4月26日 神戸の舞子の方でお通夜。地域の会合があったが、とても帰れそうに
ないのでそちらは欠席した。10連休前日ということで道路の込み具合も
心配だったが、方向的に西行きはまだましだった気がする。長らく
福島におられて毎月お会いさせていただいていたので、こういう形でしか
再会できなかったのはさみしい限り。
4月24日 奈良のお寺に助音で参勤。今年も御俗姓を拝読させていただいた。
広い御堂なので声のリミッターをはずして、声を出させていただいた。
今まで感じたことがないような、声が御堂に反響しているような音が
聞こえたような気がした。昨年に続いていい経験になった。
4月23日 学校協議会。来年度の新入生から校区が変わるについて、役所の
方から人が来られて説明があったが、いろいろな問題が次から次へと
出てきそう。ちょっとややこしいことになりそうだ。
4月22日 夜 地域活動協議会の総会。いきなり議事録書名人に指名されたが
いろいろな会に出てきているので、この役はただ署名捺印すればいい
ということはわかっている。他のことはさっぱりわからないけれど。
4月21日 青草人の会。今回から第10条。前半の親鸞聖人のお言葉だけを
記されたところの最後。そしてそのまとめともいうべきお言葉。
「念仏には無義をもって義とす。」義なきを義とす、という表現では
和讃やお手紙に書かれている。最初の義は人間の計らい、後の
義は如来の計らい。私たちは何でも人間の知恵で分かるように思って
いるが、その知恵の不確かなことは、東日本大震災の時に原発事故
でも明か。人間の知恵の及ばない最たることが「死」ということ。
わからないから恐れることになり、忌み嫌うことになってしまう。生死一如
仏教では死を別のことととらえないで、私たちの人生で死も一大事として
受け止めていかなばならない、そこから念仏の教えの根幹が始まっている
というような話に。
4月20日 子育てサロン。2歳前後の親子連れが何組か来ていただけるように
なった。20畳くらいのスペースなので5~6組くらいが結ったろ遊べる
限界かなと思う。
4月18日 夜 地区の民生委会議。地域の活動協議会の方に入ってほしいと
いう依頼が委員さんのほうからあり、いつもお世話になっているので
お引き受けしてしまった。なにもわからないのにづなることやら。
4月16日 昼に民生委員長の会議があって、夜はその懇親会。今回は幹事役に
当たっていたので緊張したが、何とか盛会のうちに会を終えられた。
4月12日 あるお宅で百歳近い方がようやくデイサービスに行かれるようになった
という話を伺った。なかなか慣れるまでは足を運ぶのをためらわれる方も
多いが、行ってみたらよかったという方のほうが多い。年齢を重ねても
挑戦してみるということは大事なことだ。
4月10日 夜 組会。此花のお寺まで自転車で。よるはまだまだ寒い。会の後、
3人ほどで野田阪神のあたりで一杯。ビールよりお湯割りをいただく。
4月 6日 近所のお参りから続けて遠方への移動だったので、コインパーキング
に車を停めてそのまま遠方に向かおうと思っていたら、コインパーキング
がどこも満車で停められない。結局寺に戻って自転車で行って、また寺
に戻ってくるまで出かけた。あわてる何とかは、という格言が身に染みた。
4月 5日 小学校の入学式。新入生が6年生に手を引かれて入場してきたが
小学校の6年間で子供はこれだけ成長するのかと驚いた。大人に
なると6年たっても少しも変わらないような気がする。いやむしろ
ある程度の年代になったら6年たつと退化していっているに違いない。
他人のことはわかっても自分のことはそのあたりはわからないんだろう。