平成15年9月分

9月  30日(火) 本山瓦懇志の依頼の紙を新聞にはさみこむ。本山参拝の旅行を募る用紙もあり
         封筒で送る所は、ごつくなってしまった。紙をはさみこむ時はたくさん集まるような気がするが
         蓋を開けてみるとどうか。寄進を頼むというのも、佛祖崇敬の念が自分に試されるような
         ものだ。どうでもいい気では集まらないだろう。どれだけ余分なことを考えずに真剣に
         取り組めるか。

9月  29日(月) 月末で新聞の印刷やら配布資料の作成やらでてんてこ舞いする。6時より
         別院で列座の習礼の指導。終って千里へ。帰宅は10時過ぎ。

9月  28日(日) 午前11時寺で法事、それまでに6軒お参りを済ます。午後 枕で千里北町へ。
         夜 お勤めのお稽古。正信偈真四句目。例の内陣法中菩薩論にけんかを売られた話
         をする。

9月  27日(土) 夜 酒井先生の拡大役員会が梅田第一ビルの中華料理店で。あと町会のかた
         3名と曽根崎のカラオケバーへ。今月二回目。

9月  26日(金) 夜 天満別院の報恩講の習礼が本遇寺である。8名こられて車が7台、なんとか
         境内地にとめられた。久しぶりで声が出にくい。「他力の信心」の二重の節が声明集上と
         大谷派勤行集で違う点を指摘したが、上が絶対とする意識が強くそちらでいく事に。

9月  25日(木) 今日も雨模様。葬式があり西中島の北大阪祭典へ。控室にいたら前の葬儀の
         法中が帰ってこられ、お声を聞くとどこかで聞いたことのある独特のよく通る声。隣寺の
         副住職だった。誰か知っている方に会いそうな気がしていたら、その予感が当たった。
         役僧の方も来られていたのでこちらの七条を附けるのを手伝っていただく。還骨までに
         奈良学園前と関目に行ったら、少し遅れる。どうも偶にしかない葬儀が遠方に行く日と重なる
         のが辛い。

9月  24日(水) 朝から雨。それもひどい降りになり、昨日でなくてよかったと思う。通夜に西中島まで
         新御堂で行こうとしたらひどい混みで時間ぎりぎりになる。

9月  23日(火) 秋の彼岸会。30数名来て頂き、まずまず盛況のほうか。高間先生のお話も
         さすがに緩急自在で身近なところから仏法に照らし出していただき、好評だった。
         かたずけの後、お世話いただいた方に炊事場の使い勝手について尋ねてみる。
         やはり狭い感は否めないし、奥の手洗いも使われる事が多いので潰す訳に行かないし
         という話から、デッドスペースになっている通路に手洗いを移したらという案を出していただく。
         これから考えてみたい。

9月  22日(月) 中陰が重なる。彼岸会の準備もあり本来は休息日が結構忙しい日になる。

9月  21日(日) 朝の話は正像末の二回目。大集経の五つの区分の話をする。末法を他人事のように
         捉えるのでなく、自分自身が末法の只中に生きている事を自覚することが大事という話をする。
         ともかくこの一週間連日の会合で少し疲れ気味。朝の話が終ってほっと一息した感じ。

9月  20日(土) 今朝はとても涼しく、気候が一気に進んだ感じ。天候も悪い。夜 光遍寺で打ち合わせ。
         役員の方も大勢集まって、盛り上がってきているようだ。責任を感じる。11時頃帰ってから
         明朝のお話の内容を考える。泥縄もいいところだ。

9月  19日(金) 夜 温雅会の練習。久しぶりに管を吹き、やはり少し音が重い。なかなか自分で楽器
         をメインテナンスするのは勇気がいる。

9月  18日(木) 12組から声明の指導の依頼があり守口の乗雲寺さまへ。10名前後お出でになる。
         直前まで当日の資料を作っていて、見直しもしないままコピーして持っていったら案の定
         一番最後のところを間違えていた。その場で訂正したが印刷したものだけに出回ると恥を
         かくことになる。今後注意したい。講習ははじめに少し儀式論を話して、それから荘厳、作法
         そして文類偈と五淘を練習する。久しぶりに声を出し、疲れた。

9月  17日(水) 4時から出版委員会。節譜を印刷するのは難しい。拙速にならないようにしたい。
         あと委員の方々他と以前行った千日前の餃子屋へ。

9月  16日(火) 夜 寺の役員会。忙しいところを多数ご出席いただき、ありがたいご意見をいただく。
        瓦懇志もこの勢いだとすぐに集まりそう。道路の件も新しい提案をいただく。

9月  15日(月) 阪神がようやく優勝した。まあ早くから決まっていたようなものだから、甲子園まで
        ゆるめていたのだろう。あまりに盛り上がりすぎでかえってしらけてきた。日本シリーズでは
        ダイエーを応援しよう。かつてのタイガース対ホークスのときは南海を応援したのだから。
        ジョー スタンカの剛球を阪神の貧打線は打てなかった。今度もダイエーの外人投手にやられそう
        な気がする。もっともその前にパを制さないといけないが・・・。夜 光善寺さまへ。三人三様の
        節譜が付けられて、同じ事を聞いてもこうも受け取り方が違うのかと驚く。

9月  14日(日) 三連休の真ん中だがその実感なし。昼 葬儀に参列してから神戸へ。快晴で車も少なく
        快適なドライブ。新しい阪神高速を使って白川台まで行けるかと思ったが、途中下に下りなければ
        ならないのでやめる。神戸の北部の高速もややこしい。あっというまの一日だったがいつのまにか
        年だけ増えていた。

9月  13日(土) 昨日の余波で今日も朝から忙しい。まあ忙しいということはこのご時世、喜ぶべき
        ことだろう。夜 近くの寺の住職の通夜参列。昨年のことを思い出し、身内の方のご苦労を思う。

9月  12日(金) 0時〜1時の檀家さんの葬儀。寺でだが12日というのが困る。斎場から能勢へ2軒行って
        帰って還骨、折り返し宝塚、能勢へと舞い戻るパターン。最後は午後7時過ぎで帰り着いたのが
        午後8時過ぎ。こんな日も年に一度くらいはある。

9月  11日(木) 近くの寺のご住職が亡くなられる。このところご病気気味とはうかがっていたが
        突然の訃報に驚いた。とても心根のおやさしい方でまた謙虚なお人柄でもあったのでもっと
        お付き合いさしていただきたかったが、弔問に伺った時、ご子息が永い間病気で苦しまれて
        ようやく楽になられたということで、ご法名は華楽院と付けていただきたい、とおっしゃっておられた
        のを聞いて、まわりにはわからないご苦労があったことと思う。ちょうど枕勤めの時に寄せてい
        ただいたので阿弥陀経を読ませていただいたが、仏光寺派では切る所がないお勤めで少し
        勝手が違った。

9月  10日(水) 夜 組会。因順寺にて。今日は宗費を持参することになっていた。御遠忌の懇志も
        割当があったが、まだこれから集めるつもりなので持参しなかった。募財は目標額を設定
        して、その目標達成に向けての方策を講じるという段取りが自然であって、1ヶ寺あたりどれくらい
        という数値がはっきりしないと集められない。すべてはこれから。

9月  9日(火) 夕方のお参りから帰ると、檀家でしばらくご無沙汰していた方が来られて、息子さんが
        亡くなられたとのこと。それも亡くなられてから十日以上たってから見つかったそうで、誠に
        お気の毒なことだ。いろいろな事情があるのだろうが、弔うということで救いとしていただける
        ようにさしていただくしかない。

9月  8日(月) 夜 Hハンシンで区仏の会合。記念行事にむけての全体の意気込みが自分も含めて
        乏しい。どうしても宗派優先になるので、地域の寺院の集まりとなると位置付けが難しい。

9月  7日(日) 久しぶりに朝のお勤めとおそうじをしていただく。九月になって昼間の暑さは真夏なみだが
        朝の陽射しは少しゆるやかになったような気もする。それでも暑い中いつもの皆さんが集まって
        下さってありがたいことだ。また新しい方にも呼びかけていきたい。

9月  6日(土) 午後に約30年くらい前にご縁があった檀家さんの娘さんが尋ねてこられて、亡くなられた
        お父様の法事を勤めさせていただいた。時は遠く過ぎても、着くべき縁があるということで
        なにか心に染み渡るものを感じた。夕刻よりお世話になっている病院の50周年の祝賀会出席。
        Rホテルで実に盛大に行われ、地域の婦人会のお歴々と同席した。終了後町内の先輩と
        東通りの飲み屋へ。久しぶりにカラオケする。

9月  5日(金) 阪神が矢野の劇的なサヨナラ逆転2ランで勝利。勢いというのは恐ろしい。
        以前は逆にやられていたことをやってくれるのだから信じられない思いだ。まあなぜか
        悪い夢は早く覚めたいような気持ちの悪さを感じるのは、阪神ファンの悲しい性だろうか。
        しかし矢野というのは不思議な男だ。あのギャラードの150キロの速球をバックスクリーンとは
        恐れ入る。普通のどこにでもいるような感じで実は凄い、寺山修司なら魔法使いのお兄さん
        とでも言ったような不気味さすら感じてしまう。

9月  4日(木) 「磁力と重力の発見」山本義隆著読了。難しい本だったが、魔術、占星術から科学へ
        移り変わっていく様を詳述してあった。別に科学史に関心があったわけでなく、著者がわれわれ
        の時代になつかしいかつての東大全共闘の議長で名をはせた人であったのでつい大枚をはたいて
        しまった。さすがに頭脳は切れるというかんじでわかりやすく専門的なことをまとめてあった。
        中には昔とった杵ズカか「あじっていた」という文があったりして、なぜか嬉しくなったりする。
        いろいろな面で楽しめた。

9月  3日(水) 昼間時間があり、古い日活映画を見た。赤木圭一郎主演 「霧笛が俺を呼んでいる」
        若き吉永小百合も出ていて、CMがないのでつい見てしまった。最後に男の友情がよみがえった
        というちょっと渋い筋立てでよかった。なんといっても昔の日活は臭い決めゼリフがいい。
        「おいらのことは霧笛に聞きな。霧笛がおれを呼んでるぜ。」こんな映画をみるとたけしの
        「座頭市」なんて見ていられない。

9月  2日(火) 夜 町会のことで急に出かける。いろいろ地域と結びつきを持っていかないと
         寺としての存在責任が果たせないと思う。今日の夜中にはこの町内でひったくりが
         あったとテレビのニュースで知った。地域としての連帯感が薄れつつある市内では
         このてのいきあたりばったりの犯罪も増えてくるだろう。

9月  1日(月) 暑い。9月に入ったというのに、真夏の暑さに参る。8月は自転車のサドルのところが
         熱くなることは少なかったが、今日はしっかりやけついていた。彼岸まで持たそうと思っていた
         本堂の槙もいよいよ苦しくなってきた。秋物を並べた小売店もこれでは苦しいだろう。
         天候にだけは文句が言えない。