麟子鳳雛<終章>
「ハア…」
伊作は幾度目かの溜息をついた。そして手の中の紙切れを見る。そこにはこう書かれていた。
――ごめいわくをおかけし、もうしわけございませんでした。
わたしはこのできごとをかてにして、これからひとりでやっていくつもりです。
ほんとうにおせわになりました
「まだ寝てなかったのか」
「みんな…」
伊作は部屋の入口に目をやった。仙蔵達がそっと部屋に入る。
あのあと、きぬは仙蔵に一枚の紙を手渡すと、戸口から出ていった。
仙蔵は、きぬを引き留めることが出来ず、しかも見失ってしまったのだった。
「…ごめんな、伊作」
仙蔵は申し訳なさそうに言った。伊作は微笑む。
「いいんだよ。あの子がそう望んだんだから。でも――」
伊作は視線を落とすと瞬時躊躇い、しかし再び口を開く。
「僕達が動く限り、ああいう無関係な人がどんどん巻き込まれるのかな…って思ったらさ」
伊作の肩は震えていた。震える声で、伊作はなおも言葉を紡ぐ。
「なんか…このままでいいのかな…って考えちゃって」
伊作が押し黙ると同時に沈黙が広がる。
その沈黙を破ったのは小平太だった。
「――伊作は優しいからさ、そういう考えが出来るんだよな。そういう考えが出来るって凄く良いことだと思う」
文次郎も続いて口を開く。
「…っていうか、俺はそういう考えが出来るヤツほどこの道に進んだ方がいいと思うぞ」
「どういうことだ?文次郎」
仙蔵は訝しげに尋ねた。
「いや…だってそうだろ?怪我して血がダラダラ出ててそれを可哀相だと思えない人間がさ、医者になっちゃったら困るだろ?それと同じだよ。その下敷きになる人のことを考えられないヤツが忍びやっても逆に目立つし、何つーかなあ…」
文次郎はふと、周りの4人からの視線に気付いた。
「もしかして、俺の言ってること意味不明?」
「意味不明」
仙蔵はすぱん、と言ってのけた。文次郎はむっとした表情を浮かべる。
「あのなあ、これでも俺、一生懸命考えてんだぜ?」
「言語能力が貧困なんだよ」
「何ぃ?」
2人は伊作をはさんで喧嘩腰になる。伊作は目尻の涙を拭いきれないままにその2人を眺め、そして言った。
「2人とも、そんなムキにならないでよ」
「伊作…」
「文次郎の言いたいことは凄く伝わってきたから…ありがとう、文次郎」
伊作はそういって微笑む。文次郎も笑みを浮かべた。
「やっぱ解るヤツには解るんだよな、仙蔵」
「五月蠅い」
そう言ってそっぽを向いた仙蔵の口元にも、ほのかに笑みが浮かんでいたのを長次は見た。
――心配ご無用でしたね、先生。
心の中でそう言うと、長次はそっと目を閉じたのだった。