常山蛇勢

「楽しみだな、明日」
 放課後、授業を終えて寮に向かっていた仙蔵に背後から声をかける者がいた。
「小平太」
 仙蔵は少し足を止め、小平太が横に並んでから再び歩み始める。仙蔵は小平太の方には顔を向けずに言った。
「ああ。六年の意地にかけて、負けるわけにはいかないが」
「仙蔵にしては弱気じゃん。楽勝って言うかと思ったけど」
 小平太は苦笑して言う。仙蔵はちらりと視線を小平太に投げかけ、溜息をついた。
「そりゃ慎重にもなるさ。五年には鉢屋がいるからな。こちらもそれなりに作戦を練っていかないと…足下をすくわれる」
「確かにね」
 小平太は小さく頷く。今日の授業で、急に実施が発表された野外演習の内容は次のようなものだった。
 ・六年生と五年生の全員参加による演習
 ・六年生が日の出から日の入りまで、指定された物品(巻物)を守る
 ・五年生がそれを奪うか、六年生が夕日が沈むまでそれを守れば終了
「…考えドコロ、か」
「ああ」
 仙蔵は小さく呟き、目を鋭くしたのだった。

 次の日。
 まだ夜も明けぬうちから生徒達は実施場所に赴き、準備に精を出し始めた。罠を仕掛ける者、作戦の連絡に走り回る者、相手の動向をうかがう者…そうこうしているうちに、開始時刻は刻々と迫っていた。
「仙蔵」
 得意の火薬で罠を仕掛けていた仙蔵に、伊作は声をかけた。
「そろそろだよ。あっちの準備は?」
「今から行く。手伝ってくれるか?」
 仙蔵は脇から大きな包みを取りだす。
 仙蔵が立てた計画はきわめて単純なものだった。人数分より一つ少ない偽の巻物を用意し、本物を一本加えて人数と同じ数にする。それを無作為に配布し、各自一本ずつ巻物を持つのだ。
「仙蔵にしては随分単純な作戦…というか」
 伊作は苦笑した。仙蔵は表情を変えずに荷物を背負う。
「複雑なものが常に単純なものに勝るとは限らないからな。なまじ計画を練るよりもこうしてしまった方がいい。誰が持っているか解っていたらその人物が集中的に狙われるが、こうすれば一対一になる…それなら勝てる」
「そんなもんかねえ」
「文次郎」
 伊作と仙蔵の背後に、がさがさと草をかき分けて文次郎が現れた。
「なんだか言いくるめられているような気がする」
 文次郎は怪訝そうな表情をしながらも、巻物を受け取ったのだった。

 東の山の稜線が白みを帯びた。次第に朝日が顔を出す。大きな太鼓の音がこだました。
「開始の合図だ!」
 山に、急に張りつめた空気が漂いだした。

「七松先輩!」
「わっ!!」
 開始早々、小平太は背後に気配を感じて思わず振り返った。その先にいたのは後輩の一人…
「雷蔵!」
 小平太は身構えた。雷蔵は人の良さそうな顔をしながらも、それなりに殺気を放っている。
 ――雷蔵なら、正面から向かっていけば左か右かで一瞬の迷いが生じる筈…
 小平太はそう判断すると、雷蔵の真正面から向かっていった。雷蔵がぴくりと動く。
 ――もらった!!
 小平太がそう思った瞬間、雷蔵の口元がにやりと動いた。
「すみません、先輩」
 小平太の背後にもう一人、人物が姿を現す。
「雷蔵!…ってことは…」
「ご名答」
 小平太が現状を漸く把握したときには、既に(雷蔵に変装した)三郎の膝が、小平太の鳩尾に食い込んでいたのだった。

「小平太」
 辺りの気配を探りながら、連絡を取ろうと動いていたとき、仙蔵は同級生の姿を認めた。
「どうだ、そっちの罠の具合は」
「おお、バッチリ!」
「そうか…」
 仙蔵はそう言ってきびすを返す。が、次の瞬間『小平太』めがけて鋭い蹴りを放った。
「わっ!!」
 『小平太』は紙一重でそれを避ける。頭上を仙蔵の足が掠めていった。
「何すんだ仙蔵!」
 仙蔵は『小平太』をじっと見つめる。
「お前…小平太ではないな」
「何言ってんだよ!本人だってば」
「なら、合い印を見せてみろ」
 仙蔵は表情を変えずに言った。『小平太』はごそごそと懐を探る。
「…ごめん、無くした」
「文次郎!」
 『小平太』の言葉に、仙蔵はそのままの姿勢で言った。途端に『小平太』の背後の茂みから文次郎が現れ、『小平太』に蹴りを入れる。すんでの所でかわした『小平太』の首元に仙蔵の手がすっと当てられた。
「残念だったな」
 仙蔵は容赦なくそう言い放ったのだった。

「大成功だったな」
 夕飯の席で、文次郎はそう言って小平太を見た。結局、あの後三郎が欠けたため、五年生は戦力不足となって目標を達成できなかったのだ。貴重な犠牲(小平太)のお陰で六年生は勝利を収めたというわけである。
 しかし、当の本人は不機嫌そうな表情を見せていた。
「私が囮なんて聞いてなかった」
 むう、と頬を膨らませて、小平太は文次郎を睨む。文次郎はけらけらと笑った。
「敵を欺くにはまず味方から、だろ?」
「な…囮にするならそう言ってくれれば…」
 小平太は文次郎にくってかかる。その脇で、仙蔵は静かに茶を飲んでいたが、ふと湯飲みを置いた。
「お前の場合、囮にすると聞いていようがいまいが、結果は変わらなかったのではないか?」
「う…」
 仙蔵の一言に、小平太は言葉に詰まる。その向かいで文次郎が相変わらず笑っていた。
「じゃ、じゃあさ、仙蔵。一つだけ聞いてもいいか?」
「駄目だといっても無理矢理聞くだろう、お前の場合」
 仙蔵は溜息をついて小平太の方に視線を投げた。小平太は一瞬何か言いたそうな表情をして、それからこくりと頷いて、言った。
「もし私が貰った巻物が本物だったらどうしたつもり?」
「ああ、あれか」
 仙蔵はそう言って湯飲みに再び茶をつぎ、言った。
「あれなら最初は私が持っていたからな。絶対にお前には渡らなかった。お前が巻物を取った後、残りのニセモノの中に紛れ込ませたんだ」
 仙蔵は静かに湯飲みに口を付けた。文次郎が腹がよじれんばかりに笑う。
「この策士がっ!!!」
「五月蠅い」
 仙蔵に掴みかかろうとした小平太に、派手な音をたてて何かがぶつけられた。
「ってえ…」
 当たった部位を押さえつつ、小平太がそちらを見ると、そこには長次がいた。が…
「!それは五年の制服…ってことはお前鉢屋か!?この野郎!!」
 小平太は今度は三郎に向かっていく。あらゆる人を巻き込んで、食堂の喧噪は収まる気配を見せないのだった…

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