主要メニュー
コーチングを受けて見ませんか  コーチングとは  コーチとは
コーチングの例(パーソナル)  コーチングの例(ビジネス)
体験コーチングの進めかた    体験コーチングの申し込み

コーチング:林檎1 コーチング:林檎2 コーチング:林檎3 コーチング:林檎4

■ 栄える法則

すべて事物には時の波というものがあるのである。時の波に逆うては何事をも成就することができないのである。もっとも疲労しないところの、そしてもっとも効果のあるところの泳ぎ方は波に乗るということなのである。波に逆らえば何事も成就しないのが、波にのれば自分一個の力では到底成就しないごとき大いなることを実現することができるのである。

春夏秋冬の来たるのも一つの波である。春が来れば四方の草木も萌え出で若葉美しく照り輝き、多くの果樹は爛漫と花を開く。やがて夏にもなれば、緑いよいよ濃くなり鬱蒼として繁茂するのであるが、すでに夏の終わりともなれば秋の色は見えそめるのである。まだ温度は摂氏二十五度を下らないのに欅(けやき)の梢(こずえ)の葉の色は茶色に紅葉し始めるのである。

春は春寒なお去らず温度摂氏十五度を超えざれども欅の梢はやや若緑し始めるのである。そこには単なる温度以上のものがあるのである。春の初めには温度低くとも樹木の芽は萌え出でて、秋の初めにはなお温度高くとも凋落し始めるのである。

ここに我らは時のリズムというものを知らなければならないのである。我々は凋落すると見えるところの秋の奥に、よろずのものすでに萌え出ずるところの春を見るのである。秋にあい、春にあいつつ欅の幹は太り行くのであって決して退歩するのではないのである。

すべてのものは時計の振り子のごとく右に振れれば必ず左に振れるのである。それがすなわち正反対の弁証法的発展であるのである。動には必ず反動が伴うものであって、退くことも多ければ進むことも大きいのである。桜や藤や牡丹は冬のうちにその葉を枯らしているが故に、春にはいっそう豊かに花をつけることができるのである。常緑の木には豊かに花をつけるものはないのである。それは退くことがないから進むこともないのである。

だから我々は自分の運命が退いたと見える時に決して失望落胆してはならないのである。時計の振り子は右に振れただけ、左に振れるのである。動と反動とは同一の量であるのが物理学的法則である。我々は退いただけ進むに違いないのである。諸君の運命に秋が訪れ、また冬が訪れて来ようとも、決してそれに驚くことはないのである。冬がいっそう寒いときには麦はいっそうよく実るであろう。

されば我々は常に今あることを感謝せよ。今ある場所に今ある境遇に最善をつくして、それが結局自分自身をいっそう高めるところの土台となるのであることを信ぜよ。すべてのものはその時、その場において、それは善であるのである。それがその時その場にあることによってのみ次の発展があるのである。今それがあなたにとってあるということは、それは絶対的なものであって、是非ともそこになければならないものである。

生命は波動であるから一進一退はその常であって、退くことがあってもそれを悲しむことはいらないのである。我々は時として憂鬱感におそわれ、仕事をする勇気を失い、生命全体が霧の中に包まれてしまったようにただ前途暗澹として立ちすくんでしまうように見えるような時が来るかもしれないけれども、決してそれに失望してはならないのである。

暗黒は光明の始めである。丑満時(うしみつどき)にはすでに明け方が近づいているのである。立てこめた霧はいつまでも永続するものではないのである。夜は明けることが必然であるし、霧は晴れることが必然なのである。この世界は我々の心の波が醸し出した雰囲気が具象化した世界であるから、我々の周囲に立てこめているところの夜の帳は外から明けてくるのではないのであって、中から明けてくるものなのである。

諸君が今暗黒の世界から、自分自身を引き出そうとしたならば、今諸君はそれができるのである。諸君を取り囲んでいるすべての制限は決して外にあるのではなくて自縄自縛しているにすぎないのである。諸君自身の中に無限の力がすでに宿っているのであって、まずそれを認めることである。

『青年の書』 谷口雅春 1964年 日本教文社

カウンセリングとコーチング
ビジネス・コーチング入門
社会人のためのカウンセリング
ライフワーク・コーチングの奨め

主要メニュー
コーチングを受けて見ませんか  コーチングとは  コーチとは
コーチングの例(パーソナル)  コーチングの例(ビジネス)
体験コーチングの進めかた    体験コーチングの申し込み

 2003 Yoshiaki Sugimoto