星火燎原<後編>

 どうしてこういうことになったのだろう。
 網問は必死に足を動かしながら、ぼんやりと考えた。ただ歩いていただけなのに、怖い人たちが追いかけてくる。『密書を出せ』だとかなんだとか喚いている。
「だから!!知りませんってばああああ」
 網問は振り返らずに叫んだ。瞬間、『嘘をつけ!』だの『しらばっくれるな』だのといった怒号とともに、つぶてがとんでくる。
「っつ…!!」
 そのうちの一つが、網問の頭に命中する。当然、網問はバランスを崩し、盛大に転んだ。
「ったく…逃げ足だけは速いな」
 怖い人たちの中でも、一段と凄みを帯びた人物が網問を見下ろしている。網問はおそるおそる彼を見上げた。
「さあ、観念しな」
「だから、何のことだか解らないと――」
 網問は主張するが、彼らがその言い分を信じるはずもない。次第に輪は狭められていった。もうだめだ、網問が諦めの言葉を心の中で呟いたそのとき。
「本当に、知らないのかな」
 突然、穏やかな声が上から振ってきた。見てみると、今までの人々とはうって変わって、微笑みを浮かべた青年が自分を見下ろしている。網問は、安心して表情を崩し、こくりと頷いた。
「…だそうだ。恐らく人違いだから、ここは大人しく引き上げ――」
「ふざけるな」
 リーダー格の男が青年を睨む。手元で、何かが光を反射してぎらぎらと光っていた。
「そいつは兵庫水軍のやつなんだ。知らない筈などないだろう。さあ、そこをどくんだ」
「…それは出来ませんね」
 青年は落ち着いた声で答えた。網問は、自分とさほど年が変わらないと思われるその青年に、すがる思いだった。
「…何…?俺に逆らおうってのか」
 男は、青年の喉元に、手元の刀を向けた。青年は身じろぎせず、口元に笑みさえ浮かべている。
「はい。仕事ですので」
 言った瞬間、青年は身体を左側によじったかと思うと、いったん沈み込み、勢いをつけて男の腹に思い切り蹴りを入れた。
「ふう」
 男が後方に吹き飛ばされるまで、僅か一息。
 網問はそれに見とれていた。彼の動きには全く無駄がなく、それこそ芸術のようでもあった。
 呆けている網問に溜息をつき、青年は網問の手を取っていきなり駆けだす。網問は急に引っ張られて、しばらくは引きずられるようにして走っていた。
「…あ、ありがとうございます」
 走りながら網問は言う。青年は、ちらりと網問を見ると、視線を元に戻して言った。
「手紙、本当に忘れたのかい?」
「はい」
 網問は相変わらず引っ張られながら答えた。青年は溜息をつく。
「まさかあの三人組と同じようなことをする子がいるなんてね」
「へ?」
「…なんでもない…っと!」
 急に、青年は横手の草むらに飛び込んだ。網問も引っ張られるようにして(現実、引っ張られていたのだが)、その草むらに入った。
 青年は人差し指を口元に持っていく。網問は、頷いて自分の口を手で塞いだ。
「逃がすな!!追え!!」
 草むらの向こうで足音やら怒鳴り声やらが飛び交う。網問には、自分の心臓の音が聞こえた。この音が聞こえやしまいかと、内心はらはらする。
 足音が去ってしまうと、青年は聞き取れるぎりぎり小さな声で言った。
「…君、一人で海に帰れるかい?私は、君の代わりに手紙を持ってくる人からそれを受け取らなきゃならないから、君に付いていくことは出来ないんだ」
 あくまで仕事だから、と青年は声を出さずに言った。網問は、それを読みとることは出来ないものの、大体の内容を察してこくりと頷いた。
 本当は海まで連れていって下さい、そう言いたかったけれど。
「この道をまっすぐ行けば海にたどり着く。見通しも利くから、そうそう危ない目に遭うことはないだろうけれど…」
 青年は、網問に手を出すよう言った。網問はそれに従う。青年は懐からすっと手を出すと、網問の手に重ねた。青年の手が浮くと、ずしり、と網問の手に重みが感じられた。
(これは…)
「それはお守り。どうしても危なくなったときにだけ、使ってくれ」
 青年はそう言うと、あっというまに網問の目の前から姿を消した。網問は、しばし『お守り』を見つめた後、草むらから飛び出したのだった。

「任務、ご苦労様でした」
「どうか宜しくお願いします…利吉さん」
 その少し後、先程の『待ち合わせ場所』に早々と立ち戻った青年――利吉は、間切から密書を受け取っていた。利吉がその密書を慎重に身につけるのを見届けてから、間切は徐に口を開く。
「あの」
「何でしょう」
 利吉はじっと間切の目を見た。間切は内心気が引けたが、思い切って切り出す。
「網問を…見ませんでしたか」
「…帰しました。海に」
 間切は、利吉の返答に目を丸くした。ここまでの道で、彼は網問らしき人物は見ていない。
「一人で…帰したんですか!?」
「はい」
「そんな…っ」
 間切は珍しく取り乱していた。
「刺客が大勢いる中を?どうしてそんなことをしたんですか!?このままじゃ網問が…」
「落ち着いて下さい」
 利吉は間切を制止した。間切はまだなにか言いたそうだったが、口を閉じる。
「貴方から書状を受け取った以上、私のここでの仕事はありませんが…彼を帰した道までなら、御案内できます」
「…お願いします」
 間切は利吉を睨むようにしてみながら言ったのだった。

 その頃網問は、やはり走っていた。先程の集団が追いかけてくるのだ。特に、さっき利吉に蹴飛ばされた男など、先頭で血走った目をして走っている。
 後ろを振り返る気などとうに失せていた。振り返った瞬間にやられる気がしてならなかったのだ。ただ気配で、間がどんどん詰められているのが分かるだけだ。
 と、網問は手が背後から迫ってくるのを感じた。根拠はない。しかし、確信があった。
 咄嗟に、網問は『お守り』を右手で握りしめた。走りながら、右手で、水平に弧を描く。丁度、真後ろまで右手が来たとき、網問は初めてちらりと後ろを振り返りながら、『お守り』から手を放した。『お守り』はそのまま地面と平行に飛んでいく…
 そのまま走っていこうとした網問は、とん、と壁にぶつかった。おそるおそる見上げると、そこには見慣れた顔があった。
「網問。よく頑張ったな」
 壁、もとい義丸は網問にそう言って微笑みかけると、首領を失って慌てふためいている集団に、鋭い目を向けたのだった。

「義丸の兄貴!!それに…網問!!」
 利吉に道を聞いた間切が到着した頃には、集団は全て倒されるか、逃げた後だった。と、間切は一点を見て目を丸くする。
 首領と思われる男の喉元に刺さった手裏剣。
「これは…」
「利吉君が助けてくれたそうだ」
 義丸は笑って言う。間切は怪訝そうな表情をして、義丸の背中で寝息を立てている網問を見た。
「それは一体どういう…」
「静かに」
 義丸は唇の前に人差し指を立てて見せた。
「話は、コイツがおきてからゆっくり聞いてやってくれ」
「…はい」
 間切は、こくりと頷いた。外れかけている網問の頭の布を、そっと外す。
 この布は、網問の冒険をすべて見て来たのだろうか。
 そんなことを考えながら、間切は海へと足を速めたのだった。


ああ…最後の方、バタバタと終わってしまいました…なんか尻切れトンボですね(爆)
網問の手裏剣の使い方は、以前甲賀に言った時、忍者屋敷の御主人が熱っぽく語っていらっしゃった『本来の使い方』です。一度やってみたくて…
実は、後編、もう少し長くなる予定だったのですが、前編、中編にくらべてだいぶ長くなってしまったので、ココで切ることにしました。
気力があったら『おまけ』として、切った部分を書こうと思っています。
海賊話は久々ですが…如何だったでしょうか。
御感想など頂けると、幸いです。

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