騎虎之勢

 袈裟衣には少しばかり抵抗があった。
 伊作は小さく溜息をつくと、黒染めの衣に手を通す。
「伊作」
 伊作はふと視線を上げた。そこには、仙蔵が立っていた。
「『お使い』か?」
「…うん」
『お使い』はしばしば六年生の身に降りかかる『厄介事』である。これに巻き込まれてしまうと、実践ができるものの、その他の勉強などが遅れてしまうため、皆できることなら避けたいと思っていた。
「今回は?」
「…杭瀬村」
 伊作はぼそりと言った。
「杭瀬村ならまだマシだな。大木先生もいらっしゃるし」
「…だから行きたくないんだけど」
 伊作はふう、と溜息をつく。仙蔵は伊作の言葉の意味を察して苦笑いを浮かべる。
「まあ、言われたものは断れないからな…伊作は。無料奉仕、頑張って来いよ」
「他人事みたいに…」
「他人事、だ」
 ふくれる伊作に仙蔵は、そう軽く言い放ったのだった。

 若い僧侶が道を歩いていく。
 笠に顔の殆どが隠れ、口元が軽く覗き見えるだけではあるが、それだけでも整った顔立ちが思われた。道行く人々が彼に視線を投げかけるのは当然といえば当然である。
――やっぱり止めておけば良かった。
 伊作は笠をぐっと下ろした。自分に注がれる視線。それが苦しかった。
 と。
 伊作はふと足を止めた。視界は半分以上が笠に遮られているが、その下半分の視界に入ってきたものに、背筋が凍りそうになる。
 それは、紛れもなく袈裟衣であった。
 伊作が袈裟衣に抵抗を感じる理由はそこにある。どうしても、『本物』に出会うと罪悪感を感じずにはいられないのだ。
 伊作は先程よりも笠を下ろし、足早にその僧侶とすれ違った。
 高鳴る鼓動の所為だろうか。伊作は、すれ違いざまにその僧侶の投げかけた奇妙な視線に全く気付かなかったのだった。

「…そろそろ、か」
 伊作は町はずれまで来て、漸く笠を上げた。目の前には、森が茂っている。そこを抜ければ杭瀬村はすぐそこであった。
 伊作はほう、と息を付くと、いったん笠を外して汗を拭った。まだ、少し鼓動が乱れている。
 ――やっぱり、向かないのかも知れない。
 友人、教師によく言われてきたことだった。自分でも、伊作はそれを痛感している。
 ――いざというときに良心が災いになることも…
「いや、今はこんなことを考えている場合じゃない」
 伊作は、少し落ち込みかけた自分に活を入れるように、軽く頬を叩いたのだった。

 森の中程まで来たとき、伊作は前方に気配を感じた。
「大木先生」
 伊作は小さな声で呼びかける。前方からやって来た雅之助は、少し小走りに近寄ってきた。
「善法寺。今日はお前だったのか」
「はい」
 伊作は頷いて懐に手をやるが、ふとその手を止める。
 次の瞬間、雅之助も伊作も同時に後方に跳んでいた。2人の間を吹き矢の矢が通り過ぎていく。
「何者だッ!!」
 雅之助は吹き矢が跳んできた方に、足下の小石を投げた。小石が小気味良い音をたてて何かに当たり、どう、と草むらで何者かが倒れる音がする。それを合図に、周りからバラバラと大勢の刺客が現れた。
 囲まれて、伊作と雅之助は後ずさりした。二人の背中がこん、と当たる。
「大木先生、何かやらかしたんですか?」
「言うのお」
 雅之助はそのような状況でも尚、笑みを浮かべた。伊作は前を見たまま、問う。
「…コレ、狙われるようなモノなんですか?」
「いや…そんな筈はないが。お前こそ、何かしでかしたのでは?」
「全く覚えがありませんねッ!!」
 言うなり、伊作は目の前の刺客に飛びかかった。不意を付かれて、刺客は動くことすら出来ないうちにどう、と倒れる。
 それを合図に大乱闘が始まった。
 前から、後ろから、右から、左から、そして上から――あらゆる方向からやってくる刺客を、伊作は巧みに受け流す。片端から片づけようとはせず、ただただ隙を狙っていた。
「!!」
 その分、僅かな隙も決して見逃さない。時間はかかるものの、数は確実に減っていた。
「ど根性!!」
 遠くで、雅之助の声と共に、多くのうめき声が聞こえた。いや、実際は近かったのかも知れないが、伊作にはそこまで考える余裕はない。ただ、雅之助が相変わらず鈍らないその腕で敵をなぎ倒していることだけは確かだった。
「うっ…」
 それから幾ばくもしないうちに、伊作は、最後の一人となった刺客の喉元に短刀を当てていた。
「…どうして僕達を襲ったんですか」
 語調は穏やかではあるが、目は決して笑ってはいない。刺客は背中に冷たい物を感じて震え上がった。
「そ…れは…」
「善法寺!!」
 伊作はハッとして後ろを振り返った。先程倒したはずの刺客が、刀を振りかぶった状態で硬直している。
「う…」
 小さくうめき声を上げて、その刺客は崩れた。その向こうには、肩で息をする雅之助がいる。
「大木先生…」
「…またやったのか、善法寺」
 伊作は目を伏せた。雅之助は、ちらりとそれを見て、それから何も言わずに尋問を受けている刺客の元に近寄る。
 刺客は雅之助を見てさらに震え上がった。
「さあて、全部話してもらおうか」
 雅之助は刺客をじっと見て言う。否といえば斬ると言わんばかりの目に、刺客は黙って頷くしかなかった。
「言う、言う、言いますッ…我々は敵のスッポンタケの密偵を消すべく…」
「おい、待て」
「僧形に化けているその密偵を斬れという」
「待てと言っておろうが!!」
 刺客に、雅之助の拳骨が派手に浴びせられる。刺客は気を失いかけるが、雅之助はそれを許さなかった。
「おい、スッポンタケってなんのことだよ。まさか人違いじゃないだろうな」
「は?」
 刺客は、目を点にしていた。
「しかし…!!調べによるとこの時刻にその密偵は杭瀬村からこちらに来ると…」
「あいつは町から杭瀬村に向かって歩いてたんだ!逆だろうが!」
 雅之助は刺客に掴みかかる。刺客は真っ青になっていた。
「あの…」
「何だ」
 おそるおそる話しかけた伊作に、雅之助は恐ろしい形相で振り返る。伊作は一瞬ひるんだが、首をぶんぶんと振ってから言った。
「…ここに来る途中、僕と同じ様な格好をした人とすれ違ったんですが…」
 その人じゃないでしょうか?
 そう言う前に、刺客は既に額を地面にすりつけていた。
「申し訳ございません!人違いでした!」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、雅之助の怒りの一発が命中したのは言うまでもないことである。

「大木先生、すみませんでした」
 杭瀬村の雅之助の家で、今度は伊作が謝っていた。
「何のことだ」
「さっきの…私、また躊躇してしまったみたいで…ちゃんととどめを刺していなくて…」
 伊作は俯いた。雅之助は溜息をつくと、腰を上げた。
「…まあ、すんでしまったことは仕方ない。お前も怪我がなくて何よりだ」
「大木先生」
 伊作は顔をあげた。雅之助はにっ、と笑う。
「その代わり、わしをひやりとさせた分、働いて貰うからな」
 伊作はその場で凍り付いた。雅之助がひらひらとその顔の前で手を振る。
「どうした?」
「…鬼ですね」
 伊作はボソリと言った。雅之助はまたもや口の端を上げる。
「何を言っておる。お前の根性を叩き直してやるわい!」
「結構です!!それについ最近、長次が手伝いに来た筈じゃないですか!!」
「ああ、あいつか」
 雅之助は腕を組んだ。
「あいつは何もしゃべらんのでつまらん。おまけにしんべヱの妹のスッポン…ではない、カメ子とかいうやつも一緒に来てな。なんだかややこしくなりそうだったもんで、作業途中で帰って貰ったんだ」
「じゃあ…」
 伊作は肩を落とす。雅之助はさも楽しそうに言ったのだった。
「おうよ!一蓮托生!仲良きことは美しきかな!友人のしわ寄せは受けるのが世の定めだ!!」
 ――だから杭瀬村への『お使い』はイヤなんだ!
 伊作は心の中で叫びながら、今日中には学園に帰ることが出来ないことを感じ取っていたのだった。


あうう…なんだか趣旨のまとまらないハナシに。
伊作さんと大木先生って二回目ですよね。多分。
一応、アニメの話を前提にしてます。
次はできたら海賊話に挑戦したいのですが…

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