内偵<後編>

(夕食後にこっそり抜け出し…包帯を持ち出す…航が…?)
 水軍館の廊下を足早に通りながら、舳丸は思考をめぐらせた。
(まさか…)
 舳丸の足がふと止まる。
(どこかの落ち武者かなにかを匿っているとか…?)
 舳丸はハッとして、左右に首を振った。あの航に限ってそんなことはない。そんな思いで先ほどの考えを打ち消そうとした。その時だ。
(あれは…)
 舳丸の視界の端で、さっと動いた影があった。庭の茂みの陰をこっそり駆けた者…普通の人間になら見えぬであろうが、夜目の利く舳丸にはそれを判別することが出来た。
(航…?)
 舳丸はもう一度その影をじっと見た。二、三度あたりを軽く伺ってから、その陰は館の敷地を抜け出していく。それも、懐をかき寄せるような格好で、だ。怪しいことこの上なかった。
(まさか…)
 舳丸は眉を寄せた。しかし迷っている暇はない。そうしているうちにも影――航は目の届かぬところに行ってしまう。
「百聞は一見に若かず、か」
 小さく呟くと、舳丸は音もなく夜の闇に紛れたのであった。

 時折あたりを窺いながら、航は海岸に向かって歩いていく。
(やはり岩場あたりに誰かを――?)
 舳丸は疑念を抱きながら、音も無くその後をつけていく。そうこうしているうちにも、航は舳丸の疑念を裏づけするかのように、岩場のあたりへと近づいていく。
 岩場の奥の奥――そこに、小さく口が開いている。洞窟、というよりもそこにあった岩1つがぽこりと抜けたような場所であった。
暗がりの中、航がその窪みに近づき、中に向かってなにやら話しかけている。舳丸は慎重に近づくと、聞き耳を立てた。
「――どうだ、具合は」
 航のひそめた声が聞こえる。話しかけられた相手は返事をしない。
「新しい包帯も持ってきた。少しだけど食べ物も――もうじき傷も癒えるだろうから、もう少し我慢しろよ」
 言いながら、航は窪みの中に手を差し出した。自由に動き回れるようになってはまずい。動きにくい窪みの中にいる間に押さえ込もうと、舳丸は飛び出した。
「航、何をしている」
「み、舳丸兄さん!?」
 慌てた航は窪みから手を抜き出し――そしてその手の中には――
 ぴお。
「ん?」
 突如聞こえたお間抜けな音に、舳丸は航の手元を見た。航の手にはなにやらふかふかしたものが載っている。
「申し訳ありません!!」
 ふかふかを手の上に載せたまま、航は勢いよく頭を下げた。舳丸は眉を寄せ、航の頭を上げさせる。
「…一体何だそれは」
「こいつ…怪我してたんです」
 航は手をそっと舳丸の方に差し出した。手の上に載っていたものがかさかさと動き――羽を小さく振るわせる。
「千鳥――?」
「はい。怪我してて…飛べなくなってて…」
 放っておけなかったんです、と航は消え入りそうな声で言った。舳丸は溜息をつくと、航の手からその千鳥を受け取った。
 千鳥の不自由な羽は、包帯で器用に治療されていた。航は包帯と、自分の夕食の一部を持ち出してこの千鳥の世話をしていたのであろう。
 舳丸は千鳥をじっと見た。千鳥は時折航の方を見やりながら、不安そうに舳丸を見つめている。舳丸はそんな千鳥を軽くつついて、水軍館のほうへ足を向けた。
「兄さん!!」
 後ろから航が声をかける。
「その千鳥――処分されちゃうんですか!?」
 舳丸はその声にゆっくりと振り返る。航は慌てて駆け寄った。
「もう少し、もう少しで治るんです。お願いです!責任を持って面倒を見ますから処分だけは――」
「落ち着け」
 舳丸は千鳥を片手に移し、空いたもう片方の手で航を制した。
「勘違いするな。あんなところにいたんじゃ、潮風にさらされて傷の治りも遅くなるだろう?館につれて帰るんだよ。蜘蛛の兄ぃなら何かいい治療法を知っているかもしれないし」
「兄さん…」
 航はそう言って、深々と頭を下げた。舳丸は軽く微笑み、航の頭をぽんぽんと叩く。
「安心しろ。千鳥は俺たちの旗印だ。兄貴達も、お頭も――邪険には扱わないさ」
 二人は、舳丸の手の中の千鳥を見つめた。千鳥は羽をばたつかせ、嬉しそうに『ぴお』と再び声を上げたのであった。

「あー」
 鬼蜘蛛丸への報告を終え、館内の自室に戻った舳丸は勢いよく四肢を投げ出した。緊張した所為か、どっと疲れが出る。
(腹が立っていたからか――冷静な判断が出来なかった)
 勝手に勘違いして気をもんでいた自分が情けない。舳丸は軽く舌打ちして、寝返りを打った。
(まだまだだな、俺も…)
 小さく溜息をつくと、舳丸は目を閉じた。耳を澄ませば、程近くの海の小波の音が聞こえてくる。
(あの千鳥、どうしてるかな――)
 今頃網問たちにもみくちゃにされているであろう千鳥の行く末を気遣いながら、舳丸はまどろみに身を任せたのであった。



舳丸と航、とのことで書かせていただきました。
お互いの呼び方はmy設定です。義兄弟萌えなんで(爆)
水軍メインで書くことがほとんど無かったので、楽しくもあり、難しくもありました。
こんな感じで宜しかったでしょうか…
しなの様、随分お待たせして、申し訳ありませんでした!


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