真我の発動
830



人間はだれでも内面に真我(プラスの自分)と低次元の自我(マイナスの自分)を持っているように思われます。たいてい第一印象で、ピンとひらめいた判断は真我から来ていますが、一見自分に都合のいい、甘い判断は低次元の自我が動いているものです。

さて他人からの承認ですが、2通りあって、真我に作用する場合とそうでない場合があります。たとえば、

「あなたがどうなろうとも、私はあなたについて行きます」

という発言はやや臭いが、かなり相手の真我に作用する承認です。そして、これを言うためには自分の真我を発動させなくてはなりません。しかし、真我に作用する承認はそうふだん吐けるものではないし、吐く機会もないわけです。どちらかと言えば、真我に働きかける承認は、言葉の行間を通して伝わるものと考えらます。

真我が認めなくても、承認は低次元の自我にとっては心地よいものです。たとえば、

「あなたの奥さん、美人ですね」

という承認は、特に真我が認めることではないでしょう。自分の配偶者が美人なのは、とくに自分の手柄でもなんでもない。しかし、言われて少なくとも悪い気持ちはしません。心地よい、というのが本音でしょう。これは低次元の自我向きの承認です。お世辞・ゴマすりといったものはそうです。

お世辞・ゴマすりはどちらかというとネガティブな言葉です。単なるお世辞・ゴマすりに気高さはありません。しかし、批判することに比べたらよほどましです。決して卑下することはないのです。ではお世辞・ゴマすりはどうあるべきなのでしょうか。

いいお世辞、いいゴマすりのポイントは、心からの承認が言外から伝わるかどうかです。そのためにはこちらも真我を発動させて、相手にお世辞・ゴマすりを発言する必要があるのです。承認とは結局、心では真我を発動させ、口先ではお世辞・ゴマすりを敢えて言うものだと最近思っているのですが、いかがでしょうか。

不親切なようでも
829



自称ADD、ADHDは何名かクライアントさんを経験していますが、このADDという症状はピンキリです。私がお付き合いしている、あるいはしていた方々は、どの人も整理や片付けが苦手で、時間にややルーズだとか、やや鬱傾向があるとかという難点はあります。しかし、その人ならではライフワークに打ち込んで、平均的な健常者よりずっと魅力的な人たちです。

これとは反対に同じADDでも重症で、無気力で何も手に付かないという人もいます。つまり心を病んでいるわけです。重度のADDは、2名ほど体験でコーチングを申し込んで来られたことがあります。2人とも話しながら涙ぐむ始末で、こちらが何かを支援できそうな感じは全くありませんでした。2人とも通院していました。

ひとりはセッション後、私の言葉に傷ついた、よって私のサイトのADDの記述を書き換えよ、とメールを送って来られました。そういう顛末に立ち至ったことについてはこちらも極めて気分が優れません。接点がなかったのなら、放っておいて欲しいです。

とにかく助言で支援できるのは、あくまで理屈で意図をコントロールできる相手です。相手が明らかに心の病でおかしいと感じたら、不親切なようでもセッションはその場で打ち切るのが正解です。せっかくだから聴いてあげよう、などと思うと、相手も自分も不愉快な思いをするだけのようです。

しかし、ちょっとした人と人の触れ合いをここまで非情に退けなければならないとは、心の病気はたいへん厄介なもの、と痛感しました。気分は優れませんが、それがわかっただけ貴重な体験でした。

批判せずに相談しよう
828



クライアントのHさんの会社に今年入ってきた新入社員は現在21才とのことです。入社当時は元気が良かったのですが、やや躁鬱的傾向がある様子で、今ではモチベーションが上がらず、周囲から頼まれた仕事を棚上げにしたり、他の人に振ったりするようになったそうです。そのため周囲が大変ストレスを感じ始めている、とのことでした。

Hさんは当初は彼を呼んでこう話そうと考えたそうです:

「君の仕事ぶりに他の人は切れかかっている。この調子でいくと、先がないよ」

しかし、こんな言い方はいくらなんでも刑の宣告に等しい、これを言った時点ですでに終わっている、と思い直してこういう言い方に変えたそうです。

「君の仕事を指導するのは僕の責任だ。君が周囲の期待に応えられていないのを申し訳なく思っている。僕が今、君にできることはないかな」

言い方でこうも違うのか、と思います。前者の言い方と後者の言い方は何が違うのか。

<前者>減点主義で理想と現状のギャップを埋めようとしている - 【批判】
      → 相手のあり方を強要している

<後者>加点主義で理想と現状のギャップを埋めようとしている - 【相談】
      → 相手のあり方に選択の自由を与えている

減点主義と加点主義の違いは相手の自由度にあるわけです。当然加点主義の方が意欲をかき立てることができるわけです。

もうひとつ注目すべきは、相手を批判した時は、どうしても自分を正当化する必要がある、ということです。自己正当化は本末転倒する傾向があって、自己正当化するためには、相手が悪くなくてはいけない、というふうにいつの間にかすり変わってしまうのです。こうなると、相手を良くするために苦言を呈するのか、自分を正当化するために苦言を呈するのか、わからなくなってきます。

結局、相手の批判は、相手を変えるには拙劣な方法で、大抵うまくいかない、ということが言えます。逆に言えば、相手を批判せずに相手と相談すれば、相手が変わる可能性がある、ということです。その分岐点が加点主義か減点主義か、といことなのです。

こんなふうに神経を使っても、結局辞めてもらわなければならない人は辞めさせなくてはなりません。しかし、辞めさせる必要のない人は間違いなく残すことができるわけです。

単純化
827



米国は多民族国家です。だから社会的にいろいろな民族集団が存在します。その結果、他人とのコミュニケーションは少しでも分かり合えればいい、という加点主義にならざるをえません。その意味では米国人は単純化が上手です。つまり複雑な内容を単語に集約して、ラベルを貼るというのが得意なわけです。

とはいえ、これは一般論であって、米国人にも得意な人とそうでない人はいるようです。

以前、米国の会社と打ち合わせをしたときに、会議の席で先方の担当者が、長々とこういう意味のことを言いました。

「FAXを書くときは、1枚の紙に2件書かないで欲しいんだ。整理するときに何の件で整理したものか迷うし、後から検索するにも時間がかかってややこしいから」

私はすかさず、

「なるほど、One matter one fax ってことですね」

と返した所、米国側の同席者に受けて、

「One matter one fax という表現はわかりやすい」

とみなで褒めてくれました。実はこれ、日本語の「一件一葉」を英訳しただけなのですが、こういうのが受ける受けないが日米の文化の違いなんだな、と思います。

単純化はコーチングのセッションでたいへん役に立ちますが、英語で外国の人と話すセンスに一脈通じるところがあるのです。

存在感の出し方
826



実務のできない上司はいるものです。とくに官庁や大企業はキャリア組とノン・キャリア組がいて、キャリア組はすげかわっていきます。キャリア組は基本的に実務ができなくてある意味当然なのです。

実務のできない上司は3パターン考えられます:

@実務はできないが、部下に都度相談してくれて、部下の意見を取り入れてくれる上司

A実務ができないので、部下に丸任せにしている上司

B実務ができないくせに、部下に見当はずれの指示を出す上司


もちろん@>A>Bの順で良くて、Bが最低です。Aは管理職としては問題ありますが、部下の邪魔をしないだけ評価できるというものです。

さてあるクライアントさんが、「部下のほうが実務ができる場合、上司はどうやって存在感を出していったらいいだろうか」という問題提起をされました。もし仮に、

C実務ができて、部下に適切な指示を出せる上司

がいたとします。あなたが部下の場合、上記の@とCのどちらを高く評価しますか。あなたができる部下ならむしろ実務のできない@を歓迎するのではありませんか。その意味では@Cに優劣はないのです。部下が有能である場合、上司が実務ができないというのは、決して周囲の部下の評価のマイナスにはならない、このポイントはよくよくわかっておく必要があると思います。

また実務のできる部下は、他部署の担当者と上司を飛ばして仕事を進めてしまうことが多いものです。これは悪気があってやってるわけではなく、実務上どうしてもそうなってしまうわけです。このとき、上司がむくれたり、権柄ずくで部下から報告を求めたりしたら、確実に評価を下げます。

要は実務のできない上司が存在感を出そうというのなら、

・部下とよく相談して、部下の意見を取り入れる
・部下のやっていることの説明を上司から聞きに行く

要は部下が、腰の低い人だなと恐縮したらいいのです。ただ部下に媚びたり、変に機嫌をとったりしてはダメで、このあたり上司の実務以外の人間力が問われます。

上司は人格の高さで勝負する、それが存在感の出し方というものです。
850 スキルではなく意欲に働きかけるのがコーチング
849 まず相手の現状を肯定しよう
848 受身の練習
847 承認の共鳴
846 記憶力の減退

*
845 子供が泣いて連絡が取れない?
844 方便をでっちあげる
843 聴衆1000名
842 心臓を鍛える
841 とりあえず承認しておこう

*
840 コーチングも選択肢のひとつ
839 役回り
838 加点主義・原点主義が人生の分かれ道
837 関係改善のやり方はある
836 意欲があるかないか

*
835 ライフワークはわからなければぜいたく品
834 まず、変な人に辞めてもらう
833 説得がうまい人
832 国会討論というけれど
831 絶対相手を承認してはいけないコミュニケーション

*
830 真我の発動
829 不親切なようでも
828 批判せずに相談しよう
827 単純化
826 存在感の出し方
*
825 チャレンジを続けるところに自己承認はある
824 指摘と批判は紙一重
823 加点主義とあげまん
822 自分をゆるす
821 他人をゆるす

*
820 承認は元気の源泉
819 少子化社会は意識的なコミュニケーションが不可欠
818 コミュニケーションでケアしなければならない時代
817 いかにオープン・クェスチョンに慣れてもらうか
816 バランス・シート経営

*
815 氷室の日(7月1日)
814 日常の繰り返しを破る
813 凪
812 「いざとなったら」、このポイントを押さえよう
811 苦手な歯科

*
810 心の法則の誤解
809 夢は他言しない
808 まともな人だけ相手にする
807 逆境に勝る師なし
806 癒しの傾聴はやらない

*
805 武豊町
804 自己実現の陥穽
803 承認は自我を育てる
802 人間相手は加点主義しかありえない
801 外的コントロールは減点主義だから古い


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