■ 短気に対しては柔和をもって応えよ
(前略)
ペルシャの聖者の言葉にこんなのがある。
「短気に対しては柔和をもって応えよ。横紙破りに対しては親愛をもって応えよ。柔和なる人の手は一本の髪の毛をもって大象を曳いて行くことができる。汝の敵に対して柔和をもって応えるがよい。平和に反することは罪悪である。」
仏教者は言うのである。 --- 「もし誰かが愚かにも私に害を成すならば、私は尽きざる愛をもって彼に報いるであろう。彼より来たる悪が多ければ多いほど私は彼に一層多くの善を施すであろう。」
シナの聖賢の言葉には「賢者は害に対して恩恵をもって報いる」とある。
「悪に対して善を報いよ。怒りを愛によって克服せよ。憎しみは憎しみによって消すことはできない、ただ愛によってのみそれを消すことができるのである」とはインドのことわざである。
真に賢しき人々は何人をも敵としてみとめないのである。往々にして「かまわん。僕は復讐する」と言う人があるのを聞くのであるが、あなたは復讐したいのですか?ではどのようにして復讐しますか?それには二通りの方法があり、そのうちの一つをもってそれを行うことができる。あなたは彼があなたを扱った通り、または扱ったと君が思い込んだ通りの扱い方をして仕返しをすることができる。つまり彼自身がよこした貨幣そのものをもって彼に支払うことができるのである。すなわち、あなたは、自分を彼の低さまで下りて行って平均を得るのであって、これによって両者とも苦しむのである。もう一つの方法というのは、あなたがもう一層大きくなって見せるのです。そして憎しみの報復として彼に愛を送るのです。不当な取扱いに対して親切を送るのです。こうすることによって相手を自分の高さまで引き上げることによって、彼と自分と平均を得るのである。しかし、記憶しなければならないのは、自分自身を高める行為そのものがなければ、相手を高めることはできないということである。そしてもし自己を没却するならば、あらゆる場合において、あなたに対する評価は、あなたが他の人に与えたサービスよりも大きく評価されるのである。もしあなたが、彼があなたを扱ったと同じように彼を扱うような心境であるならば、あなたは明らかに自己の内に憎しみや不当な取扱いを引き寄せるような要素をもっているのだということができるのであって、あなたが今得つつあるところのものに相当する要素をもっているのであるから、不平を訴えてはならないのだし、もしあなたが聡明にして真理を知っているならば、断じて不平を訴えたりはしないであろう。もう一つのコースをとることにすれば、あなたはあなたの目的を最も有効に遂げることができるのである --- それによれば、あなたは自分自身勝利者になると同時に彼に対して彼が最も必要としているものを与えたことになり、彼に大なるサービスをなしたことになるのである。
このようにしてあなたは、彼のために救世主的役割を果たすことになるのである。あなたは、間違った行動をとりやすい --- したがって要保護的な --- 人物の救い手となるわけである。多くの場合において、愛の努力には私たちがかって知らないほどの大なる闘いを要することもある。私たちは、私たちの人間関係においてなお一層の柔和と同情と同悲の心を必要とするのである。これらが成就すれば、私たちは決して人を責めたりとがめたりはしなくなるであろう。責めたり、とがめたりするかわりに、私たちは同情するであろう。それどころか更に進んでは、ある詩人が歌ったように、
たがいに私たちは慰め合おう。 なぜなら、道はしばしば険阻(けんそ)であり、 脚はしばしば疲れ果て こころは悲しみに閉ざされているからである。
肩には重い荷物を背負っており 誰もかまってくれる者はなく かって悦びというものがこの世にあったとは 覚えないほどなんだもの。
たがいに私たちは慰め合おう。 しっかりと優しく手を握り交わして 愛は甘い香りを漂わせ なつかしの眼を見交わして挨拶する。
あまりつつましやかに過ぎて 言葉なく待ってはならない。 なぜなら日常の生活のパンがとだえたときに 優しい言葉は空から降る聖食(マナ)のように
感じられることがあるからだ。
(後略)
『無限者との協調』 ラルフ・ウォルドー・トライン 1896年 谷口雅春訳
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