臨界
村岡三郎 田中ちえこ


The Critical Point
MURAOKA Saburo, TANAKA Chieko




村岡三郎「Plate-Burnt Vocal Cords」
1995
鉄、硫黄、熱、写真  30×360×360 cm
photo : Hiromu Narita
田中ちえこ「4296927296に向けて」
2006
綿布、水性ペン 200×400 cm



・会期  2006年11月1日(水)〜11月25日(土) 会期中無休

・時間  11:00〜19:00 (最終日も19:00まで)
      ※入場無料

・会場 海岸通ギャラリーCASO (A室、X室)

・主催 : 海岸通ギャラリー・CASO
・後援 : 株式会社住友倉庫
・協力 : ケンジタキギャラリー

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シンポジウム
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2006年11月18日(土) 4:00 pm-5:00 pm
パネリスト: 建畠 晢 氏(国立国際美術館館長)

シンポジウム後、両作家を囲んでささやかなレセプションを行います



村岡三郎
「Plate-Burnt Vocal Cords(焼失した声帯)」
1995
鉄、硫黄、熱、写真  30×360×360 cm
田中ちえこ





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このたび、海岸通ギャラリー・CASOでは、特別企画展といたしまして、村岡三郎氏と田中ちえこ氏の二人展を開催する運びとなりました。

村岡三郎氏は、主に鉄を素材とし、熱や酸素、振動(音)といった目には見えないものをも素材に取り入れた、大規模な立体作品を
発表し続けています。大量の熱と酸素を使って鉄を切る行為「熔断」を「神経で切る行為」と呼ぶ村岡氏は、近年、ガラスを熔断するという
大胆な作品も制作しています。
一方、田中ちえこ氏は、感情を喚起するかのような原色に近い色をパネル上に多層に重ね、さらに層を削り出していくという手法の平面
作品や、絵画を基点としたインスタレーション作品などを発表しています。

両氏は、3年程前に大阪市内のギャラリーでも二人展を開催しており、その時は「消失点」というテーマのもと、一つの展示室内で、それぞれが
新作を発表されていました。世代も、使う素材も全く異なる二人の作家が、ひとつのテーマのもとに共演するという試みを大変興味深く拝見いたし
ました。
今回、私ども海岸通ギャラリー・CASOでは、二つの展示室を使い、この両作家がそれぞれのスペースにて、「臨界」という一つのテーマのもとに
作品を展示していただく機会を得ました。ケンジタキギャラリー様の協力により、村岡三郎氏は1995年の大作とガラスを使った最新作など3点の
立体作品を展示いたします。田中ちえこ氏は、《2》《4》《16》といった2の乗数を絵画にするシリーズを発表し、42億を超える点を打つという、
大作に挑まれます。

CASOの空間の中で、両作家の大作がより強い共振を生むことと期待いたします。是非、ご高覧の程よろしくお願い申し上げます。

                海岸通ギャラリー・CASO




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村岡三郎
 臨界とは物理的用語で物理的性質が不連続的に変わる境界を指すが、われわれ日常的概念として、特に私はその境界線に向かう又は挑むという意思を含めている。言い換えれば美術という歴史的価値観の意義に埋没することなくその線上を更に越えるという欲動にかられる。誰もがそうであると思うが、しかしそれは必ずしも容易ではない。今日の日本の美術状況にみられる扁平な多戯的広がりの下をかい潜り、その向うの臨界線を見据えなければならない。それは必ずしも安定した水平線ではなく、私は当然歪をもった不確定なものと期待し、認識している。それへのアプローチとして私は物質の現象としての熱、振動(音)、気体、生体エネルギー等、非視覚性のコンセプトを導入し、当然観念という質の手助けおも必要としてきた。そしてその可能性について今は私は自らに問う必要はない。なぜならそれへの欲動は生きているという根源的な「快」だからである。
 しかし表象は他者との共有関係の必然性をともなう。柄谷行人のフーコーからの孫引きの一文として「故郷を甘美と思うもの(ナショナリティー)は尻が青い、全世界を故郷と思うものはコスモポリタンでまぁまぁ、最も重要なことは全世界を異郷と思うもの」というのがあるが、この「全世界を異郷と思うもの」は超越することではない。むしろ逆でその中に踏みとどまって常にディスコントロールし続けるということで、私はそのエネルギーを上記の根源的な「快」との共有をと願っている。

「負(-)の熱量」 2004 ガラス、熱、酸素ボンベ、紙、ドローイング h.146 x 195 x 27cm , 35 x 47 x 2.1cm
「Line of heat (熱の線)」
2006, ガラス、熱、ドローイング
850 x 213 x 100cm



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田中ちえこ
 「感情は物質か?」
 「いいえ、まだです。でもいずれそうなるでしょう。」
 数年前、脳科学者とのこの会話が今もずっと残っていて思い出すたびに怖くて寝られなくなる。それは自分の感覚を信じることと目の前の世界を理解することとその境目を行ったり来たり…そこに表現の重要性を感じていた私にとって、境界線がぼやける瞬間であり恐怖である。
 科学の進歩が感情を秩序だった物質に組み込めば、再生が可能となり、個としての存在価値が消えてしまうのではないか。それが怖かったのだ。ただ主体―客体の二元論を幻想としてしまった現代物理学では、物質(量子)の不確定で不可解なふるまいに「物質がこれまでより何がしか曖昧に、何がしか非実在的になったからでも、心が物質の作用に溶け込んだからでもない。実在する物質が、心の創造と顕現のなかに溶け込んだのである。われわれにわかってきたことは、宇宙は大きな機械というより、大きな思考であるように見えはじめているのだ。そこにはわれわれ個人の心と共通したものがある。」と言っている。物質には私が感じていた秩序などもともと無かったのだ。常に移動し変化し続ける不連続な世界なのだ。
 4296927296個の点を打つ。先の見えないこの作業は、物質であり心である私と物質であり思考である宇宙との共通点が何なのか、それを確かなものとしたい欲求である。