千辛万苦

 少女が、山道を歩いていた。
 少女、というのもおこがましいかもしれない。身の丈は小さく、周りの雑草に埋もれそうになっているほどだ。しかし服装は立派なもので、上等の着物を着て、大きな笠をかぶっていた。その笠は少女にはあまりに大きく、おそらく上空から眺めている鳥があれば、笠がひとりでに進んでいるように見えただろう。
 少女は、軽く息を弾ませながら、その小さい歩みをやや急がせた。
 もう少しで、あの方に会える。
 そんな期待が、自然と彼女を急がせていた。
 やがて目の前を覆っていた草むらが開けてきて目標とする建物が彼方に見えたとき、少女は立ち止まって、わあ、と感嘆の声を漏らした。もう少しがんばって、と言い聞かせるようにして足を軽くたたくと、そちらに向かって再び歩みを進めようとした。
 と、その時。
「!!」
 かさり、と背後で音がした途端、少女は口を塞がれていた。突然のことで少女は戦慄した。一瞬、身を固くした後、少女は我に返ってじたばたと手足を動かした。せめてもの抵抗である。
 相手はどう出るのだろう。あっという間に冷静さを取り戻した彼女の頭は、既にそんなことを考えていた。彼女の頭の中には、まるで他人事のように物騒な想像が浮かぶ。
 しかし、彼女を突然襲った人物は、彼女の予想に反して、柔らかな声でこう囁いた。
「お願いだから、大人しくして」
 懇願するようなその口調に、少女は動きを止める。それを確認する少しの間を置いて、彼女の口を塞いでいた手は放された。少女は、くるりと振り返る。その手の主は、以外にも少年であった。
(この制服・・・)
 少女は目の前の人物の着物に見覚えがあった。深緑のそれは、自分が最も会いたかった人物の着ているものと同じだった。
 何か言おうとした少女だったが、少年は軽く微笑んで、自分は口元に人差し指を当てる。そして、初めにしたのと同じように、少女に囁きかけた。
「説明は後で。目をつぶって耳をふさいで、ここでじっとしておいて・・・カメちゃん」
 何故私の名を?
 少女――カメ子はそんな質問をぐっと飲み込む。そんなカメ子の様子を見て、少年は再び微笑んだ。

 ――さて、どうしたものか。
 傍らでぐっと目をつぶり、耳を塞いでいるのを確認すると、少年――伊作はちらりと茂みの向こうを見た。普通の人間ならば、そこに多くの追っ手が潜んでいることに気づかないだろう。事実、聡明で勘も鋭いと噂されるカメ子も気づかなかったのだ。しかし、六年間の訓練を経た伊作の神経は、かすかな殺気を捉えていた。
 ――8人・・・ってとこかな。
 伊作はできるだけ音を立てないようにしながら、身をかがめたまま前進する。息を細く、細くはく。時折、目を閉じて風の流れを読む。他に誰かが近づいてくるような気配はなかった。
 ――早く来てくれないかなあ・・・
 伊作はぼんやりとそんなことを考えた。実習中にどこぞの忍者集団と鉢合わせしてしまったのが運のつき。初めはその場に居合わせた小平太と2人で何とかしようとしたが、少々てこずったのだ。
「仕方ないや。先生呼んでくるから、ここで足止めしてて」
 小平太は、いとも簡単にそう言ってのけた。勿論伊作は反論しようとしたが、小平太はまるで悪びれずに続けた。
「だって伊作は不運な保健委員だから」
 それとこれとどう関係があるんだ!そうツッコミを入れる間もなく、小平太は行ってしまった。慌てて追いかけようとしたとき、運悪くやって来たカメ子を見つけたのである。
 伊作は再びカメ子を見た。カメ子はきゅっと小さくなってじっとしている。
 ――何とかしなきゃ、ね。
 伊作は懐から、そっと小刀を取り出した。

 ひょっとしたら、小鳥が立てた音だったのかもしれない。
 かさり、と草むらが揺れた。それが合図だった。

 急に膨らんだ殺気に、伊作は思わず草むらから飛び出した。伊作の着地点に向かって、四方から四人が飛び掛ってくる。伊作には、その様子がスローモーションのように見えていた。足をつくと同時に、正面からやって来た敵を斬り上げる。そのままの勢いで振り返ると同時に、返した刃を振り下ろす。直後、左右から同時に振ってくる刃の片方を右手の小刀で、もう片方を左腕に巻いた布に仕込んだ棒手裏剣で止める。刀に力を込めるために踏ん張った相手の足を、さっと払った。バランスを崩した相手の首筋に、左、右とリズミカルに小刀を叩き込む。
 一連の動作を終えて、伊作はそこで初めて息をついた。周りに、4人が倒れている。力を抜いて、だらりと右手を下げた伊作の周りで、残りの4人が身構えた。
「あの」
 伊作が言いかけたとき、一人がいきなり斬り込んで来た。伊作は思わず身をよじり、勢いで横を通過する男の鳩尾に、反射的に膝を叩き込んだ。倒れた男が、先程の茂み近くに倒れこむ。伊作は一瞬ひやりとしてそちらを振り返った。相手がそれを見逃す筈もない。
 しまった。伊作がそう気づいたときには、三人は一斉に、カメ子のいる草むらの方へと走り出した。
「!!」
 伊作は慌てて体の向きを変え、地を蹴る。すばやく取り出した手裏剣を、一番手前の男に放つ。それは、見事に男を捉え、草むらに向かう人数を一人減らした。
 ――間に合わない。
 倒れた仲間には目もくれず、草むらに向かって刀を振り下ろそうとする2人の足元に、伊作は咄嗟に滑り込んだ。斬り込もうとしていた2人は、これを待っていた、とばかりに口の端を吊り上げると、その目標を伊作に移す。
 ――初めからこれが目的だったのか!
 伊作の中でふつふつと怒りがこみ上げる。半ばやけくそのように、右手の小刀を突き出す。左手は、左側の刃から身をかばうようにかざした。
 右手に、嫌な感触が伝わる。伊作は、一瞬目を丸くして、動きを止めた。が、次の瞬間には左から来た刃が、腕をなでていた。
 伊作は我に返ると、右手の先を見ないようにして、小刀ごと突き放した。肩で息をしながら、左側の相手を睨む。左腕は熱を帯びていた。最後のひとりとなった男は、口許に笑みを浮かべて、伊作に刀を突きつけた。

 茂みの向こうが騒がしくなっている間も、カメ子は、言われたとおりに目をつぶり、耳を塞いでじっとしていた。何も見えず、何も聴こえない状態であったが、カメ子は別段恐怖を感じてはいなかった。
 ――あの方はどなたかしら。
 カメ子はそんなことを考えていた。自分は相手に見覚えがない。しかし相手は自分を知っていた。
 ――ということは、私が忘れてしまっている、ということかしら?
 カメ子はどきりとした。
 ――どうしましょう・・・きっと嫌な思いをさせてしまったに違いないわ。
 あの方がもう一度来て、目を開けてもいいよ、と仰ってくださったらきちんと謝ろう。そんなことを考えていたカメ子の前を、風が吹きぬけた。その風は、運んできたにおいを、唯一塞がれていないカメ子の鼻に届けた。
 何故か、その風は鉄のにおいがした。

 ――もうダメかも・・・
 伊作が相変わらず他人事のように覚悟を決めた瞬間、風が変わった。伊作は思わず瞳を輝かせ、不審に思った男は振り返る。
 直後、男は崩れた。
 崩れた男が倒れてくるのをよけながら、伊作は立ち上がる。
「みんな・・・」
 目の前の友人を見て、伊作は安堵の表情を浮かべた。それを見て、半ば呆れたようにため息をつくと、仙蔵が伊作の左手を取る。
「――ッ!!」
 伊作は、そのとき初めて痛みを感じ、顔をしかめた。仙蔵はちらりと伊作の表情を見やってから、傷口をしげしげと見る。
「・・・随分派手にやられたな」
「おかげさまで」
 伊作は軽く笑みを浮かべて言った。小平太は「悪い」と謝りの仕草をして見せるが、顔は笑っている。むしろそれが小平太らしくて、伊作は怒る気にもなれなかった。
「さっさと手当てして学園に・・・」
「あ、それよりね」
 応急処置をしようとする仙蔵を、伊作は制した。草むらの草を軽く掻き分け、まだ縮こまったままでいるカメ子を見せる。
「この子、送ってあげて。ほら、僕これだからさ」
 伊作はそういって左腕を上げて見せた。確かに、小さい子には少しきつい光景だ。
「目をつぶるようには言ってあるから・・・長次!抱っこして行ってあげてよ。周りもこんなだし、ここから離れるまで目を開けさせちゃダメだからね」
 伊作は有無を言わさぬ口調で、長次に言った。長次は一瞬何か言おうとして、カメ子をそっと抱き上げる。驚いて目を開けようとするカメ子だったが、長次はすばやくその目を手で覆った。伊作は、カメ子の、耳を覆っている手をゆっくりとはがすと、小さな声で言った。
「大丈夫だから。もう少し、我慢してね」
 長次の手の下で、カメ子は小さく頷いた。

 それからしばらくして、カメ子は目を覆っていた手がどけられたのに気づき、目をそっと開けた。急に明るくなったので、カメ子は思わず目を伏せる。少しして目が慣れると、カメ子は瞬きをしながら顔を上げた。そこには見知った顔があった。
「中在家様」
 カメ子は頬が熱くなるのを感じた。同時に、疑問を抱く。きょろきょろと辺りを見回して、先程の少年がいないことに気づくと、長次に問うた。
「あの、先程のお方は?」
「・・・・・・」
 長次の口許がぼそぼそと動く。カメ子は聞き取ろうとして耳をそばだてたが、聞き取ることはできなかった。カメ子は眉根を寄せる。どうしたものかと思い悩んでいると、長次の周りにいた2人の少年のうちの片方が、真剣な眼差しで言った。
「いや、危ないところだったよ」
「?」
 カメ子は小首をかしげた。少年は、隈が目立つその瞳をカメ子に向ける。
「実はあいつは、俺たちの姿を真似た敵の間者だったのだ」
 強い口調で言い放った少年――文次郎の隣にいた小平太は、思わず吹き出した。文次郎は、気にせず続ける。
「あいつは君を護るフリをして、実は君を攫おうとしていてね、そこにいる長次がそれを阻んだのだよ」
「そうそう」
 小平太は瞬時に共犯者になった。長次が呆れ顔でため息を漏らす。
「長次ってば凄く強かったんだよ。いやあ、見せてあげたかったな」
「でも、とっても優しそうな方でしたのに・・・」
 カメ子は訴えかけるように言った。文次郎と小平太が畳み掛ける。
「それがあいつのやり口なのだ」
「長次はそんなヤツから君を護ったんだよ」
 カメ子は目を丸くして、それから長次を見やった。長次はぶんぶんと首を振る。
「中在家様は否定なさっていますが」
「謙遜してるんだよ」
 小平太がすかさず返す。長次は何か言いたげな視線を小平太に向けたが、カメ子のあずかり知るところではなかった。
「そうだったのですか・・・」
 カメ子の、感謝と憧れの眼差しが長次に注がれる。長次は、うるさそうに視線をはずした。

「かくして、長次の好感度は上がったわけだ。いやあ、協力ありがとう!伊作君!」
「ちょっと待ってよ!」
 後日、食堂にていまいち感情のこもっていない感謝の気持ちを述べる文次郎を目の前に、伊作は机をたたいて立ち上がった。手元の湯飲みがぐらぐらとゆれ、小平太はそれを慌てて押さえた。
「人が怪我してまで頑張ったのに、どうして悪役にされるわけ!?」
「何を言う」
 文次郎は悪びれずに言った。ぽかんとしている伊作の横で、仙蔵がため息をつく。
「別にお前はあの子に気があったわけじゃなし。それに、感謝されるのを期待して助けたわけじゃないだろう?」
「それはそうだけど・・・」
 伊作は言葉に詰まった。それを見て、文次郎は湯飲みの茶をすする。一息ついて、続けた。
「ならいいじゃないか。お前は腕の怪我と引き換えに、あの子を護ることができた。そして長次はあの子の信頼を得ることができた。あの子も、憧れの人物に助けてもらえた。一石三鳥じゃないか」
「俺は別にあの子をどうとも思っていないぞ」
「そういうのを余計なお世話、って言うんだと思うんだけど」
 長次と伊作が同時に抗議する。文次郎は眉を吊り上げ、急に横を向いた。
「あ!カメ子だ!」
「え!?」
 反射的に、伊作は仙蔵の後ろに隠れた。敵がいるとか騒がれては困る、咄嗟にそう思ったからだ。恐る恐る、仙蔵の後ろから覗くが、文次郎の視線の先には誰もいない。
「・・・え?」
 伊作は間抜けな声を出し、同時に文次郎と小平太が笑い出した。だまされたのだ、と気づいて抗議の言葉を投げかけようとするが、なかなか言葉が出てこない。酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせる伊作の肩に、仙蔵が手を載せた。
「・・・ま、若い頃の苦労は買ってでもしろと言うしな」
「・・・半分でいいから下取りしてもらいたい気分だよ」
 肩を落として言う伊作。彼は改めて己の『不運』を痛感したのだった。


しもつか様、リクエスト、ありがとうございましたv
今回のテーマは『人魚姫』(笑)
伊作さんの『不運さ』というか、正体を明かせない正義のヒーローのジレンマというか、そういうものを表現したかったので・・・
まさか、アニメ第十期の中在家シリーズを踏襲することになろうとは思ってもみませんでした(踏襲になっていないかもしれませんが)
久々のバトルモノだったわけですが、如何でしたでしょうか?

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