965 鉢のとれた鉢かづき



私は17歳の時に強い眼鏡をかけて0.4という状態になってしまいました。渦を巻いた度の強い眼鏡は心から嫌悪を感じたのと、そんなのをかけたら目が疲れてどうしようもない、という状態だったので、なんとか許容できる6度の眼鏡をかけて0.6がやっとという状態で30年以上やってきたわけです。

その間、2年遅れて大学入試をなんとか潜り抜け、1年だけだけれど留学もしました。就職し、結婚し、転職し、子供も生まれて今日あるのですが、度の強い眼鏡をかけてそれだけの視力しか出ないというのは、強烈なコンプレックスで、自分が背負うハンデとあきらめていたのです。もちろん20年以上も前からRKといった近視矯正手術があるのは知っていたのですが、手術が失敗してこれ以上見えなくなっては本も子もない、ということで想定外だったのです。

そうしたハンデがレーシックのお陰で雲散霧消してしまった、というのが今の気持ちです。もちろん老眼は強く出ていますので、老眼鏡は手放せませんが、とにかく裸眼で1.5出て、車の運転も裸眼でできるというのは素晴らしい。

御伽草子に「鉢かづき」という話があります。「鉢かづき」は今は寝屋川市のキャラクターにもなっています。女の子の頭から鉢が取れなくなり、その十字架を背負って苦難の日々を送るのですが、時が満ちて鉢は頭から取れ、幸せな日々を送るというお話です。

業因縁を背負ったが跡形もなく氷解、というストーリーで、これはおとぎ話だと思ってきました。この鉢かづきの気分なのです。

視力が0.4〜0.6しかないというのは、そう言ってしまえば一言ですが、折に触れてもっと見えたらなぁ、と思わないことはなかったのです。車の運転をするには、別の眼鏡が必要です。ですから強い心理的負担を感じました。免許の更新には行っても、なるべく車は乗りたくない、というのが本音でした。だから車の運転には不向きで、転職もずいぶんとハードルが高かったのです。たとえば、営業外回りといった仕事は相当の危険と困難が伴うからです。屋外の景色に対しても、やはり鈍感です。いかに「心で見る」を励行してもです。だからどうしても室内に引きこもりがちになってしまいます。

今は屋外の景色に対して好奇心一杯です。肉眼だけでは飽き足らず、星見用に買った双眼鏡で、9階の自宅マンションから外を眺めているのですが、こんな世界だったのだな、と改めて驚いています。

昨日は双眼鏡で空をのぞいてみました。大阪市内なら星なんか見えないと思っていたのですが、光害だらけの都会地でも双眼鏡を使えば4等星まで見えるのですね!オリオン座の大星雲もはっきり見えました。感激です。中空に浮かぶ月は双眼鏡で見たら、プラネタリウムで映し出された月そっくりでした。

そんなわけで最近は「鉢のとれた鉢かづき」をやっているのです。

964 学びは受身ではなくて取りに行く



他人のコーチングをして行くには自己研鑽が不可欠です。学ばなければ、クライアントが飽きてしまうでしょう。だから勉強はたゆまず続けなければなりません。

ではNLPなり成功哲学なりを習いに行って資格を取れば、それでいいのかというと、そんな簡単なものでもありません。しかも勉強にお金をかけると、家計も大変です。もちろん何かを受講するのは大切ですが、実社会での経験、実学が大きくモノを言います。だからコーチング以外の本業を持っているというのは、メリットが大きいのです。

受け身で講座を受講しても、得るものは少なく、能動的に自分から調べて始めて身につくということはあります。しかし、受身で受講したものも後でそれなりにつながって来るので、軽視できません。受講もある程度の量は確保する必要があると思います。

結局、定期的にセミナーに出席しながら、自分で問題意識を持って、学びは取りに行く。しかもできるだけ合理的にお金を使って、というのが私のスタンスです。とくに、クライアントさんとのセッションで浮上したテーマを都度自分で目一杯調べる、一番効率的なのはやはりこれだと感じています。

963 今年は歩こう



新春から「今年は歩こう」と決意して、せっせと歩いています。

以前は自転車でしたが、筋肉を使うのなら歩くのも自転車漕ぎも一緒だろう、とたかをくくっていたのです。通勤では土手の上り坂を自転車で一気に登るので、脚力はまあ維持できていたと思います。

しかし、歩くというのは大地を踏みしめることによって足のうらのツボを刺激する、という効能があり、これは自転車では無理です。自転車を徒歩に切り替えて3週間、目に見えて効果が出てきたように思います。

まず、全身の血行が良くなり、寒くない。薄着でOKです。それと食欲も若干アップ。以前ご飯は軽く一杯でしたが、今は中盛でないともの足りません。また大腿部の筋力もアップしました。大腿部の筋力は気力、生命力、さらには性欲(異性への関心)のベースになっている感じで、ワンランク健康状態がアップしたように思います。

私は自分の計画はあまり他人にはしゃべらない主義なのですが、徒歩通勤は会社や家庭でも吹聴し、自分を追い込んでおきました。

暗い夜道をセコセコ歩いていると、車で通りかかった会社の先輩から呼び止められ、

「乗っていく?」

「ありがたいんですけど、運動のためにわざわざ歩いてますので」

といったやりとりをしたこともありました。私の通勤経路は高速道路の下に幹線道路が走っている、緑が少なくて空気も良いとはいえないエリアですが、今は視力がアップした関係で、信号機がはっきり見えることすらうれしく、歩くのが楽しいのです。

コーチングでも運動不足を解消したい、という話が出ることがよくあります。私もかねてからそう思って来ました。レーシックをきっかけに変われたのは予想外でした。何かを始めてそれを軌道に乗せるには、ごり押ししても続きません。考え方の枠組みを変える必要があるということなのでしょう。

962 すんだことだし、もう忘れましょうよ



日ごろ口にする言葉は気をつけるべきだ、これはつくづく思います。

たとえば、私が職場でイヤな思いをしたとか、ひどい仕打ちを受けた、とします。そうした不快な気分を知人や家族に延々としゃべるとしたら、その効果は破壊的でしょう。第1に延々としゃべるという行為自体が、そのネガティブな思いをつかんで放さず、繰り返し心の中で反芻しているということを意味します。想いが自分の運命をつくることを考えれば、最も自分を害する行為です。

第2にそんな話を聴かされて誰が楽しいと思うでしょうか。知人なり家族なりそんな愚痴をきかされた日には間違いなく離れて行くはずです。

だから不安と不快を増長させるだけの会話を長々とすることは、公私ともども絶対やめるべきなのです。

仮に私がイヤな思いをした、とか納得できないとか、そうしたネガティブな感情を持ったということは、それはそれで事実なのです。しかし、それを言う必要があるなら、ただひと言だけその事実を言う、これが正しいのです。

ただ、私がイヤな思いをした、とか納得できないとか、というのはあくまで解釈のひとつであって、それが正しいという自負はあっても絶対的なものではありません。それに自分も逆に他人に同じ思いを引き起こしている可能性があるわけで、それを言えばお互い様なのです。私が他人の批判を延々と語る資格はないでしょう。

いずれにせよ、私がイヤな思いをした、とか納得できないとか、という過去の想いは、

「つかんだらダメ」

ということになります。記憶として残っても、心から放すことです。

「忘れよう、水に流そう」

が正解なのです。まして人に語るのは絶対よろしくないわけです。

では、カウンセリングでクライアントがこうした否定的なことを話すのはどういう意味を持つのか。ネガティブな感情を無理に処理しようとすれば、得てして潜在意識の奥にしまいこんで、それが心理的な束縛として、かせになることがあります。

だから話していただいてそれを聞くことによって消そうと努めるわけです。聞き手はあくまで、話し手が語ることによっていやな感情を放すことを手伝うので、つかむのを手伝うのではありません。だから変に同情や共感しては良くないわけです。もちろん批判しても良くない。私は、

「たいへんでしたね。でももうすんだことだし、この際忘れましょうよ」

という気持ちで聴いているし、必要に応じてこうした「とりなし」の発言はするのです。

961 星空ウォッチング



私は小学生のころは全天の一等星を全て言える天文少年だったのです。レーシックのおかげで視力が1.5出るようになったので、今年は星空を見に行こうと思っています。いままでこうした体験はあきらめて来たわけです。早速地元の天文同好会に声をかけ、例会にさそってもらいました。昨日例会に出てきたところです。

星空を見るという趣味はハードルが高いと思います。曇っていては見えないし、都会地では明るくて見えない。晴天の日に車で田舎に夜出て行く必要があるのです。夜更かしするので、翌日はしんどいでしょう。もちろん望遠鏡や双眼鏡といった装備も必要です。私は車を運転できますが、自家用車を持っていません。年数回グループのツアーに同乗させてもらって連れて行ってもらうのが一番現実的です。

天体写真とかにのめりこむ予定も今のところなくて、ごくミーハー的に関われればいいと今の所は思っています。しかし、ツアーで車に乗せてもらうにしても、自前の双眼鏡くらいは買わなくてはなりません。今日はネットで双眼鏡を何を買うのか調べて、それなりにはまっていました。

少年の日に天体望遠鏡のカタログに魂を奪われていた時期があったことを懐かしく思い出しました。こういう思いは40年ぶりのことだと思います。

ともあれ、今年は山歩きに加えて星空ウォッチングも始めます。コーチングと直接関係のない話題ですが、宇宙に触れていれば、日々の瑣事のなかにもっと宇宙という視点も加えることができるのではないかと思います。まことにワクワクすることではありませんか。
999 畢竟何を学ぶべきか
998 信によって立つ
997 今やってることと陸続き
996 わかっていても問いかける

*
995 祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし
994 人見て法説け
993 長く続けたほうが勝ち
992 よくある話ですね
991 良きクライアントは良きコーチである

*
990 夢や目標がない
989 出会いと転機
988 外に出て行くべし
987 プロのコーチは昼間は何をしているのか
986 コーチングの金銭感覚

*
985 先制攻撃
984 自己啓発セミナー系社員研修
983 転職でコーチング
982 人事を尽くして天命を待つ
981 外的コントロールに対する社会一般の認識

*
980 優雅さということ
979 控える・持ち上げる
978 短所を直す・長所を伸ばす
977 コーチングの認定
976 コーチングの研修

*
975 自分に寛容であれ
974 他人のふんどしで相撲をとる
973 フィードバックは北京ダックのようなもの
972 英語の勉強
971 便所の落書き

*
970 無能であっても理解ある上司
969 西はりま天文台
968 出ました、2.0
967 プラスアルファ
966 自分をつくらず正直に

*
965 鉢のとれた鉢かづき
964 学びは受身ではなくて取りに行く
963 今年は歩こう
962 すんだことだし、もう忘れましょうよ
961 星空ウォッチング
*
960 想いは現実化する
959 「決める」までがコーチング
958 ナバホ族の精霊
957 日経経営セミナーに4度目の登場
956 心で見る

*
955 「気」の良さ + 自負 = 感化力
954 相反する価値観の使い分け
953 2008年はアウトドア元年
952 リアルとバーチャル
951 “I”メッセージは舌禍を最低限に抑える働きがある


*** コーチングを受けてみませんか
*** コーチングとは(私見)
*** 社会人のためのカウンセリング
*** カウンセリングとコーチング
*** ビジネス・コーチング入門
*** ライフワーク・コーチングの奨め
*** オーケストラ再生のオーディオ
*** オーケストラ録音を聴く
001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
All copyrights reserved 2006 Yoshiaki Sugimoto