2009/01/03 曇り

 

 

学文路駅→繁野、河根集落、千石橋、作水集落、千石橋→玉川峡、丹生集落→高野下駅

   
 

今年の手始めは「金剛山」と決めてたんだけど、雪が7a、アイゼンが必要だって  (-_-;)?。

低山が良いと若草山を考えると、未だ入山禁止中だって  (-_-;)。

年末に高野街道を「作水」集落まで降りて来てるから、今日は学文路から作水まで登ろう。作水からは千石橋に戻り、玉川峡を経て国城山に廻ろう(...既に計画段階で迷走気味だなぁ)  (^。^)。

千石橋から作水集落までの、急峻な坂には驚いた。舗装されてるんだけど、路面が濡れてたら、滑って降りられないぞ。当時の人の草鞋は滑らなかったのかな(想像力がたくましい) ヽ(^。^)ノ。

予定変更で、又も高野下駅まで帰る。後30分早ければ、九度山駅まで歩けてたのにね...いや 国城山まで廻ってた

歩行 20.7Km       GPS_ダウンロード                    GPS軌跡@ A

   

     学文路から作水(高野街道)   途中の展望

南海「学文路」駅には、お大師さんから送迎バスが来てるんだな。歩くと直ぐに、高野街道の道標が眼について、早々にテンションもあがる  (^。^)。

街道沿いには、お地蔵さんとか祠とか、まるで展覧会の如く目に付くな。街中にあっても、大事に残されてるんだなと感心する。急峻な高野山への途中にあって、徐々に高度を高める斜面は、思いのほか緩やかだ。明治以後の交通機関の発達が無ければ、今でもメーンの街道の賑わいを維持してただろうなぁ   (^。^)。

当時の雰囲気が、いたる所に想像されて好いもんだ...。だけど、前回の尾根を伝う街道に比べると、現代が頻繁に顔を出してくるのは、仕方の無いことか    (-_-;)。

     千石橋から玉川峡、丹生、高野下駅  途中の展望

急坂をやっとこさ、前回折り返した作水集落に着いた。先は、既に歩き済みなので、いったん千石橋へ引き返し、静かな玉川峡を歩く事にする。 

玉川峡は10`程も奥に長く、いい所があれば、そうでない所もあって、間延びをしてしまう。上半分と下半分に分けるとしたら、上半分が良いでしょうねぇ。その境目付近で、土地の人ご夫婦に話を聞いたんだ。  (^。^)。

この道を登っていけば、国城山は今は無理だけど、「学文路」迄なら一本調子で行ける...。私の聞き方が拙かったんだろうなぁ〜、一本調子では無かったのだ。突き当りで林道は消え、微かに道らしきものが2本に分岐して、更に3本に分岐して...、持ち合わせの地図の範囲外だし、今日はUターンしよう...。

しかし、しかし道中にあった 素晴らしい展望 今日はこれに尽きるなぁ〜 ヽ(^。^)ノ。ヽ(^。^)ノ。