通り雨<後編>
「――全く、ついてない」
課題を終えた帰り道、仙蔵が軽く舌打ちして空を見上げた。落ちてくる水滴がみるみるうちに大きく、そして多くなり、容赦なしに仙蔵と伊作に降り注ぐ。もう周りが良く見えないほどであった。
伊作も困り顔で辺りを見回した。学園への近道をしようと山を通っていたため、このまま進むと迷ってしまう可能性がある。土砂崩れの危険もあった。
「仙蔵」
何気なく名前を呼んで、その後思わず伊作は口をつぐんでしまった。体中を叩いていく雨粒が痛く感じられる。仙蔵の刺すような視線を感じて、伊作は目をそちらに向けずに言った。
「多分、通り雨だと思う…さっき洞窟があったから、そこで休まない?」
洞窟は、入り口が狭いわりに中は広かった。二人は無言でそこへ入ると、頭巾を脱いで絞り、それで髪の毛やら顔やらを軽く拭う。続いて上着を脱ぐと、それを力いっぱい絞った。
「うわあ…」
桶一杯分あるかと思われるほどの水に、伊作は思わず声を上げた。上着を広げてばたばたと水滴を落とす。伊作は気まずそうに仙蔵の方をちらりと見て、それから上着を軽く羽織ると洞窟の壁面にもたれて座った。
その様子をじっと見ていた仙蔵は、伊作に倣って少し離れた位置に座った。仙蔵は相変わらず口をつぐんだまま、顔をひざの間にうずめた。
無言の洞窟の中に、ただただ雨の降り注ぐ音だけが響く。
「――ごめんね」
沈黙を先に破ったのは伊作だった。仙蔵はゆっくりと顔を上げる。伊作の方を見ると、伊作は目線を下げたまま続けた。
「この前は、ごめんね」
仙蔵は顔を上げた。
「仙蔵、一年生のときからすごく頑張ってたのにね…毎日勉強して、隠れて実技も練習して…でも全然そういう努力してるってことを言わなかったよね」
なのに、と伊作は言って、少し険しい表情をした。
「僕にはそういう努力が足りなくて――だから成績もあんまり良くなくて――その上、仙蔵の時間まで削ってもらったりしてるのに…僕は」
伊作の声が、少し震えた。仙蔵は伊作の方を見なかったが、伊作が泣きかけているのが解った。
「僕は、仙蔵を傷つけちゃった」
「伊作」
そんなことはない、と言おうとした仙蔵だったが、伊作はかぶりを振った。
「僕はね、今まで仙蔵に散々酷いことを言ってきたんだね――昨日それをずっと考えて、やっと解ったんだ…仙蔵」
「――何だ」
仙蔵は伊作を見た。伊作も仙蔵を見て――そして目を伏せた。
「『天才』とか『頭がいい』って…とっても残酷な言葉だったんだね」
「伊作…」
「僕はね、本当に褒めているつもりでそういうことを仙蔵に言ってきたんだよ。でも、そういう言葉は仙蔵の今までの努力も頑張りも何もかも否定して――仙蔵の成功はみんな能力のおかげだったんだ、って言ってるようなものだったんだよね」
仙蔵ははっとした。自分の中にあったわだかまりがスッと消えていくのが解る。仙蔵が伊作を見ると、伊作の頬に一筋の涙が流れていた。
「ごめんね…本当に」
「伊作!!」
仙蔵はたまらず叫んでいた。伊作が驚いて口をつぐむ。
「そんなの余計なお世話だ!この前も私が勝手に不機嫌になって出て行った、それだけのことだろう!?」
仙蔵は、彼にしては珍しく取り乱していた。仙蔵は伊作の肩を掴んだ。
「どうしてお前はいつも…いつも…ッ!!」
肩を掴む仙蔵の手に力が入り、伊作は思わず目を閉じた。と、仙蔵の手の力がスッと抜ける。伊作が見ると、仙蔵も泣いていた。
「…そうやって…計算でも理屈でもなんでもなく…他人のことを考えられるんだ…?どうして、他人のために一晩中考え込んだり…泣いたり出来るんだ…私には…」
仙蔵は頭を下げたまま、嗚咽を漏らしていた。
「私には…出来ない」
「仙蔵――」
伊作は、六年間苦楽を共にしてきたこの友が、こうしたことで泣くのを初めて見た気がした。それは意外なことでもあり――そして、喜ばしいことでもあった。
「そんなことないよ」
伊作は、肩に乗せられた仙蔵の手にそっと触れた。
「仙蔵はこうやって、僕のことを考えて泣いてくれてるじゃない」
「――違う」
ややうろたえた声で、仙蔵は返した。伊作の手を振り払うようにして手を引っ込めると、ついとそっぽを向いた。
「今のは単に、自分の情けなさを感じただけだ。別にお前のためなんかじゃない」
後姿で、仙蔵が照れているのがわかった。こうして強がって見せるのも、彼なりの虚勢なのだろう。伊作はそんな仙蔵の様子を見て、なんだか嬉しくなっている自分に気づいた。
「あ…」
ふと洞窟の入り口に目をやると、いつしか雨は遠ざかり、日が差し始めている。伊作は洞窟の入り口へと歩きながら、目を細めて空を見た。
――雨降って地固まる…か。
晴れたよ、と仙蔵に呼びかけながら、伊作はこの友人とさらに強い絆を結べたような、そんな気がしたのであった。
「あー…やっぱ文次郎の言ったとおりだ」
帰ってきた二人を見て、小平太は笑みを漏らした。伊作も仙蔵も、合格の判を貰いながら互いに笑みを浮かべている。
「な、言ったろ?」
文次郎はどこか得意げにそう言った。その隣では長次が相変わらずの無表情で頷いている。どうやら長次もほっとしているようだった。
「そうだ!」
小平太が文次郎たちのほうを振り返った。その顔には満面の笑みがたたえられている。小平太がなにか(彼なりに)いいことを思いついたときの表情であった。
「明日休みだしさ、みんなでどっか行こうよ!」
ね、と同意を求めるように小平太は言った。文次郎は軽く溜息をついて、長次を見る。長次はにこりともしなかったが、頷いて同意を示した。
「――だとよ。いいんじゃねえか?」
「うん!」
文次郎の許可を得て、小平太は嬉しそうに伊作と仙蔵のもとに駆け寄っていく。小平太が何かを大きな動作で二人に伝え、二人は顔を見合わせて微笑み、そして頷くのが見えた。文次郎はそれを見て、自然と自らの口の端がつりあがるのを感じていた。
「明日は晴れ…」
ぼそぼそとした小さな呟き声に、文次郎はふと振り返った。見ると、長次が西の空をじっと見つめている。
「――そうだな」
文次郎は目の上に手をかざし、同じく西の空を見た。そこでは大きな太陽が、空を真っ赤に染めて沈んで行こうとしていた。文次郎たちは明日に、そして自分達の未来に思いを馳せながら、いつまでもその夕焼けを見つめていたのだった。
『6年生の友情物語』ということで書かせていただきましたv
友情物語なんだかなんなんだかよく解らないものになってしまいましたが…
玄米抹茶様、如何だったでしょうか?