一触即発

 その日、立花仙蔵は非常に機嫌が悪かった。
 夜中、内容は思い出せないものの、嫌な夢を見て、その所為で寝覚めが悪かった。
 朝、湿気が多い所為か髪の毛が上手くまとまらなかった。
 その他、今までにたまりたまったストレスとあいまって、テンションは最低。イライラオーラがにじみ出ているような状態で、彼は朝食を食べに、食堂に姿を現した。
「おはよー!!」
 そんな仙蔵とは対照的に、悩みなどの全くなさそうな声が後ろから降りかかる。仙蔵は、整った眉をぴくりと動かし、とても重たい動きで後ろを振り向いた。見慣れた顔。そんな些細な出来事さえも、今日はストレスの種になってしまう。
「何だ」
 押し殺したような声で、仙蔵は小平太に言葉を放つ。それは、どんな刀よりも鋭い切れ味を持っている。小平太は思わず、たじろいだ。
「あ・・・ごめんごめん。おどかしちゃった?あはは・・・今日の味噌汁の具は何かなーっと」
 動揺しながらも話題をそらすと、小平太はそそくさと食堂に入る。背後から、仙蔵の舌打ちが聞こえた。

「・・・おはよう」
 朝食の盆にのせた小平太は、そういって長次の隣に腰を下ろした。小平太が珍しく静かに朝の挨拶をしたので、先に席についていた文次郎や伊作は顔を見合わせる。伊作は、やおら席から立ち上がると、向かいの小平太の額に手をすい、と当てた。
「――ッ!?」
「熱はないみたいだね。お腹でも痛い?」
 冷たい手の感触に思わず身を引く小平太に、伊作は小首をかしげて言った。小平太は小さくため息をつくと、再び腰を下ろした。
「いや・・・身体は元気なんだけどね」
「何かあったのか」
 文次郎は手を止めると尋ねる。『学園一忍者している』という彼にとって、何が起こっているのか把握することが一番の優先事だった。小平太は、そんな文次郎をちらと見上げると、声を潜めて言った。
「・・・警報発令」
「何ィ!?」
 文次郎と伊作は、オーバーリアクションで、しかし声だけは潜めて驚いた。長次は小平太のほうを軽く見やっただけで、機械的に箸を動かし続けている。
「要するに・・・こういうこと?」
 伊作は両方の手の人差し指だけを立てて、頭に当てて見せた。小平太はこっくりと頷く。文次郎が肩越しにちらりと振り返ると、いつもなら一緒に朝食を摂っているはずの仙蔵が、少し離れたところで、寄らば斬るぞといった雰囲気を醸し出しながら一人で箸を動かしていた。
「ありゃ相当だな」
 文次郎は小さく呟くと、顔を戻す。文次郎が見た先を同様にしてちらと見ると、伊作は不安そうな目で文次郎を見た。
「・・・とにかくだ。今日一日、学園生活を平和に送りたいのなら・・・」
 一旦言葉を切ると、文次郎は伊作や、小平太、そして漸く箸を止めた長次を順繰りに見た。そして、聞き取れるぎりぎりの声で言った。
「一年は組の福富と山村を絶対に近づけないことだ」
 過去の惨事を思い出し、伊作たちは無言で頷いたのだった。

「おーいしんべヱ!!」
 そんなことはつゆ知らず、喜三太は手を振りながら廊下を走っていた。親友の乱太郎、きり丸と歩いていたしんべヱは、ふと声のするほうを見やる。
「喜三太ぁ、どうしたの?」
 しんべヱが間延びした声で呼びかける。喜三太は息を軽くつくと、しんべヱの手を引っ張った。
「どうしたの、じゃないよしんべヱ。今日は用具委員の仕事がある日じゃないか!」
「あー!!」
 大きな声を出すしんべヱに、乱太郎ときり丸は顔を見合わせてクスリと笑った。
「しんべヱ、早く行っといでよ」
「晩飯でまた会おうな」
 乱太郎ときり丸は口々にそう言ってしんべヱに手を振る。しんべヱは、うんと一言言うと、喜三太とともに駆け出したのだった。

「乱太郎!」
 乱太郎が、聞きなれた声で呼び止められたのはその直後だった。きり丸と歩きかけていた乱太郎は、思わず振り返る。
「伊作先輩!」
 もしかして今日って保健委員の活動でした?
 そう訊こうとした乱太郎だが、伊作はややあせった様子でそれを遮った。
「乱太郎と同じクラスの山村と福富、何処へ行ったか知らないか?」
「ああそれなら」
 何故こんなことを訊くのだろう。心の片隅でそう思いながらも、乱太郎は先程喜三太たちが行ったほうを指差す。
「ついさっき、用具委員の仕事があるとかで」
「ありがとう。助かったよ」
 乱太郎が皆まで言い終わらないうちに、伊作はそう言って駆け出した。
「どうしたのかな?」
 乱太郎は首をかしげ、きり丸と顔を見合わせた。

「・・・というわけで、作戦開始だ」
 伊作からの報告を受け、文次郎は真剣に、しかし目を輝かせながら言った。彼にとってはこういった極秘ミッションは三度の飯よりも大事なことなのだ。
「俺の仕入れた情報によると、今日、用具委員は忍具の点検なんかを一斉にやるらしい。あいつらにそんなことをやらせてみろ。焚き火に栗を放り込むようなものだ」
 なんだかよく解らぬ例えだが、要するに危ないと言いたいらしい。三人はこくりと頷いた。
「そこでだ。仙蔵と、山村・福富のそれぞれを見張ることにする。俺と長次は仙蔵を、小平太と伊作はは組の2人をしっかり見張っていてくれ」
「解った」
 学園の平和を人知れず双肩に負った4人は、緊張した面持ちで駆け出したのだった。

「心配してみれば案の定、ってとこか」
 伊作は草むらからひょい、と顔を出した。視線の向こうでは、しんべヱと喜三太が箱を抱えて運んでいる。2人の箱の中には、小さな玉が沢山入っていた。
「練習用のはじき玉か?」
「そうみたい。危険だね」
 小平太と伊作はそう言って、廊下の向こうを見た。見慣れた黒髪がちらりと見える。しんべヱ達の前を、仙蔵が歩いていた。
「まさかとは思うけど」
「まあ、そこまでは」
 2人はなんとなく嫌な予感がして、しかしそれを否定したくてカラカラと笑う。しかし、次の瞬間、その表情は凍りついた。
 おそらく、仙蔵についていた文次郎、長次もそうだろう。彼ら4人の目には、まさに目の前で展開されている光景が、スローモーションのようにして見えていた。
 喜三太が、庭の草の上に乗っているナメクジを見つけ、急に足を止める。
 後ろを歩いていたしんべヱが、そのまま喜三太にぶつかる。
 ぶつかられた喜三太の身体がゆっくりと傾き、その腕の中の箱もゆっくりと傾いていく。
 ほぼ反射的に、小平太と伊作が地を蹴る。文次郎と長次が固唾を呑む。
「あ!!」と声を出しかける喜三太の口を小平太が塞ぐ。
 伊作が手裏剣を放って既にこぼれた玉が転がっていくのを防ぐと同時に、箱を押さえてそれ以上の落下を防ぐ。
 それでも防ぎきれなかった玉を、文次郎が自らのはじき玉で跳ね返す。
 こうして、わずか一瞬の間に、仙蔵の方へ転がるはずだった玉は全て防がれたのである。
「ふー・・・」
 仙蔵の足音が遠ざかっていくのを確認すると、伊作は息をついた。喜三太の手から箱を取り上げると、床に散らばった玉を手早く集めて入れる。
「セーフ、だったね」
「ああ」
 伊作の言葉に、小平太が微笑む。
「あのー・・・先輩」
 しんべヱが後ろから遠慮がちに声をかける。小平太は首だけそちらへ向けると言った。
「ああ、ちょっとね・・・はは。今日は絶対に学園の平和を守って見せるから――ああ、別に怒ってないからね」
 訳のわからないことをまくし立てる先輩の姿に、しんべヱは戸惑った。
 どうやって伝えよう。
 必死に取り繕おうとする小平太の手の中では、喜三太が窒息しかかっていたのだった。

「ふー・・・」
 太陽が西に傾く頃、伊作たちは漸く安堵のため息をついた。あれから、喜三太のペットが脱走したり、しんべヱの部屋からねずみが走り出したりしたが、その度に、何とか最悪の事態を回避することが出来たのだ。
「おつかれ、小平太」
「おつかれ、伊作」
「今日も一日ご苦労様、だな」
 すっかり安心しきっていた2人は、突然背後から投げかけられた冷たい声に、血の気が引くのを感じた。ぎちぎちと音を立てながらそちらへと首を向けると、端正な顔立ちがこちらを見下ろしている。夕日に映えたその顔は、美しい一方で、恐ろしいものを感じさせた。背後には、肩身の狭そうな様子で文次郎と長次が立っていた。仙蔵は背後の2人を、親指で指した。
「全く。一日中こいつらはついてくるし、ちらちらお前たちは視界に入ってくるし・・・」
 それから何か言おうとしたのを仙蔵はぐい、と飲み込むと、軽く息をついてから言った。
「まあ、心配かけて・・・悪かった。実際、相当イラついていたんだが・・・お前達が余りにも甲斐甲斐しく動くから、怒る気も失せた」
 仙蔵は軽く口の端を吊り上げた。何か言われるかと内心ひやひやしていた伊作たちは、ほっと胸をなでおろす。
「それに私もそんな小さな子どもじゃないんだから、イライラを八つ当たりで解決しようとか――」
 言いかけて、仙蔵は言葉を切った。目の前から、ぽてぽてと『天敵』――喜三太がやってくる。その手に握られているものを見て、伊作たちの表情は凍りついた。
「立花先輩!!用具委員で整理していたら、コレ、余っちゃったんで貰って下さい!!」
「余ったって・・・それは先生に言わなきゃいけないことだろう?何故・・・」
 仙蔵は、喜三太を諭す。しかし、喜三太はその話を全く聞いちゃいなかった。
「大丈夫ですよお、先輩。まだちゃんと使えますって。ほら」
 あ!!
 というまに喜三太は導火線に火をつける。
 伊作たちの目には、導火線がどんどん炎に侵食されていく様子がやはりスローモーションで見えていた。炎が導火線を食らい尽くそうとした瞬間、伊作たちは目を閉じた。
 次の瞬間、彼らの今日一日の努力は無に帰したのだった。


今回のテーマは、(しんべヱ+喜三太)×仙蔵=ドリフオチだったのですが(やや違)やっぱり難しいですね・・・最後の方にはしんべヱ、出てきませんし。
なんか、どうしても過去のアニメ2作品(『しめりけ厳禁』と『火気厳禁』)とかぶってしまう感じで・・・
結局、こういう展開になりました。如何だったでしょうか・・・?

●戻る