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裏千家今日庵(西陣) 茶道裏千家流家元の茶享画裏干家住宅として重要文化財に指定されたもの。南隣には表干家流の不審庵がある。今日庵は、利休の孫である宗旦の4男、仙叟宗室を祖とする裏千家流家元の庭園。豊臣秀吉より千家再興を許がされ、利休遺跡「不審庵」が宗且にゆずられた。非公開のため一般の拝観はできません。 (表干家流の不審庵は火災のため大正時代のもの)







美御前社(うつくしごぜんしゃ) 美御前社(うつくしごぜん)には、素戔嗚尊と天照大神の間に生まれた女の神様・宗像三女神[市杵島比売神、多岐理比売神、多岐津比売神]が祀られ、美の神様として特に女性の崇敬を集める社です。美御前社にお参りの際は、祇園の湧き水”祇園神水”を飲んでから参拝すると美人になるといわれています。一般的にはあまり知られていない美御前社ですが、祗園の舞妓さんや芸妓さんも訪れる、知る人ぞ知る美の神様です。美御前社の前には、お肌の健康を守るといわれる美容水もあります。







宇治川花火大会(うじがわはなびたいかい) 宇治川花火大会(うじがわはなびたいかい)は、京都府宇治市の宇治川畔、宇治公園一帯で、毎年8月10日に行われている花火大会である。 1960年に第1回が開催された。 2008年は「源氏物語千年紀記念 第48回宇治川花火大会」、2011年は「みんなでがんばろう!日本 第51回宇治川花火大会」という名称で実施された。









宇治橋(うじばし) 宇治橋(うじばし)は、646年(大化2年)に初めて架けられたという伝承のある、京都府宇治市の宇治川に架かる橋である。

「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられる。

宇治橋は古今和歌集や紫式部の源氏物語に登場する。 また、能の「鉄輪」で登場する橋姫伝説でも有名である。 橋の東詰には、狂言の「通圓」もモデルとなった通圓茶屋がある。また、この茶屋は、小説「宮本武蔵」に登場することでも有名である。また、1995年(平成7年)6月に場所を移転した京阪宇治駅も、橋の東詰にある。

現在の橋は、1996年(平成8年)3月に架け替えられたもので、長さは155.4m、幅25mある。桧造りの高欄は、橋の姿が宇治川の自然や橋周辺の歴史遺産と調和するように、擬宝珠を冠した木製高覧という伝統的な形状を使用している。なかでも歴史を象徴する上で材質が重要である事から、強度の高い檜を使用してある。この改築で、現存する最古の1636年(寛永13年)の刻印がある擬宝珠の、形状と大きさに合わせてある。




宇治川に架かる 『 宇治橋 』 は、大化2 ( 646 ) 年、元興寺 ( 奈良 ) の僧 ・ 道登 ( どうと ) によって架けられた 日本最古の橋 と伝えられています。   その長い歴史の中、宇治川の激しい流れによって幾度も橋が流されたり、奈良と京都 ・ 近江を結ぶ交通の要衝であったことから戦いの場となり戦禍に見舞われてきました。





宇治採茶使(うじさいちゃし) 宇治採茶使(うじさいちゃし)は、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中という。

起源は慶長18年(1613年)、江戸幕府が宇治茶の献上を命じる宇治採茶師を派遣したのが始まりで、元和年間、使番が使者に任命され宇治茶を運んでいた。徳川家光の時代の寛永9年に制度化され、寛永10年(1633年)から、幕末の慶応2年(1866年)まで続けられた。

責任者たる徒歩頭(かちがしら)が輪番でその任を務め、茶道頭や茶道衆(茶坊主)のほか茶壷の警備の役人など、徳川吉宗の倹約令が出るまで膨れ上がり、多い時には1000人を超える大行列となった。道中の総責任者は、宇治の代官の上林家が代々務めた。 この御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであるから自ずからたいへん権威があり、摂関家や門跡並で、御三家の行列であっても、駕籠から降りて、馬上の家臣はおりて、道を譲らねばならなかった。

行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農繁期であっても田植えは禁止された。子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、葬式の列さえ禁止された。権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら、戸を閉めて閉じこもった。この様子は沿道の民は非常にこれを恐れていた。お茶壺が来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもった。また、道で出くわしたら、土下座で行列を遣り過すしかなかった。茶壺の行列の様子は、現代でも童歌のずいずいずっころばしに表現されて歌い継がれている。







宇治十帖(うじじゅうじょう)

宇治十帖は源氏物語の最後の十帖のことです。

源氏物語は五十四帖(五十四巻)という大変長い物語で、三部に分けることができます。 第一部は第一帖の「桐壷」から第三十三帖の「藤裏葉」までで、光源氏の誕生前から39歳までのことが書かれています。第二部は第三十四帖の「若菜上」から第四十一帖の「幻」までで、光源氏39歳から52歳までのことが書かれています。

第四十二帖の「匂宮(におうのみや)」から第五十四帖の「夢浮橋(ゆめのうきはし)」までが第三部で、光源氏の子、薫(かおる)と孫、匂宮(におうのみや)、この二人を取巻く人々の物語です。特に、第四十五帖の「橋姫」から最後の巻の「夢浮橋」までの十帖は宇治を主な舞台としているため「宇治十帖」とよばれています。

「宇治十帖古跡」は古い石仏やお宮など、宇治の人々の間で親しまれ続けてきた古跡を宇治十帖に結び付けて、物語を偲ぶようになったものと考えられています。従って物語と直接関係のあるものではありません。

しかし、その時々の事情で変遷しつつも、今日まで伝えられている
宇治十帖古跡は、宇治が誇る立派な文化遺産でもあります。






宇治市源氏物語ミュージアム(うじしげんじものがたり‐) 宇治市源氏物語ミュージアム(うじしげんじものがたり‐)は、京都府宇治市にある『源氏物語』の幻の写本とよばれる「大沢本」など「源氏物語」に関する資料の収集・保管等を行う市立の博物館である。1998年に開館した。 また、開館10周年にあたる2008年9月にリニューアルが行われた。









宇治上神社(うじがみじんじゃ) 宇治上神社(うじがみじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社。式内社で、旧社格は村社。隣接する宇治神社と対をなす。 ユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

創建年代などの起源ははっきりしていない。すぐ近くに宇治神社があり、明治以前は宇治神上社は「上社」・「本宮」、宇治神社は「下社」・「若宮」と呼ばれたほか、両方を合わせて「宇治離宮明神」・「八幡社」と呼ばれた。『延喜式神名帳』には「山城国宇治郡 宇治神社二座 鍬靫」とあり、二座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社を指している。近くに平等院ができるとその鎮守社とされた。

2004年2月の奈良文化財研究所や宇治市などによる年輪年代測定調査では、本殿は1060年頃のものとされて現存最古の神社建築であることが裏付けられるとともに、1052年創建の平等院との深い関連性が指摘されている。

本殿(国宝)の覆屋

外から見えるのは覆屋で、中に本殿3棟が並んでいる

拝殿(国宝)






宇治神社 (うじじんじゃ) 宇治神社 (うじじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社。式内社で、旧社格は府社。隣接する宇治上神社と対をなす。

創建年代などの起源は不明。すぐ近くに宇治上神社があり(位置)、明治以前は当社は「下社」・「若宮」、宇治上神社は「上社」・「本宮」と呼ばれたほか、両方を合わせて「離宮八幡宮」・「桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)」とも呼ばれた。『延喜式神名帳』には「山城国宇治郡 宇治神社二座 鍬靫」とあり、二座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社を指している。近くに平等院ができるとその鎮守社とされた。

本殿(重要文化財)


中門 / 拝殿(桐原殿)






梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん) 梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん、英語:Umekoji Steam Locomotive Museum)は、京都府京都市下京区観喜寺町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、財団法人交通文化振興財団が運営する蒸気機関車の保存展示施設(博物館)である。

施設は、旧梅小路機関区の扇形庫及び転車台を活用した「蒸気機関車展示館」と、旧二条駅舎を移築・復元した「資料展示館」からなる。扇形庫には、蒸気機関車17形式19両(開館当初は16形式17両)が収容・展示されている。開館当初は動態保存が原則であり、C53 45とC51 239の2両を除き15両には1979年までは車籍を持った動態保存(書類上)であったが[3]、その後保存対象車両の見直しが何度か行われ2008年現在、動態保存機は7形式7両となっている。うち、5形式5両は現在も車籍を有し、2両 (C57 1, C56 160) は、山口線の「SLやまぐち号」や北陸本線の「SL北びわこ号」など、本線上での列車牽引に供されている。この2両以外の動態保存機は車籍こそあるものの、全般検査を受けていないため、本線上での走行はできない。また、館内展示用の動態保存機の牽引による「SLスチーム号」を館内の展示運転線で運転している。なお、C571とC56160は一度も廃車(車籍抹消)になっていない唯一の動態保存車両である。