〜 本 遇 寺 の あ ゆ み 〜 その3


本遇寺の由緒について天保三年に書写されたものが現存しています。

『そもそも御厨子の内に安置し奉るは、蓮如上人御真筆の御名号なり。
其由来を尋ね奉るに蓮如上人 城州山科御堂に御在住の折柄 
当家先祖治郎兵衛上人に随従し奉り 厚く御教化を受けられ堅固の行者となり
深くお慈悲を喜ばれける 是によって蓮如上人御下向の砌りは
当家に御立寄せられ御逗留まします事度々の御事也 家内のもの浅からざる
御源切なる御教誡を蒙りありがたさ身にあまり 治郎兵衛遂に剃髪して
上人の御弟子となり 法名を釋道空と下され 
其上上人の御袈裟御衣御数珠御聖教等まで頂戴いたされ
また三方正面の阿弥陀如来の御尊像を画せられ
御裏書に方便法身尊形 長享三年丙酉二月二十一日 摂州西成郡中嶋内福島庄
願主本遇寺道空 浄土へ往生致され候 夫より道空 道清 道全次第相続いたし候
或時当村出火いたし近辺の家々残りなく悉く焼失に及ぶ所 不思議なるかな 
此家斗焼け残り然も此家葛家にてありしに焼け残るというふは不審なりますると
皆々敬らぬもの一人もなし 依てまづ御宝物を納めし箱を改め御本尊御名号を掛奉る処
不思議なる哉 御表具が焼損して本の御名号如来様は少しも御焼けあらせられず
ましまして ゆえは大谷本願寺釋蓮如と遊ばされ 其上御判すゑさせられ 
また六字の御名号を御染筆ましまして御授与有せられ候 蓮如上人七拾五歳の御時なり 
又道空坊四拾弐歳の御時なり    (略)
  天保三王辰歳十一月
  蓮如上人御遷化より天保三辰年まで三百弐拾九年に当たるなり
  道空往生より同辰年まで三百拾七年にあたるなり
  道空 上人の御弟子と成られしより三百四拾四年に当たるなり

         施主    辻本 小左衛門  』

寺の由緒には奇瑞がしるされていることが多いが、当院の縁起にも火事でも御本尊が
焼け残ったと記されている。
なお上記由緒には『其後 道空より第七代目小左衛門 有髪にて相続し 同倅第八代目治郎兵衛 
法体して別に一宇道場を構えられ今の本遇寺是也』と記されている。
それが一時寺が途絶えたのではという奉行所の問い合わせの原因であったと想像される。

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