中嶋雄二

科学的な賢人と呪術的な賢人の両方にさえ
指し示すことの出来ない方向が
事実として目の前に存在している場についての
果てしなき分析

NAKAJIMA Yuji





・会期  2009年4月14日(火)〜4月26日(日)

・時間  11:00〜19:00 (最終日は17:00まで)

・会場  海岸通ギャラリー・CASO A室


内容  絵画、インスタレーション





科学的な賢人と呪術的な賢人の両方にさえ
指し示すことの出来ない方向が
事実として目の前に存在している場について



私が生活している奈良県の十津川村は世界遺産の熊野古道が通る秘境である。
奈良市内まで自動車で3時間以上かかるのだが、これもその道路が正常であればの話だ。
土砂崩れによって道路が通行できなくなってしまったある時、私はたった一人で迂回路の林道を深夜走行した。
この道路はかなり危険なところで、夜間は通行止めとなる。何が起きても保障はできないという、車で約1時間の行程である。
当然この間には人家は一軒もなく、灯りといえば雲を被った幽かな月明かりのみで、片側の崖上空から落石の危険、
反対側へは谷底への転落の危険、そして路肩崩壊の危険を覚悟しなければならない。
この林道は自然の力に溶け込みかけながら、かろうじて存在している人工物なのだ。
走行中、屋根の上にパラパラと土砂のようなものが時々降りかかり、いつ大きな岩石が一緒に落ちてきても不思議ではなかった。
そのような状況の中、車のライトがうごめく大きな黒い塊をとらえた。すわっ、落石か!と思われたその塊の正体は巨大なイノシシであった。
おぼろ月の空に真っ黒な山影、目の前に巨大な野生のイノシシという状況では、明らかに私が最も場違いな存在だ。
人間社会で語られる「命」というものがここではさほど重要ではない存在に感じられる。
そしてイノシシが現れた暗黒の森は生命にあふれた場所でありながら、無限に広がる黄泉の国に思える。
これが一方の恐怖。そして私にはもう一方の恐怖が存在する。

科学的常識と文明の利器に包まれた私は、終わりのない問いかけによって不安と憂いに襲われる。
私という発信装置と受信装置と内燃機関という複合体の成立は、いつか解明され得るのであろうか?
もしこれが解明されたとき、人間は生きていられるだろうか?
もし仮に自分が本当はくだらないゴミのような存在に過ぎない、ということが真実であったとしたら、
人はまともな社会を築いてゆく心を持ち続けることができるだろうか?
それでも真実を知るということを人間は求めずにはいられない。
真実の中に美しく生きる意味が含まれているのならばありがたいことなのだが・・・


情念的な深い暗闇と科学的な無限の暗闇はとどのつまり同じ様なものだ。
人間にとってどちらも受け入れ難い恐怖であり、この暗闇に身を投じることは即ち全ての望みを捨てることになる。
宗教の世界に包まれた古代人の人生も、科学的な進歩をとげる現代人の人生にも結局は同種の憂いがついて来る。