気息奄奄
「…利吉か」
「は。今回のご用件は」
蝋燭の火がゆらりと揺れる。
部屋の戸越しに二人は会話をしていた。
部屋の中にいる人物はその館の主。
そして廊下で控えるは――フリーの忍者、山田利吉。
館の主は揺らめく蝋燭の光をじっと見たまま言った。
「実は幻術使い、摂津院雲黒斎から巻物を取り返して欲しいのじゃ」
「雲黒斎、ですか」
利吉は確かめるように因縁の名を呟いた。主はこくりと頷く。
「ああ。元は我が城にあった物なのだが…以前の戦のどさくさに紛れて奪われてしまったらしい。あれにはとても重要なことが書いてある。それが外に漏れでもしたら大変なことになる…」
「お任せ下さい。必ず取り戻して見せます」
利吉はそれだけ言うと、その場を後にした。
「よおーし。それでは全員そろったな?」
「はい!」
晴天の下、お子様達の声が響く。よし、と頷くと二人の教師は徐に切り出した。
「それではこれより課題の発表をする!」
と、急に空気が重くなる。
二人の教師はその雰囲気に居づらさを感じつつも続けた。
「ここから、行きにきた道順を頼りに自分たちで学園に帰ってくること!期限は日が沈むまでだ!」
「そんなあ…」
子供達は上目遣いで教師を見る。
教師達は、溜息をつくとその場を離れたのだった。
「あ、分かれ道があるよ」
残された子供達は、しぶしぶ歩き出した。
「確かこっちだったよね」
眼鏡をかけた少年がそう言って左の道を指差した。
「違うよ、乱太郎」
別の少年がその少年の横につく。
「来たときは左に曲がったからこっちだよ」
そう言って右の道を指差す。
「違うよ庄左ヱ門。こっちだってば」
また別の少年が左を指差す。
「違うってば」
「右で合ってるよ」
「左だってば」
初めの分かれ道ですぐに少年達――は組の面々はもめ始めた。
勿論、自分たちの身に危険が迫っていることも知らずに。
結局、乱太郎達は多数決を採ることにした。
「6対5で…左だね」
庄左ヱ門が溜息をつきながら言った。言うまでもなく、六票の内の三票はあの迷子の達人の票である。右だと確信している庄左ヱ門にとってそれは不安をそそる原材料となった。
「じゃあ、行こうか」
不安を抱える数名を引き連れて、件の『迷子の達人』が先頭に立つ。
日は丁度頭のてっぺんにあった。
日が傾きかけた頃。
「あれ?こんなおんぼろ屋敷、来るときにはあったかなあ?」
迷子路線をまっしぐらに駆けるは組のメンバーの前に古い、荒れた屋敷が姿を現した。
「やっぱり初めのところで道を間違えたんだよ」
初めに右だと主張していた面々はそう言って乱太郎達に近づいた。
「おかしいなあ…そうだ、この家の人に道を聞いて見ようよ。そうしたらはっきりするじゃない」
乱太郎は楽観的に言った。庄左ヱ門はそんな乱太郎を制す。
「こんなに荒れた屋敷に人が住んでるわけないだろう」
「荒れた屋敷で悪かったな」
「!!」
突如、乱太郎達の視界がフッと暗くなった。慌てる11人。
手探りで状況を確認しようとした瞬間、足下の地面がなくなった。
「わあああっ!!」
身体が落ちるような感覚と共に、乱太郎達の意識も遠のいていった…
「…まずいな」
利吉は樹上から、何もないところで悲鳴を上げながら気絶していくは組の様子を見ていた。
「出ていきたいのは山々だけど…勝算が少なすぎる」
利吉は唇をかむと、再び地上を見下ろした。
屋敷の中から雲黒斎と思われる人物が現れ、乱太郎達を引っ張って行く。
と、急に雲黒斎が後ろを振り向いた。
鋭い視線が利吉をかすめ…そして戻ってゆく。
――感づかれた…か?
利吉はそっと隣の木に移る。
そこはあいにく死角になっており、利吉は雲黒斎がふと笑みを浮かべたのに気付く由もなかった…
「利吉君」
ふと、利吉の後ろから聞き慣れた声がした。
「――土井先生!?」
利吉は思わず声をあげる。と、利吉の頭を疑問がよぎる。
――もしやこれは幻術では?
利吉は息を吸うと目を閉じ、九字の印を唱える。
――とにかく心を落ち着かせることだ…
利吉は息を大きく吐き出してそして目を開いた。
やはり半助はそこにはいなかった。
しかし代わりにいたのは乱太郎だった。
虚ろな目で木の枝の上に立っている。
と、乱太郎の足が枝から離れた。
「乱太郎君!!!」
利吉は咄嗟に自分のいた枝を蹴った。そして乱太郎の方に手を伸ばしながら、もう片方の手で手近な枝を掴む。しかしその手が乱太郎に触れることはなかった。利吉の手は乱太郎の身体をすり抜けた。
「しまった!!」
――二重の幻術にかかっていたのか…
幻術にかからずにすんだと安心した、ほんの少しの隙につけ込まれていた…利吉が気付いた瞬間、乱太郎の姿は消え、体がバランスを崩す。思わず掴んだ枝が音をたてて根元から折れた。
「雲黒斎!!」
しかも落下地点には抜き身の刀を持った雲黒斎が控えていたのだった…
身体が宙を舞う。
もはや白刃を構える雲黒斎は目の前に迫っていた。
利吉はただ刃の先を見つめ、その刃の振り下ろされる軌道を見極めるとその軌道から外れるべく、身体をよじった。
しかしやはり不安定な体制ではそれは無理なことだった。雲黒斎の刃の先が利吉の身体をかすめる。
「―――ッ!!」
鮮血がほとばしり、利吉は衝撃を緩めることも出来ずに地面に落下した。
刃による傷と落下の衝撃で利吉は意識を失いかける。
「…く…」
かすむ視界の端で雲黒斎がにやりと笑った。そして雲黒斎は刀を振り上げる。思わず利吉は目を閉じた…
だがその刀は宙で止まった。次の瞬間には刀が地面に突き刺さる。
「利吉君!大丈夫か!?」
――土井先生…?
今度こそ本物なのだろうか?それともこれも幻か?
そんな考えが頭をよぎるながらも、利吉の意識は遠のいていった…
「はい、これ」
目を覚ました利吉の前に巻物が差し出された。
「土井…先生?」
利吉は驚き顔で半助を見る。半助はにっこりと笑って言った。
「うちの生徒が迷惑をかけちゃったから…せめてものお詫びに」
「いえ、ご迷惑をおかけしたのはこちらの方です。…本当に、申し訳ございませんでした」
利吉は頭を下げようとしてぴたりと止まった。
「っく…」
「ああ、駄目だよまだ動いちゃ」
半助はあわてて利吉の身体を支える。利吉は額に汗を浮かべながら息を吐き出した。
「…ところで…雲黒斎は?」
「追い払ったよ。捕まえるのは無理そうだったし」
さらりとそう言う半助を見て利吉は思わず笑った。
「私しかいないんですから正直に言って下さいよ。『逃げられた』と」
「それは言わないで欲しかったな」
半助もつられて笑う。利吉は笑いながら思った。
――この人にはまだまだ勝てないな…
利吉の心を示唆するように、すっかり傾いた日が利吉の顔を赤く照らしたのだった。