乾坤一擲<終章>

「三郎」
「何だ」
「機嫌直してよ」
「何で」
「最近いらいらしてるじゃないか」
「そんなことない」
「あるよ」
「どこが」
「そこ」
 雷蔵は三郎の足元を指差す。三郎の足は小刻みに動いていた。貧乏ゆすり、というやつだ。
 指摘されて、三郎はふん、とそっぽを向いたのだった。

 あれから一日。
 三郎は朝からずっとこの調子だった。
 結局あの後即座に雷蔵が発見、捕獲され、なし崩しのように五年生は全滅したのである。
 最悪の展開だった。
 それが悔しかったのか、三郎はずっとふてくされている。
 食堂までその空気を持ち込んだ三郎に、雷蔵が痺れを切らしたのだ。

 相変わらず三郎はそっぽを向いている。
 どうしたものかと悩む雷蔵だったが、ちょうどその時、ふと視線に気付いた。
 ――立花先輩!
 雷蔵の心拍数が急激に上がる。雷蔵は何故かこの立花仙蔵が苦手だった。
 投げかけられる視線。何もしていなくとも、身体が硬直する。
 勿論そんな視線に三郎が気付かぬはずもない。しかし、三郎はそちらにちらりと視線を向けただけで、会釈もせずにまたそっぽを向いたのだ。
「三郎!」
 雷蔵は慌てて三郎の袖を引っ張った。三郎は面倒くさそうに雷蔵を見る。
「何だよ」
「何だよ、って…まずいんじゃないか?あんな態度で…」
「関係ないだろ」
 三郎は仙蔵と小平太、そして文次郎が座っている方をぼんやりと見た。
 小平太と文次郎がなにやら騒いでおり、その脇で仙蔵が茶をすすっている。
「…五月蠅い」
 三郎の口からそんな呟きがボソリと漏れた。
 ――ヤバい。
 雷蔵はそう直感して三郎の方を向く。その時にはもう既に、三郎は『長次』になっていた。
「わっ…三郎止めろっ!」
 雷蔵の制止など効果があるはずもなく。すでに湯飲みは三郎の手から離れていた。
 湯飲みはそのまま美しい放物線を描きつつ、仙蔵に掴みかかろうとする小平太の頭に見事に命中する。
 ごん。
 なにやら鈍い音が響き、頭を押さえた小平太がこちらを向いた。
「五月蠅い」
 慌てる雷蔵の横で『長次』は淡々と言った。
「!それは五年の制服…ってことはお前鉢屋か!?この野郎!!」
 小平太はこちらへ向かってくる。雷蔵はやはり止めようとするが、三郎はそれを振りきって逆に小平太の方へ向かって行った。
「ちょっ…三郎!」
 追いかけようとする雷蔵の目の前に、すっと腕が伸びた。
「立花先輩…?」
「苦労するな、お互い。無鉄砲なのがいると」
 仙蔵は小平太と三郎の喧噪を傍観しつつ言う。雷蔵は苦笑した。
「長いつきあいですから」
「まあな」
 仙蔵の口元にも軽く笑みが浮かぶ。雷蔵は、いつもほど恐ろしさを感じなかった。
「三郎、悔しいんですよ。先輩に負けたのが」
「あいつらしいな…しかし」
 仙蔵は、今度は背筋が凍るような視線を三郎のほうに投げかける。雷蔵の心拍数が再び急に上がった。
「私に勝とうというなら卒業するまでにしてもらわないと。学園を出たら、最早…」
 仙蔵は目を鋭くする。
「遠慮というものがなくなるからな」

 雷蔵の仙蔵恐怖症にさらに拍車がかかるのは必至であった。

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