刎頸之交

 その日もいつものように目が覚めた。
 雀の鳴く声を聞きながら制服に着替える。
 顔を洗って朝餉を食べて…
 いつもと変わらない朝だった。

 ところが。

「仙蔵!!」
 仙蔵は教室に向かう途中、いつものように文次郎に声をかけられた。
「ああ。おはよ」
 いつものように言葉を返した――つもりだった。
 しかし、一瞬文次郎が足を止める。仙蔵もそれに倣った。
「おい…お前大丈夫か?」
「何が」
 心配そうに自分を見つめる友人を見て仙蔵は訝しげに尋ねた。
「おはよう、仙蔵、文次郎」
 そんな二人に伊作や小平太や長次が合流する。
「おはよう、伊作、小平太、長次…おい、それより」
 文次郎は三人に挨拶を交わすと仙蔵に向き直った。
「なんか今日はおかしいぞ」
 再び仙蔵の顔を覗き込む文次郎。何事かと伊作が近寄った。
「どうしたの?文次郎。仙ちゃんに何か…」
 伊作も仙蔵を見て一瞬動きを止めた。
「仙蔵…どこか悪いんじゃない?」
「伊作もそう思うか?」
 伊作はこくりと頷いた。
「もう六年間も保健委員やってるから…仙蔵、今日は休みなよ。保健室に行こう」
 伊作は仙蔵に肩を貸そうとした。仙蔵はますます訳が分からなくなってくる。
「だから何が…」
 仙蔵は思わず文次郎にくってかかろうとした。しかし、その瞬間。
「あ…」
 仙蔵は足から力が抜けていくのを感じた。そのまま片膝をついてうずくまる。
「仙蔵!?」
 薄れゆく意識の中、仙蔵は周りに人が寄ってくるのを感じた。

「う…」
 気がついたら自分は保健室に寝かされていた。
 傍らには水の入った桶が置いてある。その横で本を読んでいた伊作はふと本から目を上げた。
「気がついた?」
 伊作は本を裏返して置くと、仙蔵の額の手ぬぐいを取り、桶に浸した。
「びっくりしたよ。仙蔵ったらいきなり倒れるんだもん」
 言いながら、手ぬぐいを絞る。仙蔵の額に再び乗せられたそれはひやりとしていて気持ちよかった。
「…私はどのくらい眠っていたんだ?」
「半日くらいかな」
「半日…」
 仙蔵は障子に目をやった。夕焼け空の色が障子に移り、室内にもその光を幾分か届けている。
「授業…受け損なったな」
「何言ってんの」
 伊作は小さく笑って言った。
「気絶しながら授業受けられるわけないじゃないか。今日一日安静にして頑張って明日までに治してその分取り返せば良いんだよ」
「そ…か」
 仙蔵は障子を見たまま言った。伊作は仙蔵を見た。
 西日が仙蔵の白い肌を赤く染めている。
「眩しくない?」
「いや」
 仙蔵は視線を伊作の方に戻した。
「…お前がずっと?」
「保健委員だから」
 六年間ずっと、と伊作は苦笑しながら付け足した。と、廊下からばたばたと足音が聞こえてくる。
「仙蔵!」
「お見舞いに来たよーっ!」
「……もう大丈夫なのか」
 戸口から顔を出したのは文次郎と小平太と長次だった。
 伊作はふう、と溜息をつくと三人に近づいていった。
「ほらほら、仙蔵が寝られないでしょ?お見舞いはもう少ししてから…」
「大丈夫だ」
 仙蔵はゆっくりと起きあがった。伊作は慌てて駆け寄る。
「まだ駄目だよ、起きちゃ」
「…初めはうつすといけないから見舞いは断ろうとしていたんだが」
 仙蔵は伊作を制しつつ小平太達の方を向く。
「お前達なら大丈夫だな。風邪ひく心配はないし」
「…何だ元気なんじゃねえか」
「心配して損した」
 仙蔵の言葉に文次郎と小平太はふくれた。
 しかし仙蔵には解った。二人が心底ほっとしていることが…

 仙蔵はたまに思うことがある。
 このままでいいのだろうか、と。
 このまま小平太達と仲良くしていて良いのだろうか、と。
 ――いずれこの学園を出てもし対立しなければならなくなったらどうすればよいのか。
 ――その時自分は友人を斬れるのか。

「なあ」
 仙蔵は文次郎に向かって言った。
「今日は朝からおかしかったか?私は」
 一瞬きょとんとする文次郎。仙蔵は続けた。
「おかしいついでに一つ聞きたい。もし卒業して皆一人前になって…敵同士になったらどうする?」
 仙蔵は小平太達にも視線を投げかけた。
 無言の時がさらさらと流れる。
 長次がゆっくりと仙蔵から視線を外した。
 小平太も。
 そして伊作も。
 気まずい雰囲気が流れて、重い空気がどんよりと仙蔵達にのしかかっていた。
「は」
 沈黙を破ったのは文次郎だった。
「ははっ!やっぱまだ治ってねーんじゃねーのか?仙蔵」
「何がおかしい」
「俺は斬れるぜ」
 文次郎はすっぱりと言った。残りの三人もゆっくり頷いて仙蔵を見た。
「もしもそうなったら俺がお前を斬ってやるさ」
「僕達以外に仙蔵斬れる奴がいる?」
 仙蔵は呆然としていた。予想外の返答だった。
「俺達以外のヤツにお前は斬らせねえ」
 文次郎はにやりと笑った。
 ――これも一種の友情ってやつかもな。
 仙蔵はつられて微笑んだ…

「さ、そろそろ薬の時間だよ」
 どこから取りだしたのか、伊作は薬研と、薬草を盆の上に置いた。
「はい、面会時間終了」
 伊作は小平太達をぐいぐいと押して保健室から出そうとした。
 その時、文次郎はふい、と仙蔵の方を向いた。
「…ま、それ以前に俺達がお前の敵に回るようなことはしねえさ」
 さりげなく放たれたその言葉に仙蔵は思わずどきりとした。
「文次郎」
「あ?」
「…ありがとう」
 仙蔵は文次郎に微笑みかけた。
 文次郎は暫くぽかんとしていたが、不意に表情を緩めると急に笑い出した。
「な…」
 顔を真っ赤にして何か言おうとする仙蔵を横目でちらりと見て、文次郎はぴらぴらと手を振った。
「ま、頭が正常に戻ったら戻ってこいや」
「前言撤回!!」
 仙蔵の投げた枕は文次郎の頭にクリーンヒットした。
「あーあ、文次郎ったらいつも一言多いんだから」
 伊作は小平太達に運ばれていく文次郎を見ながら小さく言ったのだった。

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