有機幾何学 物部隆一展

MONOBE Ryuichi





物部隆一さんの展覧会『有機幾何学  物部隆一展』を開催いたします。
物部隆一さんは鳥取を拠点に国内外で広く活躍するベテラン作家です。
カラフルで幾何学的な構成による、巨大な抽象絵画の世界を展開いたします。
今回の展覧会は、美術館クラスの大型スペースを使ったものとなります。

 > 趣旨
 > 略歴
 > ユニークな「冷たい抽象」の軌跡 木村重信


・会期  2006年10月3日(火)〜10月29日(日) 会期中無休

・時間  11:00〜19:00 (最終日〜17:00)

・会場  海岸通ギャラリー・CASO C室

・協賛  (株)住友倉庫

作品   平面

作品06-14, Blue (2006)


鳥取を拠点に国内外で広く活躍するベテラン作家による個展。
カラフルで幾何学的な構成による、巨大な抽象絵画の世界。


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新制作協会退会後、京都での前衛集団に参加し、その64年の解散後は京都アンデパンダン展や朝日新人展などに参加、
その後約50年間幾何学的抽象を手がけてきた。
点、マルの集合、線、面、立体などを駆使し、はじめは直線のみの構成、以後は黒いラインの中に鮮やかな色彩へ、常に
明快な形と色を好み、これが幾何学的抽象のスタイルとよく合致していた。明快さゆえに、その分下絵にはかなり時間をかけている。

今回の個展では、『有機幾何学』のタイトルをつけた。無機的な幾何形に、私なりのリズム、ディフォルメ、錯視など、有機的な
明るさと動き(ムーブマン)を吹き込んで形作った平面や立体の展示になる。旧作も少し含め、約22作品を発表する予定である。
                                  物部隆一、06年8月
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略歴
1935年京都市生まれ、京都市立日吉ヶ丘高校、京都学芸大学(現・京都教育大学)特殊美術絵画科卒業
大学在学中より新制作展、次元展、京都市展、朝日新人展(招待)などに出展

1959年 前衛集団ケラ美術協会結成時に参加、1964年解散、以後はフリーで個展、グループ展多数。

1990年以後の主要な展覧会
 1990 日仏現代美術展(パリ・グランパレ)
 1991 クラコウ国際版画トリエンナーレ(ポーランド)
     91絵画イラストコンクール (〜1993年、ABCギャラリー、大阪)
 1992 第15回エンバ美術コンクール
     BACK AND FORTH ケラ美術展 (ギャラリー16、京都)
 1993 第16回エンバ美術コンクール 京都国立近代美術館賞、買い上げ
     第7回吉原治良賞コンクール (大阪府立現代美術センター)
     第2回高知国際版画トリエンナーレ (いの町紙の博物館)
 1994 第10回現代版画コンクール 優秀賞、買い上げ (大阪府立現代美術センター)
 1995 第1回西脇市サムホール大賞展 (西脇市岡之山美術館、兵庫)
 1996 現代版画の精鋭たち展 (ギャラリー星ケ丘アートヴィレッジ)
 1997 97ABC美術コンクール 賞候補 (ABCギャラリー、大阪)
     第8回現代国際造形コンクール(大阪トリエンナーレ97、版画)
 1998 第5回別府現代絵画展 (別府市美術館)
     98ABC美術コンクール (ABCギャラリー、大阪)
 1999 パワフルアーティスト展 (帝国ホテル大阪)
 2000 第13回現代版画コンクール 賞候補 (大阪府立現代美術センター)
     屏風に描く「大阪ビジョン」展 佳作 (大阪府立現代美術センター)
 2001 第10回現代国際造形コンクール(大阪トリエンナーレ2001)
 2002 第14回現代版画コンクール (大阪府立現代美術センター)
 2005 兵庫国際絵画コンペティション (兵庫県立美術館)

個展 ギャラリー16(京都)、平安画廊(京都)、画廊ぶらんしゅ(池田)、信濃橋ギャラリー(大阪)、
    ギャラリーアイ(西宮)、銀座小野画廊(東京)、ABCギャラリー(大阪)、楓ギャラリー(大阪)など40回

パブリックコレクション 京都国立近代美術館、大阪府立現代美術センター、鳥取県立博物館、池田市、他

円筒シリーズ No.3 (2006) 円筒シリーズ No.6 (2006) コンポジション00-2 (2000) Ellipse4 (2004)




ユニークな「冷たい抽象」の軌跡
 木村重信


1959年12月23日、「ケラ美術協会」が結成され、宣言書が発表された。

「20世紀後半は宇宙時代だ。地球上の争いのごときは、宇宙から見れば夫婦げんかにすぎない。ましてや日本の、しかもこの中の画壇の動きに至っては、まるで大海に浮かぶ水泡のようなものだ。われわれはこのような画壇の因襲を強烈な情熱で打破せんとする。芸術家の責務とは、人間が分解され細分化される現代にあって、あらゆるものに力限りの抵抗をすることだ。そしてその抵抗を通て、真にユニークな絵画を創造することだ。われわれは宣言する。

1.あらゆるスタイルにとらわれず、真に創造的な絵画をつくること。
2.宇宙時代にふさわしい真のテーマを見出すこと。
3.20歳代の熱と意気とを武器に既成の概念に戦いを挑むこと。

『ケラ美術協会』会員はその名が示すごとく、細胞が分裂し、拡大するように、この運動があらゆる人たちに賛同されることを望み、ここに宣言書を発する。」

この文章は私が書いた。またケラ(ギリシア語で「細胞」の意)という名称も私がつけた。会員は新制作協会出品者の物部隆一をはじめ、船越修、西井正気、松井祥太郎、中塚弘、浜田泰介、野村久之、楠田信吾、岩田重義、久保田壱重郎、榊健、名合孝之、そして日展出品者の中尾一郎など、計13人であった。彼らの大部分が所属していた新制作協会日本画部はもとの創造美術である。したがって、かつて日展に反旗を翻した創造美術が、今度は内部の若手作家たちから反逆されたわけである。
第1回ケラ美術展は60年7月、京都市美術館で新制作展と同じ会期を選んで開催された。各会員が100号以上の大作を20点ないし30点ずつ展示したが、抽象画がほとんどで、材料も膠彩、油彩、エナメル、粘土、石膏、布など多彩であった。
このケラ美術は63年10月の第10回展まで、エネルギッシュな活動を続けた。

長々とケラ美術協会について書いたのは、ほかでもない。物部隆一の仕事の原点がここにあり、彼はその後もこのケラの精神を保持し続けて、その芸術を展開していったからである。ケラ時代の物部作品は、はじめラッカー、エナメル、水彩などを用いた抽象表現主義絵画であった。はね、はしり、ほとばしる色彩乱舞の世界に激しい感情があらわれていた。その後、小さい不整の楕円形を無数に並べたり(『Untitled 62-3』 1962年、など)、大小さまざまな碁石のような小円形を規則正しく配置したりして、記号絵画に転じる(『音符4』 1964年、など)。白い背景の上の黒、青、赤の点の配列---極めて単純な構成に、記号環境化した現代の息吹がある。

71年ごろから一転して「プルシャンブルー・シリーズ」が始まる。画面を大きく分割して不整形のプルシャンブルーの色面を置いた、シルクスクリーンによる版画である(『プルシャンブルー No.5』 1971年、など)。充実した空間を示す画面には、いささかの粉飾もなく、さりとてハード・エッジ風の無味乾燥さもなく、張りつめた意志があふれている。
このシルクスクリーンによる版画制作は、物部のその後の仕事を決定付け、やがて「立体の組み立てシリーズ」「椅子の変転シリーズ」「トリックアート・シリーズ」「Routeシリーズ」などへ展開する。78年から始まる「立体の組み立てシリーズ」は、さまざまに組み立てられた立方体が、黒いバックから白く浮き出すというもので、綿密な計算による理知的絵画である。時には線の太さを変えたり、大小の立方体を入れ子にしたり、一部の面にグラデーションをほどこしたりして、画面に豊満な響きを与える。
かくして、あるときは朝の空気のごとき爽やかさを、あるときは白日のごとき明快さを、またあるときは夕べの沈鬱な情調をただよわせた。この「立体の組み立て」は、86年からより複雑な「椅子の変転」に発展する。はじめは白黒作品であったが、87年から色彩が加わって、装飾性が強まる。やがて、椅子のイメージを払拭して、各種の色彩による線や面を組み合わせた位相幾何学的構図となる。位相幾何学といえばモーリス・エッシャーであった。かくして、道筋が複雑に変わる「Route」が87年に始まり、ついで88年には曲線が加わる。

このようにして物部は、点、線、面、色彩による幾何学的造形の全ての要素を自在に駆使する境地に達した。89年にクラコウ国際版画コンクールに出品した『Wavy III』は、その意味でエポック・メイキングな作品である。ゆるやかに起伏する黄、赤、白、青、緑によるフォルムは、極めて単純であるが、存在の深層で反響しあうような深い音色を発する。それは光と色彩と図形による交響楽であり、彼は現代生活のダイナミズムを見事に捉えたのである。

『Wavy III』によって独自のスタイルを確立した後、物部は内外のコンクールに意欲的に出品し、入選や入賞を重ねる。大阪府現代版画コンクール、エンバ美術コンクール、ABC美術コンクール、大阪トリエンナーレ、高知国際版画トリエンナーレ、などである。
これらのいくつかは私が企画したので、各審査会の様子をよく憶えているが、物部作品はいつも出色の出来映えであった。それなのになぜ大賞を得なかったのか。それはひとえにわが国の美術界における幾何学的抽象嫌いというムードの故である。わが国の抽象絵画が、いわゆる「熱い抽象」に偏していて、「冷たい抽象」がきわめて少ないことに、そのことが端的にあらわれている。それだけに、物部のユニークな幾何学的抽象絵画は、わが国の美術界にとって大変貴重である。

『ケラ美術協会』発足から40年を経て、その初志を現在まで持続している作家は少ない。ある者はアカデミックな世界に退き、ある者は筆を折って他の仕事に転じた。その意味で物部の一貫した仕事ぶりは注目に値する。それには、画壇から離れた山陰で制作活動を続け、個展やコンクールを通じて美術界に接するという生き方も関係するかもしれない。最近、彼は一種のコラージュ手法を取り入れて、その画域をさらにひろげているが、それが今後どのように発展するか、私は最大の期待をもって見守っている。

 (美術評論家)