研究レポートNO.1
『忍術学園はどこにある?』

1.きっかけ
 とある昼下がり。私は数人の友人と共にランチタイムをエンジョイしておりました(外来語が多いぞ)。その時、私だったか、友人のうちの1人の空音(くおん)だったか、『忍術学園ってどこにあるんだろう』ということを話題に出したのです。それが何故か発展し、いつの間にかこの研究になっていたというわけです。

2.研究
 では、早速忍術学園の位置を探ってみましょう。
 原作では『関西のとあるどいなか』ということになっていますので、まずこれを頭の隅に置いておきましょう。
 次に、原作の中から手がかりとなるセリフを探します。
 今回の研究では、第15巻の166ページ2コマ目の大木先生のセリフ「となり村の金楽寺……昼までには戻ってこられる」についてまず考えてみました。
 実は、この金楽寺という寺は尼崎市に実際にあるお寺なのです。
 これで忍術学園研究はおしまい。尼崎に決定〜と思いきや、そうではありませんでした。
 第6巻を見て下さい。26ページ2コマ目のしんべヱのセリフ「この山を越えたら海に出るね」というのが私たちの前に立ちはだかりました。尼崎は海沿いで、海へは一直線です。間に山はありません。『海』を日本海とする考え方もありますが、村上水軍の存在などを考えると、やはり兵庫水軍も瀬戸内海でしょう。
 そこで、残された道はふたつになりました。
 一つ目は、『となり村』がかなり離れた位置にあったという説。
 二つ目は、『金楽寺』が別の場所にもう一つあったという説。
 ここでは、二つ目の説を採ってみます。
 『金楽寺』がどこにあったにしろ、とにかく学園は瀬戸内海との間に山を挟んだところでなくてはいけません。
 さて、ここで原点に戻ってみましょう。学園は関西のどいなかにあるという項目です。
 当時田舎だった場所、ということで空音は宝塚を候補にあげました。宝塚は今でこそ歌劇団などで有名な所ですが、当時は相当な田舎だったそうです。しかし、宝塚は平野部であり、山をはさんではいません。そこで、我々は素晴らしい土地を発見したわけです。
 それは、生瀬というところです。
 生瀬は、宝塚から少し山に入ったあたりの西宮市内の武庫川沿いのところで、三方を山に囲まれています。幾度かアニメにも、『忍術学園は要所にある』という表現がありましたから、地形としては妥当なところにあるかと思います。
 そして、生瀬という土地の発見に喜びつつ地図帳を眺めた空音と私の目にさらに素晴らしい物が映ったのです。それは、生瀬の周辺の山の所に描かれた『乳牛』のマークです。おお!これぞ生瀬=学園説を裏付ける物です。そう、これこそが忍術学園牧場の名残なのです。しかもこのマーク、この近辺では一つだけしかなかったのです。

 以上、これらの事実に基づき、我々は忍術学園の位置=生瀬説を提唱したいと思います。

 ここが生瀬だ!(クリックして下さい→)(こちらへはプラウザの『戻る』で戻って下さい)


※補足事項
   ちなみにこの生瀬から山田先生のご実家、氷ノ山までの距離は約120km。一日寝ずにぶっ通しで歩いてやっとたどり着ける距離です。そりゃ家に帰るのも億劫になりますよね…


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