憧憬の果てに<其の一> 男と女は、目の前にした息子の意外な一言に顔を見合わせた。 お互いを見つめるきょとんとした瞳。 しばらくそうして見詰め合ってから、二人は同時に口許を緩めた。男がぷっと吹き出して、女も口に手を当て肩を震わせて笑い出す。 そんな二人を、少年は眉一つ動かさず、冷めた目で見つめていた。 「あは…は…あまり大人をからかうもんじゃない」 「そうよ仙蔵。滅多な冗談、言うものではなくてよ」 少年――仙蔵は目を細めて笑いこける両親を見て、溜息をついた。もどかしい気持ちになって、ついと目をそらす。 「冗談でこのようなことが言えるものか」 ぼそり、と呟いた言葉に両親は硬直した。先程まで上がっていた口の端がゆるゆると下がり、細められていた目も元に戻り、やがてつり上がり始める。 「――何と、申した」 父親の震えるような声に、仙蔵は外していた視線を彼に戻した。視界に入ってきたのはなにやらものすごい怒気をまとった父母の姿である。それでも僅か齢十歳のこの少年はおびえることなく、寧ろ背をぴんと伸ばして言い放った。 「ですから、忍術学園に行きたいと申し上げたのです」 凛とした少年の声は広間に響き渡るようだった。ぶるぶると怒りに肩を震わせた父親が何か言おうとして、でも怒りの中で言いたいことを整理しきれずにいる。隣の母親はただただおろおろした様子で夫と息子を見比べていた。 (さて、言ってはみたものの――どうやって言いくるめようか) そんな両親の目の前で、仙蔵はまるで傍観者のようにそう考えていた。父親の顔は今や紅潮しきり、ちょっとやそっとでは宥められそうにもない。 (困ったな) やれやれと言わんばかりに首を振ると、仙蔵は盛大に溜息を漏らした。 仙蔵は由緒正しい武家の長男として生まれた。 幼い頃より礼儀作法は勿論のこと、武術も学問も一通り叩き込まれている。もともと筋がよく、飲み込みも速い彼はそれら全てを自分のものにしていた。 父親も、立派な跡取りになるとそんな息子の様子を目を細めて見ていたものだ。実際、このまま行けば黙っていても、確固たる地位・名声と何不自由ない暮らしが彼の元に転がり込んでくる。 それだけに息子の――それこそ爆弾発言は父を怒らせるのに十分であった。誇り高い武家にとって忍びは見下すべき存在だったのだ。 「そなた――自分の言っておることが解っているのかッ!!」 激昂する父を、仙蔵はじっと見据えていた。 「そなたはこの由緒ある立花家の嫡男ぞ!?それを――それを――その地位を捨てて下賎の忍びに成り下がると申すか!!」 ぴくり、と仙蔵は眉を動かした。何か言葉が口をついて出ようとするが、それを理性でもって押しとどめる。 (いけない。感情的になっては負けだ) 拳をぐっと握り締め、軽く息をついてから仙蔵は口を開いた。 「私は学園に通いたいとは申しましたが、忍びになりたいとは申しておりませぬ。勿論、立花の家を守る覚悟は出来ております。ただ、そのためにも広く知識を求めたいのです。忍びの技術を学ぶことは、いざというときの奇襲や戦への備えともなりましょうし、学園に通うことで忍びの知己も出来ましょう。彼らはいざというときに役に立ちますし、忍びの情報網の一端を掴むこともできまする。ですから、父上」 仙蔵は手をついた。そのまま深々と頭を下げる。 「どうか私の我侭をお許し下さい。これも全て立花家のためにございます」 父親は息子を見つめてううむ、と唸った。僅か十歳の子供とは思えぬ物言いに、聊か驚いたようだ。 (――方便だ) 一方の仙蔵は、目の前間近に迫る畳を凝視しながらそう思った。何としてもこの場を乗り切る必要があったとはいえ、親を欺くなど――自分の中に湧く僅かな悔恨を振り払う。 「――解った。そなたがそこまで考えたのならば許そう」 「有難き幸せにて」 仙蔵は頭を一度上げ、再び下げた。下げた頭の下で、仙蔵は口の端がつりあがるのを止めることが出来なかった。彼は父親を欺き、説き伏せたのだ。 (――存外、私には忍びとして才があるのやも知れぬ) 仙蔵の口許に浮かんだ笑みは、ひどく自嘲的なものだった。 ●戻る |