雲外蒼天

 確かに、それは下級生には難しい『お使い』だった。
 いや、それどころか最上級生にとっても。

「――というわけで、これをマイタケ城まで届けて欲しい」
 6年生の5人組はその日、学園長室に呼び出された。学園長、大川平次渦正は重々しくそう言うと、一通の書状を6年生の5人組に渡す。代表して、仙蔵がそれを受け取った。
「これをお前達に頼んだには訳がある。その書状は戦の鍵を握っていると言っても過言ではないからじゃ」
 学園長の声はさらに重々しくなった。
「この書状が届くか届かないかによって戦の結果が大きく変わる。それだけに狙う敵も多く、これの差出人も相当に困っているようじゃった。初めはその人が届けるはずだったんじゃがな、あまりの追っ手のしつこさにわしに援護を頼んできたというわけじゃよ」
 5人は息をのむ。
「既に囮として何組かの先生も出ておる。お前達は迂回路をとって、出来るだけ気付かれないようにするんじゃぞ」
「はい」
 5人は緊張した面もちで頭を下げた。――が、次の瞬間。
「そこだあああっ!!!」
 文次郎の手から手裏剣が飛ぶ。ぐっ、と小さくうめき声を上げて、天井裏から人が落ちてくる。
「…解ったか?このお使いがいかに厳しいか」
 学園長の問いに、5人はただただ頷くしかなかった。

「――と言うわけで、偽の書状も用意してみた」
 学園長の庵を出て、いったん教室に戻ると、仙蔵はそう言って見た目は全く同じの5通の書状を机の上に並べた。
「御覧の通り、一目見ただけではそう解らないだろう。実際、私も5通を混ぜたからどれが本物か解らない。全員がこれを一通ずつ持って目的地に行こう。誰が本物を持っているか解っていると、無意識のうちにそいつを守る体制に入ってしまうからな」
 4人は、黙ったままで書状を一通ずつ手にした。残りの一通を仙蔵が懐にしまう。
「…さて、行くか」
 5人は硬い表情で学園を後にしたのだった。

 暫くして学園が見えなくなってくると、いよいよ緊張感は高まってくる。心なしか周りの木々もざわついているように思えた。
「…そろそろかな」
 細い声で伊作は言った。仙蔵は黙って頷く。長次も目を鋭くした。
「――大丈夫だって」
 いつしか重くなり始めた空気を払拭したのは文次郎だった。小平太はハッとして振り返る。
「どうせ俺達の方が囮でした、ってオチだろ?そうでなきゃ俺達に学園長が大事な書状をホイホイ渡すかよ」
「確かに」
 仙蔵は頷いた。
「そう考える方が自然かも知れないな」
「そうだよ」
 小平太も頷いた。
「なんだ、そうだったのか。そう考えたら気が楽になったよ」
「お前はいつも『気楽』だろうが」
「ンだと長次!!」
 横からボソリと言った長次に、小平太はかみつくように言った。いつしか和やかになった空気に文次郎はほっと胸をなで下ろしたのだった。

 しかし、そんな空気もほんのつかの間。5人はふと笑うのを止め、辺りを見回した。
「囲まれてるね」
 伊作の一言に、全員が鯉口を切る。それが『開始』の合図だった。前から、横から、後ろから、上から――あらゆる方向から敵が押し寄せてくる。5人は小さく頷くと、全員バラバラの方に向かって地面を蹴った。
「はあっ!!」
 忍術学園6年生の看板に偽りはなし。瞬く間に辺りは小さな戦場と化す。
 小平太が目前の敵を横になぎ払い、その後ろに迫っている者を文次郎が斬る。伊作が足を払った相手に長次がとどめを刺す。所々では、仙蔵が得意の火薬を扱って『まとめて始末』した。
「――ッ!!」
「長次!!」
 しかし、敵もさるもの。そろそろ終わりだ、という小さな油断につけ込んで、長次に斬りかかった者がいた。一瞬の判断を誤り、その切っ先が長次の右腕をかすめる。咄嗟に、伊作はそいつを斬った。
「長次!大丈夫か!?」
 最後の1人を斬ると、全員が長次の方に集まってきた。長次は右手を押さえたまま、そちらを見る。
「俺はいいからお前ら、さっさと先に行け。後で追いつくから」
 その隣には伊作もいた。長次のぶっきらぼうな一言に眉をひそめる3人に、笑って言う。
「大丈夫。僕が長次の手当をするよ」
「駄目だ。ここでいきなり3人に減るとよけいに敵につけ込まれる」
「でもさ」
 仙蔵に向かって、伊作は左足をあげて見せた。ふくらはぎの辺りの袴が破れ、血が出ている。
「これじゃあちょっと走れないと思うんだけど」
「お前…その傷で戦ってたのか?」
「いや…それがね、夢中だったもんでいつ怪我したか自分でも覚えてないんだ。今はちょっと痛い…かな」
 驚く仙蔵に伊作は再び笑って見せた。小平太は慌てて駆け寄ろうとするが仙蔵がそれを制止する。
「解った。いいか?治療が終わったらさっさと追いつくんだぞ」
「僕は保健委員なんだから。そのくらいおやすい御用だよ」
 伊作はそう言って懐から書状を取りだした。長次もそれに倣う。仙蔵は無言でそれを受け取った。
「じゃあ…な」
 小さくそう言うと、3人はたまらず駆けだしたのだった。

「…しつこいな」
 走り出して少し後、仙蔵は小さく呟いた。小平太も、文次郎もこくりと頷く。追っ手は先程よりも確実に増えていた。背筋に汗がつたう。
「これ」
 仙蔵は走りながら、文次郎に書状を3通、押しつけた。
「私の分と伊作の分と長次の分だ。それをもって小平太と先に行け」
「仙蔵!?」
 驚く小平太と文次郎だったが、仙蔵はいきなり方向を変えた。そのまま背後の追っ手の方に向かって走っていく。
「仙蔵!!おまえ…」
「ここは私に任せて早く行け!!」
 立ち止まろうとする小平太の袖を、文次郎は無言で引っ張った。
「やれやれ、大仕事になりそうだ」
 仙蔵はにやりと口の端をつり上げると、火薬と火種を取りだした。

 ドオ…ン
 そろそろ木がまばらになり始めた頃、背後で轟音と共に煙が上がった。
「おい、今の…」
 小平太は文次郎を覗き込む。文次郎は後ろを振り返らなかった。ひたすら前を見て…
「!!」
 文次郎と小平太は同時に振り向いた。目をぎらつかせた追っ手が3人、後ろに立っていたのだ。
「どうする?文次郎。刀はもう脂が回って使えないし、火薬も使っちゃったし…残っていると言えばクナイだけだけど、これじゃあ…」
 文次郎は無言で小平太の袴をくいくいと引くと、小さく後ろを指差して見せた。
「まさか…」
 小平太の問いに、文次郎の無言の頷きが返ってくる。小平太はごくりと唾を飲むと、再び前を見た。
「さて…覚悟はいいか!?」
 3人の追っ手はほぼ同時に地面を蹴ると、2人に襲いかかってきた。小平太と文次郎は一度視線を合わせると、ぎりぎりまで3人を引きつけてひょい、と避ける。
「何いッ!?」
 3人はバランスを崩して、そのまま2人を通り越してその向こうまで行く。しかし、その3人の足下には地面はなかった。断末魔の悲鳴を上げながら3人は崖下に落ちていった。
「やりィ!」
 小平太は崖の下をひょい、と見下ろした。と、その時。
「ひいいいいいっ!!」
 小平太の左手を、下から掴む者があった。先程の追っ手の内の1人である。
「さあ…書状をよこせ…」
「小平太!!」
 文次郎は慌ててそちらへ走るが、それよりも先に小平太の手は引っ張られていた。
「わあ…ッ!!」
 小平太は引きずられ、咄嗟に右手で崖に伸びる木の根を掴む。文次郎は足下にあった石を拾うと、それを追っ手の額めがけて投げた。ぐっ、と小さく呻いて追っ手の手は小平太から離れる。
「うわ」
 その反動で小平太の身体も少しゆれる。木の根がみしみしといやな音をたてた。
「小平太!!」
 文次郎は手を伸ばそうとした。しかし小平太はそれに目もくれずに左手と両足を岩にかけ、右手でクナイを取り出すと、それを岩に打ち付けた。そしてクナイから手を放し、懐から書状を取り出すと、それをいったん縦半分に折って文次郎に向けて飛ばした。
「小平太!?」
 書状をすんでの所で受け止めると、文次郎は崖下を覗き込んだ。
「文次郎!早くそれ持って走れッ!!」
「馬鹿!!こんな状態でお前を放っていけるかよっ!!」
「いいから早く!!」
 文次郎は弾かれるようにして走り出した。城とはもう目と鼻の先だ。さっさと届けてすぐに戻ってこよう…そう自分に言い聞かせながら。

「書状をお持ちしました」
 その後、必死に追っ手を蹴散らして城内に入った文次郎は半ばうなだれるようにして言った。
「おお、それは大儀じゃった」
 城主、佃弐左ヱ門はそう言って扇を広げ、文次郎を激励した。しかし文次郎は相変わらず俯いたままだった。
「…どうかしたのか?」
「…これで…戦を終わらせることが出来るんですね」
 文次郎は顔を上げ、弐左ヱ門をじっと見つめた。弐左ヱ門も真剣な面もちで頷いた。
「…これをここまで持ってくるまでに仲間が…犠牲に」
「だーれーがっ!死んだって言うんだよ!」
「勝手に殺すなっ!!」
「…!?」
 文次郎はハッとして後ろを見た。部屋の入口に4人が立っている。文次郎は一瞬笑っていいのか泣いていいのか解らず、しばし呆然としていた。
「何呆けた顔してるんだ」
「幽霊じゃないからね。ほら、足もちゃんとあるし身体も透けてないでしょう?」
 4人はじっと文次郎を見つめた。口元には僅かに笑みをたたえている。文次郎は一度下を向くと、顔を上げてにっ、と笑った。4人もそれを見てほっとしたように笑う。
 完全に存在を忘れられた弐左ヱ門だったが、4人が文次郎に駆け寄る様を見て1人、呟いたのだった。
「この戦、なんとしても終わらせねばならんようじゃ…」
 弐左ヱ門は手元の書状をじっと見つめたのだった。

 それから一月ほど後、マイタケ城の戦は、無事に和議が成立したとの知らせが文次郎達の元にも届いた。
「一時はどうなることかと思ったぜ」
 文次郎は溜息をつくと草の上に寝転がった。
「もう、本当に酷いよ。僕達のこと勝手に殺しちゃうんだもん」
 伊作はむう、とふくれて文次郎を見下ろす。小平太が横からやって来て、寝転がっている文次郎の上に腰を下ろした。
「ぐあ!?」
「本当に。後で伊作達が引き上げてくれたからよかったけどさ。鉤縄くらい貸してくれても良かったのに」
 小平太はねえ、と仙蔵に同意を求める。
「全くだ。大体、コイツはともかく私がそうむざむざ自爆する筈などなかろうに」
「コイツって…」
「お前のことだ」
 口をぱくぱくさせて仙蔵に言う小平太に、長次がツッコミを入れた。
 そのまま、小平太と仙蔵の、長次を巻き込んでの口喧嘩が始まる。しかし、その表情は明るく、どうやら喧嘩を楽しんでいるようだった。その様子を見て、伊作もくすくすと笑う。
「オイ、お前ら、俺の上で暴れるんじゃねえ!!!」
 青空の下、文次郎の叫び声が響き渡ったのだった。

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