二者択一

「おや?」
 午後の授業を終え、自室に戻ろうとしていた半助は、ふと足を止めた。
 自室――といっても、伝蔵との相部屋だが――の前に、なにやら大きな物が見える。そして、その横には…
「利吉君?」
 半助は同僚の息子の名を呼ぶと、小走りでそちらへ駆け寄った。利吉は半助のほうを見て、微笑む。
「土井先生、ちょうどいいところに」
「どうしたんだい、コレ」
 半助は『コレ』と言いながら利吉の横の『大きな物』を指差した。人が二人や三人軽く入っていそうな大きな風呂敷包みが入り口を塞いでいる。
「いつもの『妻の愛』ですよ」
 利吉は力なく答える。明らかにその表情には疲労がにじみ出ており、道中の苦労が思われた。
「いつもの、って…これ、いつもの倍はあるんじゃないか?」
「ええ。苦労は3倍以上でして」
 利吉は長い溜息をついた。そして、ゆっくりと『妻の愛』に手を当て、半助のほうをじっと見る。
「土井先生」
 完璧な笑顔で。
「中に入れるの、手伝っていただけますよね?」
 半助に、否と言う勇気はなかったのだった。

「なんだかんだ言って」
 半助は漸く入り口を通った包みを感慨深そうに見つめた。それはさほど広くない半助と伝蔵の部屋の一画を大きな顔で占領している。今夜はどうやって布団を敷こうか、半助はそんなことをぼんやりと考えた。
「実質的な差し入れはいつもと同じくらいだね」
「ええ」
 利吉は肩をぽんぽんとたたきながら、さらりと言ってのけた。
「『妻の愛』の半分は剃刀でできているんですよ」
 そして、大きくため息をつく。
「流石にこれは多すぎると言ったのですが、『女装や身だしなみに必要でしょう?あの人なら』と言われまして・・・あの時の母の目といったら」
 利吉は少し身を震わせた。
「侵入した先の城で発見されかけたとき以上に寿命が縮みましたよ・・・第一、父が逆らえない母に私が逆らえると思います?」
 自分より7歳も下の青年のそんな言い分に、半助は思わず苦笑する。
「お母上も相当寂しいようだね…今度の休みにはできるだけ山田先生が帰れるようにしないと」
「できるだけ!?」
 利吉は突然声を荒げた。半助は驚いて飛びのく。利吉ははっとして少し決まりが悪そうに視線を泳がせ、そして言った。
「冗談じゃありませんよ。次の休みに父が家に帰らなかったら、間違いなく死人が出ます」
 利吉の目は本気の目だった。
「死人ってまた大袈裟な」
 半助はその目に射抜かれそうになり、少し遠慮がちに言う。利吉はゆっくりと半助の目の前に手を差し出した。
「誇張でも何でもありません。これがその証拠ですよ」
 半助は利吉の手を見てあっと声を上げた。手のひらにはマメ。手の甲にはあかぎれ。痛々しいほどだった。
「流石に父も一度は帰っただろうと思って油断していたらこのザマです。帰ったその日から雪かき、洗濯、炊事、井戸掘り…合戦上のど真ん中で眠るほうがよっぽど安心できますよ」
「君が言うとなんだか妙に現実的だな」
 半助は苦笑するも、心底利吉に同情していた。だからこそ、つい口をついてその言葉が出てしまったのである。
「同情するよ、利吉君」
「その一言を待っていました」
「はい?」
 半助は素っ頓狂な声を上げた。利吉は、懐に手を入れ、なにやら手紙のようなものを引き出す。
「これ、土井先生に差し上げます」
「これって・・・」
 半助はその『手紙のようなもの』を受け取り、広げた。なにやら細かい字が、規則正しく並んでいる。目を凝らしてみてみると、それは人の名前の一覧表だった。
「これは?」
「見合い候補の娘さんリストです」
 ぴたり、と時が止まった。半助の体が凍りつく。ぎちぎちと音が立ちそうなくらいにぎこちなく利吉のほうを振り返ると、利吉は完璧なまでの微笑を浮かべていた。
「先程、同情してくださると仰いましたよね?」
「いやそれは言葉のあやと言うか」
「仰いましたよね?」
 利吉の口調には、否定を許さない凄みが合った。流石の半助も口をつぐみ、ただただ首を縦に振るばかりである。
「私達親子を救うと思って、是非」
 利吉の目は真剣だった。半助は思わずじりじりと後ずさりする。
「そんな・・・って、私が見合いをしたからといって君達が家に帰るわけじゃないだろう?」
「ええ」
 あくまで利吉は淡々と答える。
「でも、相手との打ち合わせやら何やらで時間は稼げますよ――うまくいけば半年は、私たちに危害が及ばずにすみます」
「こっちは大迷惑だよ」
「なら」
 半助の言葉にかぶせるように、利吉は強い口調で言った。そして、口の端に笑みを浮かべる。
「何が何でも次の休みに父が帰れるよう、共にきっちり作戦を練りませんか?」
「・・・」
 半助の脳裏に天秤が出現した。片方の皿には自分の身の安全、そしてもう片方の皿には先輩教師の身の安全。
 その天秤は、あっという間に前者のほうに傾いたのだった。

それから数刻後。門を出ようとしていた利吉を、伝蔵が呼び止めた。
「おう利吉、来ておったのか」
「はい父上。あ、母上からの荷物、お部屋のほうに運び込んでおきましたので」
 そして、とびきりの笑顔で。
「私はこれで」
 踵を返す息子に、伝蔵は首を傾げた。
「はて・・・あいつ、何か隠しとるな」
 その『何か』を伝蔵が知るのはその直後。
 部屋に、大量の剃刀と共に、『山田伝蔵を休みに家に帰すための25カ条』と書かれた紙の束を見たときであったという。


ええと・・・『ほのぼの』を書いたつもりが、『修羅場』話になっておりました・・・
紫翠様、申し訳ございません(陳謝)
アニメの第十期であの見合い騒動があったので、一度見合いネタを書いてみたくて。
そんでもって『バファ●ン』のCMを思い出したもので。
結局こうなってしまいました。
もっと修行せねばなりませんね・・・(何の)

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