平成30年5月分
5 月 29 日(火) プリンターが急に壊れて修理するより新しいものを買った方が
いいようなメーカーの対応だった。直前まで動いていたのが急に使えなくなって
問い合わせたらこちらに送ってもらって1週間以上の期間がかかり、、
費用も15000円以上かかると言われてしまった。数千円の違いなら新しいのを
購入したほうがいいですよというメーカーの対応も腑に落ちない。今や
丈夫で長持ちよりも使い捨てが当たり前になってしまったということか。
5 月 28 日(月) 地域の町会長会の歓送迎会。すし屋の2階で値段は安そうながら
半分セルフサービスのような店だった。それでもカラオケを使い放題みたいで
楽しく時間を過ごせた。
5 月 24 日(木) 小学校の図書館のボランティアにはじめて参加した。ご紹介
いただいた方には病院の帰りにわざわざ時間を合わせてご一緒いただいて
本当にありがたかった。2時限の後の休み時間ということで短い時間で
貸し借りの業務をすることになっているが、今日のところはその作業はなかった。
少しでも本を読む楽しみを児童に体に覚えこんでもらえたらうれしい。
5 月 22 日(火) 別院に秋安居に行ったが、ちょっとしんどかった。全く分からない
話ではないのだが、本山で15日にわたって行われた話を2日間でしようというのだから
無理がある。結局全体をなぞっていくような感じの話に。
5 月 21 日(月) 民生委員会から保育園への遊具の贈呈式。3か所回ったが
お歌や楽器の演奏を披露していただいた。新しい施設が増えているが、それでも
この地域では十分とは言えないようだ。子育ての場は地域で確保していきたい。
5 月 20 日(日) 青草人の会。歎異抄第4章の2回目。浄土の慈悲という
ことについて、仏になりたいと願う心がそのままあらゆる人をすくう心となる。
それは人が起こす心でなく如来が人の上に働いて起こす心。法然上人によって
すくわれた人にとって上人は仏様のような方だが、上人御自身は「愚痴の法然」
と言われたように凡夫の身を貫き通された。如来大悲の心が人の上に実現した
具体的な話として、水俣病患者の方の言葉で「チッソの人の心もすくわれんかぎり、
じぶんもすくわれない」とあり、ともに凡夫の身を生きる衆生として同じ悲しみを
背負っていく覚悟がおありだ、という話に。
5 月 19 日(土) 子育てサロン、今日は天候もよかったこともあり、小さい子供さん
(1歳前後)が10人近く来ていただいた。おもちゃの取り合いでちょっと喧嘩のように
なったりしたが、母親が付いてきていただいているのでそれほどおおごとにはならず、
こういう場で社会性が身についいていくんだと思った。
5 月 17 日(木) 夜地区の民生委の会合。区の社協の方から見守り活動担当の方に
来ていただいて、お話を伺う。同じ福島区と言っても地域によって状況が違い、昔から
の近所付き合いの残っている地域と、マンションが増えて新住民とのコミュニケイション
が取れていない地域ではそのやり方も変わってくる。地域ごとのこまめな対応が課題に。
5 月 13 日(日) 昨日と一転して朝から雨模様。啓発活動が昨日でよかったが、仕事
では昨日来たあたりを通って帰ったが、びしょびしょになった。午後から初めて行く
神戸の六甲アイランドのホテルで法事。焼香もでき鈴も用意されていて、なかなか
よかった。
5 月 12 日(土) 民生委員会の啓発事業で、スーパーマーケットの前で配りもの。
ティッシュよりはいいもの(ジッパーつきのビニール袋)だったが、なかなか言葉が
すんなりとは出てこない。ちょっとあせったが他の委員の方々のおかげで30分くらいで
配布終了。
5 月 10 日(木) 組会が此花区でありそのあと飲みに行くことになっていたので
自転車で約30分近くかけて出かけた。USJに近いところだから、電車の駅で
3駅分。その界隈のすし屋での宴席となったが、なかなか美味しかった。帰りが
また難行だったがアルコールをガソリンにして何とか帰り着いた。
5 月 8日(火) 城東区のお寺に法要の助音に。毎年うかがっているが、式次第
やお荘厳を忘れてしまっているところがでてしまう。お寺によって少しづつ違って
いることもあるが、こちらの物覚えの悪さも反省させられる。
5 月 5 日(土) 家まで引き取りに来てくれる古本屋の買い取りサービスを
始めて利用した。古い本(主に文庫本)がたくさんあるが、売りに行くのも重たいし
と思っていたら、引き取りに来てくれるサービスがあるようなので、段ボール箱
3箱分を買い取ってもらった。200冊以上はあったと思うが900円で買い取って
もらえた。まあ持っていく手間を考えたらこんなものか。
5 月 2 日(水) 生まれて初めて内視鏡検査をしてもらった。大腸
の方だったが、思ったほど苦しくはなかった。その前のほうがいろいろ
大変だったが、医学の進歩はすさまじいものがある。なにもなく
きれいでした、と言われて安心した。