因果応報

「ここまでのようだな」
 突きつけられた白刃を利吉はくっと見つめた。そしてその先にはゆがんだ笑顔が見える。残虐な、そして血も通っていないかのような冷たい笑み。
 利吉は背筋に寒気を覚えた。それと共に、己の未熟さを悔いる。

 いつもならあんな事なかったのに。
 いつもならうまくいく筈だったのに。
 今日に限ってどうして。

 今朝、朝早く家を出た利吉は早速仕事現場へと向かった。今回の任務は敵陣の内部を探ること。
 いつもならうまくいく筈の任務。
 しかし、途中で『いつも』とは違うことが起こった。
 それは敵陣へと向かう途中の山の中でのこと。
 戦にかり出されたものの、戦意を失い、戦場から逃げ出した兵士がいた。ちょうど今から探ろうとしている『敵陣』側の兵士だった。
 ――ちょうどいい。
 利吉はそっとその兵士に忍び寄った。と、その時。
「金城(かなぎ)様!!」
 背後から、少女の声。利吉ははっとして振り返る。声の主は利吉を見て立ち止まった。
「…すみません!!どうかお見逃しを…金城様をそそのかしたのは私です…ですから」
「ちょっと待って下さい」
 利吉は勘違いして暴走する少女を制止する。金城と呼ばれた兵士も近寄ってきた。
「何か勘違いされているのではありませんか?私は旅をしているものです。道に迷ったのでそちらの方に教えていただこうと思っただけですよ」
 利吉はでまかせを言う。忍び装束を着ていなかったのが幸いした。
「!!ごめんなさい…私…つい…あの、聞かなかったことに…」
 慌てて謝る少女。しかし兵士はその少女と利吉の間に割って入った。
「下がっておけ。狭霧」
 兵士はそう言うと刀を抜いた。その切っ先を利吉に向ける。
「そなた…何者だ?ただの旅のものではあるまい…まあ、どちらにせよこのことを知られたからにはただでは帰さぬ!」
 刀が振り下ろされる。そのくらい避けるなど、利吉にとっては朝飯前のことだった。
 なのに。
「お止め下さい金城様!!」
 刀が完全に振り下ろされるより先に、狭霧と呼ばれた少女が利吉の前に躍り出た。
「………!!」
 利吉の目の前が紅に染まる。その向こうに見える兵士の驚きの顔。少女は利吉の方へと倒れ込んだ。
「狭霧…ッ!」
 兵士は慌てて駆け寄る。少女はすでに虫の息だった。
「狭霧…ッ…なんでこんなことを…」
 兵士は少女を抱きかかえる。少女はにっこりと微笑むと言った。
「かな…ぎさまに…つみのないひ…とを…あやめてほし…くなかっ…たから…」
「狭霧!狭霧!!」
 それだけ言うと少女の体からがくりと力が抜けた。呆然とする兵士。利吉は唇をかむとその兵士の首筋に強烈な手刀をたたき込んだ。

 いつもなら気にしない筈なのに。
 いつもなら忘れてしまえる筈なのに。

 その兵士の衣服を借り、敵方に紛れ込んだ利吉は調査を大方終え、後は具体的作戦を探り出すのみとなった。
「…では作戦を伝える」
 部隊の首領らしき人物が言う。利吉は固唾をのんだ。
「…霧!!」
 不意に、首領の口から漏れた単語。利吉の脳裏に『狭霧』と呼ばれた少女がよぎる。

 いつもならこんなことないのに。
 いつもなら罪悪感なんて感じなかったのに。

 わき上がってくる罪悪感。それが利吉の行動を遅らせた。気がついたときには周りの兵士達に見下ろされていた。
「立ちすぐりにかかったな…敵方の間者め!!」
 その言葉を合図にして周りの兵士達が一斉に利吉に襲いかかる。利吉はちっと舌をならすと、一気に跳んだ。しかし、その周りも別の兵士達によって囲まれており、いくら利吉といえども多勢に無勢、あっという間に動きを封じられてしまった。
「ここまでのようだな」
 利吉の目の前に白刃が突きつけられた。利吉の中によぎる後悔と未練。
 ――こんな所で…!!
 死んでも死にきれない。利吉がそう思ったときだった。
 火薬の臭いがしたかと思うと、急に視界が白くなった。
「利吉君!!」
 聞き覚えのある声。利吉は動転している首領の鳩尾に一発くれてやると、声のする方に手を伸ばす。その手を、声の主はしっかりと掴む。声の主は利吉の手を掴んだまま、跳んだ。

「野村先生」
 利吉は城を見下ろすがけの上で声の主の顔を見て、ほっとした表情で言った。
「間に合ってよかった。たまたま校外実習の下見の帰りに見かけてな、様子がおかしかったものだから」
 雄三は腰の縄をほどきながら言う。
「ところで、先ほどはどなたが蜘蛛ばしごを?」
「ああ…松千代先生だよ」
 雄三はそう言いながら近くの岩の陰に隠れていた万を引っぱり出す。
「あ、野村先生、恥ずかしい」
 万は顔を真っ赤にして出てきた。
「一緒に下見に行ってたからな」
「松千代先生もありがとうございました」
「あ…いえいえ」
 万はやはり真っ赤な顔でそう言った。雄三はのびをすると利吉の方を見る。
「さて、早いとこおいとまするか。あ、松千代先生は直接帰って下さい」
「え?」
 不思議そうな顔をする利吉。雄三は口の端を少しばかりゆるめた。
「利吉君は行くところがあるだろう?」

 雄三に連れられてきたのはあの狭霧という少女が息絶えた場所だった。その場にはあの時の二人の姿はなく、草の上の乾いた血糊がかろうじて少女の生きた証を伝えていた。
「ずっと引っかかっていたんだろう?このことが」
 雄三はそう言うと利吉の肩を軽くたたいた。俯いて、利吉はその場に膝をついた。
「………」
 利吉は静かに合掌した。純粋な少女の冥福を祈って。

「お気遣い、ありがとうございました」
 利吉はその場を離れようとする雄三に言った。
「正直、初めてでした…嘘をついてあんなに罪悪感を感じるなんて」
 雄三はゆっくりと振り返った。利吉の頬を一粒の涙がつたう。
「…おかしいですよね。今までさんざんやってきて…でも…っ」
 何か言おうとした利吉の頭を雄三はくしゃっとかく。呟くように、雄三は言った。
「もう終わったことは仕方ないじゃないか…それよりもその娘さんの分も生きろ…わかったな」
「はい…」
 雄三は利吉の顔を見ずに歩いていく。利吉は涙を拭うとその後ろ姿にそっとお辞儀したのだった。

 それから五日後。
 校外学習で道を歩いている途中で雄三は足を止めた。
 あの場所に白い花が置かれていたのだ。

 いつもなら記憶から消してしまう青年が。
 いつもなら気にすることもない筈の青年が。
 純粋な少女に手向けた花だった。

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