「藤井達矢展〜pleats'05〜」

藤井達矢 FUJII Tatsuya





・会期  2005年11月29日(火)〜12月11日(日)
       休 み:なし
       時 間:11:00〜19:00(最終日のみ17:00)
       パフォーマンス 12月4日(日)15:00〜15:30

・会場  海岸通ギャラリー・CASO D室

 ●本展示‥
 杉丸太,鉄筋,アクリル絵の具,防水シート,水,墨,音響装置を用いたインスタレーション。
 床一面に墨を含む水を張って池とし、そこに5.8m高の杉丸太31本が林立する。
 観覧者は細く張り出した橋を歩き揺れ動く水面の虚像との境界に佇み、自らの生と
 対峙することとなる。
 さらに、下記のパフォーマンスも実施する。

 ■ 阪神大震災を経験してから十年、災害・戦争・テロ…と動悸のおさまる暇もない
最中に至近で起きた福知山線事故‥‥以来この路線に足を向けることができない。
その一方動き続ける社会の中では、過去の「記録」と化しているのも事実。これらを
確かな「記憶」としたい。美術家として私は、本展示をもって人に問いかけたいのです。

 ☆パフォーマンス「弓射演武」
・12/4(日)午後3時〜 約30分間
・協力:阪神間の弓道家有志
  張り詰めた空気の中を白い矢が突き抜けるとき、生と死の「キワ」があらわになる。
  その瞬間人は、自らの生と鮮烈に対峙せざるを得ない。
  そして訪れる静謐のなかに残された気配、
  それが、生そのものではないのか‥








はじめ、蓮のすくっと伸びた茎と泥のなかに張った根に、鮮烈なまでの生命の脈動とエネルギーを感じ、
その「生(せい)」をナマナマしく表現したいと考えた。そこに自らのそれも重ね合わせ、生命の源泉を辿り、
生の本質を追求しようとしてきたのだが、我武者羅に描きこめば描きこむほど、奥深く踏み込めば踏み
込むほどに虚しささえ感じるようになっていった。
結局人は死ぬ…着実に近づく死への恐怖から逃れようと描き続けてきたが、目を逸らすわけにはいか
なかった。絶対的な生を求めればそれは絶対的な死に他ならない。なぜなら、絶対的な有は絶対的な
無と同一だから。身近な人の呆気ない自死…その寝顔は、無機質なモノと化していた。生の重さを考え
るほどに空白は増す。
そんな時、生きものの表層(皮膚、皮膚の裏側...)に現れる「シワ」が気になりはじめた。薄皮一枚…ごく
薄く脆い膜…それこそが、生そのものではないのか。
生と死の狭間、膜一枚挟んだ表と裏、虚と実、薄膜の表面に全ての意味が刻まれ、人が生きている証し
はそこに寄る襞のごときもの。その襞(pleats)はいつ何時消えるか破れるか… 揺れ動く光と影、水面に
映る幻影のように明らかに現れながらも揺れる表面で打ち消され形をとどめない。不安に苛まれ確たる
ものを捉えようともがき、仮に捉えられる瞬間があってもそれはすぐに形を失う‥ そんな足掻きを続ける
よりもそっと身を委ねてみることにした。それは平安と恐怖の危うい均衡でもあるけれど……
そんな今現在の私の死生観を形にしている。


略  歴:
1991 第46回行動展(東京都美術館 他)[以後毎年]<’92奨励賞,’93安田火災美術財団奨励賞,’94新人賞,’96会友賞,’98向井潤吉賞>
1992 第35回安井賞展(東京,セゾン美術館 他)
1993 石田敦・藤井達矢展「表層と深層」(東京,ギャラリー日鉱) ・ 筑波大学大学院芸術研究科修了
1994 Aspect in Crew ・ Part 1(銀座,あかね画廊) ・ 第1回「感動する・人と自然」大賞展<佳作賞>
1995 第49回安田火災美術財団奨励賞展  ・ 東京セントラル美術館油絵大賞展
1996 個展〜発生の源泉〜PART.1(大阪,ギャラリークォーレ) ・ 個展〜発生の源泉〜PART.2(銀座,フタバ画廊)
1999 文化庁現代美術選抜展
2000 明日をになう西宮の作家展  ・ 筑波大学芸術学系収蔵洋画作品展(茨城県つくば美術館)
2001 個展〜生きもののシワ〜(銀座,あかね画廊)
2004 個展〜pleats〜<インスタレーション>(東京,ギャラリー山口) ・ 個展〜pleats〜<平面>(神戸,ギャラリー八十川) ・
       西宮の作家・近作展(西宮市大谷記念美術館)[以後毎年]
2005 個展〜pleats〜<インスタレーション>(東京,ギャラリー山口) ・ 明日をになう西宮の作家 その後展

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