師子相承<後編>
「乱太郎!?」
がらりと空けられた戸の向こうにいる同室者を見てきり丸は思わず声をあげた。
「きりちゃん…」
全身ずぶぬれになった乱太郎は、きり丸の顔を見るとへなへなとその場に座り込んだ。
「どうしたんだよ、乱太郎…」
きり丸は乱太郎に駆け寄る。乱太郎ははっとして立ち上がった。
「…そうだ…きりちゃん、土井先生と山田先生に連絡して…っ!!」
言って、乱太郎は部屋を出て行こうとする。きり丸は乱太郎の手を掴んだ。
「待てよ!!何があったんだよ!!落ち着いて話せ。な?」
乱太郎はこくりと頷くと、ぽつりぽつりと話し始めた。
相変わらず雨が降り続いている。
伊作は視線をはずし、袴をぐっと握り締めた。
「…どうして…どうしてですか」
伊作は俯いたままで言った。村濃は低い声で答える。
「私はここを卒業した後、とある城に就職した。それは知っているな?」
伊作はやはり下を向いたままで頷いた。
「五年間仕え続けて…それなりに親友もできたし、許婚者もできた。明るい将来がやっと見えてきていたんだよ…しかしな」
村濃は拳を床に打ち付けた。遠くでまた雷鳴がなる。
「つい先月…その城が落ちた…私も尽くせる限りの手を尽くしたが駄目だった。城の内部の情報が相手に筒抜けだったのだからな…私は仕えるべき主人も友も許嫁も失った」
「………」
伊作はさらに手に力を加える。肩はわずかに震えていた。
「私は後で知ったよ…その城の情報を流していたのは…」
「利吉さんだった、と」
伊作の声はうわずっていた。村濃はこくりと頷く。
「でも…っ…そんなの…逆恨みじゃないですか…利吉さんは…先輩が…その城に就職しているって…知らなかったん…でしょう?」
「だろうな」
やっとの事で言葉を紡ぐ伊作に村濃は冷たく対処する。その声に抑揚はなかった。
「私も初めは運命だと割り切ろうと思っていたんだが、偶然依頼が入ってね。…気がついたときには彼をつけていたよ」
轟く雷鳴。雨はいっそう激しく降る。村濃は一度深く息を吐いてから言った。
「…どうする?伊作。非人間的な私をこの場で斬るか?それとも情けをかけて逃がすか?」
伊作は一瞬固まり、そしてゆっくりと立った。
「僕は…先輩を尊敬していました。いつも穏やかで…誰に対しても親切で…いつか先輩みたいになりたい、そう思っていました…でも…」
伊作は村濃を見据えた。視線はしっかりと村濃をとらえている。
そのままの状態で伊作はそろそろと後ろに下がる。そしてある棚の前に来ると後ろ手でその棚を開け、中から木箱を取り出した。
「!!それは…」
村濃の顔色が変わる。伊作はその箱を自分の体の正面で持った。
「先輩には解っていらっしゃるでしょうが…これは座枯らし薬です。自分の身を守るためと利吉さんの敵を討つため、どちらの目的で使わせたいですか?」
伊作は村濃を見つめたまま、そう言った。
まだ雷鳴は轟いている。
「せんせー!!せんせー!!」
どたどたと廊下を走る音と共に乱太郎ときり丸は土井・山田両教師の部屋の前までやってきた。
しかし、部屋は真っ暗で人のいる気配がない。
「どうしたんだろう…こんな時に先生達がいないなんて…」
焦るきり丸。乱太郎は思わず別方向に走り出した。
「あっ!!どこ行くんだよ乱太郎!!」
きり丸は乱太郎を追いかける。乱太郎は走りながら答えた。
「保健室!!新野先生を呼ぼう!!その人、怪我してたから!!」
「お、おうっ!!」
二人は今度は保健室に向かって走り出していた。
「負けたよ、伊作」
村濃は溜息をつきながら言った。
「先輩…」
「後で煮るなり焼くなりしてくれればいい…ただ…山田先生にお会いしたいんだ」
村濃は伏し目がちに言った。伊作は前に構えていた手を下ろす。
「利吉さんのこと…ですね」
「私がどうかした?」
「わあああっ!!」
突如背後からかかる声。伊作も村濃も思わず驚きの声をあげた。後ろから声をかけたのは誰あろう、利吉その人であったのである。
「利吉さん…無事だったんですか?」
「無事…って勝手に人を殺さないでくれる?」
利吉はまだ目の焦点が合っていない伊作に笑いながら言う。村濃は利吉の前に走り出た。
「生きて…いたんですか…よかった…」
安堵の表情を見せる村濃。利吉は村濃を見て微笑む。伊作は未だに理解しきれないでぼんやりと村濃を見ていた。
「ん…?」
伊作は思わず目を鋭くした。村濃の右手に何か光るモノを見たのだ。
「利吉さん!!」
伊作は思わず足下にあった壺の欠片を村濃の首筋めがけて投げる。その時には村濃の右手は利吉の方に突き出されていた。利吉は村濃の右手を己の右手で掴んでねじ曲げると、伊作の放った欠片を左手でたたき落とす。
ほんの一瞬の間に始末がついた。
利吉はそのまま村濃の鳩尾に強烈な一発をたたき込む。村濃はわずか、声をあげるとその場で気を失った。
「…むやみに人の命を奪おうとするもんじゃないよ」
利吉は呟くように言う。伊作ははっとして利吉を見た。
利吉は伊作の視線に気がつくとふっと笑みを浮かべ、手際よく村濃を縛り上げる。
「…この人はね…城が落ちてから相当荒れたんだよ…今まで嫌がっていた暗殺の仕事も引き受けるようになって…そのうちおよそ忍びのすることとは思えないようなことをやり始めてね…」
利吉は村濃を担ぎ上げた。伊作は視線を利吉に向けたままだった。
「じゃあ、私はこれで」
「あっ…」
利吉は伊作の声が聞こえないかのように雨の中へと駆けだしていった。
「!!利吉さん!?」
保健室についた乱太郎ときり丸は驚きの声をあげた。そこには怪我をした利吉がいたのだ。傍らには保健の新野洋一や、父親の山田伝蔵、それから伝蔵の同僚の土井半助の姿があった。
「先生!!あの、薬品庫にも怪我人が…」
慌ててまくし立てる乱太郎を見て、半助は唇の前に人差し指を立てた。
「大丈夫だよ、そちらの方は」
半助は笑みを浮かべながら言う。乱太郎達は顔を見合わせた。
「先生…」
その時、保健室に入ってくる人影があった。伊作である。
「虎杖先輩が…って利吉さん!?さっき…」
利吉を見て驚く伊作。利吉は苦笑いを浮かべると伊作に言った。
「驚かしちゃってごめん。種明かしをしようか」
利吉の仕事仲間の蘿は、最近素行の悪い村濃を捕らえるようにとの密命を帯びて村濃をつけていた。その時、偶然にも村濃が利吉をおそうのを見たのである。
深い霧の中、足を踏み外した利吉をかろうじて助けた蘿は怪我を負った利吉を忍術学園に運んだ。たまたま、そこで村濃を見かけたのである。
「じゃあもしかしてさっき虎杖先輩を連れていったのは…」
「うん、蘿だよ」
利吉は言った。伊作は少し考えて、問うた。
「でも…っ!蘿さんが利吉さんを助けるところを先輩は…」
「彼は私が崖に落ちそうになった瞬間に動揺して行ってしまったよ」
利吉はさらりと言った。伊作はまだ何か聞こうとしたがそれを洋一が制した。
「さあ、そろそろ部屋に帰りなさい。もう夜も遅いよ」
会えなく三人は追い出されてしまったのだった。
「乱太郎君」
保健室から出た乱太郎を伊作が呼び止めた。
「先輩?」
「一つお願いして良いかな」
伊作は下を向いたままで言った。
「なんでしょう。私で出来ることなら…」
乱太郎は伊作を見て言う。伊作は一瞬ためらい、それから乱太郎の方を見て言った。
「もし…もし私が数年後…虎杖先輩みたいに血迷った行動をしたら…僕を斬ってくれる?」
乱太郎は驚きの表情を見せた。目を大きく見開いて伊作を見る。
「そんなっ…僕そんなこと考えたくありません!!」
「もしも…の話だよ」
伏し目がちに言う伊作の袖を乱太郎はぎゅっと引っ張った。
「僕は伊作先輩がそんなコトするとは思えません…そんなコトしないって約束して下さい」
「乱太郎君」
伊作は乱太郎を見た。乱太郎は伊作をじっと見上げている。
――この子の視線が自分に並ぶとき…笑って話ができるように…
伊作はにっこりと笑って乱太郎の頭に手をのせる。
「ごめんね、変なこと言っちゃって。困らせちゃったね」
「いえ、いいんです。また何かあったら言って下さいね」
乱太郎はほんわかとした笑みを浮かべて自室に帰って行く。
雨はいつしか止んでいた。