴れて屋外での開催。園児の数も
  多いところで、それより園児より両親や両祖父母も来られているので観客席の方が
  圧倒的に人数が多い。

10 月 13 日(金) 報恩講。ちょっと雨模様で心配したが、そんなに影響はなかった。
  ただ残念なことに参詣の方が少なく、お恥ずかしい限り。もっと呼びかけに力を
  入れないと。今年の表白は以下の通り。

今を去ること八百年の昔 

小さい明かりが灯されて

人として生まれた喜びを見出せず

雑草のように生きてきた人々が、

はじめて碍り無き一筋の道と出遇い得て 

それぞれがそれぞれのまま輝くいのちを証し
歓喜するいのちを取り戻すことができました。

親鸞聖人
あなたは あなたが出遇われた真実のみ法を

確かな自信と情熱をもって語られました。
あなたの教えを聞いて

いのちの真実に目覚めた念佛者の呼びかけによって

今、私は南無阿弥陀佛を称えます。

親鸞聖人
ブッダ釋尊によって説きあかされ インド、中国、朝鮮を渡り
和国にまで伝えられた 南無阿弥陀佛の声は
あなたによって真実を証しされ 無数の念佛者に届けられました。

平成二十九年、地球全体をも滅ぼしかねないような核兵器が

頭の上を飛び交うような恐怖の中で

ただおびえるしかない無力な私たちが今ここにいます。

親鸞聖人が浄土真宗を顕かにされた十三世紀は、

天候不順による飢饉や疫病によって

多くの人が亡くなられた時代でした。

蓮如上人が本遇寺創建当時の私たちの先祖に

教えを説かれた十五世紀は、

人と人とが殺しあうまさに戦国乱世の時代でした。

私たちの先祖先達は、

時代社会が混迷し不安が渦巻いているからこそ

親鸞聖人の念仏の教えに真の救済を求められたのです。

私たちの先達がいのちをかけて聞いてこられた聖人の教えを、

今を生きる私たちは、本当に聞こうとしているでしょうか。

私たちの聴聞の姿勢を、この時代と社会が問うています。

親鸞聖人の教えを憶うとき私たちに真実に生きて往く道が開かれ、
親鸞聖人の教えを忘れるとき私たちは迷うのです。

親鸞聖人 あなたは今私たちと共にここにいます



10 月 10 日(火) 報恩講の花を入れる。もうこういう時期が来た。今年の松は枝は
  少ない感じだが、まっすぐなものばかりで入れやすい。

10 月 8 日(日) 地域のふれあい祭り。天候も回復してよかった。なんといっても
  地域の会長さんが驚異の晴男、雨模様であっても行事が始まる頃には晴れてくる。

10 月 7 日(土) 保育園の運動会に招待があったのでちょっと雨模様だったが
  出かけたら小学校の体育館でされていた。まあ保育園の運動会なら体育館でも
  できないことはないだろう。まあしかし保護者の方にとっては残念な感じかも
  しれない。

10 月 5 日(木) 民生委員の施設見学会。オムロンの太陽工場ということで太陽光
  パネルの工場かと思っていたら、そういう名前の工場で、障害のある方を大勢雇用
  されている工場のことで、実際に多くの方が働いておられ、またそういう方が働きやすい
  工夫がいたるところでされていた。あらゆる企業がそういう姿勢を持てば障碍者の自立
  も可能になってくるに違いない。

10 月 2 日(月) 別院の報恩講の習礼。今回あたったのは26日逮夜。まあ声は
  そんなに高くなさそうなのでなんとかついていけそう。それにしてもこの頃の法要の
  音の高さは考えものだ。出せる人はいいがそうでないものはおよそ人間の声とは
  思えないような叫びで、かえってお勤めとしては聴き辛い。高ければいいということ
  でもないような気もするのだが。