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■ 内部理想

人間の上昇は物質を超えて霊的に天に向かって上昇しなければならないのである。それこそが本当の人間の向上である。我々の中には、神の「完全理想」が宿っているのである。神の「完全理想」は常に我々に向かって中より、「汝高邁であれ。汝気高くあれ。汝正しくあれ。汝尊くあれ」とささやきかけているのである。物質的量および高さにおいて大きく伸びるのは、動植物の世界のことなのである。人間は物質を超え、肉体を越え、内なる「内部理想」のささやきが導くとおりに、高く伸びなければならないのである。真の人間はこの地上の王国に属するものではないのである。地上の王国の人たちがいかに汝を毀誉褒貶しようともそんなことは問題ではないのである。地に属する群集の批評や、移り変わる時代思想に迎合した批判がいかにあろうとも、そんなことは真に自己の内に宿るところの「完全理想」の批判に比ぶればとるに足らないものである。我々は自己の内なる「完全理想」が満足して賞揚するものとなった時に、本当の生き甲斐を感ずることができるのである。

もし諸君が少しでも自己の内なる「完全理想」の批判に訴えて、やましいような行ないをしていながら、社会からやんやと持上げられ、毎日の新聞に大見出しで書かれ、あるいは高位高官にあげられ、あるいは大富長者になるならば、諸君自身は内部の「完全理想」の声として魂の奥底から、自分自身は「ニセモノ」であるという批判をきくであろう。そのようなとき魂の奥底には必ず何か喜ばない暗いものがあるに違いないのである。その暗い影は結局魂が物質に屈従した部分を示すのである。物質の分量がいかに多くとも、もし魂がそれによって暗く陰影づけられるなら、それだけ諸君は自己の生命が敗北したのである。生命は物質を超えるか、物質に屈従するかいずれかである。生命が物質に屈従した時、そこに集められた物質の量がいかに多くとも、それは味方を敗北せしめた敵軍の数が多いということにすぎないのである。

かくの如きとき、我々の「内部理想」は、霹靂の如く大声叱呼して「汝は大なる失敗者である。汝の獲得したるものは生命ではなくして、累々たる屍にすぎないのである」と告げるであろう。その魂の宣告を諸君は内よりきく時、形の世界においては、世間から賞賛され、周囲から持ちあげながらも自分自身の敗北を認めずにはおれないのである。自分は実につまらないことをしたのである。魂の伸びる機会に魂をけがしたのである。物質を支配する代りに物質の奴隷となったのである。そういう感じが深く深く魂の奥から責めるであろう。

人間の価値を発揮する特別に秘密な錬金術はどこにもないのである。我々はただ自己の内なる「完全理想」の叫びをきいて、その導きのまにまに進んで行くことによってのみ魂の価値を発揮することができるのである。世間の批評は誤るであろう。今日最高の栄誉を与えたところの同じ世間が、次の日には彼を死刑に宣告するかも知れないのである。我々は世間の標準にまどわされてはならないのである。我々は自己の「内部理想」の批判にきかなければならないのである。

「内部理想」の批判は常に終始一貫するものであって、昨日ほめた者を今日は地獄につきおとすということはないのである。昨日けなしたところの者を今日ほめるということはないのである。常に善は善であり、常に悪は悪である。「内部理想」の導きに従う者には迷うということはないのである。どんな逆境にいても、どんなに失敗と見える境遇にいても、「内部理想」は、もし諸君が、高邁に理想を生き、正義を貫き、魂の純粋性を失わなかったならば、きっと内より「汝は勝利者である。偉大なる者である。わが子よ」とよびかけてくれるであろう。諸君はこの魂の内なる信頼をけっして裏切ってはならないのである。世間は諸君が何を持つかということによって毀誉褒貶するかも知れないが、真の人間の価値は「彼が何を持つか」ということにはないのであって、「彼が何であるか」ということにあるのである。諸君は「何を持つか」ということよりも「何であるか」ということに生活の理想をおくべきであるのである。

「持つ」ところのものは、「自分自身」ではないのである。それは自分自身ではなく、たんなる自分の付加物にすぎないのである。付加物がいかに絢爛華麗であろうとも、人間そのものの価値が高邁優秀になるのではないのである。包紙や宝石箱がいかに立派であろうとも、その中の宝石が偽物であったならば何の値打ちもないのである。外の富や名声が立派であるのはただ宝石箱を華麗絢爛に包装するのと同じことである。それよりも真の自己の魂の宝石を本当のものたらしめなければならないのである。魂は不純や傷物を嫌うのである。もし我々の魂に傷がつこうとする時には、きっと魂の奥底から、声なき声がきこえてきて、何となく落ちつかないあるものを感ずるであろう。何となく落ち着かない魂のささやきこそ、「何かおまえのすることはまちがっている」と教えているのである。我々はこの「内部理想」のささやきをきいたならば、直ちにそれを改めなければならないのである。心の動揺や、何となき落ち着きなさが感じられた時には、きっと何か自分が間違っているのだと省みて、その原因を修正しなければならないのである。自己内心のささやきをごまかしてはならないのである。心に落ち着きがないのは、何か自己の「内部理想」が承認しないところの正しくないある物が、諸君の心の中または行いにあるからである。自己の「内部理想」が最も完全なる指針として諸君のとるべき正しき道を教えるのは、あたかも船の羅針盤がその船の航行すべき正しき方向を教えるのと同じことである。心の動揺はあたかも暴風の如きものである。暴風のまっただ中に航行しながら羅針盤の指し示す方向に従わないでいるのは、結局その船の破滅となるほかはないのである。だから我々が心の落ち着きを失った時には、静かに坐して今まで自分が歩むところの道がまちがっていたということを省みて「内部理想」の指し示すところの正しき理想に向かって方向を変えなければならないのである。

諸君よ、常に自己自身の「内部理想」のささやきに対して正直であり、素直でなければならないのである。「内部理想」こそが諸君の「本当の自分」であって、この「本当の自分」の要求を殺してしまうならば、自分自身が死んでしまうのである。真に生きる道は、自分の「内部理想」を生かすほかはないのである。どんな小さな問題でも、「内部理想」から離れたものとなってはならないのである。それは諸君の顔に、どんな小さな傷でもつけてはならないのと同じことである。否、諸君の「内部理想」は諸君の魂であるから、諸君の顔よりはなおなお傷をつけてはならないのである。

『青年の書』 谷口雅春 1964年 日本教文社

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 2003 Yoshiaki Sugimoto