心慌意乱

「――それでは、本日の課題だ」
 朝一番に校庭に集められた六年生達は、教師の言葉に閉じかけていた瞼をぐっと開いた。
「本日の課題は六年生全クラス合同で行う。クラスを混合し、無作為に2人一組になって貰う」
 無作為。
「つまりは誰となるか解らないし、自分達で決められるわけでもないって事か」
 仙蔵がぽつり、と呟く。その横で文次郎が前を見たままこくりと頷いた。
 仙蔵は心の中で願った。
 ――頼むから静かな人と当たりますように。

 運命の女神は仙蔵には微笑んでくれなかった。
「せんぞ――っ!!早く出発しよ――ぜ――っ!!」
「…よりによって一番五月蠅い奴と…」
 仙蔵ははあ、と溜息をつく。
「頑張ってね。仙蔵」
 哀愁漂う仙蔵の肩に、伊作がぽん、と手を置いた。
「そう言う伊作は誰となんだよ」
 仙蔵はむう、とふくて言った。伊作はにっこりと笑って右腕の腕章を指差した。
『救護班』
 腕章にはそう書かれていた。
「何!?」
「だから、救護班だよ。怪我した人とかを」
「じゃなくて、どうしてお前は不参加なんだ?」
 仙蔵の問いに伊作はしばし辺りを見回し、そして仙蔵の耳元でそっと囁く。
「保健委員は不参加なんだ。僕が思うに、僕達はきっと怪我の応急処置の抜き打ちテストをされるんだと思う」
「…なんでそんなこそこそ言う必要が――まさか…」
 仙蔵の顔色が変わる。伊作は耳元から離れてまっすぐ前から仙蔵を見据え、こくりと頷いた。
「そう。僕達の課題は処置をすべき『怪我人』がいないと成り立たないじゃない?つまり――」
 仙蔵がごくりと息をのむ。
「誰かが必ず怪我をするような試験だ、ってこと」
「――なんてこった」
「仙蔵、気をつけてね」
 心配そうな視線を送る伊作に、仙蔵はただ頷くだけだった。

「仙蔵、何話してたんだ?」
「別に」
 仙蔵はさらりと流した。小平太は立ち止まって少しふくれるが、仙蔵はすたすたと歩いていく。
「あ、待って」
 小平太はどんどん歩いていく仙蔵を小走りで追いかけた。
 と、その時。
 小平太は足下で何かが光ったのに気付く。それは糸だった。しかし、気付いたときには既に遅く、糸は小平太の足で断ち切られていた。
「!!」
「小平太!!」
 仙蔵が小平太を突き飛ばした瞬間、地面がはじけた。

「あーあ、結構早かったなあ…」
 伊作は遠くの爆発音を聞いて、そう呟いた。
「まさか仙蔵達ってコトはないだろうけど…大丈夫かな?」
 実はそのまさかだということを伊作が知るのはほんのすぐ後のことである。

「仙蔵!大丈夫か!?」
 小平太の声に、仙蔵がぴくりと動き、そしてゆっくりとした動きで身体を起こした。
「小平太こそ、怪我はないか?」
 ああ、と小平太は頷く。そのとき、小平太の目に仙蔵の足が映った。
「仙蔵…ち、血…」
「ああ」
 コレ?と、仙蔵はまるで他人事のように傷を指した。小平太はこくこくと頷く。
「かすり傷だ。大したことはないだろう」
「でも、凄く…」
「大丈夫だ」
 仙蔵はぴしゃりと言い放つと、手ぬぐいを取りだしてその部分をきつく縛った。
「さ、救護所に行くかな」
 立ち上がると、仙蔵は言う。
「伊作の課題につき合ってやらねばならん」
「?」
 救護所に行くと言ってくれたことに対する安堵と、『伊作の課題』に対する疑問の念でしばし混乱していた小平太だった。

「伊作!!あの、怪我…」
「あ、小平太!何処怪我したの?」
 救護所に小平太が顔を出すなり、伊作が駆け寄ってきた。
「少し油断していてな。大したことはないんだが」
 後ろからひょっこりと仙蔵が顔を出す。伊作はそちらへは少し目をやっただけで、再び視線を小平太に戻した。
「あれ?小平太何処も怪我してないじゃない」
「いや…怪我したのは仙蔵なんだ」
 ほら、と言って小平太は仙蔵の足を指差した。伊作は仙蔵に駆け寄る。
「うわ…酷いな。もしかして、さっきの?」
「ああ」
 仙蔵は表情一つ変えずに答えた。
「あれだけ気をつけろって言ったのに」
 伊作は呆れた顔をしたが、すぐに手当を始めた。手慣れた手つきで消毒していく。その鮮やかな手つきに小平太は見とれていた。
「ほお…流石。だてに六年間やってないね」
「ありがと。でもびっくりしたよ、さっきは」
 伊作はてきぱきと治療を続けながら言う。
「ここに飛び込んできたとき小平太が凄く慌てて、仙蔵は落ち着いてて…てっきり小平太が怪我したんだとばかり思ってたよ」
 小平太はハッとした。思わず取り乱してしまった自分。冷静に様子を見ていた仙蔵。
「格好悪いよな…」
 ぽつりと、呟く。しまった、伊作はそう思った。
「あ…そういう意味で言ったんじゃなくてね…」
「小平太」
 伊作の言葉を遮り、仙蔵が口を開く。
「私は逆に小平太が羨ましいぞ」
「え?」
 仙蔵の意外な言葉に小平太は驚いた表情を見せた。
「あれは…多分低学年の時だったと思う。伊作と2人で『お使い』に行ったときだ」
 仙蔵は言葉を紡ぎ始める。
「帰り道、山賊に襲われてな。何とかはぐらかして逃げようとしたんだが…どうしようもなくなって思わず相手を斬ってしまったんだ」
「あのとき、か」
 伊作は溜息をついた。
「ああ。私はそれまでに、もう何度も斬ったことがあったからそれを見て何とも思わなかった。しかし…」
「その時が『初めて』だったんだ。僕」
 伊作が呟くように言う。仙蔵は頷いた。
「伊作は何とも言えない表情だった。その表情を見て、思ったんだ。ああ、自分はもう慣れてしまったんだな、って」
「慣れた?」
 小平太は問うた。
「例えば火薬庫なんかで作業をしているときは、特に火薬の臭いなんて気にならないだろう?でも、いったん外に出てまた入ると、そこに火薬の臭いが充満していたということに気付く」
「そうか…仙蔵は…」
「ああ。血を見るのに慣れてしまったんだな」
 仙蔵はさらりと言うと、いったん息をついた。
「この世界で生きて行くにはそれが必要なことなんだといつも思っていた。だからそのことは何とも思わなかったが…でも、最近それが怖いことだと感じてきて…」
 仙蔵は小平太をまっすぐ見る。
「『人間として』それでいいのか、と」
 小平太はハッとした。
「だから――その感覚は大切にするべきだと思う」
 そう言いきった仙蔵の目に迷いはなかったのだった。

「立花、七松」
 丁度その後、救護所の奥から教師がひょい、と顔を出した。手にはなにやら紙が握られている。
「これ。補習の日程表だ」
「え!?」
 2人は思わず教師に駆け寄った。
「あれ?聞いてなかったか?救護所に駆け込んだら即リタイヤというルールだったんだが」
 教師の一言に、仙蔵と小平太は伊作の方にゆっくりと振り返った。
「い〜さ〜く〜」
「ごめんね。まさか仙蔵達がここに来ることになるとは思ってなくてさあ…」
「言い訳却下!!」
 その後、しばしの間伊作は追われる身となったのだった。

 密かに教師は呟いた。
「立花…足の怪我は大丈夫なのか?」
 残念ながらその心の叫びに気付いた者はいない。

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